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どうなる!後期高齢者医療制度

Dr. I / 2008.10.13 20:22 / 推薦数 : 1

後期高齢者医療制度の話題が、
また新聞やテレビなどのマスコミを賑わしていますねー。

個人的には、天引きそのものには反対しませんけど。
最初に天引きする、って事にして、後からやめます。
って言っちゃったもんだから、保険料を払った人からも
天引きで二重に取るとか。
もう、めちゃくちゃですね。

選挙対策のために、後期高齢者医療制度を抜本的に見直す。
とか。
ちょっとだけ見直すとか。
舛添厚生労働大臣の独断専行とかもあって、
ひどい事になってますね。


『後期高齢者医療制度見直しか?』
の記事でも書いた通り、
私は以前から「後期高齢者医療制度」には反対です。

理由としては、大きく2つ。

1)、年齢によって、人の命を差別する制度だから。

2)、リスクの高い人達ばかりを集めているので、
  制度そのものがもたないと思うから。


私の考え自体は、現在も変わっていません。
それと同じような意見が、10/12の毎日新聞、
「発言席」
に載っていましたね。

日本福祉大学教授の仁木立先生の話です。

その前に、応援もよろしくね!

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国民皆保険の理念に反する

後期高齢者医療制度は4月の開始から混乱続きで、
通常国会では野党4党の廃止法案が参院で可決された。
法案は継続審議となったが、
衆院が解散されれば廃案となる。

私は、後期高齢者医療制度を廃止し、
老人保険制度を復活する事に賛成である。


その理由は2つある。

第一の理由は、高齢者のみを一般の国民から切り離す制度は、
国民連帯という国民皆保険の根本理念にも、
リスクの高い加入者と低い加入者をプールして、
リスクを社会的にプールするという
社会保険の原則にも反しているからである。

これに比べると高齢者を従来の医療保険制度に
加入させたまま制度間の財政調整を行う
老人保健制度の方が、理念上も、
社会保険の設計技術上も、はるかに優れている。

国際的にみても、全国民対照の公的医療保険制度を
有する国で、高齢者を別建てにした制度を
有するのは日本だけである。


第二の理由は、後期高齢者医療制度の根拠法となっている
高齢者医療の確保に関する法律」に、
老人保健制度にはなかった厳しい
医療費抑制策が組み込まれているからである。

そもそも、同法は第一条の目的に
医療費の適正化を推進する」ことを掲げた、
初めての法律である。


医療費適正化という名の医療費抑制策」は四つある。

一つは、保険者がメタボリック症候群対策の目標を
達成できなかった場合、ペナルティーを科せられること。
および医療費適正化計画を達成できなかった都道府県は、
診療報酬点数の特例的引き下げの実施を求められること。
である。

短期的対策は2つある。
従来1割負担だった70~74歳の自己負担割合を
2割に引き上げること。
もう一つは、従来高齢者には禁止されていた
保険料未納者に対する保険証の取り上げが
導入されたことである。

ただし、中長期的対策は二つとも
医療費抑制効果がなく、「無駄の制度化」と言える。

後期高齢者医療制度の廃止を主張すると、
「対案を示さなければ無責任」との批判を受ける。
しかし、欠陥だらけの同制度に代えて、
相対的に優れている老人保健制度を復活することは
立派な対案である。

後期高齢者医療制度に固執する人々の弁明は
三つあるが、いずれも根拠に乏しい。

第一は、同制度が「10年も議論した後に、成立した」
との弁明だが、事実は逆である。
10年議論しても成案がまとまらなかったにもかかわらず、
05年9月の郵政選挙の圧勝により、
自民党内で独裁的権力を確立した小泉純一郎首相の
鶴の一声で強引に成立したのである。
この点は、本紙(毎日)6月7日朝刊の
「一からわかる後期高齢者医療制度」でも紹介されている。


第二は「後期高齢者には独自な医療が必要だ」という弁明だが、
社会保障審議会「後期高齢者医療の診療報酬体系の骨子」は、
医療の基本的な内容は、74歳以下の者に対する
医療と連動しているもので、75歳以上であることを
持って大きく変わるものではない」と明言している。

舛添要一厚生労働相も、6月に
後期高齢者終末期相談支援料を凍結した際、
終末期を「年齢で区切ることはやめた方がよい」
と述べている。

第三は、「後期高齢者医療制度を作らないと
国民健康保険(国保)が破たんする」という弁明だが、
国保の財政が悪化したのは1984年の
健康保険法改正時に、国保への国庫負担を
大幅に切り下げたためであり、
それを復活するのが先決である。

参照:2008.10.12:毎日新聞「発言席」
『2008.10.12:ふじふじのフィルター』
「国民皆保険の理念に反する「後期高齢者医療制度」の
もう一つの目的は健保組合つぶし。そして「医療崩壊」へ。」



後期高齢者医療制度」という制度は、
このままいったら、国民健康保険(国保)が破綻するから。
後期高齢者医療費を減らしますよ。


という事で出来た制度です。

本文にも書いてある通り。

後期高齢者医療制度の根拠法となっている
高齢者医療の確保に関する法律」の第一条の目的に
医療費の適正化を推進する」ことを掲げた、


 医療費の適正化=医療費削減
って事ですよ、当然の事ながら。

医療には医療費がかかりますので。
 医療費を減らす=医療を減らす

という事とほとんど同じ意味です。

自民党の政治家や役人は、
後期高齢者医療制度に関しては、説明不足だった」
って言っていますけど。

 医療費削減=医療を受けさせない

ということですから。

極端な話、
「75歳以上の後期高齢者なんか、生きてる価値ないよ。
おまえらなんかより、土建屋や公務員の方が大切だから。
75歳以上の後期高齢者には、医療を受けさせないよ。」


という事ですわ。

「今までと同じ医療を受けられて、医療費を削減する」
なんて事は嘘八百です。

そんな話を何百回説明しても、誰も納得しませんよ。

「75歳以上の後期高齢者には、必要な医療も受けさせない。」

という事をきちんと説明して。
それでも国民が、
「それで良いよ。」
という判断をしたのであれば、
私は後期高齢者医療制度を続けても良いんじゃないかな。
と、思います。

でも、一切そんな説明していないでしょ。
自民党の政治家も役人も。

「今までと同じ医療は受けられるんだけど、
75歳以上は別の制度で、って事でなんとかうやむやに」

という感じですよね、いつも。

日本国民は、そんなのに騙されるほど馬鹿じゃないんですよ。

日本では1973年老人医療費が無料になって。
その後から、老人は病院にかかりすぎだ。
という事実はありますから。

必要もないのに、たくさん病院にかかっている人や、
高齢者でも、たくさんお金を持っている人からは、
もっと医療費を取る

という必要はあるかもしれません。
でも、それと、75歳という年齢で区切る
後期高齢者医療制度」。
というのは、全く別物ですからね。

二木先生がおっしゃられている通り、
老人保険制度を復活する。
という方が良いのかなー、と個人的には思います。


最後に、二木先生は

後期高齢者医療制度を作らないと
国民健康保険(国保)が破たんするという弁明だが、
国保の財政が悪化したのは1984年の
健康保険法改正時に、国保への国庫負担を
大幅に切り下げたためであり、
それを復活するのが先決である。


