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2012.01.21 08:29 |  診療  |  生活 / くらし  |  グルメ / お酒  |  その他(一般)  |  随想  |  スーさん  | 推薦数 : 1

手洗い神話

 手洗いは医療の基本とされている。ある日、トイレから出ようとする医師が手洗いをしないで出ようとしたので注意した。するとその医師は「トイレに入る前には手洗いをしますよ。それは自分の一番大切なモノに触るのですから、でもトイレから出る時には手を洗いません。それは手洗いの蛇口が一番汚いからです。

 でも心配しないでください、患者さんの診療の前後には必ず手洗いをしていますから」、たしかに彼の言うとおりかもしれない。

 後日、その医師と食事をしたとき、彼はまた妙なことを言いだした。「先生、レストランのおしぼりは使ってはいけません、おしぼりが清潔という証拠はありませんからね。このおしぼりが、昨日、風俗店で使われていたかもしれませんよ」、さらに彼の話は続いた。

 「あと、ホテルの洗面所で顔を洗うのもいけません、ホテルの掃除のおばさんがトイレを拭いたタオルで洗面所を拭いていたのを見てしまったのです」。

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2011.12.22 06:24 |  生活 / くらし  |  趣味  |  グルメ / お酒  |  恋愛 / 結婚  |  その他(一般)  |  心の話  |  スーさん  | 推薦数 : 1

人生と音楽

 私の音楽史を振り返れば、レコード、カセットテープ、CD、そしてYutubeと、ずいぶん世の中変わったものである。
 ここで面白い実験をしてみた。Yutubeで「リストの愛の夢第3番」を検索すると、フジコヘミング、辻井信行、キーシンなどが同曲を弾くのを聴くことができる。そこで、誰の演奏が最も心を打つのかを試してみた。その結果は、家族4人そろって、第1位はキーシンだった。同じ楽譜をなぞるだけなのに、ピアノは単なる打楽器なのに、世が天才と呼ぶピアニストにも、ずば抜けた者がいるのである。これが音楽の奥の深さであろう。
 次に自室に戻り、ショパンの舟歌、チャイコフスキーの舟歌、ボルガの舟歌、八代亜紀の舟歌を聴いてみた。優雅なリズムのショパンの舟歌、感傷的で美しいメロディのチャイコフスキーの舟歌、力強いボルガの舟歌、どれもすばらしいが、八代亜紀の舟歌が最も心を和ませてくれた。なぜなのだろうか、それは心にしみる歌詞、物悲しい曲が自分の心にフィットしていたからであろう。
 日本の演歌も捨てたものではないが、しかし「津軽海峡冬景色」以降、日本の演歌は消え去ったような気がする。物欲が心の機微を消し、法が情を追い出し、幸福の追求が不幸を導いたのではないだろうか。
 しかし、もしそうならば、なにも嘆くことはない。その解決策は意外に簡単である。物欲を捨て、幸不幸を論ぜず、自分の心に忠実であればよい。日本人全員が「世の中を洗濯する」などと評論家ぶらずに、まずは「自分の心を洗濯」することであろう。

舟歌

歌詞 阿久悠、作曲 浜圭介

お酒はぬるめの 燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり 灯りゃいい
しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら
歌いだすのさ 舟唄を

沖の鴎に深酒させてヨ
いとしあの娘とヨ
朝寝する ダンチョネ

店には飾りが ないがいい
窓から港が 見えりゃいい
はやりの歌など なくていい
時々霧笛が 鳴ればいい
ほろほろ飲めば ほろほろと
心がすすり 泣いている
あの頃あの娘を 思ったら
歌いだすのさ 舟唄を
ぽつぽつ飲めば ぽつぽつと
未練が胸に 舞い戻る
夜ふけてさびしく なったなら
歌いだすのさ 舟唄を

人生は楽しいこと、苦しいこと様々であるが、この歌詞は大人の悲哀、人生そのものを表現している。その意味では、小林一茶、石川啄木を超えている。美的なものは心を美的にする。


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2011.12.21 13:51 |  仕事 / 職場  |  生活 / くらし  |  グルメ / お酒  |  恋愛 / 結婚  |  心の話  |  スーさん  | 推薦数 : 1

