ではでは、早速続きに参りましょう。
第11条 病人への接し方
1 人は喜怒哀楽を常とし、腹を立てるなど、知らずと悪を重ねてしまうものです。まして病に苦しむ病人については、そうしたたしなみに欠けていると誤解したり、偏見や差別の目で見てしまうものです。ですが、ここは病の仕業と思い、たとえ、病人の態度が悪かったとしても、腹を立てて怒らないように気をつけてください。そういう時こそ親切で優しい心で接してあげるべきでありましょう。
2 物事の善悪について直接言葉で表現するよりも、目配(めくば)せによって行なう方が好ましい時もあります。できる限り、良いことも悪いことも、病人の思いに沿ってさしあげられるようお努めください。
3 病人が言うことを聞かなくとも、無理に聞かそうとしたり、怒ったり、恨んではいけません。
4 このことは何も病人に限ってのことではなく、日頃の自分達の生き方とも深く関わります。生涯にわたって身を慎むべきことでしょう。
5 いずれにせよ、心が乱れることによって再び迷いの世界(この世)に戻ることのないよう、そうした原因を的確に取り除いて、死を安らかに迎えられますよう接することが肝心かと存じます。
>環境をよくしてせん妄などを起こりにくくしようということでしょうね。
第12条 守秘義務
1 常に病人は夢で見たことや現実に思ったことを隠さず看病人に話す方がよいでしょう。また、病人から話さないのなら、こちらから丁寧に尋ね聞くことをおすすめいたします。
2 その話の内容が悪いときには一緒にお念佛などでし懺悔し、慰め、勇気付けてさしあげます。あるいは良い話のときは、一緒に喜びを共有なさってください。
3 善悪を問わず、他言しないよう心掛けてください。
>この時代から守秘義務の話があるとは、ビックリです。
第13〜15条 死の準備教育 念佛のありかた
4 その他には、『浄土三部経』や先ほど紹介した善導大師の『五部九巻』の中に示された臨終に関する言葉なども、常に耳元でお念佛するとともにお聞かせするようにして、心乱れる原因を取り除いて、死を安らかに迎えられますよう接してください。
2 いずれにしても、「まさにこの時にこそ、この苦しみが一切なくなり、み佛のお迎えによってこの上もない素晴らしい死後の世界が訪れるのだと心から念じ、そこに往きて生まれるのだと信じるべきです。だから決してそのことを忘れて、心乱してはいけないのです。今日まで信仰してきたお念佛の功(功徳)はここでまさに発揮されるのです。み佛は決してあなた1人を漏らすことなく、極楽浄土へ導くために迎えに来てくださいます」と言って、どれほどの苦しみがあろうとも病人を常に励まし、勇気付けてさしあげてください。
1 病人に訪れる臨終の時の心掛けは、み佛による「今まさに臨終を迎えようとなさるお方のもとに、慈しみの心をもって来て下さる」というお誓いをひたすら頼みとし、信じ、仰ぎ願うことでございます。すなわち、「日頃から積み重ねてきた信仰によって臨終の枕辺には必ずみ佛が姿を現され、迎えに来てくださり、やがて静かに心安らかなうちに息を引き取れます」と、お心得おきください。ですから、日頃からそうした事柄をしっかり願い描いておくことが大切でありましょう。お互いこのことをよく話し合うなどして忘れないようにしたいものです。
2 私達が往生するには、み佛のお救いのお力を借りなければならず、でなければ永遠に苦しみを繰り返してしまうことになりかねません。ですから、こうしたみ佛の救いの力を日々信じられるよう努めたいものであります。
3 その上で病人を常に励まし、勇気づけてさしあげてください。
>さすが、このあたりは宗教の一番得意とするところでしょうか。
第16〜17条 急変、苦痛時における看病人の対応
もし何かの原因で激痛に見舞われ、責められて心乱れだしたりした時には、これから往く世界の様子が思い描かれるような言葉を耳元でささやき、また、お念佛などして、心を穏やかに静まるようにおとりはからいください。
1 激痛に見舞われて気を失うなど、手に負えそうにもない時、「どうにもならない」と言って、見捨てるようなことをなさらないようにしてください。
2 どのような悪人も、時として出会いによっては改心して、生まれ変わることがあります。まして日頃からまじめに勤めを果たし生きてこられた方には、そのような場合、いつにもまして、いよいよ親切心、真心をもって包み込むように接してさしあげてください。もし、あなたが落ち着いてそのような行動をとられたなら、それは誠に尊いことであります。
