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 日本の医療は、病院が赤字で、製薬会社と医療機械会社が儲かると思っていたが、この儲けの構造に調剤薬局が加わっていた。このことは昨年の長者番付けで、日本調剤社長の報酬が4億7700万円であったことから明確である。

 病院が経営に苦しみ、医療崩壊が日常語になっているのに、なぜ調剤薬局が儲かるのか、それは、調剤薬局は儲かる仕組みになっているからである。

 薬価は国が決めているので、値引きの必要はない。売れば売るほど儲かる仕組みになっている。病院の前には門前薬局が並んでいるが、調剤薬局の名前は違っていても、それらは個人経営ではなく、セブンイレブンのように大型チェーン店化している。チェーン系列であれば、仕入れ価格、薬剤師確保、在庫調整などのメリットがあるからである。

 調剤基本料が420円、基準調剤加算があればプラス100円、調剤料は1日50円で、2種類の飲み方の薬を7日貰ったら700円となる。さらに目薬と塗り薬が加われば200円プラス。薬歴作成費で220円、指導料で220円、お薬手帳で150円。合計2100円に薬剤費を足して、その3割が患者負担となる。

 毎回、同じ薬なのに、疾患名も知らないのに、「その後、いかがですか?」で指導料220円、薬の写真と説明のプリントは170円である(平成18年から多少改善)。逆に、大勢の前で、大きな声で病状や、住所、電話番号まで聞かれ、プライバシーなどはないに等しい。

 ジェネリック医薬品が話題になっているが、薬局が勧めるのは、薬価と仕入れ価格差の大きな薬品で、必ずしもジェネリッを勧めている訳ではない。調剤薬局の薬剤師が親切なのは、親切にすれば、儲かるからである。

 内科や眼科など複数の科が入居している医療モールが流行しているが、ベンツに乗った調剤薬局が大家で、店子が医師である。調剤薬局は各医院から出される処方箋で儲け、処方箋の少ない店子医師はイヤミを言われるのが現状である。

 医師から薬の説明を受けているのに、薬剤師からの説明は時間の無駄である。インフルエンザで意識朦朧患者も2カ所を回るのだから、患者にとっての利便性はない。

 医薬分業は、厚労省の日本医師会弱体化を目的とした利益誘導政策のひとつであるが、しかし厚労省さんよ、医療崩壊を防ぐには、病院や診療所の診療報酬0.004%の攻防よりも、受診時定額負担100円の議論よりも、まずは調剤薬局の報酬を減らすことではないだろうか。

 

 

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 オリンパスの内視鏡は世界シェアの7割を占め、それだけに今回の損失隠しは、オリンパス製品を世界1と思っていた医師たちを怒こらせた。

 もちろん、経営陣の不祥事と社内研究者は別であるが、経営陣はさらにひどいことを行っていた。つまり実質的に経営(出資)している病院に、内視鏡の押し売りをしていたのである。赤字病院が経営に困ると、オリンパスが出資を申し出て、見返りに、必要のない内視鏡をなどの自社機器を購入させていた。その額は1病院毎月数百万円である。

 この方法は、暴力団が飲食店に高額な鉢植えを毎月買わせていたのと同罪である。

 もちろん、子会社、孫会社を使っての悪行なので、オリンパス本社に訊いても「知らぬ存ぜぬ」の返答であろう。それが、今回の損失隠しの穴埋め、あるいはさらなる悪事の発覚をおそれ、子会社、孫会社はすべて調剤薬局最大手に売却ずみである。優良会社といえども倫理観など微塵もなく、オリンパスはハイエナのごとく 「良心的な病院を金もうけの道具」にしていたのである。

 オリンパスの胃カメラは、東大医学部外科医の宇治達郎、オリンパスの技師者杉浦睦夫と深海正治によって開発された。彼らは腹の中を覗くことで、人類に最大級の貢献をもたらしたが、バブルに浮かれた腹黒い経営陣がそれをぶち壊したのである。

 明日は、胃カメラ開発に至るまでの実話を示そう。乞う、ご期待。

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 刑務所から出所した患者に「刑務所はくさい飯でつらかっただろう」と訊いてみた。すると患者は「病院の食事時より刑務所の方がおいしいですよ、麦飯は仕方ないにしても、麦飯は健康には1番ですから、糖尿病などは一発で治りますよ」と妙なことを自慢げに言い出した。

 そこで調べてみると、刑務所の1食の材料費は393円から423円で、料理の得意な服役者が作り、配膳も服役者が行うので人件費、光熱費はゼロ円である。いっぽう病院の食事は1食640円だが、人件費、光熱費が含まれているので材料費は250円になる。また学校給食の材料費は292円で人件費は別会計なので、たしかに食事のおいしさでは、刑務所、学校給食、病院の順になる。もし患者満足度調査など行うならば、このことを知らしめるべきである。