恋は盲目

 病院の忘年会で、来春退職予定の院長の隣のみが空席だったので、院長の隣に座ってしまった。院長は、東日本震災時の政府の対応、若い医師の礼儀 を知らないこと、患者のとんでもない権利意識、などをさんざん愚痴を言いながら怒っていた。院長は私に「世の中狂っているよね」と相づちを求めてきたの で、「病院だって狂っていますよ。管理職の院長や副院長の給料が、時間外のつく医長より安いんですから。もし給料で人物を評価するならば、院長は私以下で すよ」、「研修医は高い給料をもらって、私たちより早く帰るのですから、彼らに人間性を求めても無理です」、「彼らを甘やかした私たちの世代の責任でしょ う」と言い返した。すると院長はしょんぼりとしてしまった。そして「来春からどうすれば良いのかわからない、何もやることがない」と本音をもらした。
 私は即座に、「院長、恋をしなさい。ピカソは80歳で再婚、ゲーテは80歳のとき17歳の娘に熱烈な恋をしたんです。(ゲーテはその後失恋する も「マ リーエンバート悲歌」の詩を書いている)」、「目をつぶれば、青年に戻れます。目を開けても、青年の気持ちになれます。純粋なものを純粋に、美的なものを 美的に捉えることができるのです」。
 私が言いたかったのは、「芸術を若い気持ちで求めなさい」であったが、院長はそれまでのくすんでいた顔を急に輝か せた。宴会の〆の言葉を求められた院長は「来年は恋をします」と皆の前で言って、忘年会はお開きとなった。
 忘年会は「今年のことを忘れるのではなく、 自分の年齢を忘れ、純な気持ちで何かを求めること」と定義している私は、毎日が忘年会であるが、しかし院長の〆の言葉には驚いてしまった。
 家に帰って、このことを妻に話すと、では「私たちも、恋人のような甘い言葉で喋りましょう」と提案してきた。困った私は「いや、もっと若く、幼児語で喋ろう」と提案。恋人会話2分、幼児会話3分でやっと難から逃れることができた。
 恋愛は盲目というが、こんな醜い世の中を見るよりも、むしろ盲目のままのほうがよい。


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ボンカレーの発売(昭和42年)

 昭和33825日,世界初の即席ラーメン「チキンラーメン」が日清食品から発売された.この即席ラーメンと並んで世界で初めて開発されたレトルト食品がボンカレーであった.袋のまま湯でゆでて3分待つだけのボンカレー(大塚食品)が昭和42年に80円で発売されたのである.大塚化学の社長・大塚正士(まさひと)は昭和39年にカレー粉の製造会社を買収したが,カレー粉の業界は競争が激しく参入は容易ではなく,他社と同じものを作っては勝てないと思っていた.そこでNASA(アメリカ航空宇宙局)が宇宙食として研究していたレトルトパックを利用して,缶詰に代わる保存食として調理済みのカレーを袋詰めにするという画期的な商品を開発したのである.幸い大塚グループには点滴を製造する医療部門があったため液体をパックに詰める技術や殺菌技術を持っていた.ボンカレーのボンはフランス語のBON(おいしい)を意味していた.そして当時テレビドラマ「琴姫七変化」で人気絶頂にあった女優・松山容子をボンカレーの宣伝に起用し,着物姿の松山容子が微笑む笑顔が日本の優しいお母さんというイメージを作つくった.昭和時代の雑貨屋が並ぶ街並みには,松山容子の微笑む看板をよく見ることができた.全国に掲げられた松山容子の看板は9万5千枚で,昭和の街並みを飾っていた.食堂のカレーが100円程度なのにボンカレーは80円で小売店は高すぎると評価は散々だった。しかし3分間で出来上がる手軽さが受け、若者を中心に急速に浸透し始めた。ボンカレーは発売から35年間でなんと20億食以上の売り上げを誇った.レトルトカレーが発売され現在では年間約五百億円市場に成長している。トルトカレーシェアはハウス食品が約40%で、エスビー食品、大塚食品の順であるが,単品ではボンカレーが王座を守っている。

 チキンラーメン,ボンカレーなどのインスタント食品は,簡単で手間がはぶけ,値段が安く,時間がかからないという利点があった.そのため,インスタントコーヒー,即席しるこ,チャーハンの素,粉末ジュースなど様々なインスタント食品が開発された.