と、は書いておられますけど。

 国保への国庫負担=国民の税金

ですからね。
これをどうするのか、っていう問題は残ります。

もちろん、無駄な公共事業や公務員の数を減らす。
という事は必要だと思いますけど。
それだけで、本当に財源が確保できますかね。

そういうことは、当然やりながら。
それでも不十分であれば、「増税
という国民に痛みの伴う事をやらないと駄目なんですが。

選挙が近くなったら、またそれを言う人が減るんですよねー。

消費税でもなんでも、景気の良いときにしか
増税っていうのはできないもんなんだけど。
景気が良くなったら、法人税も増えるから、
このままでも赤字はなんとかなる。

っていう論調が出てきて、結局いつまで経っても
増税ができなくて、借金が増えていく。
という構図ですよね、ここ10数年の日本は。

そろそろ、その流れから脱却しなければならない時期に
来ていると思います。


高齢者の負担が増えて、けしからん」
「天引きはけしからん」

という論調でばかり、マスコミでは話題になっていますけど。

世界一と言われている、日本の医療を守るために。
世界に誇る国民皆保険を守るために。


国民が痛みを伴うことも受け入れなければいけない時期に、
そろそろなったと思うんですけどねー。


日本福祉大学教授、仁木立先生が書いた本は、こちら!
→ 医療改革―危機から希望へ

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医療事故と交通事故の違い

Dr. I / 2008.10.09 00:49 / 推薦数 : 3

医療っていうのは、そもそも危険が伴う行為ですから。
手術等の医療行為をしなかったら死ぬかもしれない。」
という患者医療行為を行う事によって、
生き延びさせる事が出来れば幸い。

というようなものなんですけどねー。
本来は。

火事があって、家が燃えて。
それを消火しようと思ったけど、
消防隊が家を消火できなくて、家が全焼した。
って事があっても、消防士が訴えられる事はないでしょ。

それと同じ様に、手術等の医療行為をしなかったら、
死んでしまったかもしれない

という患者を、手術をしたけど助けられなかった。
という事で、医者も訴えられる事はない
というのが、普通だと思うんですが。

何故か、医者の場合は訴えられて。
下手したら裁判で有罪になっちゃったりするんですよね。
業務上過失致死傷罪」で。
医療事故の場合でも、交通事故の場合と同じように。

正直言って、前からそれはおかしい。
って思っていて、ブログでも何回か書いた事はあるんだけど。

ちょうど、MRICメルマガで、こういうのに関しての専門家、
医療・法律研究者の方が、
福島大野事件判決の解説を書いてくれていたので。
ここで紹介しますね!

その前に、応援よろしくね!

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Medical Research Information Center (MRIC) メルマガ 

臨時 vol 142 「福島大野事件判決解説1」
2008年10月8日発行


■□ 結果回避義務について  
  ~医療事故と交通事故の違い~ □■

          大岩睦美(医療・法律研究者)

1 過失とは

業務上過失致死傷罪などの過失犯は、
過失により結果(人を死傷させること等)を
生じさせることにより成立するが、ここに過失とは、
行為者が自らに課せられた
注意義務に違反することをいう。

この注意義務は、具体的内容として、
結果の発生を予見すべき義務(結果予見義務)と
結果の発生を回避すべき義務(結果回避義務)の
二つに分けることができる。


2 結果予見可能性、結果回避可能性

そして、結果予見義務と結果回避義務が
あるというためには、それぞれの論理的前提として
結果発生の予見可能性及び結果発生の
回避可能性を考えるのが一般的である。

実務上は、結果予見可能性が存すれば
結果予見義務があり、結果回避可能性が存すれば
結果回避義務があるとされる。

すなわち、「過失がある」(注意義務に違反する)と認められるには、

 (1)結果予見可能性、
 (2)結果予見義務、
 (3)結果回避可能性、
 (4)結果回避義務

の各要件が検討されることとなるが、
実務上(検察官の立証上)は、
(1)が認められれば(2)は当然に認められ
(3)が認められれば(4)は
当然に認められることとなるため、
(1)と(3)が立証されれば足りることとなる。


3 一般的な過失犯の事例

よそ見運転で人を轢いてしまったという
自動車事故の例を考えてみると、

(1)結果予見可能性:
 よそ見運転をしたら人を轢いてしまうかもしれない

(2)結果予見義務 :
 「よそ見運転をしたら人を轢いてしまうかもしれない」と予見すべき

(3)結果回避可能性:
 よそ見運転をしなければ人を轢かなかったかもしれない

(4)結果回避義務 :
 よそ見運転をしてはいけない

となる。
 

自動車事故の例では、わざわざ危険な行為を
行うことが必要となる理由はないのであるから、
結果の発生を予見し回避することができるのであれば、
予め結果を予見しこれを徹底して
回避しなければならないのであり、
つまり、予見可能性、回避可能性さえあれば、
予見、回避する義務が生じるのは当然のことと言える。


4 医療行為の場合

では、医療行為においては、

(1)結果予見可能性:
 手術したら合併症で死んでしまうかもしれない

(2)結果予見義務 :
 「手術したら合併症で死んでしまうかもしれない」と予見すべき

(3)結果回避可能性:
 手術しなければ合併症で死ぬことはなかった

(4)結果回避義務 :
 手術してはいけない???

となることから、(1)~(3)が満たされるからといって、
当然に(4)の結果回避義務までも
当然に認められてしまうと、危険を伴う医療行為
医師は一切行えないこととなり、不合理となる。


5 福島県立大野病院事件一審判決

この判決で裁判所は、医師に結果予見可能性、
結果回避可能性を認めながら、結果回避義務を
否定するという画期的判断を下した。

判決は、「医療行為が身体に対する
侵襲を伴うものである以上,患者の生命や
身体に対する危険性があることは自明であるし,
そもそも医療行為の結果を
正確に予測することは困難である。

したがって,医療行為を中止する義務
(=結果回避義務)があるとするためには,
検察官において,当該医療行為に危険があるというだけでなく,

(a)当該医療行為を中止しない場合の
 危険性を具体的に明らかにした上で,
(b)より適切な方法が他にあること
 を立証しなければならない。」としている。

本件では,
(a)子宮が収縮しない蓋然性の高さ、
子宮が収縮しても出血が止まらない蓋然性の高さ、
その場合に予想される出血量,及び
(b)容易になし得る他の止血行為の有無や
その有効性を、検察官が明らかにして立証しなければ、
医師には医療行為を中止する義務
(結果回避義務)は認められないとされたのである。

そして、これらを立証するためには,少なくとも,
(ア)相当数の根拠となる臨床症例,
あるいは (イ)対比すべき類似性のある臨床症例
の提示が必要不可欠であるといえる。


6 まとめ

本判決により、医療行為によって
患者の生命・身体に対する危険性があることは
医療行為の性質上自明のことであり、したがって、
医療行為においては、結果予見可能性、
結果回避可能性があったとしても、それだけで、
直ちに結果回避義務があるとは認められないこととなった。

結果回避義務(治療中止義務)があるとするためには、
(a)治療を続行した場合の具体的な危険性
(b)より適切な他の方法があること が要件となる。

しかし、結果回避義務が発生するための要件として、
(a)(b)で必要十分といえるか、(a)(b)の立証のために
必要な事項は何かについては、法曹界、
医療界を交えての議論を重ね、
具体的内容の検討が必要となるであろう。

●MRICの配信をご希望される方は touroku@mricj.com へ!!