 また、一般の市中病院に入院すると、入院費(入院医学管理料・入院環境料・看護料・食事療養費)は2週間まで1日13530円、6ヶ月を超えると9180円(老人8870円)である。老人は1割負担なので、3食ケア付き、訴訟の権利付きで、1日1000円でおつりがくる。老人ホームより安い値段で、年金で貯金が出来るので、退院を希望する患者、家族などいるはずがない。

 これで健全な病院経営など、所詮無理である。

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セコム「提携病院」支配の実態

 警備サービス最大手のセコム(本社・東京都渋谷区)は事業の多角化の一環として展開している医療事業を加速させている。事業の中核を担っているのは、セ コムが全額出資しているセコム医療システムだ。会長の小幡文雄氏はセコムの元常務。事業内容は訪問介護、健康食品、会員制健康管理、電子カルテなどと多岐 にわたっている。
 そもそもセコムが医療事業に手を出したのは1991年、セコムファーマシーが薬剤提供サービスと訪問看護サービスによる在宅医療サービスをスタートしたことに始まる。
  セコムグループの2009年3月期の連結売上高は6784億円と前期比0・6%減となったが、「メディカルサービス事業」は523億円と前期比2・9%増 となっている。セコムの原口兼正社長は雑誌のインタビューの中で「病院などの収入も含めると、医療収入は約900億円」と話している。売上高の6割以上を 占める「セキュリティサービス事業」以外では、メディカルサービス事業は防災サービス事業に次いで大きな柱に育ってきている。
しょせんは警備事業拡大の道具
  警備会社と医療事業
―― 一見関連がないように思えるが、在宅看護を必要とする家庭は高齢者の1人住まいが多いため、セキュリティサービスを必要とする見込み客にもなるのだ。その ため、セコムの大黒柱であるセキュリティサービス事業の比重は、企業から家庭に移行してきた。
 このような経営姿勢に対して、兜町関係者の目は冷ややかだ。「医療などほかの事業は大黒柱をさらに太く強くするための道具であり肥やしであって、言ってみれば『すべての道は警備につながる』というのがセコムのやり方。医療事業もその意味では『ワンノブゼム』でしかない」
  この夏、セコムの医療事業に関して新たな動きがあった。セコム医療システムが6月、子会社のセコムフォートウエストを通じ、神戸市内に介護付き有料老人 ホーム「コンフォートヒルズ六甲」を開設した。この施設の特徴は、総合病院を併設している点。セコムグループが運営している高齢者向け施設としては11カ 所目だが、病院との一体運営はここが初めて。併設している神戸海星病院は、セコムが「提携病院」と呼ぶ病院の一つだ。
 開業記念の記者会見で、セコムの木村昌平会長は「高齢化社会ではこのビジネス(医療事業)が一番重要になる。我が社は医療を中核事業の一つに位置付けている」と強調、介護と医療を一体化した戦略を明確に打ち出した。
 提携病院は現在、北海道札幌市の手稲渓仁会病院、東京都世田谷区の久我山病院、千葉県松戸市の新東京病院、大阪市の友愛会病院など、大都市を中心に全国に16カ所ある。
 病院関係者は次のように話す。
  「提携病院はもともと経営難のところが多かった。院長が高齢な上、後継者がいなかったり、いても経営能力がなかったりしていた。そんな病院にセコムは『当 社と提携すれば経営支援をするし、医師やスタッフも送り込みます』と声を掛けた。声を掛けられた病院の経営者も、病院の維持、自分の老後の生活、医師免許 や経済力のない子供の今後を考えると、提携話に乗ってしまう」
 1948年施行の医療法は、それ以前に企業が開設した病院は例外として、「営利を 目的とする者」の医療機関経営を認めていない。なぜ、企業の参入を認めないのか。その理由として、厚生労働省は
利益追求の結果、適切な治療が行われない 恐れがある利益が出ないと企業は撤退し、地域医療に影響が出る医療費の高騰を招く――を挙げる。
 セコムの創業者である飯田亮氏(取締役最高 顧問)は小泉政権、その後の安倍政権で政府の「行政減量・効率化有識者会議」座長、「総合規制改革会議」委員などを務めたが、小泉政権下の2004年、規 制改革の一つとして、「病院特区」の認定を受けた地域で株式会社病院・診療所の開設が認められるようになった。しかし、健康保険が使えない自由診療でかつ 高度医療に限るというハードルが高いため、申請は少なかった。
国会で問題視された病院経営
 それ故、セコムは「提携病院」 という方法で実質的な病院経営を行おうとしている。ところが、セコムの医療事業が国会で問題視された。07年6月の参議院財政金融委員会で、大門実紀史・ 参議院議員(共産党)がセコムの病院経営について取り上げ、土地・建物の賃貸や人材派遣によって経営権を実質的に掌握している実態を明らかにした。千葉県 船橋市の倉本記念病院(現セコメディック病院)が経営危機に陥った1998年、セコムが土地と建物を買収し、医療法人に貸し付けるリースバック方式で賃貸 料を取っていたという。これに対して大門参院議員は、医療法人による剰余金の配当を禁止している医療法54条に違反していると指摘。また、セコムが理事な どの役員を病院に派遣していることについて、実質的に経営権を握っていることになると、違法性をただした。
 セコメディック病院という名称が付い た経緯についても明らかになった。大門議員によると、セコムは当初、「セコム病院」にしたかったが、厚労省が「医療機関の非営利性の確認と名称について」 という通知を出したため、現在の名称になったという。大門議員は、セコムが実質的に経営権を握っていなければ、病院の名称を変えられるわけがないと指摘。 一般企業が医療分野へ進出することによる営利重視の経営や医療格差の拡大に対して懸念を示した。
 提携病院の経営実態について、セコムに取材を申し入れたが、「あくまでも提携しているのであって、病院経営については話せる立場にない」という返事だった。
 結局、既成事実の積み重ねで、法律上禁止されている一般企業の病院経営が横行しているのが現状だ。ザル法のおかげで医療の質の低下を招いたら、いったい誰が責任を取るのだろうか。(集中ニュースより)

