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2011.12.31 22:07 |  趣味  |  恋愛 / 結婚  |  映画 / 音楽 / 読書  |  心の話  |  スーさん  | 推薦数 : 1

心中(比較文化論)

 心中という言葉は「この世で結ばれない相愛の男女が、あの世で一緒になるために死ぬ」ことで、近松門左衛門の曽根崎心中、浮世草子の心中大鑑、落語の品川心中などが知られている。

 事件としては、昭和32年の天城山心中が有名である。学習院大学国文科2年生の大久保武道(20歳)と、同級生の愛新覚羅慧生(19歳)が身分の違いを超えて天城山中の百日紅(さるすべり)の木の下で心中を遂げた。慧生は清最後の皇帝(満州国皇帝)愛新覚羅溥儀の弟の長女であった。

 慧生が大久保の腕を枕にして、2人並んで横たわって死んでいたのだった。大久保は右手に拳銃を握り、慧生と自分の頭を撃ち抜いたのである。身分の違いを超えた恋、まさに「死んでも寄り添うふたり」と報道された。

 いっぽう、何度か心中事件を起こした太宰治は「人間は恋と革命のために生まれてきた」と書いているが、太宰治に限ってその動機はウソであろう。芥川龍之介と同じ、「将来に対するぼんやりとした不安」が動機であり、心中は単なる演出だったと思える。自分勝手な太宰治が、女性に「死んで一緒になろう」などとは想像できないからである。

 いづれにしても、心中は「天国に結ぶ恋」を意味しているが、現代用語としては無理心中、一家心中など、醜く身勝手な用語として使われている。たとえ事件に恋愛が絡んでいても、ふられた恨みによる怨恨殺人、ストーカーによる妄想殺人、金銭目的の保険金殺人などで、「死んでも一緒」という純愛心中は、恋愛観の消失とともに死語になった。

 ついでに言うならば、あのアンルイスの「六本木心中」の歌詞、「ちょっと場末のシネマしてるね」、「あなた売れないジゴロみたいね」と歌詞そのものが分裂していて、まさに統合失調症。この「六本木心中」以降、日本そのものが統合失調症に冒されていて、快復の見込みなし。

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