3 最期を安らかにして息を引き取られますよう病人の願いをかなえてさしあげてください。
>患者さんが取り乱しても周りはとりみだすことなく、患者さんが落ち着くようにと言うことでしょうね。
第18条 臨終の看取り
1 病人の息耐える瞬間を見届けることは最も大切なことでございます。決して気を許してできることではありません。くれぐれもお気をつけください。
2 息絶える直前というものは人によって様々ではありますが、よく、苦痛がなくなり病状が回復したような錯覚をいたします。また、呼吸に変化があったり、意識がはっきりしてよく話すようになったりもします。時には、病人自身が「まさか、今、死ぬことはあるまい」などと言うことすらあります。特に病状が回復してきたととれるような変化については、勝手な解釈で看病を怠らないようになさってください。決して息絶える瞬間を見逃さないようにお努めください。
3 どこまでも安らかに息を引き取れるよう、また、み佛のお迎えがありますよう祈り、看護ってさしあげてください。
>本当に、医療を知らない人にでも理解しやすくなってますね。(当たり前ですけど)
第19条 死後の処置
1 病人の臨終が目前になろうとしている時、決して病人に触れたり、動かすことのないようになさってください。人生にとって最も大切な時を迎えているからです。わずかな空気の動きでも、心をかき乱してしまいます。ただ、「み佛が迎えに来てくださるのだ」という落ち着いた雰囲気で、より心が澄み渡るようにご配慮ください。
2 また、臨終の後もできるだけ同様にし、2〜4時間といったしばらくの間は、騒がしくしないようになさってください。
3 その間、この世界から次の世界である極楽浄土に往きて生まれるのでございます。さらに病人を静かに看護り続けてください。
読んだ感想は、本当に看護マニュアルだということです。
もちろん、仏教ですので宗教的な要素も入っており医学的なところから考えると違和感を覚える部分もあるのですが大きくは同意します。
本当に、500年以上前にこのようなマニュアルが存在したことに驚きを覚えます。
これを読んで落ち着いて看病が出来た方は多数いると思います。
すごく参考になりました。
人気blogランキングへクリック宜しくお願い致します。
絵も見たい方は
↓
http://www.buposo.jp/view/pointofnurse3.html
『患者と医者をつなぐもの』も読んでね。
固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
最近、『看病用心鈔』なるものがあるのを知りました。
病気になった人を看病するときの心得だそうです。
原文は知りませんが、平成訳がありましたので紹介させていただきます。
はじめに
病人となった時は看病してくださる方を慈悲ある御佛のように思い、また、看病人は子を思うような親心をもって、お側(そば)にいてさしあげるべきでありましょう。
この鈔では、知識ある看病人は、病人の心の動きをしっかりと把握できるようお努めになって、発病(とくに死に至る病)より命終わらんとする最期の日までの間の、看病人としての心得ておくべき事柄を記し申し上げます。
第1条 病室の設え(しつらえ)
人の部屋は日常生活の場とは別の所に設けるのがよいでしょう。もしできないときは、日常生活の場を病人のために改善したらよいでしょう。
>今でも当然当てはまりますよね。
第2条 病人を取り巻く環境
1 病室は常に清潔さを保ち、花などを飾り、ときにはお香を焚くなどして明るく落ち着いた雰囲気作りが必要です。ですから、あまり病人の心を刺激するようなものは避けてください。
2 看病人も時間をみはからって交替に休息することも必要です。その際、病状が軽いからといって、おろそかにしてはなりません。
3 人の命が終わるのは、ほんの一瞬のことなので眼を離さないようにしてください。休息するときも病人の息が聞こえるぐらいの所にいて、あまり離れないようになさってください。
4 夜になると病状が急変することがありますので、病人の顔色が確認出来るようにしてください。また、暗がりの中でもご本尊を拝めるようにご配慮ください。
燃え尽き症候群にご用心!