 

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日本医師会の保険医総辞退(昭和46年)

 日本の医療制度の特徴は全国民が何らかの保険に加入していることで,患者は保険によって治療を受け,医療機関は保険によって治療費を得ることができた.昭和36年にこの国民皆保険制度が発足して以来,日本人であれば誰でも,いつでも,どこでも保険証一枚で適切な治療を受けられるようになった.国民皆保険が誕生して10年目の昭和46年,この日本の皆保険制度に様々な矛盾が生じてきた.

 保険証を持っていれば安い値段で診てもらえることから,人々はちょっとした風邪や二日酔いでも受診するようになった.そのため患者は増大し,診療所や病院は混み合い,治療が必要な重症の患者が待たされることになった.また政府管掌健保は3000億円の赤字でありながら,組合管掌健保は2億円の大黒字で保養所を次々に建てていった.開業医の収益は増え,また製薬会社も高い利益を上げた.このように日本全体が医療財源を奪い合う歪んだ状態になった.そして昭和40年ごろから政府のあつかう健康保険が国鉄,米とならんで「3K赤字」と呼ばれるようになった.そのため厚生省が国民医療費の膨張を抑えようと打ち出したのが医療費の適正化,医薬品のおまけ販売の廃止,保険鑑査の強化であった.

 日本医師会はこの国による医療政策にある程度の理解を示したが,下部会員の反発は強かった.そのため日本医師会は表面上は国の統制医療に反発し,昭和4671日から保険医の総辞退に突入,28日間にわたる保険医辞退による医師の反乱が始まった.医師会は健保連のことを「帝国主義」とよび,健保連は医師会を「医療ファショ」とののしり合いながら泥沼化していった.

 日本医師会が保険医を辞退したということは,患者は保険証を持っていても医療機関を受診できないことを意味していた.保険証は使用できず,医師の診察を受けるためには現金を用意しなければいけなかった.診療費は医師会が独自に算定した適正料金によって算定されたが,国民は不安の中で右往左往するだけであった.

 この日本医師会の反乱は日本の保険診療そのものを否定する行動と誤解されやすい.しかし日本医師会は保険診療を否定して自由診療を求めたのではなく,むしろ日本の医療を建て直すために保険診療を人質にとったという方がふさわしい.国家による統制医療に反発し,あるいは診療報酬の値上げを隠れた目的にして,日本医師会は保険医総辞退という切り札を使ったのである.

 日本医師会に加入している病院や開業医の約9割,65千人の医師が日本医師会の保険医総辞退の決定にしたがった.しかしそうは言っても,いつも診ている患者が診察を求めてきたら,冷たく追い返すわけにはいかない.それでいて保険診療が日本医師会にばれたら,日本医師会を裏切ることになる.このためタダで治療をおこなった赤ひげ医師が多かった.またその間,保険医を辞退しなかった公立病院や開業医に患者が殺到することになった.

