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2010.02.13 17:00 |  研究  |  昭和 30年代 中  |  スーさん  | 推薦数 : 0

中性洗剤有毒説

中性洗剤有毒説(昭和37年)

 中性洗剤は水に溶けると中性を示す合成洗剤で,それまでの石けんに比べて洗浄力が強いことから売り上げを伸ばしていた.洗剤業界は「無味無臭で毒性なし」,「放射能も洗い流せる」というキャッチ・フレーズを用い,中性洗剤は洗濯用に,次いで台所用に商品化された.また食器だけでなく,野菜についた寄生卵の洗浄にも効果があると積極的に宣伝された.

 しかし昭和36年頃より中性洗剤有毒説がささやかれるようになる.東京医科歯科大学・柳沢文徳教授が「中性洗剤を使い続けると,肝臓や皮膚が冒される」と警告したのだった.この警告の社会的反響は大きかった.そしてもし有毒説が正しければ,月産1万トンの洗剤業界にとって死活問題になった.この警告は国会でも問題になり,厚生省が調査に乗りだすことになる.厚生省は通常の使用法では無害としたが,中性洗剤有毒説はさまざまな波紋を引き起こした.西村・文部省政務次官は,中性洗剤のシャボン玉が体内に入った場合に有害であると教育委員会や都道府県に通達をだした.また東京都教育庁は学校給食では野菜,果物は水洗いだけで,中性洗剤は使わないように指示をだした。ガン,奇形,肝障害と中性洗剤との関連性を示す発表が相次ぎ,当時の水俣病も中性洗剤説が言われたほどである.

 この論争は10年以上にわたり繰り返されたが,中性洗剤有毒説はしだいに否定されるようになった.この問題を検討していた厚生大臣の諮問機関である食品衛生調査会は中性洗剤有毒説を否定,三木武夫首相が国会で中性洗剤に毒性のないことを述べ決着がついた.

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2010.02.13 16:59 |  映画 / 音楽 / 読書  |  昭和 30年代 中  |  スーさん  | 推薦数 : 1

ベン・ケーシー

ベン・ケーシー(昭和37年)

 若き脳神経外科医の活躍を描くアメリカABCテレビの連続ドラマ「ベン・ケーシー」が日本でも放映され爆発的人気となった.昭和3711月からTBSで放送されたベン・ケーシーは,たちまちのうちに熱狂的なファンをつかみ,昭和38111日には視聴率50.8%を記録するほどの人気番組となった.

 ベン・ケーシーはロサンゼルスのカウンティ病院に勤務する脳神経外科医の物語である.チーフレジデント(医局長)であるベン・ケーシーは無愛想であるが,正義感にあふれ,妥協を許さない熱血感の医師を演じていた.ベン・ケーシーは医師でありながら決して科学主義者ではなく,むしろヒューマニスト,ロマンニストを演じていた.また謙虚でありながら,患者を叱りつける強さを持ち,インテリでありながら女性を口説けない不器用さを合わせもっていた.ベン・ケーシーの誠実さと人間味が視聴者の好感を得たのである.無愛想でぶっきらぼうでありながら,それがまた魅力的であった.相手が患者であろうが同僚であろうが,患者のことや医学のことになるとズケズケとものを言う.人間の尊厳を重んじ,医学的良心にしたい妥協をしない.そのため社会的なくだらない習慣を無視して失敗してしまう.たとえ自分の患者じゃなくても,他の医師が間違った治療をしていれば文句をいった.そこには日本の医局制度にみられる閉鎖性を乗り越えた患者本位の考えがあった,そして医師としての技術を最大に活用しようとする態度がにじみでていた.ヒューマニズムの行動,医師としての情熱と正義漢が人気を呼んだ.

 ベン・ケーシー旋風に,東大の外科医・清水健太郎が「私の周囲にもベン・ケーシーは沢山いる」と雑誌に書いたことから,ベン・ケーシーのような医師が日本にいるのか,いないのかが論争になったほどである.