『MRIC:臨時 vol 142』



手術をする場合。
出血がない、って思う医者はどこにもいないし。
大量に出血すれば、死ぬこともある。
っていう事がわからない医師はいません。

手術じゃなくて、の場合でも似たようなもんです。
には必ず副作用があります。
体に良い方の作用が強ければ「薬」で、
反対に有害な方の作用が強ければ「毒」です。
そんな事がわからない医師は、どこにもいません。

何万人とか何十万人に1人位だけど、
めったに出ない薬の重篤な副作用が出れば死ぬこともある
っていう事も医者であれば誰でも知っている事です。

ですから、医療行為を行う場合に、
全ての医者は、万が一の場合は患者が死ぬかもしれない。
という事がわかっていますので。
医師医療行為をする場合、

>(1)結果予見可能性

に関しては、全て当てはまってしまいます。


例えば、ガン患者の場合。

ガンを切除する手術をしなければ、
その患者手術で死ぬ事は絶対にありません。

でも、手術をしなければ、ガンで死にます

じゃあ、手術をしたら死ぬかもしれないから。
ガンで死ぬ事はわかっているのに、
手術をしてはいけないのか。

って。
そんな事にはならないでしょ。


本文にも書いてあるとおり、

(3)結果回避可能性:
 手術しなければ合併症で死ぬことはなかった

(4)結果回避義務 :
 手術してはいけない???


という事になれば、医療はそもそも成り立ちませんよね。


ガンで死ぬ可能性と、手術をして、もしかしたら、
手術してすぐに亡くなってしまう可能性もあるけど。
どっちにしますか、っていう事をきちんと説明して。

それを聞いて、患者自身が手術をする。
という判断
をしたのであれば、
結果的にガンの手術をしてすぐに亡くなったとしても。
それを業務上過失致死に問うべきではないんじゃないかな。
と、個人的には思います。

医療というものの本質を考えれば、
医療事故交通事故を一律に扱うのは、
そもそもがおかしいんじゃないですかね。



こういう話をすると、

医療業界には隠蔽体質があって。
カルテの改ざんとか、診療報酬の不正請求とか。
そういう事もあるのに、
医者だけ特別扱いするのはけしからん。


っていう論調の人が出てくるんですけどね。

カルテの改ざん、診療報酬の不正請求
っていうのは、いわゆる「医療事故」ではなく、
医療犯罪」なんですよ。

私は、医療犯罪に関してまで、医師を訴えてはいけない。
という事は、一言も言っていません。

むしろ、そういうけしからん奴は、
厳しく扱うべきだ、というように思います。

ただ、一生懸命に患者を救おうと思って。
その場で、できる限りの医療行為を行って、
結果的に患者が亡くなってしまった。
というように、結果が悪かったからといって、
医師を罪に問う、というのは、
医療の性質上おかしいのではないか

と思います。




本の紹介。

『噂の健康情報「ホントの話」』

最近、事故米の問題が話題になっていますよね。
輸入米にメタミドホスって農薬が入っていた、とか。
カビとかメタミドホスとか、そういうのは
テレビなんかでもいろいろ報道されていますけど。
実は、日本で作られているお米にも、
恐ろしいものが含まれている可能性があるんですよー。

カドミウム」って知ってますか。
公害、「イタイイタイ病」の原因となった物質ですよ。
こういう一般的には、ほとんど報道されていないような、
健康に関する裏話が満載の本が、これっす。

→ 『噂の健康情報「ホントの話」』

10月8日(水)0:00~10月10日(金)23:59まで、
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興味のある人は、是非読んでみてね!

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産科医の過酷な勤務実態

Dr. I / 2008.09.30 21:04 / 推薦数 : 3
日本の医療崩壊の最先端は、産科、小児科、救急だ。
という話はこのブログでも何回かしていますが。

ついに、産科医の勤務実態
yahooのトップページに載りましたねー。

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産科医の「過酷な勤務実態」が明らかに
―月295時間在院
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080930-00000005-cbn-soci


産婦人科勤務医・在院時間調査」
 
産科医が病院にいる時間(在院時間)は月平均295時間で、
緊急時の電話対応のための待ち時間(オンコール時間)は
同144時間であることが、日本産科婦人科学会
(吉村泰典理事長)の調べで明らかになった。

同会では、「病院産婦人科医の在院時間
非常に長いことが示され、いわゆる『過酷な勤務』の
実態の一端が数値として示された」として、
産科医の労働環境の改善を訴えている。


日本産科婦人科学会は9月29日、
産婦人科勤務医・在院時間調査」の
第1回中間集計結果を発表した。

調査は、同会の「卒後研修指導施設」となっている
750病院などを対象に7月から8月にかけて実施。
一般病院に勤務する産科の常勤医163人のデータを
年齢、性別などに分類した上で、「在院時間
オンコール時間」「当直回数」などを分析した。

それによると、産科医の平均年齢は42.1歳で、女
性が占める割合は26%。一か月平均の在院時間
は295時間で、オンコール時間は144時間だった。

年齢別に見ると、在院時間が最も長いのは
30歳未満(328時間)で、次いで40-44歳(308時間)、
45-49歳(291時間)。
オンコール時間は、50-54歳(195時間)、
30-34歳(155時間)、45-49歳(148時間)などの順だった。

在院時間」には、休憩時間、宿直時間、
時間外の診療時間などがすべて含まれ、
このうち時間外の診療時間は月平均117時間で、
当直回数は同4.1回。
当直回数は、あらかじめ定められた日に
当直した場合のみをカウントし、重症患者の対応などのために
臨時で泊まり込んだ場合は含んでいない。

同会によると、産科医の数が少ない病院で当直体制を取ると、
医師一人当たりの当直回数が多くなり、在院時間が長くなる。
また、オンコール体制の場合、帰宅後も
いつでも呼び出しに対応しなければならないため、
「その間は精神的緊張が持続する」としており、
「二十四時間体制」とも言える産科医
過酷な勤務実態があらためて浮き彫りになった。

今回の集計では、オンコール時間が
月500時間以上の医師が4人、
200時間以上の医師が22人いたという。

今回の集計結果について同会では、
「病院産婦人科医在院時間が非常に長いことが示され、
いわゆる『過酷な勤務』の実態の一端が
数値として示されたと思う。

また、その在院時間の長さは、医師の年齢によって
差が少ないことが分かった。
20歳代から40歳代後半まで、月間在院時間には
有意の差が認められなかった」としている。

その上で、「今後、さらにデータを集積するとともに、
勤務実態の施設間差を解析し、産婦人科勤務医の
勤務条件改善のための基礎的な検討を行っていく予定」
としている。


『2008年9月30日: 医療介護CBニュース』



産科医が病院にいる時間(在院時間)と。
緊急時の電話対応のための待ち時間(オンコール時間)。
合わせると、平均で

295時間+144時間=439時間ですか
1ヶ月で。

1ヶ月を30日とすると。
一日平均では、14.6時間ですね。
土日も合わせて。

待機の時間(オンコール)を除いて、
実際に病院で働いている時間でも月295時間。

労働基準法では、
週8時間x5日=40時間
という労働時間が基準で。

1ヶ月で時間外勤務の時間が80時間以上で3ヶ月
1ヶ月でも100時間以上だと、
いわゆる「過労死の基準」ですね。

>時間外の診療時間は月平均117時間

平均で、過労死の診断基準超えていますね、完全に。
しかも、厳しい方の基準、一ヶ月だけでも「過労死
と認定される、月100時間の方。

産科医をやっている限り、この労働時間は
基本的には続いていくわけですから。
1ヶ月、3ヶ月といわず、何年でも

もう、完全に過労死一直線でしょうかね。
しかも、これには、いつ呼ばれるかどうかわかんない、
オンコール(待機時間)は全く含まれない時間です。

平均が月に117時間の時間外勤務。
土日を含めても、オンコール(待機)の時間は
一日に14.6時間。


これが、産科医の過酷な勤務実態です。


45-49歳っていったら。
普通の会社だったら、完管理職とか。
現場にはあまりタッチしない立場なんでしょうけど。

>45-49歳でも、一ヶ月の在院時間は291時間。

これが、産科医の勤務実態です。


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医療裁判で真実明らかに?3

Dr. I / 2008.09.24 00:05 / 推薦数 : 3

『医療裁判で真実明らかに?1』
『医療裁判で真実明らかに?2』
の続きです。

前回の分をまとめると。

なぜ産科医療が特に医療崩壊
先頭をきっているかといえば、
分娩は急変するし予見が難しいからです。

しかも、妊娠が許可されているような
若く健康である妊婦さんに突然起こる悲劇なので、
遺族の方にとっては容認できるような
状態ではないんですよ。

分娩は危険を伴うものなのですが、
日本では10万人に5~6人位しか命を落とさず、
身近に感じるような危険ではなくなってしまって。
分娩の安全神話」がまかり通ってしまった。