 日本医師会は保険診療を辞退したが,実際には日本医師会が独自に算定した適正料金表を用いており,現金で医療費を支払っても領収書を保険組合に請求すれば払った医療費は戻る仕組みになっていた.しかしそれを知る者は少なく,そのため多くの病院や開業医では患者が減り,医療費は通常の7割程度に落ち込んだ.

 保険医総辞退は日本の医療を大混乱に陥れたが,なぜ武見太郎が保険医総辞退を行ったのか,その真意は謎に満ちている.厚生省も健保連もどうしてこうなったのか分からないでいた.

 保険医総辞退の前年である昭和45年の診療報酬は平均10%の値上げであった.しかし入院料は30%の値上げであるのに,薬価基準は大幅に引き下げられた.このことから開業医の不満が大きかったといえる.武見太郎は保険医総辞退という強硬手段を用いたが,これは医師会下部会員の不満を解消させることが狙いだったと考えられる.

 武見太郎はある危機感を抱いていた.それは武見太郎が独自に考えた保険制度の抜本的改正案が日本医師会の臨時代議員会で否決されたからである.武見太郎が厚生省に要求しようとした保険制度の抜本的改正案は,政府管掌,組合,国民の3保険制度を統合して,地域,産業,老齢の3健康保険とする案であったが,医師会臨時代議員会で否決されたのである.武見案が臨時代議員会で否決されたのは初めてのことであった.このことから日本医師会の反武見派を武見体制に1本化するための行動が必要であった.いずれにしても,厚生省の一方的な診療報酬適正化に対し日本医師会は圧力団体として政治力を発揮したのである.

 保険医総辞退のきっかけは,218日におこなわれた中央社会保険医療協議会(中医協)での公益委員から示された審議用メモであった.中医協は医療の値段(診療報酬)を協議する場で,診療側,支払い側,公益委員によって構成されている.この中医協で事務局が作った審議用メモがきっかけとなった.審議用メモは診療報酬を議論する際のたたき台として事務局が用意したもので,各方面の意見を聞いて作られたものである.保険審議官の江間時彦俗が作ったことから俗に「江間メモ」と呼ばれるものであった.

 このメモの内容は,医師の技術の適正評価,薬剤などの適正使用,医療行為の包括化,医療機関の機能,施設設備等に対応した診療報酬体系の創設など11項目が書かれていた.この「江間メモ」は各自がそれぞれ持ち帰って今後の討議の叩き台にするための単なる資料にすぎなかった.医師会側の代表は大いに乗り気で,次回の協議会の日程を繰り上げたいと要望するほどであった.しかし医師会側の委員の態度は一夜にして豹変した.

 日本医師会長・武見太郎はこの江間メモの内容を事前に知っていたのである.そしてメモが出たらいっさい反対して持ち帰るなと医師会幹部に事前に言っていたのだった.武見太郎は厚生省から審議用メモを持ち帰った常任理事の小池昇を怒鳴りつけた.武見太郎は厚生省が一方的に反社会的な診療報酬を強行しようとしていると激怒したのだった.武見太郎は江間メモの中に,同じ治療内容でも病院と診療所の診療料金に差があること,高度医療の診療報酬を上げること,たとえば肺炎なら何点というように包括医療を目指すこと,つまり病院に優位で外来患者を多く診る開業医に不利な診療体系と読みとったのである.厚生省は日本の医療を病院優先の政策をとろうとしていると直感していたのだった.そして翌日,中医協から委員の引き揚げを決めたのである.江間メモは単なる叩き台にすぎずなかった.武見太郎はメモの裏を読みとったというよりは,因縁として利用したといった方が正しいと思われる.

 武見太郎は政治家や厚生省の役人がひざまずくほどの権勢を誇っていた.日本医師会は医療費値上げを求める下部会員の不満を解消させる必要があった.日本医師会は圧力団体として会員をまとめるために厚生省との喧嘩のきっかけを「江間メモ」に求めたといえる.そして「総辞退をかけても粉砕しなければならん」と激怒し,日本医師会幹部に厚生省との対決姿勢を強調した.武見太郎は厚生省との対決のきっかけとしてこの審議用メモを利用したのである.

 つまり保険医総辞退のきっかけは何でも良かったのである.武見太郎は「厚生省は一方的に診療報酬の適正化を強行し,それは生命と学術を無視した不見識な案であり,この案は診療報酬体系を行政の知恵からゲスの知恵に置きかえるもの」と述べ,厚生官僚がしばしば繰り返す悪しき常套手段といった.武見太郎は厚生省の諮問機関から日本医師会の委員をすべて引き上げさせ,厚生省との対立姿勢を深めていった.