 ベン・ケーシーを演じたのは,当時35歳の米人俳優ビンセント・エドーワーズであった.彼の男性的マスクも人気の一因であったが,西部劇にみられる強いアメリカの男性,レディーファーストが示すような優しいアメリカの男性を象徴する役柄であった.そして善玉のベン・ケーシーが最後に勝というストリーが人生の理想像を象徴していた.

 現在,医師の半数近くが長袖の白衣の代わりに,半袖の「ケーシー・スタイルの白衣」を着ているが,これはケーシーが着用していた手術着をまねたものである.ケーシスタイルの白衣は現在定着しているが,当時はこれに目をつけたにTレーヨンがケーシー・ブラウスを一般人向けに売り出し女性の人気を得ていた.

 ベン・ケーシーの成功以来,「ドクター・キルデア」,「ER」,「シカゴ・ホープ」などの医者もののドラマが流行することになる.ビンセント・エドワーズは膵臓ガンのため平成8年3月11日に亡くなっている.享年67であった。

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2010.02.13 16:57 |  生活 / くらし  |  昭和 30年代 中  |  スーさん  | 推薦数 : 0

バナナコレラ騒動

バナナコレラ騒動(昭和36年)

 明治36年頃から日本領であった台湾からバナナは輸入されていた.しかし台湾ではバナナよりもコメの生産を優先させる政策がとられていたため,日本への輸入はわずかばかりであった.昭和25年に日本・台湾間で通商協定が結ばれ,バナナはふたたび日本に輸入されるようになった.しかしサラリーマンの平均月収が約1万円の時代に,バナナは卸値で1キロ約1000円であり超高級品となっていた.その後バナナは値段を急速に下がっていったが,昭和36年から37年にかけて台湾の雲南,高雄でコレラが発生,台湾から横浜港に入港した「イサルコ号」の船員からコレラ菌が検出され,神戸港で陸揚げされたバナナ16千万円分が自衛隊の火炎放射器によって焼却処分にされた。また台湾バナナからコレラが感染するという噂が広がり台湾バナナは輸入禁止となった.

 しかし翌28年,台湾バナナは解禁となり,また南太平洋のバナナも輸入され,しだいに輸入量を増やしていった.現在日本のバナナの輸入はフィリピンが70.6%、エクアドルが20.3%、台湾が6.9%となっている.バナナ輸入量は増加傾向にあり,平成12年のバナナ輸入量は107.9万トンに達している.日本産バナナは鹿児島と沖縄両県を合わせて約340トンである.また最近では遺伝子工学が農作物に応用され,ワクチンとなる遺伝子を組み込んだ作物がすでに栽培されている.コレラ予防バナナ,コレラ予防ジャガイモなどが作られている.これも科学の進歩である.

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2010.02.13 16:57 |  生活 / くらし  |  昭和 30年代 中  |  スーさん  | 推薦数 : 0

ハイシー発売

ハイシー発売(昭和36年)

 昭和36年,武田薬品工業は新しいタイプのビタミン剤「ハイシー」を発売した.ハイシーはビタミンC(1錠に50ミリグラム)を含み,しみやそばかすなどの色素沈着を抑制すると宣伝された.しみ,そばかすの原因になるのがメラニン色素である.紫外線を浴びた時などに,体内のチロシンというアミノ酸が黒色メラニン(褐色〜黒色)に変化し肌を黒くするとされている.ビタミンCは黒色メラニンをつくる酵素の働きを抑え,また黒色メラニンを無色のメラニンに変化させしみ,そばかすを緩和するとされている.ハイシーは若い女性をターゲットに15錠入り400円で発売された.女性の肌への関心は強く,ハイシーは売り上げを急速に伸ばした.