だから、いくら説明を尽くしても、家族が当初から
分娩が安全であると思っていれば、
結果が母体死亡である場合。
医療ミスではなくても、
遺族に理解してもらうことは不可能に近いんです

しかも、現在では、母体死亡はまず医療裁判になるので
産科医を志望する医学生は減り続け、
ベテラン医師、中堅医師の現場からの兆散が止まらない。
そういった理由で、産科医療崩壊は起きている。

というのが前半の話。

で、後半は
医療事故が起きたとき、遺族は、
何が起こったのか真実を知りたい
と、医療裁判を起こすのですが。

「正直に何があったのか事実を話してほしい。
でも正直に話せば、罰を受けますよ。」

と言っているのが、現在の医療裁判の論理です。

でも裁判になれば、医者といえども、日本国民ですから。
黙秘権」を行使することも当たり前にできます。
そしたら、「何が起こったのか真実を知りたい」
という願いは永遠にかなわないことになる、
という事もありえます。

そうではなくて、まず事実を知るためには、
そうすることで個人は不利な扱いを受けない、
という大原則を打ち立てて守らなければならない。

徹底的な情報の開示、透明性の確保がなされれば
医療者同士のかばいあい、はできないだろうし。
議論の質は落ちないだろうと思う。
医療界としても自浄能力が発揮されるだろう。

だから、そういう「新たな制度」を作る事が重要だ。
って話でしたね。


そいじゃあ、今日は更にその続きです。

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  「医療裁判で真実が明らかになるのか」
―対立を超えて・信頼に基づいた医療を再構築するためにー
    2008.8.30   都立府中病院産婦人科部長
             桑江千鶴子


  
(5)病院勤務医師の労働環境の改善が急務
 
およそ医師という職業が国家資格として
認められたのは日本では明治時代からであり、
それほど歴史があるわけではないが、
その当時は医師と言えば開業医を指していた。
しかも開業医は全員産婦人科医でもあり
分娩を扱っていた。

例えば今年生誕100年を数えるカナダの作家
ルーシー・モード・モンゴメリーが書いた
「赤毛のアン」には、アンの結婚相手の
ギルバートという医師が出てくるが、
彼は日常的にお産に呼ばれていて、
いつも疲れている。

また「風と共に去りぬ」は南北戦争さなかで
南部の敗戦が濃厚になったころの
アトランタという都市が舞台であるが、
主人公のスカーレットは、従妹のメラニーがお産になる
といって野外で傷病兵を治療している
医師を呼びに行っている。

約140年前のことであるが、
当時病院勤務医はいなかった。
その後、医療の中身も劇的に変化して
病院勤務医が出現して、その数も多くなり、
開業医と病院勤務医の比率も変化した。

たとえば産婦人科であれば現在は
病院勤務医のほうが多い。
病院で提供する医療と、開業医が提供する医療
どの科でもそれぞれ異なるが、
その内容も年々変化している。

このような状態であるが、病院医師定数は
旧態依然としていて少なく、
実際の医療行為の量に比して不足している。
医師以外の医療従事者も不足している。

家庭や地域での怪我や発熱などへの
初期治療対応能力の衰えや、
高齢者と同居しなくなったからなのか、
高齢者の知恵が活用されなくなった
などの理由があるとは思うが、
「些細なことでも何でも病院へ」という流れが生じた。

これほど多数の救急患者を診る状態になったのも
最近のことである。
であるから、医師の労働環境については、
以前とは全く異なっている。

しかし、勤務条件を改善する努力については
まったく行われてこなかった。
ヒポクラテスの誓いにあるように
「金銭的なことは求めないという意識」、
「医は仁術」
「貧しい患者からは報酬は受け取らない
赤ひげのような医師が理想」
という意識が、医師個人の経済的なことや
勤務条件について交渉したり
不満の声を上げるのを禁じてきた。

「白い巨塔」で描かれたような大学医局のあり方や、
大学教授の絶対的権威と存在のもとで、
研修中の医師は医局の駒として動かされ、
教授が決定した派遣先には異議を唱えないこと
という暗黙の了解のもとに、勤務条件の悪い
公的病院・自治体立病院にも派遣されてきた。

医師が、医局の奴隷のような状態に甘んじた結果として
地域の医療が維持されていたという側面はある。
大学教授や病院長など医師のトップクラスが、
病院勤務医や大学病院勤務医の勤務条件を
改善する方向に動いてくれることもなかった。

この状態が平成16年度からはじまった
「新臨床研修医制度」で壊れたために、
まず勤務条件の悪い病院から医師引き揚げとなり、
医師不足が明らかになった。

大学医局や教授の権威も落ちていたため、
医師が赴任したがらない病院から医師不足が
始まったということもいえる。
24時間365日の勤務を余儀なくされる
激務の産科・救急・麻酔・小児科などから、
真っ先に医師不足が露呈した。

医師側の事情だけではなく
患者側の意識の変化もある。
以前のような「パターナリズム」が支配する
医療の状況では、患者の権利を
主張することもできなかった。

患者の権利意識の向上は、アメリカから始まった
黒人や女性の解放をめざす
「市民運動」の流れをうけたものと考えられるが、
それ自体は大変喜ばしいことであると言える。

患者の「自己決定権」や「納得と同意」にもとづく
医療の提供については、医療の質の向上や
均質化にも貢献し良いことだと思う。

しかし、実際の臨床現場では、自己決定に慣れていない
患者に対して、医学的知識も乏しいために
説明にも時間がかかったり、本人の病気への理解が
困難であったりして、混乱しているところもある。
いろいろな意味で、現在は過渡期なのだと思う。
今後、良い方向への流れとなるような努力が
双方に必要だと認識している。
 
 
現実の病院勤務医の生活について述べたい。
ある基幹病院の産婦人科医員の時間外労働は
過労死ラインと言われる月に80時間の
約2倍の160時間を数える。

つまり時間内労働を含めると
月320時間在院していることになる。
1か月24時間×30日=720時間のうちの
320時間ということは、生きている時間のおよそ44%、
半分近くを病院で過ごしているということになる。

その中には一端帰宅しても、患者が急変したり、
救急手術のために再度呼び出される時間が含まれている。
が、救急手術に備えて自宅で待機する
「オンコール制度」というのがあって、
その時間は含まれていない。