>なるほど、なるほど、勉強になりますって感じですね。
第3条 病人に近づく人
1 多くの経典や善導大師などは「酒肉五辛(しゅにくごしん)」=酒や肉、ニラ・ラッキョウ・ネギ・ニンニク・ショウガなどのニオイのする食べ物=を食した人を病人の近くに寄せてはなりません。
きっとニオイが元で、病人は苦しみ、心が乱れるでしょう」と、各所で悪しき事例を示してくださっておられます。よくよく慎んでください。
2 看病人は2、3人がほどよく、それ以外は妻子はおろか親疎を問わずあまり近づけないようにしてください。
>表現が古かったり仏教なので宗教的なところもありますが的を射ていることは確かですね。
第4条 看病人の役割
1 看病人は3人が適当で、1人は枕元で念佛をおすすめし、1人は近くで病人の様子を看護り、1人は端にいて雑事を受け持つようにします。大勢であると騒がしくなるので、あまり好ましくありませんが、長く患い、病状によっては4、5人でもよいでしょう。もし1人であれば、特に病人の目の様子や息の出入りをじっと看護ることが大切です。
2 常に病人の心が落ち着くようなお話をしたり、日頃から信仰なさっておられるお念佛をとなえるなど、これらをおすすめします。それらの声は高からず、低からずで、早さも病人の呼吸に合わせてほどよくなさってください。
3 看病人は心得た者(善知識)ならば、どなたでもかまいません。が、決して不心得な者を中に入れて、騒がしくならないようにしてください。
4 見舞いに来た人については、看病人が病室の外で品良く病状などを説明して対応し、病人に会わせないようお努めください。
>現代においてもここまでうまく看病できる人はなかなかいないのではないでしょうか。
>すごすぎます。
第5条 祈祷と治療
1 祈祷などはなさらない方がよろしい。単に延命のための治療・与薬(よやく)はできるだけ控えてください。たとえ、日頃から信仰するお念佛をとなえるためだとは言え、強いて用いるべきではありません。なぜなら、命終の時、だれもが我が身を一層愛し、命を惜しんで苦しみを増すことになるからです。つまり、極楽に往生するという「ここ一番」の時に、生を貪(むさぼ)り、死を恐れてしまうからです。
2 治療や与薬はその苦痛を取り除くように見えるけれども、充分その方法を吟味してから行なってください。安易に考えると、病人が死を恐れるあまり、極楽往生という本懐(ほんかい)は、そうした愛着によって妨げられますので注意が必要です。
3 これらのことについては、善導大師の『臨終正念訣(りんじゅうしょうねんけつ)』などをよく読んで心得ておくとよいでしょう。また、看病人自身もこの看病を通じて、いのちの尊厳を輝かせる機会として悦ばれるように接してさしあげてください。日頃から、死についていろいろ考えをめぐらせておくことをおすすめいたします。
>病気に倒れた人間の心の葛藤に対してどう対処するかですね。
第6条 死を覚悟するということ
1 どのような病気や事故で、どのように命が終わってしまうかなど分かりません。あまり私達の知る余地のない死や、死にゆく様についてあれこれと悩み、考え込んで心が乱れるようなことのないようにしたいものです。なぜなら、思い通りの死は決して訪れないからです。戦争・火事や水害などにみまわれ命を失ったり、突然死などがありえるからです。
2 日頃から持つべき信仰を持ち、生きる目的をしっかり持って、これらの備えとしたいものです。そしてその上で、心安らかにして、日頃からの信仰によって、自らが憧れ願う世界へ旅立ちたいものです。