 皮膚をきれいにする薬剤としては,ハイシーよりもエーザイの「チョコラBB」の方が歴史は古い.昭和27年に発売されたチョコラBBは皮膚の代謝をよくするビタミンB2を主成分に現在でも販売されている.また薬剤ではなく,果物に含まれるポリフェノール,野菜に含まれるベータカロチンにもメラニン合成を抑える働きがあることが注目されている.これらの薬剤の効果はあるのだろうが,お肌のためにはまずストレスや不規則な生活を避けることが必要であろう.

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2010.02.13 16:56 |  その他(一般)  |  昭和 30年代 中  |  スーさん  | 推薦数 : 0

饅頭毒殺事件

饅頭毒殺事件(昭和36年)

 因島は瀬戸内海に浮かぶ静かな島である.この因島で近親者7人の毒殺をはかった饅頭毒殺事件がおきた.この怪奇事件が発覚したのは,昭和36年1月8日のことである.この事件は農業を営む三沢家のM男(32)方で饅頭を食べた芳子(4)が急死したことに端を発している。芳子は饅頭を食べた直後に苦しみだし,近くの医院に駆け込んだが死亡した.医師は変死と考えたが,結局芳子の死因は心臓マヒとされ,葬式の準備がおこなわれた.

 しかし弔問客よりもさきに現れたのが警察官であった.病死ではなく変死の疑いがあるとされたのである.出棺は中止になり,Y子は警察の霊安室へ運ばれ,家宅捜査がおこなわれた.

 警察が捜査に来たのは,因島区検察庁に男の声で「おかしいと評判だ,調べてくれ」と密告の電話が入ったからである.電話は「芳子は病死ではなく毒殺であること,さらに数年前から4人の家族が同じように相次いで死亡していること」を告げた.このようにして芳子の死亡は毒殺事件へと発展していった.芳子は司法解剖がなされ,有機リン系薬剤による中毒死であることがわかった.さらに有機リン系の農薬であるパラチオンが検出された.芳子の瞳孔は縮瞳しており,血液中のコリンエステラーゼも著しく低下しており,これらの所見もパラチオン中毒死の特徴と一致していた.M男は同年2月2日に逮捕された。

 M男は逮捕直後に連続して5人を毒殺したことを自供した.M男の次女,三女,M男の兄夫婦,そして芳子の5人を殺害したと自白したのだった.捜査本部は三沢家の墓を掘り起こし,白骨化した遺体を調べたが毒物反応を検出できなかった.M男は5人殺しを自白したが,捜査本部が起訴できたのは芳子殺しと3人の女性の殺人未遂のみであった。

 昭和43年7月,広島地裁尾道支部はM男に懲役15年の判決を下した。しかし饅頭の入手経路,農薬の仕掛け方,指紋などの物的証拠はなく,自白も矛盾点が多かった.そして1審から6年後の昭和491210日,広島高裁は自白の信用性を否定し,M男に対し「疑わしきは被告人の利益に」の原則を適用して無罪を言い渡した。 

 この事件が起きたのは,まだ封建制の残滓が残っていた昭和30年代のことである.昔の農村にはよくあることであるが,因島でも近親者同士の内婚が多くみられていた.道路に沿って長々と続く家並みの中に,濃密な血を分けた複雑な親族関係が営まれていた。M男が親族を次々に殺害した動機は財産目的だったとされている。

 昭和22年に相続法が改正されるまでは,いわゆる長男が相続する家督相続だった。つまり財産の相続権は男子優先,嫡出子優先,年長優先の三原則となっており,長男がすべてを相続することになっていた。そして昭和22年に法律が変わった後も,農家などは田畑が分散することをおそれ,事実上長男がすべてを相続する家督相続が行われていた.

 狭い田畑を子供たちに細分化することは財産を減らすことになる.つまり共倒れになりかねなかった。次男としての地位を呪ったM男は兄を殺し財産を独占し,さらに口減らしのために娘たちを次々に毒殺したとされている。M男は無罪となったが,はたして犯人はM男以外にいるのだろうか.