待機時間を含めて拘束時間を計算すると、
人生の大部分の時間を仕事に費やしていることになる。
精神的な拘束感覚は、実際の勤務時間以上だが
時間数にはあらわれない。

これでは正常な人間の生活や、家庭生活は営めない。
特に日本では働く女性への支援が
他の諸外国に比べてかなり貧弱であるので、
女性医師は妊娠・出産を契機に現場にとどまることは困難だ。

これは労働基準法で定められた
週40時間労働の約2倍という長時間労働である。
もし労働基準法を順守するのであれば、
在院時間だけで計算すると医師数は少なくても2倍必要だ。

しかしそのうちの半分は夜の仕事であるので、
夜勤を考えて交代制にすれば、
医師数は2倍以上必要となる。
現在、その時間外労働のほとんどの部分は無報酬であって、
「ただ働き」である。

医長・部長といった管理的立場の医師も、
仕事内容は管理ではなく外来・手術等実際の
臨床をしているが、時間外労働への対価はなく
「名ばかり管理職」でもある。

現在の病院勤務医は労働時間やその仕事の質や
リスクに見合わない低賃金労働者である。
しかし病院経営は7割が赤字となっており、
特に自治体立病院では8割が赤字経営と言われていて
一般会計からの繰り入れをいれても
赤字であることも珍しくないし、
そのほとんどは人件費であるために、
医師数の増加も賃金改善もできない。

また逆に、労働実態に合わせて医師定数の増加を定めれば、
ほとんどの病院はそれだけの医師を確保できないために
廃院せざるを得ない。
したがって病院勤務医は、根本的に
勤務条件を改善することもできない。

しかもこれほどの長時間労働を低賃金で働いていても、
ひとつ医療事故があれば裁判にかけられて、
民事であれば多額の賠償金を支払わされるし、
刑事では逮捕・勾留される可能性がある。

これほど割に合わない仕事はないとして、
産科をはじめとする激務の病院勤務医
職場を放棄しはじめたのが、医療崩壊の本質である。
すべてを今のままとして、医師だけに負担を強いる状態では、
過労のため集中力の低下が起こり、
ますます医療事故や医療過誤がおこりやすくなる。

また、医療側にも、医療事故を起こすのではないか
という不安やあるいは患者からのクレームの増加に対する
精神的負担も大きくあり、厳しい医療現場から
逃げ出してもいるし、うつ病などの病気で
働き続けられなくなっている医師も多い。

良質な医療を提供するためには、
まず提供側の人間は心身ともに健康でなければならないか、
あるいは健康を維持できるような
労働条件でなければならないだろう。

多くの病院勤務医が過労死をしたり、
過労のために自殺を余儀なくされたり、
うつ病になったりしている状態で、
どうして良質な医療提供ができるだろうか。

このような労働条件のもとで働いている医師
一瞬のミスも許さないというのは、
あまりに過酷であるし、現実的でもない。

まず、勤務条件の改善と医師不足の改善をしてから
はじめて医療事故のないあるいは少ない職場が実現できる。

そのためには病院でしかできない治療や検査に関しては、
少なくても病院経営が成り立つような
保険点数を付与するべきである。
入院診療にも相応の対価を支払い、
十分な医療スタッフを確保できるようにするべきである。

医療費全体のパイを増やして、患者さんは安全で
安心な医療を受けられるように、医師は現場から
逃げ出さなくても済むように、そのための
人員配置ができるような診療報酬を設定するべきである。

これから日本は未曾有の高齢化社会に突入するが、
高齢者は自分が病気になった時に、
快適に過ごせるような環境を確保するためには、
できる人はそれなりの経済的負担をすると思う。

高齢になれば、お金儲けには関心が低くなり、
健康問題には関心が高くなる。
それなりの環境で安全で快適な医療を受けるためには、
負担をいとわない人も多くいるだろう。

医療費の高騰を防ぐというより産業として
育成すると考えれば良い面もある。
医療周辺で生じるサービスをビジネスチャンス
と考える人も出てくるだろう。
新たな雇用の創出もできるだろう。

国民は医療への投資は容認すると思う。
何と言っても健康が維持できなければ、
働くこともできないし、人生を楽しむこともできない。

病気になったらすべてを失ってしまうのではなく、
また健康を取り戻して働くことができれば、
税金も納めることもでき、国は潤うわけであろう。

医療費は抑制するばかりでなく、
サービス産業と考えて発展的にとらえるように
出来ないのか、発想の転換ができないのかと思う。


(6)最後に・・信頼に基づいた医療を再構築するために

どのような仕事でももちろんそうだと思うが、
とりわけ医療医療提供者側と医療受給者側との
信頼関係がなければ成り立たず、
成果をあげることもできない。

しかるに現在のようなお互いに相手に対する
不信感に満ちている状態で、仕事をしてゆくことはできないし、
成果を上げることはできないだろう。

このような状態が続くことは、双方にとって
不幸で不利益以外の何物も生み出さないことは、
少し考えればわかることだ。

なぜこのような状況になったのかは別として、
対立を乗り越えるためには、
相手を理解できなければ乗り越えることもできないだろう。

医療提供者側の人間も医療受給者側になることもある。
医療受給者側の人間も、医療提供者が
身近にいることもあるだろう。
お互いを理解しあうことは不可能なのだろうか。

相手の立場に立って考えることはできないだろうか。
あるいは相互理解を阻むものは何なのか。

今まで考えてきた観点からの提案をしたいと思うが、
前提として以下のことが理解されなければならないと考える。


≪前提とする事項≫

医療の歴史は試行錯誤であり、
歴史的に進歩してゆくものであるが、
現在もまたその途中である」

「日本の医療の世界の中での位置づけは、
医療費・医師不足にもかかわらず
質量ともに世界のトップクラスの医療提供を実現している」

「低医療費の中身は、病院勤務医師
看護師などの数が少なく、
総じて人件費が低額であることが大きい」

「人間は不完全な生き物であり、
常に完璧を要求しても実現できない。」

「個人の問題だけではなく、体制の問題にする必要がある。」

「真実を知ること・再発を防止することと
懲罰感情・報復感情とは両立しない」

医療は本来障害的・致死的仕事であり、
それを不完全な人間が行うことが医療の本質そのものである」

医療事故は起こした側も、受けた側同様に
悲嘆にくれ悲しんでおり、その後の人生や仕事も左右する。
悲しみを共有し、短時間に事実を知り、
対策を立てることが共通の利益である。」

「現在進行している医療崩壊を食い止めることは
国民的課題であるし、お互いの利益でもある」

「信頼関係を構築しなおさなければ、
満足のいく医療を受けたり提供することはできない」


≪具体的な提案について≫

医療事故が起きたとして、事実を正直に話せるような
体制の実現―話すことが個人の不利にならないようにする」

医療事故は死亡例のみならず、すべての事例を対象とする」

「話された事実に基づいた専門家集団による調査の施行と報告」

「この段階であまりに些細な事例は排除される可能性を含む」

医療事故を受けた側の悲しみに共感し傾聴する機関の存在」

「専門家集団による調査経過・調査結果の開示。
その場合の透明性を確保する必要性」

「専門家集団の自浄能力の発揮・自律性の確保」

「再発防止策の提言と実現」

「犯罪との区別と警察の関与について」

医療事故被害者への経済的補償」

「悪質あるいは高度過失事例を行った医療者の
評価と研修、免許の取扱について」

「立法・行政・司法との対等で真摯な協議の努力」

医療提供者の健康被害の防止と
勤務環境の整備と待遇改善」

病院経営の健全化とそれによる適正な人員配置」

「信頼関係の構築に向けての相互の努力」等
   

医療は提供者側と受給者側相互の
信頼関係に基づいた契約関係であるので、
現在のような不信感に満ちた関係では、
実際の行為の医療崩壊だけではなく、
信頼関係の崩壊がその本質になってしまうだろう。