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2010.02.21 00:34 |  生活 / くらし  |  グルメ / お酒  |  昭和 40年代 1  |  スーさん  | 推薦数 : 1

うそつき食品

うそつき食品(昭和42年)

 現在では原料や材料を偽って食品を売ることは固く禁じられている.しかし昭和41年ごろは「うそつき食品」が堂々と店頭に並んでいた.豚肉と称してウサギの肉が売られ,鯨肉なのに牛肉のラベルを張った缶詰,さらには馬肉入りのコンビーフなどが堂々と高い値段で売られていた.また人工甘味料の入ったジュースを天然ジュースと偽り,乳分が少ないのにコーヒー牛乳と表示し,サッカリンで味付けしているのに全糖と表示した缶詰などが販売されていた.その当時販売されていた100種類のジュースを検査した結果,表示通り100%天然ジュースだったのはたった3種類だったと記録されている.

 その他,クリの入っていないクリようかん,バターの入っていないバタービスケット,わさびの入っていない粉わさび,このように数え切れないほどのまがい物が作られていた.さらに花かつおと称してイワシやサバを用いたり,片栗粉の原料にトウモロコシの粉を用いたり,天然醸造酢と称して化学薬品を薄めた食品などが店頭に並んでいた.また植物油や大豆タンパクをまぜたチーズまでも売られていた.さらにカジキマグロを買って食べた者が下痢をおこし,調べてみたら油の質の悪いバラムツだったという悪質なものもあった.

 うそつき食品に対する消費者の怒りや苦情が相次ぎ,消費者を惑わすうそつき食品はマスコミに大きく取り上げられることになった.うそつき食品は社会問題となり,当時の佐藤首相はうそつき食品を取り締まるために経済企画庁を中心に対策を講じさせた.多くのまがい物が出回ったため,商品の品質についての消費者の目が厳しくなった.さらに食肉の変色防止のため、挽き肉などにニコチン酸を不正に添加し新鮮肉と見せかける事件が発覚し,消費者からの批判が集中した。

 このようにうそつき食品が横行するなか,ポッカレモン事件が起きた.

 昭和30年代は生活が豊かになり,欧米の生活を思わせるレモンがブームになった.しかしレモンの値段は輸入が制限されていたため庶民の手に届かないほど高価であった.大卒初任給が1万円以下の時代にレモン1個の値段が200円で,カクテルにレモンを入れて飲むことが高級な生活を想像させた.このような時代にビン詰めのポッカレモンが発売され,爆発的に売れた.「ポッカといえばレモン」というほどで,どの家庭にもポッカレモンが置いてあった.ポッカレモンはこのように身近な存在であったが,このポッカレモンが取り締まりを受けたのである.

 昭和42511日,不当表示を出していたとしてポッカレモンに排除命令がだされた.ポッカレモンは合成ジュースを天然ジュースと偽って販売していたのである.この事件は公正取引委員会が無果汁飲料の表示基準を決めるきっかけをつくった. ポッカレモンはこの事件で売り上げを急減させたが,昭和46年に100%レモン果汁による「ポッカ100レモン」を発売し復活をとげた.なおレモンに関し公正取引委員会が摘発したのはポッカレモンだけでなく,消費者への影響の大きい森永製菓,東食,明治屋,ヤンズ通商,サントリーの6社だった.

 うそつき食費品と似たものにコピー食品がある.コピー食品とは本物に似せて作られた模造食品を意味する言葉である.コピー食品の元祖は江戸時代からある「がんもどき」である.「がんもどき」は漢字で「雁擬き」と書くように,がん()の肉に似た味として作られた油揚げが「がんもどき」である.コピー食品はこのように古くから日本にあり,それらは寺院での精進料理の中に見出すことができる.昭和40年ころから工場で作られたコピー食品が次々と出回るようになった.また最初はコピー食品であっても.バターに対するマーガリンのように代用食品として一定の地位を築きあげるものもあった.