 34日,武見太郎は全国の都道府県医師会長あてに「厚生行政に対する抵抗体制の確立」という指令を出した.まさに武見太郎のツルの一声であった.これを受け,5月3日には都道府県医師会が保険医登録抹消請求書を各自治体に提出することになった.そして日本医師会は武見太郎会長のもとで71日からの保険医総辞退を決定したのである.

 東京都医師会は保険医9875人の保険辞退届を出した.東京都医師会に加入している開業医の100%近くが参加し,参加者9875人のうち9200人が開業医で残りが病院勤務医であった.日本全体では65千人を超える医師が保険医総辞退に同調して辞退届を出した.マスコミは日本医師会を攻撃したが,日本医師会会員の団結力はすさまじかった.彼らの団結を支えたのは自由経済社会における適切な診療報酬体系の確立だった.

 この保険医総辞退に厚生省は何ら対策を打てずにいた.それはなぜ日本医師会が保険医総辞退を行ったのか,その真意が分からなかったからである.厚生省は医師会の切り崩しに奔走するが不調に終わった.厚生省は保険医総辞退に突入してもせいぜい2万人程度と予想していた.しかし43都道府県の医師会は一致結束して保険医総辞退に参加したのである.そして総辞退のままの状態が約1か月も続いたのである.厚生省の狼狽ぶりに,日本医師会は「日本に厚生省がなくても国民の医療を完全にやっていける自信を持つことができた」と発言した.この騒動の中で患者は右往左往するばかりだった.

 この事態を解決するため武見会長と斎藤昇厚相との会談がおこなわれた.いずれの会談も公開討論の形式で,すべてがテレビで放映された.斎藤昇厚相は事態を収拾するため日本医師会よりの「健保制度の抜本的改正試案」を示し総辞退の中止を求めた。そして4回にわたる武見会長と斎藤昇厚相との会談により4点の合意事項と8項目の抜本的改正の方向が確認された.そして武見会長と佐藤栄作首相との会談がもたれ28日間におよんだ総辞退体制は解除された.日本列島を揺るがした保険医総辞退は収束へとむかったが,「けんか太郎」の異名をもつ武見太郎による日本医師会の完全な勝利であった.隠れた実話として,斎藤昇厚相は武見太郎の患者であり,武見太郎の意見に強く反発することは出来なかったという事情があった.また新聞は斉藤厚生大臣に対し武見講座をおとなしく聴講する学生のようであったと表現した.

 しかしながらこの保険医総辞退は医師全体の総意ではなかった.武見太郎は開業医の団体である日本医師会の会長であり,日本の医療費の半分を占める病院の代表ではなかった.日本病院協会の神崎三益会長,全国公私立病院連盟の近藤六郎会長,日本医学協会の吉田富三会長は武見太郎の保険医総辞退に批判的であった.また日本医師会内部でも異論があり,この事件をきっかけに武見会長で一枚岩だった日本医師会に亀裂が生じることになった.またこの28日間にわたる日本医師会の反乱は国民に大きな不安を与え,日本医師会の団結力を誇示したものの日本医師会に対する不信の火種をつくってしまった.また武見太郎会長の独善的なイメージを国民にうえつけ反発を買ってしまった。

 保険医総辞退を武器に武見医師会長は言いたい放題であった.「なぜ保険医総辞退をやらなければいけないのか分からない国民が多くいます」という記者の質問に,「国民がわからくても結構,私は国民の家庭教師ではない」と答えた.この国民を見下したような独善的態度が国民の反発をつくり,マスコミの格好の攻撃目標となった.日本の医療を論じるだけの力量がないマスコミは,保険医総辞退に対し庶民泣かせの論調で応じた.たとえば茨城県下で老婆が自殺したことを報道したが,この自殺は家族が否定したにもかかわらず,マスコミは医療費を苦に自殺との見出しをつけたのだった.

 日本医師会は保険医総辞退を武器に,あるいは国民の生命を人質にして完全な勝利を得たといえる.しかし医療を診療報酬でしか論じないという悪い癖を作ってしまった.日本医師会は,開業医は儲からないと宣伝していたが,高額所得者にはずらりと開業医の名前が並んでおり説得力に欠けていた.日本医師会は大きな理念を掲げていたが,国民の多くはその陰にある日本医師会の利益誘導体質を感じており,日本医師会は次第に国民の支持を失ってゆくことになる.そして診療報酬が高く設定されている間は良かったが,診療報酬という呪縛のなかで,プロとしての医療への姿勢が失われ,診療報酬という国家統制医療に縛られるようになった.

