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外人が講演をする場合、ジョークをかませてから本題に入ることが多い。いつもはニコリともしたことのない仏頂面のお偉方は、なぜか外人のつまらないジョークになると身体を震わせほどの大袈裟な反応を示す。いっぽう英語の不得意な私ども聴衆は、ジョークの意味がわからず下を向きながらひきつった笑いをつくるのが精一杯となる。緊張を取るためのジョークが、むしろ、針のムシロ状態となる。英語のジョークに私的な恨みを持つ筆者は、今回、逆襲のジョークに挑戦する。
内科でジョーク
■ 神経内科学会で脳血管障害が激減した原因についてお偉方による議論がなされていた。廊下で議論を聞いていた製薬会社の営業マンは、「脳卒中が激減したのは血圧のクスリが良くなったせいだよ」と鼻で笑った。そばで聞いていた掃除のおばさんは「暖房がよくなったせいだわ」と軽くつぶやいた。
■ 重症感染症に罹患した男がいよいよ末期状態となった。病室で妻や親戚に囲まれていた夫に妻はいった。
「最後だから、あなたの愛人を呼びましょうか」男は、最後の力を振り絞って答えた。
「それだけはやめてくれ、病気がうつったらどうするんだ」
■ 末期癌患者を前に、看護婦は神父さんを呼びましょうかと尋ねた。
「神父もお坊さんも必要ありません、どうせ2、3日で彼らの親分と話ができるのだから」と患者は答えた。
■ 医師から処方されたクスリによって劇的な改善を得た患者が、喜びいさんで診察室に入ってきた。
「先生、あのクスリは良く効きました。また同じクスリをもらえませんか」
「あなたにあのクスリを処方することはできません。あのクスリは間違って処方されたクスリです」
■ 高血圧で通院中の患者が検診で肺癌と診断された。
「先生あんまりじゃないですか、何のために10年も真面目に通院したというのですか」
患者のクレームに医師は沈痛な表情を浮かべながら次のように答えた。
「病院に通っているから、他の病気にならないという保証はありません。私も、毎日顔を合わせていた妻を先日癌で亡くしたばかりです」
■ カンファランスに転移性肺癌の症例が呈示された。議論を重ねた結果、いつものように癌の原発部位を徹底的に精査することになった。そして最後に教授の同意を仰ぐことになった。教授の発言は医局員の予想とは異なり、「何もせず、患者を家へ帰しましょう」と弱々しいものであった。教授が自宅で亡くなったのはそれから2カ月後のことであった。
■ 癌病棟の大部屋に、職業の違う患者が入院していた。そして、それぞれ自分の最も希望することを喋り出した。
「一度でいいから、ピストルを撃ってみたい」と患者の警察官はいった。
「朝は納豆、昼はざるそば、夕は寿司を死ぬほど食べてみたい」と患者のフランス料理人はいった。
「札束を思いっきり破ってみたい」と患者の銀行員はいった。
「望むものは何もない、検査だけは拒否したい」と患者の医者はいった。
■ 改築したばかりの病院では、改築を機会に全面禁煙が約束事になった。ある日、3人の研修医が医局でタバコを吸っているのを運悪く院長に見つかってしまった。院長室に呼ばれた研修医は院長の詰問にこのように答えた。
「禁煙とは知らなかったもので、すみませんでした」
「禁煙を忘れてしまって、申し訳ありませんでした」
「ドアに鍵を掛けるのを忘れてしまいました。すみません」
■ 過労気味の当直医が、死亡診断書の患者名に自分の医師名を書いて家族に渡し、翌日、医局で大笑いとなった。しかし、ある医師は言った、「死亡原因にその医師の名前を書けば、正しかったのに」、と。
疫学でジョーク
■ 美人になる源水が山奥で売られていた。訪ねてみると、美人とはほど遠い女性が源水を売っていた。
健康になる源水が山奥で売られていた。訪ねてみると、顔色の悪い男性が源水を売っていた。
■ プリオン病の調査隊がニューギニアで疫学調査を行った。その際、調査員の一人が運悪く人喰い人種に捕まり釜ゆでとなった。湯がしだいに熱くなっていった。しかし調査員はなぜか苦笑を繰り返していた。不思議に思った酋長がその理由を尋ねた。
「お湯の中にウンチをしたんです、あなた方がこのスープを飲むかと思うと、おかしくて」と調査員は笑いをこらえながら答えた。
外科でジョーク
■ 肺癌の患者が増え胸部外科医は大忙しである。「手術、手術で先生も大変ですね」と患者が尋ねた。医師は次のように答えた。「手術の後の一服がたまらないのです」
精神科でジョーク
■ 精神科の教授は「分裂病患者には病識がない」ことを講義でしつこく学生に教えていた。後日、この教授が分裂病になったが、やはり病識はなかった。
泌尿器科でジョーク
