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小生は入局後、血液グループの一員として研修・診療・研究をすることになった訳ですが、この血液グループは少数精鋭であり、指導的立場の義父宇塚先生をリーダーに総勢5名の医師で構成されておりました。義父は白血病に対するDCMP2Step治療法を開発した近代血液学の創始者でもあり、血液業界ではその名を知らない人は”もぐり”であるとされる程、有名なドクターであります。そんな中、採血や染色およびカウントなどの基本的な操作を学び、(機械を使用せずに)そのトレーニングを反復いたしました。メランジュールの使い方や血液標本の正しい作り方などなど若干の技術と経験を要し、基礎的臨床血液学を学ぶことから始まりました。
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小生は癌研にて初期研修を終え、東北大学病院第3内科に入局した訳ですが、当時第3内科は総勢200人程のDr.が帰属しておりまして、とにかく大所帯でありました。教授を筆頭に助教授、講師、助手そして多くの医局員がその底辺を支えておりました。小生は入局当初は無給で共同机の待遇でした。(なお、3年間無給でした!)結局、大学病院を支えているのは多くの低あるいは無給の若い医師の頑張りであったのかも!?と思っております。いわゆる国家公務員医師(助手以上)は一握り(10人程度)でありまして、当時の大学病院はやはり権威(スティタス)があり、これに集まる若い医師で成り立っていたのだと思います!”たかが医局、されど医局!”と先輩が言っておりました。
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仙台はかつて3大ブスの名所として、注目されていたことがありました。小生は秋田出身ですが、今から35年前、始めて仙台にいった時にはこの事に興味があり、仙台駅を歩いている女性を観察した覚えがあります。また25年前名古屋に学会で行ったときは再度名古屋駅前を歩いている女性を観察しました・・・。残念ながら、水戸の駅には降り立ったことはありませんが、”水戸黄門”を見て参考しておりましたが、やはりブスが多い?と感じました。しかし、現在では近隣県出身者が混ざり合い”自然淘汰”され、仙台でも美しい女性が多くなったように感じます。小生の嫁さんも例外ではありません・・・(ハイ)!?ちなみに小生は面食いではありません!
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実は小生は1浪しておりまして、予備校時代に1年間仙台におりました。その当時は「文理」予備校が存在しておりまして、八幡3丁目の八幡寮からレジャーセンター前まで、路面電車で通学しておりました。今考えると同じ電車に知り合う前の妻が乗っていたと知らされて驚いております。私の記憶の中には全く”美しい女学生”の姿は存在しておりません。自宅を離れての生活は始めてであり、すべてが新鮮で楽しかった感があります。それだけ・・あまり勉学に身がはいらなかったということになりましょうか!?やはり、仙台は”学生の街”と言いますか?静かで住みやすい街だと思ってます。しかし、”国分町”という飲み屋街もあり、夜は混雑していますです。
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小生は医師3年目から義理の父の紹介により、仙台市星陵町1丁目の東北大学付属病医院第3内科に入局することになりました。実は小生は某私立大学医学部卒でありまして、通常は国立大学に入局するケースは比較的少なく、やはり親族にそのOBのいる医師が親などのコネで入局する場合が多いようです。小生もまさにそれで、些か戸惑いがありましたが、”すべて勉強!”と考え最終的には入局を決定いたしました。東北では天下の東北大医学部ということで緊張と喜びでいっぱいでした・・・。とにかく、医学を志し、経験を積むためにはベストであろうと当時は考えておりました。
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昭和50年後半~60年台にかけては胃癌の発生や増殖サイクルについて、悪性と良性とは基本的にはっきり区別されておりました。たとえば癌性潰瘍は基本的に悪化の一途をたどるが、例外的に早期癌の場合は村上先生が提唱した”悪性サイクル理論”が一般的でありまして、悪性であっても一時的瘢痕化(改善)が認められると考えられていた。したがって、潰瘍病変の特に潰瘍縁周囲の生検を十分に行う必要があることになります。実際に経験した症例では、熟練した内視鏡医が生検しても10箇所中2個しか癌細胞が出なかったこともありまして、より慎重かつ定期的な観察および生検が必要なのはいうまでもありません。最近ではHP感染(慢性炎症)により、前癌病変が形成され、早期癌に進展する可能性が示され、HP除菌治療の重要性が再度強調されているようである。当院でもHP陽性の上部消化管潰瘍症例では積極的に除菌治療(ランサップ)を行っているが、大館地区の開業医ではいまだにH2拮抗薬治療が主体であり、地域医療の遅れを痛感する訳だが、これが現実であます。
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