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< 日本脳炎の流行 | メイン | 善人集団としての日本医師会 >
2010.01.18 09:02 |  昭和 20年代 1  |  スーさん  | 推薦数 : 0

DDT散布とシラミ

DDT散布とシラミ(昭和21年)
 終戦直後,日本の衛生状態は極度に悪化していた.伝染病が蔓延しても不思議でない最悪の環境状態にあった.空襲によって下水道施設は破壊され,医薬品は 不足していた.国民の栄養状態は極度に低下し,体力の低下が感染症を発症しやすい状況にしていた.人々は思うように風呂に入れず,取り替える衣服もなかっ た.衣服や頭髪にはシラミが寄生し,シラミによる産卵や吸血による著しい掻痒が人々を悩ましていた.
 現在ではヒトに寄生するシラミを見ることはない.しかし当時はノミと同じように人々の日常生活の中でそれらを普通に見ることができた.シラミは人に寄生 し,皮膚を刺し吸血によって生活をするため不快な掻痒をもたらした.しかしそれ以上に人々を恐れさせたのは,シラミが発疹チフスなどの伝染病を媒介したか らである.
 昭和20年からの1年間だけで,発疹チフスによる死亡者は日本全体で4万人に達するほどの猛威をふるっていた.これまで発疹チフスは戦争や飢饉などの不 潔な状態が続いた時に流行することから,欧米では「戦争チフス」の別名でもよばれていた。発疹チフスはリケッチアによる病気で,シラミがリケッチアを媒介 した.感染者の血液を吸ったシラミの消化管でリケッチアが増殖し,このシラミが他の宿主に飛びつきシラミのフン中のリケッチアがかき傷から皮膚に侵入しヒ トからヒトへと次々に感染した。発疹チフスの症状は40℃をこえる高熱と全身の皮疹で,腸チフスに似ているがワイル・フェリックス反応とよばれる血清反応 が陽性になるため鑑別が可能であった。治療はクロラムフェニコールなどの抗生物質であるが,その当時はまだ治療薬は開発されていなかった.治療よりも予防 の時代であった.
 昭和20年8月30日,米軍は横須賀に上陸する直前に,飛行機からDDTの空中散布をおこなった.米軍は感染症対策には神経質と言えるほど気を使った. それはもちろん日本国民のためではなく,上陸した際に米国の将兵や家族から発疹チフスなどの伝染病を守るためであった.米軍は立川に駐留するに際にも立川 基地上空からDDTを散布している.
 DDTの空中散布はすでに沖縄上陸時に試され,その抜群の効果が知られていた.沖縄ではDDTの空中散布により蚊帳を吊らずに寝れるようになったと報告 されている.米軍は亜熱帯地方においてはマラリアの予防,日本においてはシラミが媒介する伝染病の予防のためDDTの大量散布をおこなった.米軍は日本が ポツダム宣言を受諾する前から占領政策を計画しており,日本で発疹チフスが流行していることから,発疹チフス予防のため大量のDDTを用意していたのであ る.もちろんDDTはシラミの他にノミ,ハエ,カなどの害虫にも殺虫効果があった.
 昭和21年3月7日,DDTの効果を知るGHQは,日本人全員にDDTを散布する計画を発表した.以後,全国の学校,職場,街頭,駅,港などで強制的に DDTが散布されることになった.DDTの散布はノミ・シラミの駆逐のためであるが,頭から白い粉を浴びせられることに敗戦の屈辱を感じた者が多くいた. うどん粉をかけられたように頭髪が粉で真っ白になった.さらに袖口や襟の奧まで噴霧機を差し込まれ全身にDDTが強制的に噴霧された.DDTのシラミに対 する殺虫効果は絶大であり,DDT散布によりシラミは急速に姿を消すことになった.
 発疹チフスや天然痘などはDDT散布により劇的に激減した.昭和21年には東京だけで9864人の発疹チフス患者がいたが,昭和22年には217人に激 減している.このDDT散布は昭和30年頃まで全国各地で日常的に続けられ,日本では昭和32年以降発疹チフスの発生はみられていない.DDT散布は 「DDT改革」と呼ばれるほど日本の公衆衛生に飛躍的な進歩をもたらした.そして頭から白い粉をかけられることを「DDT洗礼」と表現したほどである.
 GHQが行った公衆衛生の政策はDDT散布の他に,結核に対するBCGの強制接種,寄生虫予防のため人糞から化学肥料への切り替え,保健所の設置など多 岐にわたった.そしてこれらが日本の環境衛生の改善に絶大な貢献をもたらしたのである.DDTは殺虫剤として人体に散布されただけではなく,稲作などの農 作物にも大量に用いられ生産性を向上させた.昭和31年8月にはフィラリア症が続出した八丈島にもDDTが散布されている.
 DDTはジクロロジフェニルクロロエタンの略名で,殺虫剤として先駆的な薬剤であった.その歴史は古く,明治7年にドイツの学生が卒業実験でDDTを合 成させたのが最初である.昭和14年,ガイキー社(現ノバルティス)の研究員であったミュラー(スイス人)によりDDTの殺虫効果が発見され,一躍注目を 集めることになった.以後DDTは殺虫剤として世界中で大量に使われるようになり,第二次世界大戦中はアメリカやドイツが軍用防疫薬剤として多用した.特 に熱帯ではマラリア退治に威力を発揮し,戦後はシラミやハエなどの衛生環境の整備のために使用された.これだけDDTは農作物の害虫に対して広く用いら れ,DDTにより農作物の生産性が向上し,農村の衛生環境の改善に貢献したのである.DDTの殺虫効果を発見したミュラーは昭和23年ノーベル生理学医学 賞を受賞している.