何とかこれを払拭して、新しく愛情と英知に満ちた
医療制度を作り、後世に残さなければならない。  

 
これから生まれてくる子供たちや、
育ってくる若い世代に向けて、医療提供者側と
医療受給者側、双方が100点満点ではなくても、
それなりに満足できる体制を再構築するために、
今後より一層努力してゆかなければならないと考える。

以上


『桑江千鶴子先生より』


医師の労働環境は、すごく悪い。
若手、中堅の平均的な医師であれば、
月に時間外労働80時間以上です。
この労働時間は、労働基準法でいえば、
過労死の基準のうちの一つだ。
という話は、何回かこのブログでも書いていますね。

しかも、この労働時間には、
当直」は、入っていませんし。
緊急で何かあった場合に家で待機する時間も、
もちろん入っていません。
欧米では、待機時間や当直中で、寝ている時間も
労働時間に入れる、っていうのは当たり前なんですけどね。

しかも、医者の場合は、患者の命を扱いますし。
一回訴えられれば、数千万円、場合によっては一億円以上、
っていう訴訟のリスクもあります。

お産を扱っている産科医であれば、
訴訟リスクは、年間1000人に14人
25歳で医者になって、このペースで40年やれば、
2人に1人は訴えられる、って計算ですね。
お産を扱う産科の医師の場合は。

ものすごい、訴訟リスクですよ、これ。
当然の事ながら、ストレスもすごいです。

日本は世界の中でも、自殺率がトップクラスの国です。
先進国の中ではトップで、
年間3万人の方が自殺で命を失っています。

自殺の動機・原因の一位、二位は、
健康問題」、「生活苦、経済的理由」、
なんですけど。
医者の場合は、簡単に言うと、
人の2倍働いて、人の2倍の給料」ですから。

経済的な理由で自殺する方は、ほとんどいません。
それなのに、医師の自殺率は、
他の職種の1.3倍も高い
んですよ。

参照:『医師の自殺率は30%も高い』

いかに、医師という職業には「ストレス」がかかっているか。
これを見てもわかると思います。


>ある基幹病院の産婦人科医員の時間外労働は
過労死ラインと言われる月に80時間の
約2倍の160時間を数える。


産科は、医師の中でも労働時間長い科ですから。
若い産科医でも、この位働いている方は、
結構いるのでしょうけど。

これって、本来あってはいけない事だと思います。
長時間働いたら、ミスが多くなる
っていう事は、明らかな事ですから。

患者の命を扱う医師を、医療ミスが出やすい状態にして、
そのまま何の改善策もとらない

というのは、明らかに「政策のミス」、と言えると思います。

産科医じゃなくても、研修医だったら、
このくらい働いてる人もいますけどね(笑)

『研修医の労働時間』


以前からこのブログで書いている通り。
医師を増やして、医療費も増やす。
医師以外の医療従事者の数も増やす。


そしたら、医師患者にもっと時間をかけて
接する事もできますし。
医療ミスも減ります


そうなれば、桑江先生も言っている通り、
医師患者との信頼関係を築く事ができますから。

それこそが、日本の医療を崩壊から救う、
唯一の手段
なのではないでしょうか。


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医療裁判で真実明らかに?2

Dr. I / 2008.09.16 21:55 / 推薦数 : 4

『医療裁判で真実明らかに?1』
の続きです。

裁判っていうのは、医療裁判であれなんであれ、
合法的なけんか」ですからね、言い方を変えれば。

自分にとって都合の悪い事は証言しなくても良い、
という憲法でも認められた権利、「黙秘権」もあるし。

医療事故に遭われた方や遺族の方達って、
「何が起きたのか真実が知りたい」と言いますが。
現実問題としては、裁判をしても、
むしろわからない事が多い、というのが現状です。

それは、裁判というのはそういう「システム
なんだから、しょうがないんです。

そいで、桑江先生の話は、
医療とか、手術の歴史について。
それと、世界の分娩時の母体死亡率と、
日本の母体死亡率の比較


分娩で命を落とす母親は、世界の平均では250人に1人。
アフガニスタンでは10万分娩につき1900人

10万の分娩につき命を落とす母親は、
アフリカ全体では830人、アジアでは330人、
オセアニアでは240人、ヨーロッパでは24人
という数字であるが、日本では5~6人

日本は、スウェーデンと並び世界で最も安全に
分娩ができる国の1つなのだが、0人の国はない。


というのが、前半の話。
後半は、医療とはどういうものかっていう話で。

医療は、人間を器械を修理するように
治療するわけにはいかない。


人間は不完全であり、間違えることもあるが、
仕事が医療であるということと、
不完全な人間が医療を行うという現実は
変えることができない。

医療を仕事とした途端に、
神として振る舞うことを要求される。

その結果、医療崩壊が進んだ

という話でしたね。

そいじゃあ、今日は、その続きを書いていきましょうか。
いよいよ本題、「医療裁判」の話が出てきますよ。

 

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   「医療裁判で真実が明らかになるのか」
―対立を超えて・信頼に基づいた医療を再構築するためにー
    2008.8.30   都立府中病院産婦人科部長
             桑江千鶴子

 

(3) 産科医療について

今回の福島県立大野病院事件について、
結果無罪が確定したとはいえ、我々産科としては
これで問題が解決したわけではない。

もし有罪であったら産科医療崩壊
加速度がついた状態で手の打ちようがなくなったと思うが、
今しばし時間の猶予があるかもしれない、
という状態になっただけで本質は何も変わっていない

と現場の産婦人科医は考えている。

なぜ産科医療が特に医療崩壊
先頭をきっているかといえば、
分娩は急変するし予見が難しいからである。

しかも、新しい命を生み出すという、
人間にとってあるいは人生でも最も喜びに満ちた瞬間が
得られるという期待があり、その期待が
一瞬にして打ち砕かれるという残酷な結果があり、
しかも妊娠が許可されているような
若く健康である妊婦さんに起こる悲劇
であるので、
遺族の方にとっては容認できるような
状態ではないからである。

病気という認識がないし、分娩が危険であるという
認識も昨今では失われているから
である。
これは近代産科学が血のにじむような思いをして
作り上げた結果であるが、
分娩の安全神話」がまかり通ってしまったためでもある。

本来の分娩は冒頭に述べたように、
実に危険を伴うものであるが、日本では
10万人に5~6人位しか命を落とさず、
身近に感じるような危険では
なくなってしまったからでもある。

そうは言っても日本ですら交通事故で死亡する確率と
同じくらいである
ので、それほど少ないわけでもない。


いくら説明を尽くしても、家族が当初から
分娩が安全であると思っていれば、
結果が母体死亡である場合には、
医療ミスではなくても、
遺族に理解してもらうことは不可能に近い


誰かの責任にしなければやりきれない、
娘や妻を失った無念の思いは晴れないのであろう。

現在では、母体死亡はまず医療裁判になるので、
面倒なことにはかかわりたくないとして、
産科を志望する医学生は減り続け、
また基幹病院特に公的病院からのベテラン医師
中堅医師の現場からの兆散が止まらない。
今回の無罪確定をうけても
現実の産科医療崩壊は止まらないと思う