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2010.02.13 16:55 |  その他(一般)  |  昭和 30年代 中  |  スーさん  | 推薦数 : 0

トキソプラズマ症

トキソプラズマ症(昭和35年)

 猫などから感染するトキソプラズマ原虫が問題となった.トキソプラズマ原虫の本来の宿主は猫で,猫の糞便中から排泄され,それが手指を介して口から感染する.当時のトキソプラズマ感染率は日本人全体の2割と高率であったが,健康人であればたとえ感染しても病気として発症する人はごくまれであった.

 感染している猫は無症状で,一般人でもほとんど問題にされていないが,エイズなどの免疫不全の患者の場合にはトキソプラズマ脳症を起こすことがある.また女性では,妊婦時に初感染すると約10%の頻度で胎児に先天性トキソプラズマ症をきたすとされている.先天性トキソプラズマ症は妊娠の数ヶ月前あるいは妊娠中に初めてトキソプラズマに感染した時に起こる.妊娠初期の場合には胎児への感染頻度は低いが,感染すれば胎児は重症となり流産することが多い.妊娠後期の場合は胎児への感染頻度は高いものの軽症の場合がほとんどである。

 先天性トキソプラズマ症は,脳症,痙攣,水頭症,頭蓋内石灰化,黄疸,肝脾腫などが見られる場合がある。母親を治療することによって,先天性のトキソプラズマ症の発生を減らすことができるので敏速な診断が重要となる。一般的診断としては血清抗体の測定が行われ,最近ではPCRによる遺伝子解析も実用化されつつある.トキソプラズマの治療薬(スピラマイシン)はあるが予防接種(ワクチン)はない.スピラマイシンは原虫を殺す作用はないが,母体から胎児に移行するのを防ぐとされている.

 先天性トキソプラズマ症を治療しなかった場合には,出産時に症状を示さなくても,子供が成長するにしたがい目や脳に徴候が出現することがある。乳児の発育不全,精神障害の原因となる。このようにトキソプラズマは胎児に影響を及ぼすことから妊娠時の感染が問題になった.

 トキソプラズマは猫に多い原虫で,その便から感染する.そのため妊娠前後は猫にさわらないことが肝心である.また猫はしばしば庭をトイレ代わりにするので,庭いじりで土や砂に触れ感染することがある.手洗いなどの予防につとめ,また肉などの食品は十分に加熱することが必要である.

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2010.02.13 16:54 |  研究  |  昭和 30年代 中  |  スーさん  | 推薦数 : 0

ハナクソ発言

ハナクソ発言(昭和35年)

 昭和3512月の日本癌学会で,牛山篤夫博士が癌治療薬「SIC」の効果を発表する予定だった.「SIC」は特殊な細菌からつくられた癌治療薬である.これに対し癌学会会長・田崎勇三は癌治療薬「SIC」を「科学的根拠のないハナクソみたいなもの」と発言し,牛山篤夫博士の学会発表を差し止めた.このため学会ばかりでなく一般の人たちまでハナクソ論争が広まり,マスコミは興味本位で内容を報道した.

 田崎勇三は「SIC」の学会発表を中止させた理由について,学問的に価値がないこと,学会に発表した場合,それがSICの宣伝に利用される可能性があること,ハナクソみたいなものを癌の薬として発表させては癌学会の威厳にかかわるためと説明した.

 このハナクソ発言に対して牛山篤夫博士は公開討論会を要求したが,田崎勇三は混乱を招くだけとこれを拒否した.「SIC」はその後,東京慈恵会医科大学が中心となりSIC研究会をつくり,その臨床効果などが調べられたが,ガンの特効薬としてのデータを示す前に自然消滅した.牛山篤夫博士が細菌から作った「SIC」はガン特効薬として世間を騒がしたが,結果的には「SIC」は癌治療薬としては効果のない薬だった.薬剤にはプラシーボ効果があり,鼻くそでも暗示による効果があると考えた方がよい。「きっと良くなる。必ず良くなる」と言われると,それを信じた人たちに多少の効果をもたらすものである.