■ 禁断の果実を食べてからアダムとイブは裸体の自分たちに羞恥を覚えるようになった。そして2人はカエデの葉で前を隠すようになった。
では問題です。どうやって前を隠しましたか? 答えはヘアピンです。
学会でジョーク
■ 世界で一番多く使われている言葉は? 英語、中国語、スペイン語、すべで違います。答えはブロークン・イングリッシュです。
甘口ジョーク、辛口ジョーク。ジョークで迎えよう明るい日本。
気象衛星が雲の状態をリアルに伝え、地域気象観測システム(アメダス)が全国840カ所のデータを瞬時に集めるようになり、ようやく天気予報は正確さを増してきた。しかしそれでも外れることがある。降水確率が0%でも大雨に降られることは珍しいことではない。
天気予報は確率の世界である。コンピューターを駆使して降水確率を予測しても、ある確率で予報は外れるものである。予報は予測にすぎず、100%正確な予測などあり得ない。
しかし、もし予報官の天気予報を報道機関が間違って伝えた場合にはどうなるであろうか。これは予報ではなく誤報であるから、野球場の弁当屋から訴えられても不思議ではない。このように予報と誤報とは言葉の意味に大きな違いがある。
医療における診断は天気予報と同様に確率の世界である。患者の訴え、身体所見、検査結果、これらの情報を駆使して診断しても、これは予測であるから当然外れることがある。鑑別診断を考慮しても、結果的に診断が違っていれば、予測違いと言わずに誤診となる。不可抗力の見込み違いでも誤診と表現される。
風邪と診断した患者が肺炎であることは珍しいことではない。患者の話を聞いても、心窩部痛の心筋梗塞もあれば、胸痛だけの胃潰瘍もある。また病歴を聞くだけで白血病と診断できる医師など世の中に存在しない。天気予報が外れるように、途中で診断が変わっても何ら不思議なことではない。見込み違いと誤診とはまったく違う意味であるが、医療においては予測が外れれば誤診と言われてしまう。
昭和38年、沖中重雄東大教授は退官講演で誤診率14.2%と発表し世間を驚かせた。人々は誤診率の高さに、医師は誤診率の低さに驚いたのである。この両者の驚きの違いが、誤診という言葉がいかに誤解を招いているかを表している。不可抗力の予測違いを医師が自戒をこめて誤診と呼ぶのを、人々は単なるミスあるいは医師の未熟に基づく悪い結果と受け止めるのである。
人々は医療が天気予報と同じ確率の世界であることを知らない。そして誤診を誤報と同じ様に悪い意味に受け止める。このように誤診という言葉の使い方が両者で違っている。
大病院で医療ミスが重なれば、一般病院ではさらにミスが多いと思うであろう。医療ミスが頻発すれば、誤診もまた同様と思うであろう。このことから結果的に不利益が生じた場合、すべてが誤診との疑いが向けられることになる。一般人にとって病気の不確実性は頭になく、結果が悪ければすべてを悪く判断する。もともと「誤」は誤りであるから、誤診は誤解を受ける表現である。
不正請求も言葉の使われ方に問題がある。不正請求とはレセプトの審査員が不正と判断したものを不正と呼んでいるだけで、人々が日常使用する不正の意味とは違っている。
大学教授の解答を小学生が点数をつけているような、カナヅチのコーチが水泳選手を指導しているような、不思議な世界である。アマがプロを指導し、従わない者を不正と呼んでいる。フルブライトで留学し、40過ぎまで大学で勉強した者が事務員に叱られる光景を不正請求という。不正という言葉が不正に使用され、しかも堂々と市民権を得ている。
人々はその実状を知らず、患者のための行為を医師による不法行為とみなしている。この言葉の間違いを誰も指摘しないから、国民はその現実を知らないでいる。信頼関係で成り立つ医療にとってこれほど悪い影響を及ぼす言葉はない。
厚生省の見解では、減点審査の患者負担分は、民法の不当利得返還請求権に基づき、病院が患者の返済請求に応じるべきとしている。
何と言うことであろうか。これは国家のために命をささげた者を売国奴と罵るのに似ている。不正とレッテルを貼られた者や売国奴と言われた者の悔しさを人々は知らない。悪意ある宣伝に乗せられ、善が悪と罵られるのを国民は知らないでいる。
不正という言葉はすべて悪い意味で使われている。まず。この悪意ある宣伝用語をやめさせることである。脱税企業でさえ「税務署との見解の相違」という表現を用いている。クリントンはホワイトハウスの不純行為を不適切な行為と言った。医療においては患者のための善意ある行為を不正と言うのだから、これはひどい言葉である。「不正請求」を「不正支払い拒否」と最初に叫ばなかった医師の負けである。