 
私が現場にとどまっている理由は、
自分では先輩達が血のにじむ思いをして取得してきた
産婦人科医療技術を次の世代に渡したいからである。

医療技術は失うのは簡単だが、
今後取得することはもうできないと思う

日本の産婦人科は、外科もそうだと思うが、
技術的には世界的に見ても優れたものを持っていて、
私たちは先輩から誇りを持って教わってきた。

子宮癌における岡林術式―広汎子宮全摘術、
日本で完成された骨盤位分娩を安全に
経膣的に行う方法、やはり日本の辻先生が完成された
様々な経膣的手術、その他多くの医療技術は、
長い年月をかけて訓練され、
自分でも努力して習得してきた。

多くの産婦人科医が臨床を離れていく現場で、
このような技術は急速に失われていくと思われる

もし将来的によい時代が来るとして、
細々とでも炎が残っていれば、オリンピックの聖火のように
また燃え上がる炎にすることができるかもしれないが、
一度消えてしまえば二度と火をおこすことはできないだろう、
という思いが私を現場に留まらせている。
多くの外科系医師が私と同じ思いであろうと想像する。
 

産科医療は、短時間に急変して
母子ともに危険な状態になることを
他科の医師にすら理解してもらうことが困難であるので、
医療事故になる割合が高く裁判になることが多くても
孤立しがちであったが、大野病院の事故については
多くの医師の同情と共感と危機意識の共有ができた
貴重な経験であったと思う。

今後も、踏みとどまっている現場の医師は、
より良い医療を提供するために積極的に議論し、
新しい医療体制を構築してゆきたいと考えているし、
このような医師がいる間に
議論が煮詰まってくれることを念じている。
しかし、それほど時間が残されているとは思えない。


(4)「何が起こったのか真実を知りたい」にこたえるために

医療事故が起きたと仮定すると、
家族がその場に居合わせるということが
日常的には行われておらず、
特に手術室の中であったりした場合には、
その状況を正確に家族に伝えることが
現実にはできていない、という問題がある。

医療裁判を起こす理由として、
「何が起きたのか真実を知りたい」
という家族の願いがある。

裁判は真実を裁判で明らかにしてくれるだろう、
あるいは明らかにしてくれるに違いない、
という家族の期待がある。
そして、家族の医療側への不信感として、
医師は嘘をついている、カルテの改ざんが行われている、
医療は口裏を合わせてかばい合っているに違いない、
といった感情があるし、現在は、
残念ながらそういった事実もあるであろう。

しかし、ここで冷静になって考えて欲しいのは、
「正直に何があったのか事実を話してほしい。
でも正直に話せば、罰を受けますよ。」

という状況で事実を話すということが、
人間の性(さが)として有り得るのか、ということだ。

有名なワシントンの桜の木の話は、
お父さんの大事にしていた桜の木を誤って切ってしまった、
という事実があって、正直に話したら怒られるだろうから
話したくなかったが、正直に話したら、
意外なことに褒められた、だから勇気を出して
本当のことを話せばいいことがありますよ、
ということだ。

後にアメリカの初代大統領になるくらいの人物であるから、
普通の子供ではなかったであろうが、
それでも結果がまずくいっているときに
正直に話すということはすごく勇気がいることだという
逸話があるくらい、何か結果が悪く出たのを
自分で知っていて、正直に話すということは
大変苦痛を伴うことである。

「褒められる」というご褒美があるかもしれないから、
正直に話しなさい、と逸話はいっているのである。
これがご褒美どころか、正直に話せば話すほど
自分が罰せられるという状況
で、
医療という仕事をしているの
(はあなたが悪いの)であるから、
そのような罰則付きであろうが、
逮捕され勾留されるかもしれないが、
正直に事実を話さなければならない

と言っているのが、現在の医療裁判の論理である。

これでは、我々医療は苦しくて仕方がない。
こんなつらい仕事はやめてしまおう、
と言って現場を離れているのである。

人間の性(さが)を理解しないで制度を作れば、
破たんするあるいはうまく機能しないことは目に見えている。

いざ裁判になれば、自分に不利になる事実は
話さなくても良い、ということで人権が守られているので
黙秘権」が適応されるし、
行使することも当たり前にできる。

医療といえども日本国民であること、
人権が守られている存在であることは
何人も否定しようのない事実であろうから、
医療裁判でも黙秘権は行使できる。

しかしそうした場合には、
「何が起こったのか真実を知りたい」という願いは
永遠にかなわないことになる。


人間性についての理解が共通認識でなければ、
深い溝はいつまでも埋まらない。

まず何よりも、そこで働いている人・
かかわったすべての人に事実を
ありのままに話してもらうことが絶対に必要だ
というのであれば、「事実を正直に話してもらう」ためには、
そうしたところで個人は不利な扱いを受けない

ということを共通理解としなければ無理だと思う。

目の前に鞭を持っていて「正直に話せば鞭で打ちますよ。」
と言っていたら、人間は弱い存在であるので、
誰も話しはしないだろう、という想像力を持ってほしいと思う。

おおむね日本以外の国ではそうした制度になっていることは、
理由があると考えて欲しい。
ここで問題にしなくてはならないのは、
医療事故」は本当にその個人だけの責任なのか、
ということである。個人を罰すれば解決するのか、
それが最終目的なのか、それが再発防止になるのか、
という点についても考える必要がある。

裁判という手段は個人を対象にするのであるから、
どうしても個人を裁かざるを得ないが、
それが最良の手段であるのか、ということだ。

事実を知ることは基本である。
その上で、なぜ起こったのかを皆で考えて、
再発防止をするためにはどうしたらいいかを考える、
という道筋において、まず事実を知るためには、
そうすることで個人は不利な扱いを受けない、
という大原則
を打ち立てて守らなければならない。

もし、そういうことが共通理解になったら、
誰もカルテを改ざんしたりはしないだろう。
嘘をつく必要も、お互いをかばいあう必要もなくなる。

客観的に事実を知ることだけが真に必要であれば、
事実を話さないということに対して
罰則を設ければよくなる。


事実を話さないほうが不利な扱いを受けるのであれば、
事実を話さざるをえなくなるだろう。
人間性としては、その方がはるかに自然だ。

医療への不信感が払拭されれば、
もっとずっと医療事故についても受け止めやすくなるし、
その結果として事実確認も容易になり、
補償についてあるいは再発防止の話し合いに
すぐ移れると思う。

患者家族の悲嘆や悲しみを受け止める機関は
必要だと思うが、そこには失われたものへの
悲しみはあっても、医療への不信感が生じなくなるだけ、
まだ前向きな気持ちになりやすいのではないだろうか。

かかわった医療も結果が悪くでれば
平静ではいられない。
人間であるし、もともとそういう病気と向き合おうとして
医療従事者になっているのである。

動揺し、悲嘆にくれているのは家族ばかりではなく、
医療もまた動揺し悲しみにくれているのである。
そういった経験がその後の仕事や
人生に及ぼす影響も無視できない。

医療もまた深く傷ついているのだ。
医療事故裁判をきっかけに、
それが有責になっても無責であっても、
臨床医を辞めてしまう医師は後をたたない

こうして貴重な人材が裁判のたびに失われていく。

不利な条件でも積極的に患者の命を救おうとした
医療者ほど、リスクのある治療を引き受けるので、
結果として医療事故にあいやすい。

したがって辞めていく医師は深く傷ついて居り、
臨床現場に戻ることはない。

これは大変な損失と言える。
一人の熟練した医師を育てるのには、
大学医学部を卒業してからも、10年以上かかる。

そう簡単に補充できるような状態ではない。
後に続く医師は、そうした現状を目の当たりに見るので、
同じ道には進もうとしない。

そうではなく、もし、共通した悲しみに向き合うことが
個人攻撃なくでき、医療裁判という手段で
解決するという道がなくなるのであれば、
再発防止や保障の話し合いも積極的に進み、
医療レベルの向上にもすぐ取りかかれると思う。
貴重な人材を失うことも少なくなるだろう。

