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産科医の「過酷な勤務実態」が明らかに
―月295時間在院
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080930-00000005-cbn-soci
「産婦人科勤務医・在院時間調査」
産科医が病院にいる時間(在院時間)は月平均295時間で、
緊急時の電話対応のための待ち時間(オンコール時間)は
同144時間であることが、日本産科婦人科学会
(吉村泰典理事長)の調べで明らかになった。
同会では、「病院産婦人科医の在院時間が
非常に長いことが示され、いわゆる『過酷な勤務』の
実態の一端が数値として示された」として、
産科医の労働環境の改善を訴えている。
日本産科婦人科学会は9月29日、
「産婦人科勤務医・在院時間調査」の
第1回中間集計結果を発表した。
調査は、同会の「卒後研修指導施設」となっている
750病院などを対象に7月から8月にかけて実施。
一般病院に勤務する産科の常勤医163人のデータを
年齢、性別などに分類した上で、「在院時間」
「オンコール時間」「当直回数」などを分析した。
それによると、産科医の平均年齢は42.1歳で、女
性が占める割合は26%。一か月平均の在院時間
は295時間で、オンコール時間は144時間だった。
年齢別に見ると、在院時間が最も長いのは
30歳未満(328時間)で、次いで40-44歳(308時間)、
45-49歳(291時間)。
オンコール時間は、50-54歳(195時間)、
30-34歳(155時間)、45-49歳(148時間)などの順だった。
「在院時間」には、休憩時間、宿直時間、
時間外の診療時間などがすべて含まれ、
このうち時間外の診療時間は月平均117時間で、
当直回数は同4.1回。
当直回数は、あらかじめ定められた日に
当直した場合のみをカウントし、重症患者の対応などのために
臨時で泊まり込んだ場合は含んでいない。
同会によると、産科医の数が少ない病院で当直体制を取ると、
医師一人当たりの当直回数が多くなり、在院時間が長くなる。
また、オンコール体制の場合、帰宅後も
いつでも呼び出しに対応しなければならないため、
「その間は精神的緊張が持続する」としており、
「二十四時間体制」とも言える産科医の
過酷な勤務実態があらためて浮き彫りになった。
今回の集計では、オンコール時間が
月500時間以上の医師が4人、
200時間以上の医師が22人いたという。
今回の集計結果について同会では、
「病院産婦人科医の在院時間が非常に長いことが示され、
いわゆる『過酷な勤務』の実態の一端が
数値として示されたと思う。
また、その在院時間の長さは、医師の年齢によって
差が少ないことが分かった。
20歳代から40歳代後半まで、月間在院時間には
有意の差が認められなかった」としている。
その上で、「今後、さらにデータを集積するとともに、
勤務実態の施設間差を解析し、産婦人科勤務医の
勤務条件改善のための基礎的な検討を行っていく予定」
としている。
『2008年9月30日: 医療介護CBニュース』
産科医が病院にいる時間(在院時間)と。
緊急時の電話対応のための待ち時間(オンコール時間)。
合わせると、平均で
295時間+144時間=439時間ですか
1ヶ月で。
1ヶ月を30日とすると。
一日平均では、14.6時間ですね。
土日も合わせて。
待機の時間(オンコール)を除いて、
実際に病院で働いている時間でも月295時間。
労働基準法では、
週8時間x5日=40時間
という労働時間が基準で。
1ヶ月で時間外勤務の時間が80時間以上で3ヶ月。
1ヶ月でも100時間以上だと、
いわゆる「過労死の基準」ですね。
>時間外の診療時間は月平均117時間
平均で、過労死の診断基準超えていますね、完全に。
しかも、厳しい方の基準、一ヶ月だけでも「過労死」
と認定される、月100時間の方。
産科医をやっている限り、この労働時間は
基本的には続いていくわけですから。
1ヶ月、3ヶ月といわず、何年でも。
もう、完全に過労死一直線でしょうかね。
しかも、これには、いつ呼ばれるかどうかわかんない、