言葉は大切に使うべきである。誤解を招くような言葉を使わせるべきではない。各医学学会では医学用語を検討する部会がある。赤沈と血沈、胸部X線と胸部レントゲン、このような言葉の使い方を議論しているならば、誤診や不正請求などの言葉を早く取りやめさせることである。
医師にとって大切なことは治しの技術と癒しの心である。そして著しい医学の進歩のため、医学生、研修医、医師の多くは最新の医療技術の習得に時間を取られ、その陰に隠れた癒しの心がおろそかになっている。
これは医療に限られたことではない。日本人全体が相手を思う気持ち、いたわる気持ちが希薄になっている。癒しという人間にとって最も基本的な心が失われている。
現在、老人医療費は国民医療費の3割を占め、将来は6割になると予測されている。しかしこの現象は人口構造の高齢化が原因であり、むしろ長寿社会の健全な姿といえる。その証拠に、老人と若者の1日当たりの入院費、外来費はほぼ同じである。医療費高騰は老人の割合が増えただけのことであるが、政府は故意にそれを説明せずに不安だけを煽っている。
このように老人医療費が問題になっているが、老人医療費よりも大切なことがある。それは老人の心をどのように支えるかである。病気には治る病気と治らない病気がある。また老人には精神的、肉体的衰えがある。それでいて老人の心を支える家族、隣人、社会の情は希薄になっている。老人は狭い部屋で死を考え、旅立つ孤独感、そして精神的支えのない寂しさに耐えている。このような老人にとって医療の輝かしい進歩などは関係がない。むしろ昔の貧しい医療のほうが情に満ちていた。老人をいたわり尊敬し、不幸に対する涙の量とその内容が違っていた。
加齢による衰えは医学では治らない。また小手先の経済的手法では患者の心を癒すことはできない。感謝の気持ちを忘れた人間が、人間としての情を破壊し、相手の気持ちを考えない社会を導いたのである。社会的孤立感、個人的孤立感、多くの老人たちはこれらに耐えている。
これからの医療は何を目指すべきであろうか。まず医学、経済主義の思い上がりを反省すべきである。そして患者を友人として、あるいは老人を先輩として、社会全体が患者の心に寄り添う医療が必要である。現在の医療はあまりに低額な統制医療に縛られ、温かい医療を提供する余裕すら持てないでいる。医療サービスは単に病院の生き残手段となり、心から患者をいたわる行為は病院経営をむしろ悪化させている。
患者さんを患者様と呼ぶことが、悪性インフルエンザのごとく流行していたが、この名称の変更に何の意味があったのだろうか。慇懃無礼な善意を装った医療、この言葉が医療人と患者の心と心の距離を遠くにしてしまっていた。
医療側だけではなく、受診側にも問題がある。医療に対する感謝の気持ちが少なく、患者のために夜間救急を行えば、患者はコンビニの延長と考える。そして不都合がおきると医療側を敵視しようとする。
医療を受ける側も、医療を提供する側も、同じ人間であることを忘れている。医療行為が良い結果をもたらすとは限らないが、結果が悪ければ医療側の責任を追及する傾向がまだ強い。また人間の行為には、ある程度のミスはつきものである。それをお互いが人間の行為として許せるかどうかの良識に欠けていたことに気づかずにいた。
日本では 1年間に約100万人が死亡し、約30万人が癌で命を奪われているのがが現実である。もし宣伝どおりに早期癌の発見が早期治療になるならば、日本人の3分1が癌で死ぬはずはない。必要なことは癌から逃れられないという人間の宿命を知ることである。本屋に並ぶ癌に関する本は、癌の克服ストーリばかりであるが、実際には人間は癌で死ぬのである。人間の運命に逆らうような宣伝が、間違った死生観、間違った医療観を生んでいる。治らない病気の克服ストーリが、多くの悲劇を生んでいる。
病気における説明と同意は簡単である。難しいのは、死に至る患者の心の癒しかたである。そのためには患者を人間という同じ運命を背負った友人として心を通じ合わせることである。同じ人間として、患者を友達、同僚、仲間と感じるかどうかである。
「死んだらどうなるのですか。」この患者の切実な質問に、宗教を持たない私たち医療人はどのように答えるだろうか。もちろん正解はないが、この患者の孤独感に対し、「死んだらどうなるかわかりませんが、少し待っていてくれたら、私も行きますから、そこで一緒になれますよ」、「その時に話しましょうよ」このように答える医師は少ないであろう。
医療人にとって大切なことは、患者の心をいたわる気持ち、癒しかたである。
治らない病気や障害、死を見取る医療、これらに必要なことは癒しの医療である。「患者の気持ちを大切に」の文語は当然である。しかし患者の気持ちを知らなければ、それを支える気持ちが見当はずれになる。