3 ともかく、できるだけ日頃の生活の中で後悔が少なくなるように心掛けて、自然に死を覚悟できる(受け入れることができる)ようにしたいものです。
4 いつ訪れるか知れない重病や、耐えられない苦痛に襲われたとしても、様々な苦しみは、命終わるときにすべて解消されるのだと信じて、心乱れぬよう余命を大切に過ごしたいものです。
>このようなことに昔から言及されていたのですね。
>治らないことが多かったからこそ必要だったのかも知れません。
第7条 病人の食事
1 病人が欲しがるといって魚、肉などをあまり食べさせないほうがよろしい。もともと佛教では殺生を禁じているのですから、臨終という特別な時だとしても許されないことだとご承知おきください。上手に制止するよう努めてください。ですから、こちら側からあえて何か食べたいものはないかと尋ねるようなことは控えるべきでありましょう。なぜなら、死を間近にしながら、かなわぬ願いに心が奪われ乱されてしまう原因となりかねないからです。
2 病人の近くでこのような欲心をかき立てる言動は避けるべきです。特に、世間話や噂などは軽々しく口にしないように心掛けてください。
3 とにかく、残りわずかとなった時間を少しでも後悔しないで過ごせるよう、また死を覚悟できるようにしてさしあげてください。
>う〜ん、これに関しては、好きなものを食べさせてあげたいと思うのですが。。。
>仏教的な立場上ダメだったのでしょうか?
第8条 遺言
1 死後のことについては数多くの経典に説かれておりますので、これらをよくご参考ください。
2 何といっても命終には念佛をとなえながら静かにみ佛が迎えに来られるのを待つことが大切であります。
3 そのためには病の身となっても、意識のはっきりしている間に「遺言などはないか」と、尋ねておくことをお勧めいたします。ただし、病人自身の意志でしたら差し支えありませんが、こちら側から強要しないように加減してください。もし、その加減を損ないますと、心乱れる原因となります。できる限り死を覚悟できるようご配慮ください。
>遺言を尋ねるのはいいが、強要しないこと。大切なことですよね。
第9条 大・小便
1 病人が大・小便をするとき、強いて便所へ連れて行く必要はありません。そのようなときには、寝たままできるよう、おむつなどを用紙して楽な環境を整えてさしあげてください。
2 常に床は清潔にし、汚物を取り除く際も充分気をつけて行なうよう心掛けてください。
>当たり前のことですよね。
>昔のエントリーの『ラップポン』なんかがよさそうですね。
第10条 臨終間際
1 大・小便などの不浄時(用便中)、ご本尊との間を一時、屏風(びょうぶ)や障子(しょうじ)などで仕切るということをしますが、急変して臨終が近くなってきたら、そのような対応も気にしないでよいかと存じます。なぜなら、いちいちこのようなことをしていたら、その場が騒がしくなってしまうからです。ご本尊を常に静かに拝むことのできるように配慮なさってください。
2 常に喉の渇きには充分注意なさって、心落ち着くようお念佛などをおすすめください。
>まさに、看護人の心得ですね。
長くなってきたので次回に。
是非、HPもみてください。
絵も趣があってよいですよ。
http://www.buposo.jp/view/pointofnurse.html
人気blogランキングへクリック宜しくお願い致します。
『患者と医者をつなぐもの』も読んでね。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
ロボットスーツHALをご存じですか?