オンコール(待機時間)は全く含まれない時間です。
平均が月に117時間の時間外勤務。
土日を含めても、オンコール(待機)の時間は
一日に14.6時間。
これが、産科医の過酷な勤務実態です。
45-49歳っていったら。
普通の会社だったら、完管理職とか。
現場にはあまりタッチしない立場なんでしょうけど。
>45-49歳でも、一ヶ月の在院時間は291時間。
これが、産科医の勤務実態です。
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『医療裁判で真実明らかに?1』
『医療裁判で真実明らかに?2』
の続きです。
前回の分をまとめると。
なぜ産科医療が特に医療崩壊の
先頭をきっているかといえば、
分娩は急変するし予見が難しいからです。
しかも、妊娠が許可されているような
若く健康である妊婦さんに突然起こる悲劇なので、
遺族の方にとっては容認できるような
状態ではないんですよ。
分娩は危険を伴うものなのですが、
日本では10万人に5~6人位しか命を落とさず、
身近に感じるような危険ではなくなってしまって。
「分娩の安全神話」がまかり通ってしまった。
だから、いくら説明を尽くしても、家族が当初から
分娩が安全であると思っていれば、
結果が母体死亡である場合。
医療ミスではなくても、
遺族に理解してもらうことは不可能に近いんです。
しかも、現在では、母体死亡はまず医療裁判になるので
産科医を志望する医学生は減り続け、
ベテラン医師、中堅医師の現場からの兆散が止まらない。
そういった理由で、産科医療崩壊は起きている。
というのが前半の話。
で、後半は
医療事故が起きたとき、遺族は、
「何が起こったのか真実を知りたい」
と、医療裁判を起こすのですが。
「正直に何があったのか事実を話してほしい。
でも正直に話せば、罰を受けますよ。」
と言っているのが、現在の医療裁判の論理です。
でも裁判になれば、医者といえども、日本国民ですから。
「黙秘権」を行使することも当たり前にできます。
そしたら、「何が起こったのか真実を知りたい」
という願いは永遠にかなわないことになる、
という事もありえます。
そうではなくて、まず事実を知るためには、
そうすることで個人は不利な扱いを受けない、
という大原則を打ち立てて守らなければならない。
徹底的な情報の開示、透明性の確保がなされれば
医療者同士のかばいあい、はできないだろうし。
議論の質は落ちないだろうと思う。
医療界としても自浄能力が発揮されるだろう。
だから、そういう「新たな制度」を作る事が重要だ。
って話でしたね。
そいじゃあ、今日は更にその続きです。
応援もよろしくね!
「医療裁判で真実が明らかになるのか」
―対立を超えて・信頼に基づいた医療を再構築するためにー
2008.8.30 都立府中病院産婦人科部長
桑江千鶴子
(5)病院勤務医師の労働環境の改善が急務
およそ医師という職業が国家資格として
認められたのは日本では明治時代からであり、
それほど歴史があるわけではないが、
その当時は医師と言えば開業医を指していた。
しかも開業医は全員産婦人科医でもあり
分娩を扱っていた。
例えば今年生誕100年を数えるカナダの作家
ルーシー・モード・モンゴメリーが書いた
「赤毛のアン」には、アンの結婚相手の
ギルバートという医師が出てくるが、
彼は日常的にお産に呼ばれていて、
いつも疲れている。
また「風と共に去りぬ」は南北戦争さなかで
南部の敗戦が濃厚になったころの
アトランタという都市が舞台であるが、
主人公のスカーレットは、従妹のメラニーがお産になる
といって野外で傷病兵を治療している
医師を呼びに行っている。
約140年前のことであるが、
当時病院勤務医はいなかった。
その後、医療の中身も劇的に変化して
病院勤務医が出現して、その数も多くなり、
開業医と病院勤務医の比率も変化した。
たとえば産婦人科であれば現在は
病院勤務医のほうが多い。
病院で提供する医療と、開業医が提供する医療は
どの科でもそれぞれ異なるが、
その内容も年々変化している。
このような状態であるが、病院の医師定数は
旧態依然としていて少なく、
実際の医療行為の量に比して不足している。