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無給医局員診療拒否闘争(昭和41年)

 戦後の日本の医師育成制度は,医学生は医学部を卒業すると大学病院などで1年間の実地研修が義務づけられ,その研修後に初めて医師国家試験の受験資格が得られるというインターン制度をとっていた.この仮免許研修医制度である1年間のインターンを終え医師国家試験に合格すれば大学の医局に入局することになるが,医局に入局しても給料はもらえずに研究と診療にあたることになっていた.このインターン制度,無給医制度は医学教育という名を借りた医療労働の搾取であった.無給医たちは生活の保障はなく,この矛盾に満ちた医療制度に無給医たちが立ち上がったのである.

 昭和389月,名古屋大学医学部の無給医が全国の無給医に呼びかけ,大学医局の無給医の全国的組織ができあがった.そして昭和394月,名古屋で全国無給医代表者会議が開催され15の大学の代表50人が参加することになった.

 無給医局員の待遇改善を求めて,昭和4012月,東京大学,名古屋大学,群馬大学の各付属病院で無給医局員による「1日診療拒否」がおこなわれた.この闘争には3大学340人が参加し,経済的裏付けのない無給医局員の実状を訴えた.この診療拒否闘争は国民に理解を求めるため「診療専念日闘争」と名づけられ,無給医の実情を社会にアピールするための行動であった.しかし1日だけの診療拒否では何ら問題の解決には至らず,翌年には全国レベルでの闘争に展開することになった.

 昭和41624日,全国医学部無給医局員対策委員会の呼びかけにより,無給医による全国規模の「1日診療拒否」がおこなわれた.この日の統一行動に参加した大学は16の国公立大学で,無給医局員は診察をせず,待合室や玄関でビラを配り,無給医局員のただ働きの実情を訴えた.彼らの行動により無給医局員の問題は世間の注目を集めることになった.

 名古屋大学では540人の医師が「適正医療」を名目でストに入った.適正医療とは,病院の診療には責任のない無給医にさせるのではなく,有給医のみが診療に当たるべきであることを意味していた.名古屋大学の無給医は名古屋駅前で3万枚のビラをくばった.

 このように16の国公立大学で診療拒否が行われたが,各大学病院の足並みがそろっていたわけではない.東京大学では精神神経科,耳鼻科の無給医だけがストに加わった.医学部の医局は無給医の生殺与奪を持つ教授をトップとしたピラミット構造であり,医局において教授は絶対的権力を持っていた.そのため診療拒否闘争はボスである教授に逆らうことを意味しており,自分たちの現状を変えようとする闘争は,自分たちの医師としての将来をかけた闘いといえた.

 大学医学部は教授をトップとした医局により各診療科が構成されている.医学部を卒業した若い医師は各医局に入り,教授の指導のもとで患者の診察や研究をおこなった.医局員の数が100人を越える医局もあり,このような大所帯の医局では,大学から給料を払える有給医師には限りがあった.

 医学部は文部省の管轄である.文部省が決めた定員は各講座に所属教員が5人(教授1,助教授1,助手3),附属病院所属教員は4人(講師1,助手3)と規定されていた.大学の医師は教育や研究に専念し,病院の医師は診療に専念することが建前となっていた.このように文部省が大学の職員として給料を出している有給の医師以外が無給医局員である.この医局のピラミット構造の底辺を支え,病院の診療を支えるのが無給医局員であった.そしてこの無給医局員が今回の闘争の主役であった.

 無給医局員は給料をもらえず,逆に研究費を徴収する医局も少なくなかった.無給医局員の多くはアルバイトをしながら博士論文のために研究に打ち込んでいた.しかも試薬,実験動物,試験管などの研究費用はすべて自前であることが多かった.無給医局員は大学の職員名簿に名前は記載されず,保険にも入れずアルバイトで生活費を稼ぎながら研究を行っていた.

 医学博士の学位をもらうまでの数年間はこの状態が続くことになるが,もし大学に残って教授の地位を狙おうとするならば,この状態は更に長く続くことになる。よほどの金持ちの息子でもないかぎり,過酷なアルバイトをしなければ生活は出来なかった。

 無給医局員は労災や病気の保障はなく,もしものことがおきれば,無収入となって妻子を路頭に迷わせてしまう不安定な立場にあった.文部省の調査によると,昭和41年の国立大学病院の無給医局員は8238人,教授から助手までの有給医局員は4147人であった.全ての医科大学を合計すると有給医局員は13000人に達していた.つまり大学病院で働いている約7割の医師が無給医で構成されていたのである.さらに大学病院には2400人の無給の大学院生が診療していたので,大学院生を加えると無給医局員はゆうに8割をこえていた.医局の構造はまさに異常な状態であったといえる.このように無給医局員が異常に多かったのは文部省が予算を出さなかったことであったことが原因であるが,これでは腰を落ち着かせて診療,研究などできるはずはなかった.