自立支援ロボットだそうです。
>にロボットスーツHALは、脚に障がいを持つ方々や脚力が弱くなった高齢の方々の脚力・歩行機能をサポートし、歩くことの素晴らしさを取り戻していただくことを願って誕生した、革新的な自立支援ロボットです。
>ロボットスーツHALは、筋肉を動かそうとする脳からの電気信号を皮膚表面で検出し、コンピュータ制御により各部モータを動作させて人の動きをアシストする、画期的なスーツ型ロボットです。
>人が身体を動かそうとする際、脳は筋肉に神経信号を伝え筋骨格系を動かしますが、その瞬間、皮膚表面には微弱な生体電位信号が流れます。
ロボットスーツHALに搭載された生体電位センサはその電位信号を検出・増幅し、コントロールユニットに内蔵されたコンピュータに送信します。
コンピュータは解析データに応じて各パワーユニットを制御し、装着されている方の動作をアシストします。一連の処理は筋肉が動きだすより速く行われるため、装着されている方は時間差による違和感を感じることはなく、意思のままに下肢を動かすことが可能なのです。
すげー!
こんな感想しか出てきません。
仕組みの解説ページはここです。
サイズもS,M,Lと3種類あります。
ただし、値段は
>リース料金は単脚タイプが月額15万円、両脚タイプが月額22万円(いずれも5年リースの場合)。
とかなりいい値段がします。
是非動画も見てください。
どうみても介護の道具には見えませんね。
世の中、どんどん進化していくんですね。
人気blogランキングへクリック宜しくお願い致します。
実際、さわったり使ったりした人の話を聞いてみたいものです。
素朴な疑問
>HALを装着して重くないのですか?
>HALは、HAL自体が重量を支えているので装着者が重たく感じる事はございません。
これまた、すげー。
『患者と医者をつなぐもの』も読んでね。
固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
先日、熱心に往診をしている開業医の先生と話をする機会がありました。
普段は、あまりないので新鮮に感じたことがふたつあります。
ひとつ目は、紹介状の内容についてです。
仕事柄、往診を熱心にしている開業医さんへの紹介状といえば、在宅医療を望む患者さんを紹介することが多いのです。
紹介状の内容は、がんと診断がついたときのステージ、そして行った治療歴(抗がん剤、放射線、手術など)と治療の効果、いつどこに転移が出現したかなどを中心に書いていました。
往診に熱心な開業医が望む紹介状とは、そんなものではないのです。
病院から病院への紹介状ならそれでよかったのでしょうけど。
開業医が望む紹介状とは、現在の患者さんの状態です。
例えば、食事はどんなものか(胃瘻や高カロリーが必要か)、トイレまで歩けるか?、ほかに管はついていないか?、呼吸状態は安定しているか?どんなところに気をつけて診察すればよいか?(例えば、すぐに誤嚥をするので気をつけてとか排便のコントロールが悪いとすぐにイレウス(腸閉塞)になるとか)の情報が欲しいそうです。
ですので、医者の書く紹介状よりも看護サマリーの方が役に立つことが多いそうです。
まあ、冷静に考えたらそうですわな。
今までの治療経過よりも、在宅で診るにあたってどんなところを注意して診察したらよいか、さらに自宅で最期を迎える決心がついていない方ならどの病院に搬送すればよいかも大切な情報でしょうね。
もうひとつは、医療器具の問題があるそうです。
熱心な開業医はできるだけ患者さんのためにと思い在宅を希望する患者さんの希望をできるだけ聴こうとします。
するとどうしても、いろいろな医療用具を使わざる負えません。
例えば、尿道カテーテルを使った尿の管理、高カロリー輸液の点滴セットなど多くの管関連の医療器具などを使用します。
在宅で患者さんが使用するのにその患者さんにとっては必要不可欠な者です。
これらの医療器具の多くは10個単位の購入となるそうです。
実際に患者さんに使った分は、元が取れるのらしいです。
ただ、病院に再入院したり、死亡したりしたら余ります。
もちろん、同じ者を使う患者さんがいればいいのですけど。
余った分は当然持ち出しとなってしまいます。
勤務医だとどうしてもコスト意識は低いんですよね。
そんなこと気がつきませんでしたわ。
人気blogランキングへクリック宜しくお願い致します。
せっかく、一生懸命やってもねぇ。
いつ、再入院するとか全く予測できないのにねぇ。
次回、GW特別企画を予定しています。
お楽しみに!