医師以外の医療従事者も不足している。
家庭や地域での怪我や発熱などへの
初期治療対応能力の衰えや、
高齢者と同居しなくなったからなのか、
高齢者の知恵が活用されなくなった
などの理由があるとは思うが、
「些細なことでも何でも病院へ」という流れが生じた。
これほど多数の救急患者を診る状態になったのも
最近のことである。
であるから、医師の労働環境については、
以前とは全く異なっている。
しかし、勤務条件を改善する努力については
まったく行われてこなかった。
ヒポクラテスの誓いにあるように
「金銭的なことは求めないという意識」、
「医は仁術」
「貧しい患者からは報酬は受け取らない
赤ひげのような医師が理想」
という意識が、医師個人の経済的なことや
勤務条件について交渉したり
不満の声を上げるのを禁じてきた。
「白い巨塔」で描かれたような大学医局のあり方や、
大学教授の絶対的権威と存在のもとで、
研修中の医師は医局の駒として動かされ、
教授が決定した派遣先には異議を唱えないこと
という暗黙の了解のもとに、勤務条件の悪い
公的病院・自治体立病院にも派遣されてきた。
医師が、医局の奴隷のような状態に甘んじた結果として
地域の医療が維持されていたという側面はある。
大学教授や病院長など医師のトップクラスが、
病院勤務医や大学病院勤務医の勤務条件を
改善する方向に動いてくれることもなかった。
この状態が平成16年度からはじまった
「新臨床研修医制度」で壊れたために、
まず勤務条件の悪い病院から医師引き揚げとなり、
医師不足が明らかになった。
大学医局や教授の権威も落ちていたため、
医師が赴任したがらない病院から医師不足が
始まったということもいえる。
24時間365日の勤務を余儀なくされる
激務の産科・救急・麻酔・小児科などから、
真っ先に医師不足が露呈した。
医師側の事情だけではなく
患者側の意識の変化もある。
以前のような「パターナリズム」が支配する
医療の状況では、患者の権利を
主張することもできなかった。
患者の権利意識の向上は、アメリカから始まった
黒人や女性の解放をめざす
「市民運動」の流れをうけたものと考えられるが、
それ自体は大変喜ばしいことであると言える。
患者の「自己決定権」や「納得と同意」にもとづく
医療の提供については、医療の質の向上や
均質化にも貢献し良いことだと思う。
しかし、実際の臨床現場では、自己決定に慣れていない
患者に対して、医学的知識も乏しいために
説明にも時間がかかったり、本人の病気への理解が
困難であったりして、混乱しているところもある。
いろいろな意味で、現在は過渡期なのだと思う。
今後、良い方向への流れとなるような努力が
双方に必要だと認識している。
現実の病院勤務医の生活について述べたい。
ある基幹病院の産婦人科医員の時間外労働は
過労死ラインと言われる月に80時間の
約2倍の160時間を数える。
つまり時間内労働を含めると
月320時間在院していることになる。
1か月24時間×30日=720時間のうちの
320時間ということは、生きている時間のおよそ44%、
半分近くを病院で過ごしているということになる。
その中には一端帰宅しても、患者が急変したり、
救急手術のために再度呼び出される時間が含まれている。
が、救急手術に備えて自宅で待機する
「オンコール制度」というのがあって、
その時間は含まれていない。
待機時間を含めて拘束時間を計算すると、
人生の大部分の時間を仕事に費やしていることになる。
精神的な拘束感覚は、実際の勤務時間以上だが
時間数にはあらわれない。
これでは正常な人間の生活や、家庭生活は営めない。
特に日本では働く女性への支援が
他の諸外国に比べてかなり貧弱であるので、
女性医師は妊娠・出産を契機に現場にとどまることは困難だ。
これは労働基準法で定められた
週40時間労働の約2倍という長時間労働である。
もし労働基準法を順守するのであれば、
在院時間だけで計算すると医師数は少なくても2倍必要だ。
しかしそのうちの半分は夜の仕事であるので、
夜勤を考えて交代制にすれば、
医師数は2倍以上必要となる。
現在、その時間外労働のほとんどの部分は無報酬であって、
「ただ働き」である。