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2010.02.14 03:30 |  開業 / 病院経営  |  スーさん  | 推薦数 : 1

ニチイ学館

ニチイ学館 スタッフ「乱造」で揺らぐ信頼

 景気の悪化や医療費削減政策が続き、病院経営は慢性的な赤字体質に陥っている。経費の約5割を占めるといわれる人件費の削減が、病院経営者の課題となっている中、急増しているのが医療事務の外部委託だ。民間病院の場合、医療事務の外部委託率は40%以上となっている。

  病院の業務にはさまざまな事務作業がつきもの。受付、会計、診断書や処方せんなどの文書作成、電子カルテなどの入力、診断に関するデータ管理など多種多様 な事務がある。こうした医療事務のアウトソーシングサービスを行っているニチイ学館(以下、ニチイ)は現在、全国の約11000の医療機関を顧客に抱え ている大手。

 ニチイは「医遼関連事業」(アウトソーシングサービスなど)、「ヘルスケア事業」(介護サービスなど)、「教育事業」(各種実務講座、資格取得講座)を3本柱に、医療関連とヘルスケアの人材を教育事業で育成するビジネスモデルを全国に展開している。

 2007年にコムスンの介護事業を継承後、業績が低迷していたが、合理化などによって経営改善を果たし、099月期中間決算では黒字に転換した。教育事業でも失業率の上昇や介護報酬の引き上げなどを背景に受講者が増えている。

不祥事で契約医療機関が離れる

  追い風が吹く中、「20103月期中間決算説明会」の資料には、「過去最高の売上高を更新」「営業利益の大幅改善」「キャッシュフローの大幅改善」とい う文字が躍る。ちなみに093月期の連結売上高は2136億円で、そのうち医療関連事業が約1013億円、ヘルスケア事業が約997億円と二分してい る。

 ただニチイにとってみれば、この中間決算だけで喜んでばかりもいら れない。093月期の医療関連事業の売上高は前年同期に比べて7.3% 減、営業利益は18%減という大幅な減収減益だったのだ。契約している医療機関離れが進み、これをつなぎ止めるために利益を削って契約を見直し、必死に営 業活動に努める姿がこの数字から浮かび上がってくる。

 減収減益の理由の一つは、078月に大きな不祥事が発覚したことだった。千葉県循環器病センター(市原市)から委託されていた医療用具の滅菌について、ニチイから派遣されていた契約社員がマニュアルで定められた有効期限を改ざんしていたのだ。

  この契約社員はメスなどを乗せるトレーや、ガーゼなどを入れる容器などの医療用具の滅菌をセンターの滅菌室で担当していた。だが、マニュアルに反して有効 期限を記さないまま滅菌した用具を保管し、用具の請求を受けた段階で日付を記入して渡していた。マニュアルでは滅菌後1週間の有効期限を記しておき、期限 を過ぎれば使っていなくても再度滅菌し直すと定められているが、担当者はその手間を省いたわけだ。

 「業務負担を減らそうと思った」と担当者は語っていたというが、単なる作業の手抜きなどという現場レベルの枝葉末節の問題ではなく、病院経営にもかかわる大きな問題だった。手術にダイレクトにかかわる医療器具が滅菌されない状態で使われた可能性があったからだ。

  例外もあるが、高度な滅菌状態が求められる手術で万一感染が起こった場合の影響を考えれば、医療機関としては看過できない。それがどういうレベルの感染で あろうと、間違いなく医療事故として処理されることになる。責任追及は医師や看護師に向かい、病院の管理体制が糾弾される。単なる派遣のスタッフの手抜き とは誰も思わない。

 そして、その先は医療裁判ということになる。現場の医師はもちろんだが、医療機関の経営者が現在最も怖れるのは医療事故による裁判である。莫大な裁判費用はかかるし、負ければ賠償金も巨額に上る。それ以前に病院としての信用も落ちて、患者の足が遠のくことは必至だ。

  この不祥事で医療事故が起こったわけではないが、こうした手抜きは医師や看護師には見抜けないということにも問題がある。医師や看護師がいちいち自分たち で滅菌処理をするわけではないし、それを担当する者がきちんと作業を行っていると信用して手術に入る。だから感染が起こっても、第一義的には医師や看護師 には責任はないのだが、誰もそうは思わないだろう。単なる書類仕事ではなく、患者の生命を委ねる手術にかかわる作業に「信頼」が置けないようでは、ニチイ にアウトソーシングして大丈夫なのか、という不安が医療機関の間に起こるのは当然だ。

即戦力性なき資格保有者

 しかも、「作業を軽減させようと思った」という担当者の動機に「さもありなん」とうなずく医療関係者は少なくない。実はニチイの派遣社員に対しては、さまざまな批判の声があるのだ。