 コピー食品で注意が必要なのは本物と偽物の区別がつかないことで,その代表例を次に示す.

 天然のイクラはサケ・マスの卵であるが,コピー食品のイクラは天然色素で着色したサラダ油と海藻エキスから出来ている.このサラダオイルを乳酸カルシウム液に落とすと,化学反応によりイクラそっくりの形になる.これに食品添加物で味をつけたのがイクラのコピー食品である.コピー食品は本物に比べ皮がやや堅いという特徴があるが外観から見分けることは難しい.見分けるためにはお湯を注いでみればよい.本物のイクラはたんぱく質が多いため白濁するが,コピー食品はサラダオイルが主成分のため白濁はしない.本物のイクラは高コレステロール食品であるがコピー食品はヘルシーな健康食品といえる.かつてはイクラのコピー食品が店頭に数多く出回っていたが,最近は本物のイクラの値段が安くなったためイクラのコピー食品は姿を消している.イクラのコピー食品は芸術品,あるいはハイテク工業製品といえる.

 次に世界三大珍味のひとつであるキャビアを挙げることができる.本物のキャビアはチョウザメの卵であるが,キャビアのコピー食品はランプフィッシュの卵を着色剤で黒く着色したもので,世界的な規模で流通している.缶の裏には「キャビア(ランプフィッシュ卵)」と書かれている.本物のキャビアは高価な食品であるが,安い値段のキャビアはほとんどがこのコピー食品である.ちなみに本物のキャビアは「純正キャビア」と書かれている.ニセモノは黒く着色されているので,パンなどに塗るとうっすらと黒い色がパンにつくことで判別することができる.

 チューブ入りわさびの原材料名をみると「西洋わさび」と書かれているが,西洋わさびとは「わさび大根」のことである.もちろん西洋人はわさびを食さないから,西洋ではわさびを栽培していない.西洋わさびはホース・ラディッシュという大根のことで,この大根に合成からし粉,でんぷん,着色料,ガムが混ぜられ作られている.本わさび使用などと書かれているが,これは本物のわさびを数%混ぜたもので,本わさびだけを使用されているわけではない.

 シメジの名前で「ヒラタケ」という全くの別種のキノコが売られている.また「フナシメジ」が「本しめじ」の名前で売られている.本しめじはシメジではないのでややこしい.

 その他,スケソウダラを加工したイカ,シシャモを加工したカズノコ,蟹の足に似せたかまぼこ,牛の横隔膜を固めて加工したステーキなどがある.

 コピー食品を日本人が見分けられることがどうかであるが,困難とする実験が示されている.コピー食品が作られた背景には,本物は量が少なく値段が高いからである.そのため値段によって,コピー食品を本物を区別するのが最も確かな方法である.日本人の味覚がいかに危ういものであるかが分かる.

 

 

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2010.02.13 16:50 |  グルメ / お酒  |  昭和 30年代 中  |  スーさん  | 推薦数 : 1

肝油ドロップ

肝油ドロップ(昭和35年)

 肝油とはタラやサメなどの魚の肝臓をしぼり,その油を凝縮したものである. 肝油にはビタミンA,ビタミンDが豊富に含まれ,栄養学的に非常に優れているが、強烈な魚の生臭さと服用しにくいという欠点があった.

 薬学博士・河合亀太郎は「服用しやすい肝油」の研究を重ね,固形乳剤の形でビタミンの安定を保つ技術を開発し,これを肝油ドロップと名付け明治44年から製造販売を開始した。カワイ肝油ドロップは全国の小中学校へ次々と出荷,戦後は海外に輸出された.そして肝油ドロップはさらに改良され,昭和35年から缶入りの肝油ドロップが発売された.味や安定性などの改良が重ねられ,現在では魚油からの凝縮ではなく、ビタミンAはレモングラスというイネ科の植物から、ビタミンD2はビール酵母やシイタケなどから抽出されている.かつては学校に行って肝油ドロップをもらえるという楽しみがあった.肝油ドロップは現在でも薬局で買うことができる.

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