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2010.02.05 21:37 |  研究  |  昭和 30年代 前  |  スーさん  | 推薦数 : 0

人工腎臓と腎移植

人工腎臓と腎移植(昭和30年)

 腎臓の働きは体内で作られた老廃物を尿として身体の外に排泄することである.この腎臓が障害を受けると,体内の老廃物を排泄することができず,体内に老廃物が蓄積することになる.そのため腎臓に障害のある患者は,腎不全から尿毒症となり死に至ることになる.この尿毒症に対して,人工腎臓をもちいた実験が日本で初めて行われた.

 昭和30年,第14回日本医学会総会で,群馬大学医学部第二外科の渋沢喜守雄教授と丹後淳平医博が犬の腎臓を摘出し,人工腎臓,腹膜透析をもちいた実験的成績を発表した.人工腎臓とは血液を濾過し,血液中の老廃物を腎臓に代わって取り除く治療法で,現在でいう血液透析のことである.

 世界で人工腎臓が初めて実験的に応用されたのは,大正13年のことであった.しかしこれらは実験的段階であり,人間の腎不全の治療に結びつくには,昭和20年,オランダのウイレム・コルフ教授が完成させた人工腎臓まで待たなくてはならない.当時の人工腎臓はセロファンのチューブを回転ドラムにまきつけ,それを透析液の中に浸したものである。患者の血液がチューブを通る間に,老廃物がチューブから透析液に浸みだし,きれいになった血液が,チューブの末端から静脈に戻る仕組みであった.

 人工腎臓が大きく進歩したのは,この装置が改良された朝鮮戦争のときである.負傷したアメリカ兵のクラッシュ・シンドローム(挫滅症候群)に合併した一過性の急性腎不全に対し,救命のために人工腎臓が用いられた.人工腎臓は急性腎不全に対する一時的救命処置であった.

その後,人工腎臓の研究は次第に進み,昭和42年に人工腎臓は医療保険の適応になった.しかし患者の負担は月30万円と高額だったため普及はしなかった.昭和45年の時点で,人工腎臓は日本には666台しかなかった.人工腎臓はまだ一般的治療とはいえず,「金の切れ目が,命の切れ目」,「先の患者が死ぬのを待って,治療を受ける」という状態であった.昭和48年に人工腎臓の医療費が全額公費負担となり,これによって透析患者数は飛躍的に増加することになる.

 昭和476月,川澄化学工業が人工腎臓の国産化に成功.本体と血液回路はプラスチック製で,透析膜はセルロース系のセロファンを使用し,価格は15千円であった.昭和51年にはセロファンから安全性を高めたホロファイバー(中空糸)が用いられ主流となった.またこの頃から透析患者の長期生存例が多くなってきた.

血液透析を必要とする患者は年々増え続け,現在,血液透析患者数は日本では約23万人に達している.さらに透析患者数は年間約1万人ずつ増え続け,年間増加率は5%となっている.このように血液透析患者が増加したのは,糖尿病の合併症である糖尿病性腎症が増加したからである.血糖コントロールが悪いと糖尿病の発病から10年で腎症が発症するとされている.現在,血液透析を受けている患者の半数以上は糖尿病の合併症による腎不全患者である.全国平均透析患者の10年生存率は42.3%で,人工透析は血液透析が95%を占め,残り5%の患者は腹膜透析を行っている.腹膜透析は患者自身の腹膜を利用して,腹腔に一定時間透析液を入れ過剰な水分や老廃物を透析液に移動させ,その透析液を体外に排出させる方法である.なお日本の透析患者は,世界の全透析患者の約3分の1を占めている.

 このように血液透析,腹膜透析療法が行われてきたが,それらは腎不全患者に対する対症療法であり,腎不全の根本療法ではない.腎不全に対する根本療法は腎移植であるが,残念ながら腎移植は平成元年の838人をピークに年々減少傾向にある.

 腎不全を腎移植で治療するという考えは古くからあった.しかし移植には拒否反応という大きな壁がはだかっていた.ヒトにおける腎移植の成功第1例は,19541223日,アメリカのピ−タ−・ベント・ブリガム病院(ボストン)で,マ−レ−らによって行われた.その際の腎提供者と腎受腎者は一卵性双生児であり,免疫的拒否反応が起こらなかったのである.この成功から,一卵性双生児間の腎移植が欧米で次々と行われた.自己あるいは一卵性双生児の臓器に対してのみ移植が成功する,このことは遺伝子が同一であれば拒絶反応は起こらないとを示していた.

その後の腎移植の歴史は,免疫抑制剤の開発とともに歩んだ.1958年に全身放射線照射が応用され,1959年にアメリカでメルカプトプリンの薬剤が開発された.1962年にはアザチオプリンがイギリスのマーレイらによって臨床に応用された.こアザチオプリンとステロイドの使用が腎移植の標準的免疫抑制療法となった.マーレイはこの功績により1963年にノーベル賞を受賞している.

 昭和33年,J・ドーセ(仏),B・ベナセラフ(米),G・スネル(米)は血液中の白血球の表面に存在する抗原が拒絶反応と強く関係のあることを発見し,主要組織適合抗原群(HLA)と命名した。昭和39年,テラサキ(米),アンブルジェ(仏)らは腎移植にこのHLA適合性を取り入れると移植成績が良くなることを確認し,それ以来HLA適合性検査は腎移植にとって重要な検査となった.この主要組織適合性抗原の遺伝子群はヒトでは第6染色体に、マウスでは第17染色体上に存在することが判明した.J・ドーセら3人は「生体の免疫反応における遺伝学的研究」が高く評価され,昭和55年にノーベル生理学・医学賞を受賞している.

昭和50年,スイスのサンド社は真菌から免疫抑制剤サイクロスポリンを開発し,腎移植だけでなく心臓、肝臓の移植においても応用され,臓器移植は飛躍的に進歩した.

 日本最初の腎移植は,昭和31年,新潟大の楠隆光教授らによって行われた.急性腎不全の患者の大腿部に突発性腎出血で摘出した患者の腎臓を移植したのである.救命のための一時的な移植であった.昭和39年,東大の木本誠二教授が慢性腎不全患者に対する夫婦間の生体腎移植を行った.この移植は永久生着をめざしたもので,日本で初めての本格的な腎臓移植であった.

免疫抑制剤の改善,組織適合性検査の進歩により,腎移植の成功率は高まっている.しかし腎臓移植は年間500人程度と低迷している.これは腎臓の提供者が極端に少ないせいである.腎臓移植を希望しながら腎移植を受けられる患者さんは宝くじに当たるような確率である.腎臓移植は提供者の死後の移植が可能であり,脳死,心臓死の問題には関係がない.それでも腎臓の提供者は少ない.また腎臓は2つあるので,生体移植も可能であるが,生体移植もあまり行われていない.

これは善意ある日本人が少ないのではなく,腎臓を提供しようとする善意ある者の善意を評価しないからであろう.金銭であれ,名誉であれ,善意を評価せずに,ボランティア精神に頼るのでは腎臓移植は停滞するだけである.また医師のほうも,移植のために努力をして,患者のために手術をしても,何ら評価はなく感謝も少ない.手術で問題が起きると責任だけを追及されるのであれば,腎移植への医師の熱意もそがれてしまうのも当然のことである.なお昭和53年から腎移植は保険の適応となっている.

 

 

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