『患者と医者をつなぐもの』も読んでね。
固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
正月早々縁起が悪いと思われるかも知れませんが、人間いつか必ず死にます。
死なない人間はいません。
だからこそ、元気なうちから死について一生懸命考えていって欲しいと思います。
いままで、最期の迎え方や
最期はどこで?や最期を迎えるにあたってで人生の最期についてみなさん考えてみてくださいね。と言ってきました。
人それぞれの最期があり、最期の迎え方もいろいろなのですけど。
じゃあ、具体的に何を考えたらいいかわかんない人も多いのかも知れません。
最期を迎えるにあたってまず考える事は、在宅死まで考慮するかどうかだと思います。
やはり、家で最期を迎えるとなると病院と違い出来る事は限られてきます。
家で難しい事は高用量の酸素投与、24時間の持続的な静脈への点滴は難しいでしょうね。
その他の事は、家族と本人の頑張りで結構カバーできると思います。
また、食べれなくなってきたときの栄養をどこから摂取するかと言うのも大事ですね。
一時的に食べれなくなったら点滴が一般的です。
長期間食べれないなら、鼻や口からチューブを入れて流動食を流し込む方法もあれば、胃とお腹の皮膚と穴を開けてお腹の穴から胃へ直接流動食を流し込む方法もあります。
そんな事するくらいなら死んだ方がましだと思う人もいるでしょう。
ただ、実際そのような行為が必要になったときには自身の判断が出来ない場合も多く本人の意志ではなく、家族の意志に沿う事もよくあります。
ですので、健康なうちによく考えて頂いて、もしもの時にどうして欲しいかを決定して、家族の前で意思表示してできれば文書にて保管して頂くと医療関係者としてはありがたいです。
病院で主に聞かれる事は、人工呼吸器の使用するかしないか?心臓マッサージを行うかどうか?についてである事が多いと思います。
その事に関してもいろいろ述べたいのですが長くなりそうなのでまたの機会にしたいと思います。
しつこいようですが、最期について一度は考えましょう人気blogランキングへクリック宜しくお願い致します。
正月ですけど、みんなが集まるときにみんなで話し合った方があとあとよいかと思いましたんで。
気分を害した方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。
元旦のブログでなんちゃって救急医先生は日々是よろずER診療 日本人の「死生観」と私の思いをエントリーされています。
こちらも是非読んでみてください。
固定リンク | コメント (3) | トラックバック (1)
最近アクセス数が増えてきました。昔も似たような話題を書いたのですが、新しく読んで頂いている方へ一度、元気なうちに考えてみてください。
人間いつかは、死にます。
昔からそうです。
しかし、最期の迎え方を自分で選択する事は難しいです。
いろいろな最期の迎え方があります。
事故によるもの。
病気によるもの。
病気によるものでも慢性の病気でだんだん悪くなるもの。
急性の病気であっけないもの。
普段、健康な人は死ぬ事を意識して生活を送っていません。
ですので、最期の迎え方なんかほとんど考えたりしません。
もし、したとしても漠然となんとなく考えているだけだと思います。
現実問題として、多くの方が『死』を意識するのなんらかの病気になったときだろうと思います。
急性期の病気でここ数日を乗り切れば回復する見込みの高い病気から、慢性の病気で基本的には徐々に悪化していく病気までいろいろでしょう。
急性期の病気は事故と同じようになかなか心の準備もできないし、身の回りの事もできない事がほとんどです。
人が最期の迎え方を考え始めた時から、予想される最期を迎えるまでの期間と実際に最期を迎えるまでの期間が非常に大事だなと思います。
そのスパンは、病状によりかわってきます。
数週間だったり、数ヶ月だったり、数年だったりします。
その期間がその人の人生にとって大切です。
最期の迎え方を考える時間になります。
どれくらいの期間が一番いいかは人それぞれだと思いますが、1年から2年くらいが適当な期間じゃないかなって思います。
やはり、数ヶ月は短いような気がするし、3年以上あったら長すぎてうまい事コントロールできないかも。
そのような考え方をすると悪性疾患で最期を迎えるのも悪くはないかなって思います。
日本人の3人に1人は、がんに罹患する時代です。
自分ががんになったなら、悲観的になるのは当然の事ですが、こんな事でも考えながら少しでも前向きに考えていきたいと思っております。
自分の最期を少し考えてみようと思う方人気blogランキングへクリック宜しくお願い致します。
医者になってなかったら、こんな事考えもしなかったと思います。
固定リンク | コメント (6) | トラックバック (0)
がん難民って聞いたことありますか?何のことかわかりますか?