  ニチイでは医療事務などの講座を設け、その資格を取った者を医療機関に派遣している。点数算定やレセプト点検、受付や会計といった医療事務の基本を学べば 2級の医療事務技能資格を得ることができる。ただ、資格といっても国家資格ではないため、医療機関にとっては参考程度にしかならない。

 しかし、資格取得者にとっては、医療事務という何やら華々しい資格であるように思うのだろう。採用する医療機関とニチイから派遣されるスタッフとの認識の違いは極めて大きい。資格取得者は意気揚々とした気分で送り込まれるが、病院側にとっては即戦力性のない人材である。

  医療事務は資格ではなく、いわば現場のスキルである。受付であったり、患者への対応であったり、大きな病院だったらカルテの出し入れだけの仕事だったり、 はっきり言えば雑用係。病院側にとっては医療事務の資格よりも、個人の適性が重要なのであって、現場の経験を重視する傾向が強い。患者とコミュニケーショ ンを取れる能力の方が重宝するのだ。

 しかし、ニチイは大手であるため、 2級医療事務技能資格取得に必要な6カ月の実務経験が免除されている。そ のため、ニチイで資格を取っても、右も左も分からないまま、いきなり病院に「放り込まれる」。こういう人材が即戦力として使えるわけがない。だから、病院 側の不満の声も大きくなる。

 医療事務の派遣社員側にとっても待遇は決し てよくない。資格を持っているといっても極論すれば雑用の資格だけに、高 い給料を払う病院は少ない。病院のヒエラルキーから言っても医療事務はずっと下の存在だ。病院というのは非常に特殊な階級社会である。医師が絶対君主とし て君臨し、看護師はその下、事務職員はさらにその下、下僕的な扱いをされることも多いという。

  給料は安い、仕事は雑多で忙しい、病院の人間関係 は複雑で難しいとなれば、辞めていく契約社員が多いのも当然だ。ウェブ上では「国家資格でもないのに受講料が高すぎる」「残業は月100時間、残業手当は もらえず、正社員でもボーナスゼロ」「給料が手取り10万円以下と割に合わない」などといった不満が書き込まれている。

スタッフを質より量で補う悪循環

 退職者を補うため、ニチイは資格取得者を大量に生み出し、数でカバーしている。その結果、人材の質はなおざりにされ、ニチイへの信頼性を揺るがしているのだ。

  0911月にも和歌山県内で、ニチイの介護施設の送迎用軽自動車の運転手が事故を起こし、乗っていたデイサービスを受けたお年寄り3人が死亡する事故が 起こった。運転していたのはニチイのパート従業員の女性で、「運転中に胸が苦しくなり、冷や汗をかき、それからの記憶ははっきりしない」と事故当時の状況 を語ったという。ニチイの定期健康診断では女性に異常はなかったというだけに、逆に不安感が増す事故だった。

  資格取得者の「粗製乱造」、即戦力 性のないスタッフの「放り込み」とも言える状況について、ニチイの広報本部広報部に取材を申し込んだところ、「回答を差し控えさせていただきたい」という メールが送られてきた。メールには「医療機関・介護施設で働くスタッフに関しましては、資格取得後も研修等で育成をしてきておりますが、今後も研修制度を 強化し、スタッフの育成に注力していきたいと考えております」と、当たり障りのない文章も付いていた。

  しかし、医療機関側も一気に取引停止というわけにはいかないのが悩ましいところ。経営的な理由から、いったん外部委託を行うと抜け出すことはできにくいという事情がある。医療機関が自ら職員を採 用して、一から教育する手間やコストを考えれば、ニチイとの契約を続けた方がはるかに安上がり。手っ取り早く安価な労働力を求める業務リストラをどの病院 も進めているから、今さらコストのかかる従来型の労務管理に戻すわけにはいかない。

  また、契約期間が長くなっていくと、病院側が表に出せない秘 密も握られることもある。幽霊患者による医療費の水増し、レセプトの付け忘れ、患者とのトラブル、病院経営者の私物化など、アウトソーシングによって持ちつ持たれつの関係になっていることも多い。ニチイの場合、大手でもありアウトソーシングを代替できる企業も少ない。医療機関にとっては今さら簡単に取引を 見直すことができにくいのが実情だ。

 ニチイの寺田明彦会長と寺田大輔社長はホームページのトップメッセージで「我が国の医療と介護分野を支える生活支援企業として、誰もが安心して暮らすことができる社会の実現に努めていきたいと考えています」と語っている。今のままでは、超高齢社会のあだ花にならないか。

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