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イノベーション25の最終報告書がいよいよ出てきました。もう新聞でも報道されていますように従来とは異なった視点を強調しています(前文は、内閣官房のホームページから見れますが、DNDのサイトhttp://dndi.jp/index.phpからもジャンプできます。黒川先生のコメントもあるので、こちらのほうが良いかもしれません。)。
イノベーション25の報告書は大変な量で、黒川先生の力作です。実際、あるイノベーション25の委員の方に伺ったところでは、最後は黒川先生が徹夜で仕上げたとのことでした。
イノベーション25の肝はなんでしょうか?イノベーション一丁目一番地にあたるのは、イノベーションを持続的に生み出すためのシステム構築だと思います。
イノベーション25の中では、「出る杭」を伸ばす人材育成という形でシステム構築を象徴的な言葉で示しています。
今までの日本の科学技術は、会社や大学ごとのクローズドな閉じられた中での進歩でした。オープン・イノベーションを行うための社会システムの構築は、日本では未成熟です。どれだけ個性的な人材を育成できるかが、イノベーションを生み出す鍵になります。イノベーション25では、「異」という言葉で表していました。
異という言葉は、日本では従来悪い意味で使われています。異端、異質という言葉には、“まつろわぬ人々””道々の輩”というイメージが近世以降あり、日本では嫌われ者の代名詞だったかもしれません(私は個人的には、隆 慶一郎さんの描く道々の者とか、まつろわぬ人々の時代物が大好きです)。イノベーション25では、異をこれからの日本に必要不可欠な存在であると認識し、「出る杭」を伸ばすと明言しております。
その意味で、イノベーション25は日本人の考え方をも、変えるように迫っているといっていいでしょう。問題は、日本人に本当に異を受け入れる覚悟があるかです。ますます進むグローバル化の中で、異を甘受できるかどうかは、避けては通れません。実際、異を受け入れることができなければ、世界の中では日本は生き延びれません。
しかし、外からの異はまだしも、中からの異を受け入れる、これは更に大変です。今必要なことは、中からの異すら、受け入れることであるのは、明白です。
実は、この表現は最終報告原案には事務局によって削除され、なかったそうです。黒川先生が執念を示し、報告書の中心を占めるにいたったという裏話を聞き、黒川先生の思い入れに感動いたしました。
また、イノベーション25では、イノベーションを実現するためのツールの提供に関しても明言をしています。ベンチャーの社会的意義を認め、その発展・成長を促す点も評価したいと思います。
実際、中間発表で出された「いのべ家」の一日で描かれた未来像は、IT技術やバイオ技術を活用したものであり、担い手としてのベンチャー育成の議論がなければ絵に描いた餅だといえます。
しかし、イノベーション25にも、残念ながらまだ弱点があります。他のメディアも指摘していますが、これらの技術の活用のためには現行の規制の撤廃や改善が避けて通れませんが、この点に関してまだ不十分です。
特に、このブログでも何回も取り上げた家庭への医療サービスや遠隔診断などのIT技術の応用は、現行の医師法や薬事法で出来ないことが多く含まれています。勿論これは、今回の報告が最初であって、これからいよいよ規制に切り込むという意味だと理解しております。まさに、始まりの終わり(End of the Beginning)がこの報告書でしょう。
イノベーション25の報告書自体が、イノベーションであるという結果に落ち着きましたが、これから現状維持派をいかにして変えていくか?社会構造のイノベーションが、イノベーション促進の一丁目一番地であり、冒頭から山場がくるという大変な挑戦です。黒川先生の荒馬の手綱さばきに期待しています。
最後に予断ですが、私は中間報告のほうが好みでした。高市大臣の個人的な思いの発露、いのべ家の一日というまさにイノベーティブな報告書こそ、イノベーション25にふさわしいと思います。是非最終報告だけでなく、中間報告もお読みください。
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