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2010.02.13 16:53 |  旅行 / 宿  |  昭和 30年代 中  |  スーさん  | 推薦数 : 0

国民休暇村

国民休暇村(昭和35年)

 国民休暇村は宿泊施設を中心としたレクリェーション総合施設を持つ保養地である.昭和358月,厚生省は国民休暇村の建設計画を発表し,「民間より安い料金で休暇村の施設を利用でき,健康で明るい国民生活の増進に寄与すること」を目的に,国立公園・国定公園の自然環境の優れた景勝地に開村する計画が示された.

 国民休暇村の特徴は日本の風景を代表する海岸や高原などの自然に恵まれた地域に位置し,宿舎を中心に広大な面積をもつことである.敷地にはプール、海水浴場、スキー場、児童遊園地、ゴルフ練習場、テニスコート、自然遊歩道、サイクリング施設などが完備されており,家族ぐるみの健全な休暇を楽しむことができる。国民休暇村のうち園地、歩道、野営場等の公共施設については国や地方公共団体が整備し、宿舎、ロッジ、スキ−リフト等の有料施設については国民休暇村協会が運営している.値段は民間の半分程度で,値段が安いため民間の旅館経営を圧迫していることが問題となっている.また公営企業のため経営がずさんとなり,補助金などの交付は受けていないが,税制面で優遇されており民間企業を圧迫している.現在,全国に35か所の国民休暇村があり,所轄は環境庁である.

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2010.02.13 16:52 |  医療事故  |  昭和 30年代 中  |  スーさん  | 推薦数 : 0

BCG誤接種

BCG誤接種(昭和35年)

 昭和35529日,大阪府堺市でおこなわれたツベルクリンの集団接種で,誤ってBCGを接種し,接種を受けた児童102人が化膿していたことが判明した.

 同じようなBCG誤接種は昭和62624日,福岡県久留米市立日吉小学校でも起きている.注射を受けた児童32人のうち22人が腕のはれ、痛み、ただれを訴え、うち1人が発熱して入院した。ツベルクリン注射を担当した同市日吉町の川口元也医師(45)がBCG接種に使う牛型結核菌を間違えて接種したのである.BCGの牛型結核菌は毒性を弱めており、局部的な症状で終わるのが普通であるが,場合によっては全身に結核菌が広がり、カイヨウができたり、リンパ節がはれたりすることもある。患部のウミから結核菌を含む抗酸菌が検出され,このため異常を訴えた児童を対象に、抗結核剤を投与するなどの治療が始められた。

 また平成5529日にも,奈良県十津川村でも同様の事件がおきている.村営上野地診療所の医師(48)がツベルクリン液と間違ってBCG液を注射し、幼児と中学生計5人の腕がはれ上がり入院することになった.

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2010.02.13 16:51 |  生活 / くらし  |  昭和 30年代 中  |  スーさん  | 推薦数 : 0

障害者雇用促進法

障害者雇用促進法(昭和35年)

 企業や公的機関にある一定の身体障害者および知的障害者を雇わせる法律が設定された.高度経済成長の中で立ち後れていた身体障害者の雇用を促進し,障害者の生活を安定させることが目的である.また障害の程度に応じて,職業訓練や職業の斡旋もおこなうことになった.

 この法律が設定された当初は,事業主の障害者雇用義務が明示されていたが,これは努力義務であって罰則は設けられていなかった.現在,法律は改定され,民間企業では1.8%,公的機関では2.1%の障害者を雇うことが義務づけられている.この数値を達成できない企業は一人あたり月5万円の納付金を国にはらうことが課せられている.

 障害者は年々増え続け,平成11年では就職を希望する障害者は12万人であるが,景気の低迷もあり就職件数は3万人程度で,就職できる障害者は希望者の3分の1となっている.現在,公的機関では法定雇用率をほぼ満たしているが,民間企業では法定雇用率を達成していないのが55.7%となっている.障害者の雇用は生産性だけを考えれば企業にとってマイナスとなるが,企業の社会的責任として意欲のある障害者の雇用を行うのが義務化されている.

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