がんの患者さんで、初回治療した病院から『どっか他の病院を探してください。』とか言われてどうしていいかわからなくて困ってる患者さんの事です。
なぜ、このような人々ができるのでしょうか?
要因の一つとして、医療制度の問題があります。
たとえば、入院期間がある程度以上になると病院の収入が減るという事実。そのような、患者さんがベットの多数を占めていると経営的に厳しいというわけです。
また、病院自体の問題。がんの拠点病院となるような病院は、研究期間としての側面もあります。(すべてのがん拠点病院がそうではありません、中にはなんでこの病院が拠点病院なの?みたいな病院もあります。ですので、がん拠点病院だから、がん治療のレベルが高いかと言うとそうでないこともあります。(もちろん、レベルの高いところが多いですが。))
簡単に言うと臨床試験に入ることのできる患者さんを優先的に入院させると言うことになります。
臨床試験は、主に初回治療に関して行われることがほとんどです。
ですので、初回治療が終了したりとか、ギアチェンジしたりとかしたら、いろいろな症状が出たりして入院が必要となり、臨床試験に入るべき患者さんのベットが確保できなくなる。
こんな理由(他にもあるでしょうが)で『がん難民』ができあがります。
かれらは、どこに行ったらいいのでしょう?ホスピスでしょうか?
ホスピスは、システム上緩和目的の放射線治療や抗癌剤治療でさえ、行いにくくなっています。(医療報酬のシステム上の問題で抗癌剤、放射線治療を行うと赤字になる場合が多いため。)
仮に、病院を移ったとしても新しい担当医、新しい環境で不安を抱えた患者さんは、どう思うのでしょうか?(本人が希望してかわった場合は別ですが。)
治癒しなかったがんの患者さんの残された時間が非常に大切です。
その時間を有効に使うためにがん難民は、なくさないといけません。
がん拠点病院が、がん難民を出さないでやっていけるような医療制度を整えてください。
がん難民なくしたい方人気blogランキングへクリック宜しくお願い致します。
緩和ケアの講習を医療関係者は、全員5年以内に受けなさい。
いいことなんですけど、がん難民を出さない方が先じゃないかと思います。
今の制度をかえないと出さないようにするの難しいですよね。
あと、お産難民なんて言葉も最近出てきてますよね。とくに、奈良県で。これも、行政の問題が一番じゃないですか?
