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再狭窄の遺伝子治療:HGF4

ryu-chan / 2006.12.23 18:07 / 推薦数 : 1

アメリカで最初に研究を始めたのは、血管拡張術の後の再狭窄の遺伝子治療でした。当時の再狭窄率は、30%で循環器領域における最大のテーマでした(現在では、サイファーという薬剤流出ステントがでて、全く様変わりです)。

再狭窄は、平滑筋細胞の増殖が原因ですから、細胞周期の進展をとめれば抑制されるだろうという予測の元、PCNAとcdc2キナーゼといわれる細胞周期関連遺伝子に対するアンチセンスを作成し、HVJ-リポソーム法という日本からアメリカに持ち込んだ遺伝子導入法で導入すると、うまく抑制することが分かりました。

この当時は、アンチセンスでの抑制は画期的で、MITのMike Simonsのグループに先を越されたもの(彼らはnatureでした)の2番目に発表でき、PNASという雑誌に出ました。

実は、このあたりから、HGFに話がつながってきます。Simonsは、アメリカでのHGFの狭心症に対する臨床治験の責任者に今なっています。これは、当時の研究のつながりが生きてきています。

また、初めて特許を出したのも、この研究でした。実は、ボスからまずスタンフォードの特許事務所(今から思えば、TLOだったんですが)に論文を届けて、出す前にパテントを押さえろといわれました。スタンフォードでは、オフィスが全てやってくれますので、論文の原稿を持っていくだけでした。当然日本ではパテントを出したことはなく、全て初経験でした。

その後、この特許はCVT(CardioVascular Theraputics)というベンチャーに導出されます(この時のアンチセンスは、残念ながら、その後開発が中止になりますが、当時の付き合いが今のVicalやGentaというベンチャーにつながっています。また、CVTも別の薬を開発し、結構成功しています)。この時のパテントの売却代金は、2-3億だったと思うのですが、そのお陰でラボでは自由にお金を使わせてもらいました(誤解のないように書いておきますと、私の手元には一円も入りませんでした。ボスのところのは???)。その後以前書いたドイツのLeyen(Avontechのファウンダー)がポスドクとして私のグループに入ってきました。

しかし、ボスにはかなり怒られました。というのも、MITのグループは別のベンチャーに30億でパテントを売却したということで、私の仕事が遅いせいで大損をしたという理不尽な理由でしたね(というのも、私がアメリカに行った時には彼は既に投稿していたようでした)。でも、アメリカのダイナミックさが理解できました。

また、この時HVJ-リポソーム法を日本からアメリカに出したことで、改良の方向性が分かり、現在のアンジェスのゲノムワンにつながっています。今の山田社長と出合ったのも、この時です。その頃、スタンフォードの近くでアンチセンスの学会があり、三菱化学から山田さんが参加しており、最初の出会いでした。その後、10年近く経って、一緒に会社をしているのですから、不思議なものです!一期一会を感じます。

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