 DDTは人間が殺虫剤として大量に実用化した最初の薬剤であった.そしてその後の農薬はすべてDDTからスタートしたといえる.スイスにあるガイギー社 は英米と日独の両方にDDTを売り込んだが,DDTの重要性に気がついたのは英米側だけであった.戦場でDDTを用いた英米軍にくらべ,日本軍は多くのマ ラリア感染者を出した.DDTは「奇跡の化学物質」と呼ばれていた.
 DDTの殺虫効果は神経繊維に作用する神経毒によるもので,昆虫などの冷血動物に強い毒性を示すが哺乳類などの温血動物に対しての毒性が弱いのが特徴で ある。さらにDDTは殺虫性が強いだけでなく殺虫スペクトルの幅も広く,虫の種類にかかわらず効果的であった.またDDTは簡単に合成でき,値段が安かっ た.そのため大量使用が可能であった.このことから農薬殺虫剤として長期にわたり大量に使用されてきた. 
 しかしDDTは残留毒性が高く,しかも食物連鎖によって人間の体内に蓄積されることが指摘され,さらに発癌性も言われだしたことから,昭和44年12月,日本BHC工業会(三菱化成など6社)はDDTの製造を自粛的に中止した.
 DDTの中止はその危険性を指摘したレイチェル・カーソンが書いた「沈黙の春」(1962)の出版による影響が大きい.「沈黙の春」は農薬の空中散布や 殺虫剤の危険性を初めて告発した本で,アメリカで1日に4万部が売れるほどのベストセラーとなった.多くの人たちがDDTを用いれば害虫との戦いに勝てる と思っているとき,DDTは鳥や益虫を殺し,さらに人間の命まで脅かす恐ろしい毒物であるとカーソンは警告したのである。ケネディ大統領が彼女の本を話題 にしてから,世間も彼女の考えを支持することになる.DDTの殺虫性は抜群であったが,殺虫スペクトルの幅が広かったため一般の昆虫にも効果がおよび, 「トンボも飛ばない、セミも鳴かない」このような自然界に変化をもたらしたのである.昆虫がいなくなれば鳥や魚などにも影響がおよび,「自然生態系のバラ ンスが崩れてしまう」というドミノ倒しの連鎖が始まったのであった.
 さらにDDTは化学的に安定な化合物で自然界では分解されないため,食物連鎖によって人間の体内に蓄積し,思わぬ害を招く可能性が指摘された。DDTは 水には溶けないが油によく溶ける.そのためプランクトン,原生動物,魚,人間,というような食物連鎖によって人間の体内の脂肪に蓄積された.そして母乳に 多く含まれることも問題になった.日本でも「沈黙の春」は大いに話題になり、農薬の安全性に関する議論が沸騰した。
 しかし意外なことに,日本人は浴びるようにDDTを使用したにもかかわらず,DDTによる死亡例はこれまで報告されていない.DDTの危険性が指摘され てから開発された多くの殺虫剤はDDTよりも理論上毒性が低いにも関わらず,毎年数百人の中毒死亡者を出してきたことを考えると皮肉なことである.
 このように西欧のほとんどの国ではDDTをはじめとした有機塩素系の農薬は禁止されている。しかし発展途上国ではマラリア防除の目的もあり現在でも多量 に使用されている。ここで問題になるのはDDTの半減期は100年とされ,この分解されにくいDDTの汚染が引き起こす害についてである。発展途上国で使 用されたDDTが世界の海を汚染し,生物濃縮、食物連鎖により全世界の人々に害を及ぼす危険性が考えられた。これらの汚染が慢性的に人体に影響を及ぼして いることは否定できない.DDTによる死亡例はこれまで報告されていないが,目には見えない環境ホルモンとして子供や子孫に影響を与えている可能性は否定 できない。南極圏のペンギンの脂肪からもDDTの蓄積が確認され,この事実は生物濃縮、食物連鎖の恐ろしさを示していた.
 発疹チフスはDDTにより昭和32年以降日本では発生していない.このように発疹チフスを媒介するコロモジラミはDDTにより全滅したが,昭和50年頃 より全国的にアタマシラミが流行している.コロモジラミは衣服の縫い目に寄生するが,アタマシラミは頭髪に寄生する.衛生状態が格段に改善しているのにア タマシラミが流行しているのは,海外との交流が増え感染の機会が増えたこと,シラミに対する知識不足により早期駆除が遅れていることが原因と考えられる. 保育園やプールの更衣室から子供が感染する場合が多い.平成9年の国立感染症研究所の報告では患者数は8600人とされている.アタマシラミの感染は報告 の義務がないことから,実際の患者はこの報告数よりはるかに多いと考えられる.シラミ駆除剤は住友製薬からフェノトリンを成分とするパウダータイプとシャ ンプータイプのスミスリン(商品名)が発売されている.スミスリンの年間出荷量が33万個であることから,シラミ感染者は予想以上に多いことが推測されて いる.アタマジラミの治療はスミスリンを使用すれば比較的容易であるが,枕カバーやタオルなどの頭に触れる物の洗濯やアイロンをかけることも重要である. 幸いなことに頭髪に寄生するアタマジラミは伝染病の媒介性はない.
 シラミ感染のもうひとつとして毛ジラミがある,毛ジラミは陰部に生息し陰部の接触によって伝染する.伝染病には関与しないが性感染症として流行してい る.毛ジラミはコンドームでは予防できない性感染症である.このように毛ジラミは性行為で感染するが,人間の体から離れても2日間は生きてゆけるので,公 衆浴場や家族間で感染する例も報告されている.アポクリン汗腺を好むことより陰毛や腋窩に寄生する.治療は剃毛が有効であるが,それよりはスミスリンの使 用が有効である.

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