詳細は、他のブログを見て頂ければわかりますが。。。。
部門によっては患者さんを受け入れれば受け入れるほど赤字になるような診療報酬の設定など、医療行政が抱えている問題はたくさんあります。医療資源にも限りがあります。このことは、みんなが理解しなければならない問題だと思います。
固定リンク | コメント (6) | トラックバック (0)
緩和医療学会で、ある先生が『在宅は医師、看護師、介護士の三位一体である。』とおっしゃっていました。
まさにその通りです。みんなが力を合わせないとうまくいきません。
以前、最期はどこで?ででも述べさせていただきました。
現在の問題点は介護士もしくはケアマネの方々が緩和医療に対する知識、意識レベルが低い方が多い、もっと研修が必要であるとのことです。
国は、在宅医療を推進しようとしています。
そのために緩和ケアの講習を5年以内に関係者は受けなさいといっています。
それにしても、緩和研修は、医師、看護師、薬剤師、介護士、ケアマネなどの職種が受けるって事ですよね。
ホントにそうなら、大規模な研修体制が必要です。
この研修を行う体制はあるんでしょうか?
5年でできるわけないんじゃないでしょうか?
そこまで分かってるんでしょうかね。
また、緩和ケアチームの友人の医師は
『ある程度のレベルまではすぐになれる。しかし、ある程度専門的な知識を持った方への研修制度がほとんどないのが残念。』とのこと。
本当にそうだと思います。
在宅医療に非常に興味はあります。前回も述べましたが国の政策で在宅を選ぶのではなく、個人個人で選ぶものだと思います。
そうだと思う方人気blogランキングへクリック宜しくお願い致します。
これで、緩和医療学会ネタはおわりだと思われます。
固定リンク | コメント (2) | トラックバック (1)
みなさん、最期はどこで過ごしたいですか?
緩和ケア(医療)を考える上で避けて通ることのできないものです。
たたみの上で死にたいですか?もちろん、病院で最期をむかえたい人が多いのですが。
がんの末期の患者さんでも『病院はいやだ。できるだけ家で過ごしたい。できたら、最期まで家で過ごしたい。』と希望される方がときどきいらっしゃいます。
本気で、希望されるなら元気なうちから手をうっておかないと今の医療制度では難しいと思います。何事も早め、早めです。
今の医療制度において病院で最期を迎える事は簡単なことです。
普通にしとけばほぼ100%そうなります。
では、自宅で最期を迎えるには、どうしたらいいのでしょうか?
まず、信頼できる往診してくれるドクターがいること(見つけること)。しっかりした訪問看護ステーションとコメディカル。そして、家族の理解。
これが、最低限必要なものです。
本人がいくら自宅での死を望んでも最後に家族がどうしていいかわからなくなって結局救急車を呼んで病院に来た。なんて事もよくあることです。
国の政策としては、医療費削減のために在宅死をすすめる方向であるようですが、
この問題は決して国が決めるのではありません。
個人個人が決める問題です。
みなさんも一度考えてみてください。
人気blogランキングへクリック宜しくお願い致します。
固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
こないだ“○○メディカル”って言う雑誌を読んでたら、“再評価される皮下輸液” と言うタイトルに惹かれました。
皮下輸液とは、血管(静脈)の中に入れる点滴ではなく、皮下に入れる点滴のことです。
医療関係者のかたは、十分すぎるくらい分かっておられると思うのですが、終末期医療において血管を確保するのが難しいことがしばしば見受けられます。
自己にて食事、飲水が難しくなった患者さんに脱水を起こさないように輸液(点滴)が必要となるのですが、静脈がなかなかとれない場合、皮下輸液が行えるとどんなに楽か。患者さん、家族も不要な中枢ルート(太い血管に長い管を入れる処置)や何度も針を刺されることがなくなります。
ただし、ホントにこれでいいの?って疑問があります。だって今まで自分でしたことないから。
4から5時間で500mlも皮下から投与できると書いてあります。ペットボトル1本分ですよ。
誰か、実際皮下輸液を実践されてる方どんなものなのか御教授ください。よろしくお願いします。
人気blogランキングへ宜しくお願い致します。
固定リンク | コメント (1) | トラックバック (1)
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | |||
| 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
| 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
| 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
| 26 | 27 | 28 | 29 |