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2010.02.05 21:44 |  医療事故  |  昭和 30年代 前  |  スーさん  | 推薦数 : 0

新潟大ツツガ虫病人体実験

新潟大ツツガ虫病人体実験事件(昭和31年)

 昭和3192日,新潟大医学部内科・桂重鴻教授がツツガ虫病菌を精神病患者に注射し,人体実験を行っていたことを読売新聞が5段ヌキ見出しで大きく報道した.桂重鴻教授はかねてからツツガ虫病の研究をおこなっていたが,昭和27年から30年にかけ,内科医局員を総動員して,私立新潟精神病院に入院している149人の患者にツツガ虫病の病原菌の注射をおこなっていたことが暴露された.この人体実験において患者8人が死亡,1人が自殺していたことが判明した.さらに8人の患者から注射部位の皮膚を切り取り,研究に用いていた.

 この事件が発覚したのは,新潟精神病院の賃金値上げに端を発した,新潟精神病院のストがきっかけであった.病院ストを扇動した労働組合の3人の看護人が病院ストの責任を問われ,病院を解雇されることになった.そのため看護人は地位保全の仮処分を新潟地裁に申請し,不当解雇に関する諮問が地方労働委員会でひらかれることになった.

 この席上,病院側は懲戒免職にした看護人は患者の人権を無視して病院ストをおこない,そのため患者が亡くなったことを懲戒免職の理由としてのべた.解雇された看護人は病院側のこの発言に反発,「新潟精神病院では,精神病の治療と称してツツガ虫の病原菌を患者に注射していた」と暴露したのだった.新潟精神病院は450人の患者を収容している新潟県最大の精神病院であったが,職員数は128人で,法令で定められた基準人員に達していなかった.このような人手不足の中で看護人を悩ましたのは,精神科とは関係のない新潟大学から来る内科の医師たちの治療であった.内科医が治療をすると,患者は高熱を出し,苦しみ始めるのだった.高熱で苦しむ患者に対して,看護人が指示を仰でも内科医たちは無視するだけであった.そのため看護人は苦しむ患者を慰めるしかなかった.

 この人体実験を知った弁護士が中心になり,調査が行われることになった.昭和3232日,日本弁護士連合会はその調査結果を法務,文部,厚生省へ提出し,基本的人権をおかした人体実験として警告した.

 新潟精神病院は,新潟大学の桂内科の依頼でツツガ虫の病因菌を患者に注射したことを認めたが,それはあくまでも治療のひとつであったと弁明した.しかし149人の患者のカルテには治療行為についての記載がなかった.桂重鴻教授は「ツツガ虫の病因菌の注射は精神病患者に対する発熱療法のためで,今さら人体実験などする必要はない」とコメントをのべた.また厚生省は「梅毒性の精神病患者にツツガ虫をうえ,その高熱によって梅毒菌を殺すという高熱療法をおこなった可能性」を述べた.しかし皮膚を切り取られた患者は,高熱療法を必要とする梅毒患者ではなく精神分裂病の患者であったことが後に判明した.厚生省や桂重鴻教授の説明は,多くを納得させる内容ではなかった.桂重鴻教授はそれ以上のコメントを述べず,権威的な態度で事態を押し切ろうとした.

風土病として怖れられたツツガムシ病菌を,患者の承諾もなく注射し,しかもカルテに記載がなかったことから,ツツガ虫の人体実験であったと考えられる.またこの研究は米軍の援助金による実験であったとされている.

この人体実験を読売新聞は追求した.そして1129日,読売新聞に追及された桂重鴻教授は次のような見解を述べた.読売新聞に掲載された桂重鴻教授の見解によると,「注射の目的はツツガ虫の研究のため」であったこと.さらに皮膚を切りとったのは患者の血液をとって検査をするのと同じ行為であること,医療にはある程度の犠牲が必要であること,犠牲がなければ医学は進歩しないことなどを述べた.桂重鴻教授は人体実験を認めたが,当時のことである,何の処罰も与えられなかった. 

 ツツガ虫病はかつて日本に広く分布していた風土病である.そのため,「つつがなし」という言葉が無病息災をたとえる言葉として使われていた.607年,聖徳太子が小野妹子を遣隋使として隋に送る際,「日いずる処の天子,書を日の没する処の天子に致す,恙(つつが)なきや・・・」と言う国書を送っている.このことから分かるように,ツツガ虫病は日本だけでなく中国においても古くから重篤な疾患とされていた.

 ツツガ虫病は日本では,秋田,山形,新潟などの河川流域でよく見られた疾患で,かつては致死率50%という恐ろしい疾患であった.戦後,抗生剤の使用,河川の整備,農薬の使用などにより患者は減少し,昭和40年代には全国で患者は年間10人以下となった.しかし昭和50年代から増え始め,現在でも年間1000人近い患者が発生している.

 ツツガ虫は体長0.3ミリ前後の微小なダニ類に属し,肉眼でどうにか見える程度の大きさである.このツツガ虫に刺されると,ツツガ虫に寄生している病原体リッケッチアがヒトに浸入し,ツツガ虫病を引き起こすのである.

 ツツガ虫病はツツガ虫に刺された後,約10日前後の潜伏期を経て,全身倦怠感,食欲不振,頭痛, 39から40℃の発熱などの症状がみられる.また皮膚にツツガ虫の刺口を認め,所属リンパ節の腫脹がみられる.重篤化した場合には,悪寒戦慄をともなった高熱の後に意識障害を引き起こして死に至ることになる.その診断にはツツガ虫に特徴的な刺し口を探すことで,刺し口は無痛性で発赤,水疱を形成し,黒色のかさぶたへと変化してゆく.

 ツツガ虫病は致死率の高い疾患であるが,抗生剤の登場により予後は良好となっている.しかし現在でも有効な治療を受けた者でも死亡率は1%,無治療の場合の死亡率は20から30%とされている.診断が遅れると生命に関わる恐ろしい病気である.また抗生剤はβ-ラクタム剤が無効であることが大きな特徴で,安易にβ-ラクタム剤を続けると予後不良となる.このことからβ-ラクタム剤を使用しても高熱が持続し,皮疹があれば,それだけで本症を疑う必要がある.テトラサイクリン系薬剤が第1選択薬となる(ミノマイシン 100mg×2/ 14日間).投与開始1両日中に解熱し,臨床症状も劇的に好転する.テトラサイクリンを投与し3日目になっても解熱しない場合にはツツガ虫病は逆に否定的となる.

 現在では,ツツガ虫病はまれではあるが,山菜,タケノコ採り,釣り,花火大会などに行く場合は注意が必要である.その予防はなるべく素肌をさらさないように長袖のシャツを着て,帽子,首にはタオル,靴下など着用することである.川に行ったり,山歩きをした後は,風呂に入ってツツガ虫をよく洗い落とすことである.現在のところワクチンはない.

 

 

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記事を拝見しました。ツツガムシ病のことを調べています。ここにある人体実験の記事が読売新聞に掲載された日時を分かりますか?また、資料がどこかに存在するのであれば教えていただきたいと思います。
written by チョコ / 2013.08.04 11:24

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