医長・部長といった管理的立場の医師も、
仕事内容は管理ではなく外来・手術等実際の
臨床をしているが、時間外労働への対価はなく
「名ばかり管理職」でもある。
現在の病院勤務医は労働時間やその仕事の質や
リスクに見合わない低賃金労働者である。
しかし病院経営は7割が赤字となっており、
特に自治体立病院では8割が赤字経営と言われていて
一般会計からの繰り入れをいれても
赤字であることも珍しくないし、
そのほとんどは人件費であるために、
医師数の増加も賃金改善もできない。
また逆に、労働実態に合わせて医師定数の増加を定めれば、
ほとんどの病院はそれだけの医師を確保できないために
廃院せざるを得ない。
したがって病院勤務医は、根本的に
勤務条件を改善することもできない。
しかもこれほどの長時間労働を低賃金で働いていても、
ひとつ医療事故があれば裁判にかけられて、
民事であれば多額の賠償金を支払わされるし、
刑事では逮捕・勾留される可能性がある。
これほど割に合わない仕事はないとして、
産科をはじめとする激務の病院勤務医が
職場を放棄しはじめたのが、医療崩壊の本質である。
すべてを今のままとして、医師だけに負担を強いる状態では、
過労のため集中力の低下が起こり、
ますます医療事故や医療過誤がおこりやすくなる。
また、医療側にも、医療事故を起こすのではないか
という不安やあるいは患者からのクレームの増加に対する
精神的負担も大きくあり、厳しい医療現場から
逃げ出してもいるし、うつ病などの病気で
働き続けられなくなっている医師も多い。
良質な医療を提供するためには、
まず提供側の人間は心身ともに健康でなければならないか、
あるいは健康を維持できるような
労働条件でなければならないだろう。
多くの病院勤務医が過労死をしたり、
過労のために自殺を余儀なくされたり、
うつ病になったりしている状態で、
どうして良質な医療提供ができるだろうか。
このような労働条件のもとで働いている医師に
一瞬のミスも許さないというのは、
あまりに過酷であるし、現実的でもない。
まず、勤務条件の改善と医師不足の改善をしてから
はじめて医療事故のないあるいは少ない職場が実現できる。
そのためには病院でしかできない治療や検査に関しては、
少なくても病院経営が成り立つような
保険点数を付与するべきである。
入院診療にも相応の対価を支払い、
十分な医療スタッフを確保できるようにするべきである。
医療費全体のパイを増やして、患者さんは安全で
安心な医療を受けられるように、医師は現場から
逃げ出さなくても済むように、そのための
人員配置ができるような診療報酬を設定するべきである。
これから日本は未曾有の高齢化社会に突入するが、
高齢者は自分が病気になった時に、
快適に過ごせるような環境を確保するためには、
できる人はそれなりの経済的負担をすると思う。
高齢になれば、お金儲けには関心が低くなり、
健康問題には関心が高くなる。
それなりの環境で安全で快適な医療を受けるためには、
負担をいとわない人も多くいるだろう。
医療費の高騰を防ぐというより産業として
育成すると考えれば良い面もある。
医療周辺で生じるサービスをビジネスチャンス
と考える人も出てくるだろう。
新たな雇用の創出もできるだろう。
国民は医療への投資は容認すると思う。
何と言っても健康が維持できなければ、
働くこともできないし、人生を楽しむこともできない。
病気になったらすべてを失ってしまうのではなく、
また健康を取り戻して働くことができれば、
税金も納めることもでき、国は潤うわけであろう。
医療費は抑制するばかりでなく、
サービス産業と考えて発展的にとらえるように
出来ないのか、発想の転換ができないのかと思う。
(6)最後に・・信頼に基づいた医療を再構築するために
どのような仕事でももちろんそうだと思うが、
とりわけ医療は医療提供者側と医療受給者側との
信頼関係がなければ成り立たず、
成果をあげることもできない。
しかるに現在のようなお互いに相手に対する
不信感に満ちている状態で、仕事をしてゆくことはできないし、
成果を上げることはできないだろう。
このような状態が続くことは、双方にとって
不幸で不利益以外の何物も生み出さないことは、
少し考えればわかることだ。