それなのに双方を対立させ、感情的に憎ませ、
怒りを持続させ、裁判を行っている間の
長い間に繰り返し現場を再現させることで、
その感情的対立は否が応でも激しくなる。

医療事故が起きれば、医療も当然反省したり
後悔しているし、あの時にこうしていれば良かったかもしれない、
ということも当然考えている。

そうした思いから次により良い治療に
つなげることもできるかもしれないし、
どうしたら防げただろうか、という対策に
つながると思うが、裁判になれば、
勝つことを考えなければならず、
そういう前向きな対策よりも
目の前の裁判のことだけしか考えられなくなる。

裁判にかかわったことがある人であれば
理解してもらえると思うが、そのために費やすエネルギーは
膨大でしかも負のエネルギーである。

時間もかかる。できるだけ短時間で事実を明らかにして、
どうしてそういう事故が起きたのかを検証できれば、
次につながる状況が作れるのにと思うと、
現在の状況は実に残念と言わざるをえない。
医療裁判は、双方にとって良いことは何もない。

 
被害者感情としては、
「懲罰感情」「報復感情」があると思うが、
医療への憎しみや怒りを、その個人に
刑罰を与えるという最終目的に置き換える、
個人を罰するということが達成されるということで、
家族は本当に満足するのだろうか。

あるいはそれが唯一無二の慰められる方法なのだろうか。
医療への憎しみや怒り・懲罰感情・報復感情と
「真実を知りたい」・「再発を防止したい」ということと、
両方の願いを一度に満足させ成り立たせることはできない。

前者を徹底させれば、おそらく医療現場に残る人間は
だれ一人いなくなる。
なぜなら人間は、完全でもなく完璧でもなく
誤りを犯す存在だからである。
現在でも、外科系診療科現場から医師は撤退し、
残っている医師も手術を回避したり、
少しでも危ない治療や検査はやりたがらない
状態になっており、そういう意味では
医療内容的にも医療崩壊が進んでいる。

医師がいなくなるばかりではなく、
その内容的にも崩壊が進行している。
大局的にみてどういう方法が真に国民のためになり、
できるだけ安全な医療をどうしたら再構築できるのか、
感情的にならずに議論するべき
と考える。

医療の進歩について考えると、医療裁判
これだけ増加していて委縮医療が進んでいると、
あらかじめ評価の定まった治療法しか
提示できなくなるし、うまくいかなかった症例を
皆で共有して改善しようという動きも抑制される。

そういう事例を提示すること自体が危険であるので、
誰も提示しなくなる。
今もそのような動きが進行している。
つまり医療の進歩にも赤信号がともることになる。
その影響の大きさは、しばらく時がたたないと
目に見えるような形にはならないだろうが、
そうなったときには立て直すにも
大変な時間と労力が必要になる。

医療事故が起きた原因が医療提供体制に
問題があるのであれば、体制を改善しなければならない。

その責任は、その医療施設の設置者あるいは
医療制度を整えるべき立場にある国
にある。

改善すべきところは改善し、正さなければならないところは
正さなければならない。
ただ、その個人に問題があることも当然ありうるが、
その時には評価して研修する制度をつくるなり、
その個人がその仕事にふさわしいか、
免許剥奪を最終手段として、そういうことなどを
判断することが必要となる。

医療に従事するにあたり必要な免許を付与しているのは
国であるから、当然国が中心になってそういった体制を
整えるべきだと思うが、その時に判断する中心となるのは、
専門家集団がそれにあたることが必要だろう。

医師であれば医師、看護師であれば看護師、薬剤師、
検査技師、放射線技師、等々。
どうしても専門的判断が必要になるし、
専門外の人間には理解しがたい事例は
必ず存在する。
専門家集団が責任をもって、その人物に対しての
評価や行った医療行為に対する判断をくだすにあたり、
ここでまたお互いをかばいあうのではないか
ということが不信感を持っていれば考えられる。

しかし、私は徹底的な情報の開示、透明性の確保がなされれば
そういうことはできないだろうと思う

専門家の中でも良心的な人達というのは必ずいるので、
情報が開示されていれば、明らかにかばっていれば
他から見てもおかしいので、少なくてもその時の
医療レベルについて真摯な議論はできる。

議論の過程が公開されていれば、
透明性が確保されているので、プライバシーには
配慮するとしても、議論の質は落ちないだろうと思う。


医療としても自浄能力が問われる事態となっており、
全力を尽くして自浄能力があることを証明しなくてはならない。
今後、お互いの不信感を払拭して、不必要で傷つけあい、
真実を明らかにするには実に不毛な裁判を
避けることができるのであれば、自浄能力を
いかんなく発揮して、このような制度を構築することは、
真にやりがいのある施策となるであろう。

立法・行政・司法とも協力して、このような
誰にとっても有益な制度を構築するために、
医療あげて英知を尽くし、新しい制度を作るべきだと思う。
 
医療という自分の仕事を利用して、
故意に人を傷つけたり、死に至らしめたりすることは
明らかに犯罪であるので、今までの議論とは
一線を画さざるを得ない。

こういったことが疑われる場合には、
警察の捜査が必要であろうが、警察への通報を
誰が行うかという問題は残る。
家族がいきなり警察に通報するというのも不自然であり、
通常は医療施設に訴えて判断してもらったり、
調査してもらったりするのが普通であろう。

その上で「この事例は医療事故ではなく犯罪だろう」とか、
故意に傷つけたり死亡させたりした疑いがあるのであれば、
警察の捜査がはいることになるのが自然だろうし、
その際に警察に通報するのは、
医療施設が行うことになるのが、
家族が納得する経過だろうと思う。
ただし、この辺については、
まだ議論の余地があるであろう。

『桑江千鶴子先生より』


福島大野病院事件をきっかけに、
医師ブログやインターネット等を通して、
「お産は必ずしも安全なものではない」
という事が、かなり広まったし。
ここ1年くらいは、既存のマスコミなんかでも、
そういった報道が広く行われるようになったし。
一般の人達もそう思っているんじゃないかなー、
と思っていたのですが。

桑江先生のこの文章

>現在では、母体死亡はまず医療裁判になるので、

というのは、ちょっとショックでしたね。

「お産は安全なものではない」、
という事は、医療関係者だけではなく、
昭和初期とか大正生まれとかの人達にとっては、
むしろ当たり前の事だ、と思われてはいるようですが。

若い方にとっては、「お産は絶対に安全だ」
という意識の人達の方が多いのでしょうかねー。

「お産は絶対に安全なものではない」
という事は、今の時代であれば、
お産の前に必ず医師は妊婦さんや家族に
言っているのだとは思いますけど。
それでも、裁判になってしまうのですね。
非常に残念です。


医療事故被害者」という言葉がありますけど。
じゃあ、医師は加害者なのか
っていうと、そうではないんですよ。

あくまでも、病気で亡くなった患者さん
という場合も、非常に多いんですよ、実際は。

台風でも地震でも。
加害者がいなくても、人が亡くなる場合もあるでしょ

医療での被害者にも、加害者がいない。
という