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< ハンセン病治療に尽力の医師 | メイン | 荻野久作博士(世界の荻野)1 >
2010.03.02 04:28 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  昭和 40年代 3  |  スーさん  | 推薦数 : 0

天六ガス爆発

天六ガス爆発(昭和45年)

 昭和45年は大阪万国博覧会が開催され,万博を契機に大阪の再開発が急ピッチで進められていた.地下鉄は5年間に6路線33キロの建設を終え総延長は64キロとなり,大阪は世界第9位の地下鉄都市になった.そして次の目標を周辺都市への地下鉄の延長とし,その第一歩が谷町線東梅田−都島間3.5キロの延長工事だった。大阪万国博覧会の開催から約1ヶ月後の4月8日,予想もしなかったガス漏れ事故が北区菅栄町の地下鉄・天神橋六丁目駅(天六)付近でおきた.天神橋は大阪駅から約2キロ東北に位置する繁華街で,午後5時ごろ建設工事現場でガス漏れが発見された.

 地下2メートルのところに宙吊りになっている大阪ガスの直径50センチのガス管に亀裂が生じ黒煙が上がっているのを作業員が発見,現場で働いていた10人を避難させ、すぐに大阪ガス,大阪市消防局、大阪府警に連絡した.

 大阪ガスの緊急事故処理車が現場に到着したときにはガスは付近一帯に広がっていた.そして大阪ガスの緊急処理車のエンジンの火花がガスに引火し車は炎上した.そして午後5時45分,大音響とともに大爆発を引き起こした.

 鼓膜が破れそうになるほどの大爆発とともに10メートルの火柱が3本立ち上り,この爆発により作業員や通行人79人が死亡する大惨事となった.地面は炎に覆われて民家22棟と車10数台が炎上した.また200メートル四方の民家、ビルの窓ガラスやドアは爆風で吹きとんだ.

 この事故が悲惨だったのは,大阪ガスの自動車が炎上した時点では,単なる事故と思いこんだ2300人の見物人が現場に押し寄せていたことだった.爆発直前の午後5時半の時点ではケガ人はいなかった.見物人にガス漏れを知らせず,退避指導を行わなかった事が被害を甚大にした.その意味では人災とされても仕方のない事故であった.

 当時の地下鉄工事はオープンカット方式で建設されていた.道路の中央に深さ15メートルの掘をつくり、堀をおおうように長さ1.5メートル、幅50センチ、厚さ20センチ,重さ400キロのコンクリートの鉄板を市道に敷き,その上に自動車を走らせていた.コンクリート鉄板の下には電気、ガス、水道、下水道、通信線などを支柱にぶらさげ,今回の事故は地下溝に剥き出しの状態で宙づりにされた都市ガス大口径管の継ぎ手から大量のガスが漏洩したのだった.

 見物人は爆風でなぎ倒され,10メートル下の工事現場に転落し、吹き飛んできた畳1枚400キロのコンクリート鉄板の下敷きになり、尊い多くの生命が奪われた.コンクリート鉄板に下半身を挟まれ助けを求める者が目の前にいても、再爆発を恐れて手が出せない状態が続いた.この天六ガス爆発では作業員の犠牲者は4人で、残りのほとんどが10代や20代の見物人であった.この事故は帰宅のラッシュが重なり,バスが動かないため歩きながら見物しながら犠牲となった者が多かったことである.被害が拡大したのは現場でのガス会社の対応が後手にまわったためで,見物人らはガス漏れとは知らずに、自動車が炎上してから爆発まで10分間の間に見物人は増え続けていった.

 爆発現場は警察も消防も正確な被害者の数を把握できないほどだった.夜の9時半になって消防局がガス管を閉め炎を止め、夜11時から救出作業が開始された. 400キロのコンクリート鉄板はめくり上がり,積み重なったまま木箱のように散乱していた.工事現場に転落した遺体はクレーン車で運び上げられた.

 救急車が現場に駆けつけたが周囲は混乱しており,北野病院,松本病院,斎藤病院,行岡病院に負傷者が運ばれたが,病院は戦場のようであった.遺体は黒こげで判別がつかないほどであった.また火傷はなく打撲による死亡例も多かった.

 この事故は人災といえた.現場から一般家庭にガスを供給する2本のガス管を止めるバルブはなく、それぞれ1時間かけ6ヶ所のストッパーを入れやっとガスが止まったのである.午後9時半まで現場ではガスが充満している状態であった。 この事故は都市災害という言葉が広く使われた最初のものとして特筆すべき災害といえた.天神橋六丁目交差点から東へ600mを左折すると、立派な山門がある。大本山國分寺に地下鉄谷町線工事現場ガス爆発事故犠牲者慰霊の祠になっている.

 昭和40年代から地上の過密を逃れるかのように,都市の駅前には地下街が網の目のように造られていった.炭鉱事故を除くガス爆発事故を誰もが心配していた.そして多くの人が心配していたガス爆発がついにおきた.昭和55816静岡駅前地下街の飲食店で小規模のガス爆発が起き、その30分後にガス管から漏れた都市ガスに引火し二次爆発となり死者15人、重軽傷233人を出したのである.事故後の調査により,最初の爆発は地下湧水槽に捨てられていた残飯のヘデロから発生したメタンガスが原因でけが人はいなかったが,最初の爆発によって破損したガス管から漏れた都市ガスが二次爆発の原因となった.現場検証中の消防士や取材中の報道関係者、通行人などが爆風で吹き飛ばされ、火災でやけどを負うなどして死傷した。静岡市駅前地下街ガス爆発事故では現場に最も近く収容能力最大の総合病院に軽症者が集中し、重症者は私的救急病院に運ばれ15人が死亡した。静岡県警は業務上過失致死傷の疑いで静岡ガスの保安要員ら2人を書類送検したが、静岡地検は嫌疑不十分で不起訴処分とした。

 昭和581122,午後0時,静岡県掛川市のレクレーション施設「つま恋」の室内バーベキューガーデンでプロパンガスが爆発,建物は崩壊,全焼した.この事故でアルバイトの女子学生,従業員など14人が死亡,28人が重軽傷を負った.現場から約15分で収容できる浜松市内の総合病院には何ら連絡はなく、市民病院と市立病院の2ヵ所で対応し、市民病院に34人が収容された。静岡県の集団災害時の救急体制のまずさから,集団災害時の(triage)が救命手段に欠かせないと考えられ,集団災害時の対応として、その日の2次病院の医師と看護婦は出動する救急隊と共に災害現場で赤(重症)黄(中等症)青(軽症)の順に重症度識別を患者に結びつけて対応しながら応急処置を行い、重症度に応じて搬送する病院を振り分ける対策をとるようになった.

 つま恋の事故はベキューガーデンの改装のときに,床下のガス栓を閉め忘れたのが原因であった.爆発前に警報機が鳴ったが誤報と思いこみ逃げ遅れたのだった.ところでサッカー解説者で監督として川崎フロンターレを2度優勝させた松本育夫さんは42歳の時につま恋ガス爆発事故に巻き込まれた.両手両足を複雑骨折40%のやけどを負い死線をくぐり抜けた監督である.

安全保障としての医療と介護 (朝日新聞社)

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