なぜこのような状況になったのかは別として、
対立を乗り越えるためには、
相手を理解できなければ乗り越えることもできないだろう。
医療提供者側の人間も医療受給者側になることもある。
医療受給者側の人間も、医療提供者が
身近にいることもあるだろう。
お互いを理解しあうことは不可能なのだろうか。
相手の立場に立って考えることはできないだろうか。
あるいは相互理解を阻むものは何なのか。
今まで考えてきた観点からの提案をしたいと思うが、
前提として以下のことが理解されなければならないと考える。
≪前提とする事項≫
「医療の歴史は試行錯誤であり、
歴史的に進歩してゆくものであるが、
現在もまたその途中である」
「日本の医療の世界の中での位置づけは、
低医療費・医師不足にもかかわらず
質量ともに世界のトップクラスの医療提供を実現している」
「低医療費の中身は、病院勤務医師や
看護師などの数が少なく、
総じて人件費が低額であることが大きい」
「人間は不完全な生き物であり、
常に完璧を要求しても実現できない。」
「個人の問題だけではなく、体制の問題にする必要がある。」
「真実を知ること・再発を防止することと
懲罰感情・報復感情とは両立しない」
「医療は本来障害的・致死的仕事であり、
それを不完全な人間が行うことが医療の本質そのものである」
「医療事故は起こした側も、受けた側同様に
悲嘆にくれ悲しんでおり、その後の人生や仕事も左右する。
悲しみを共有し、短時間に事実を知り、
対策を立てることが共通の利益である。」
「現在進行している医療崩壊を食い止めることは
国民的課題であるし、お互いの利益でもある」
「信頼関係を構築しなおさなければ、
満足のいく医療を受けたり提供することはできない」
≪具体的な提案について≫
「医療事故が起きたとして、事実を正直に話せるような
体制の実現―話すことが個人の不利にならないようにする」
「医療事故は死亡例のみならず、すべての事例を対象とする」
「話された事実に基づいた専門家集団による調査の施行と報告」
「この段階であまりに些細な事例は排除される可能性を含む」
「医療事故を受けた側の悲しみに共感し傾聴する機関の存在」
「専門家集団による調査経過・調査結果の開示。
その場合の透明性を確保する必要性」
「専門家集団の自浄能力の発揮・自律性の確保」
「再発防止策の提言と実現」
「犯罪との区別と警察の関与について」
「医療事故被害者への経済的補償」
「悪質あるいは高度過失事例を行った医療者の
評価と研修、免許の取扱について」
「立法・行政・司法との対等で真摯な協議の努力」
「医療提供者の健康被害の防止と
勤務環境の整備と待遇改善」
「病院経営の健全化とそれによる適正な人員配置」
「信頼関係の構築に向けての相互の努力」等
医療は提供者側と受給者側相互の
信頼関係に基づいた契約関係であるので、
現在のような不信感に満ちた関係では、
実際の行為の医療崩壊だけではなく、
信頼関係の崩壊がその本質になってしまうだろう。
何とかこれを払拭して、新しく愛情と英知に満ちた
医療制度を作り、後世に残さなければならない。
これから生まれてくる子供たちや、
育ってくる若い世代に向けて、医療提供者側と
医療受給者側、双方が100点満点ではなくても、
それなりに満足できる体制を再構築するために、
今後より一層努力してゆかなければならないと考える。
以上
『桑江千鶴子先生より』
医師の労働環境は、すごく悪い。
若手、中堅の平均的な医師であれば、
月に時間外労働80時間以上です。
この労働時間は、労働基準法でいえば、
過労死の基準のうちの一つだ。
という話は、何回かこのブログでも書いていますね。
しかも、この労働時間には、
「当直」は、入っていませんし。
緊急で何かあった場合に家で待機する時間も、
もちろん入っていません。
欧米では、待機時間や当直中で、寝ている時間も
労働時間に入れる、っていうのは当たり前なんですけどね。
しかも、医者の場合は、患者の命を扱いますし。
一回訴えられれば、数千万円、場合によっては一億円以上、
っていう訴訟のリスクもあります。
お産を扱っている産科医であれば、
訴訟リスクは、年間1000人に14人。
25歳で医者になって、このペースで40年やれば、
2人に1人は訴えられる、って計算ですね。
お産を扱う産科の医師の場合は。
ものすごい、訴訟リスクですよ、これ。
当然の事ながら、ストレスもすごいです。
日本は世界の中でも、自殺率がトップクラスの国です。
先進国の中ではトップで、
年間3万人の方が自殺で命を失っています。
自殺の動機・原因の一位、二位は、
「健康問題」、「生活苦、経済的理由」、
なんですけど。
医者の場合は、簡単に言うと、
「人の2倍働いて、人の2倍の給料」ですから。
経済的な理由で自殺する方は、ほとんどいません。
それなのに、医師の自殺率は、
他の職種の1.3倍も高いんですよ。
参照:『医師の自殺率は30%も高い』
いかに、医師という職業には「ストレス」がかかっているか。
これを見てもわかると思います。
>ある基幹病院の産婦人科医員の時間外労働は
過労死ラインと言われる月に80時間の
約2倍の160時間を数える。
産科は、医師の中でも労働時間長い科ですから。
若い産科医でも、この位働いている方は、
結構いるのでしょうけど。
これって、本来あってはいけない事だと思います。
長時間働いたら、ミスが多くなる。
っていう事は、明らかな事ですから。
患者の命を扱う医師を、医療ミスが出やすい状態にして、
そのまま何の改善策もとらない。
というのは、明らかに「政策のミス」、と言えると思います。
産科医じゃなくても、研修医だったら、
このくらい働いてる人もいますけどね(笑)
『研修医の労働時間』
以前からこのブログで書いている通り。
医師を増やして、医療費も増やす。
医師以外の医療従事者の数も増やす。
そしたら、医師は患者にもっと時間をかけて
接する事もできますし。
医療ミスも減ります。
そうなれば、桑江先生も言っている通り、
医師と患者との信頼関係を築く事ができますから。
それこそが、日本の医療を崩壊から救う、
唯一の手段なのではないでしょうか。
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→ 医療の限界
小松 秀樹 (著)
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医療裁判が、日本の医療崩壊の一因である。
という事は、以前からこのブログでも指摘していますが。
最近の医療裁判の中で、最も破壊力のあったのは、
皆さんご存じの「福島大野病院事件」でしょう。
福島大野病院事件は、ついこの間、
刑事事件での無罪は確定しましたが。
この事件で、加藤医師の逮捕により、
全国で産科医療の崩壊が加速しました。
医療崩壊を加速した医療裁判の東の横綱を
「福島大野病院事件」とすると、
西の横綱は、「加古川心筋梗塞事件」
ではないでしょうか。
「奈良大淀病院事件」っていうのも、
最近の医療崩壊を加速度的に進めたもんだけど。
あれは、医療裁判のせい、っていうよりは、
「医療報道」のせいですから。
個人的には、医療裁判の西の横綱は、
「加古川心筋梗塞事件」だと思っています。
私は、循環器内科医なので。
心臓や心筋梗塞は、専門なんですよ。
だから、「加古川心筋梗塞事件」に関しては、
このブログでも特に力を入れて書いてきました。
多分、Yosyan先生の「新小児科医のつぶやき」
と並んで、日本で一、二を争うくらい、
詳しく書いてきたと思います。
Yosyan先生は、今日も記事を書いていますね。
「日曜怒話」
偶然、内部関係者からコメントをいただいて、
判決文が出る前に、その時の詳細を知ることが出来て。
その時に書いた記事、
「加古川、心筋梗塞事件。衝撃の事実」
は、かなり反響が大きく。
その後の判決文と比較しても、この内部情報が
正しかった、という事は言えたと思います。
「加古川心筋梗塞事件、判決文」
「加古川心筋梗塞事件、判決文2」
加古川心筋梗塞事件っていうのは、簡単に言うと。
病院にも人手が少ない日曜日に、
胸が痛いって人が来て。
いろいろ検査したら、心筋梗塞らしい、
という事がわかったので。
循環器内科医もいない、心臓カテーテル検査、治療
もできない加古川市民病院では、対応できない。
それならば、他の病院に転送しよう。
という事で、近隣の5病院に電話をかけたけど、
なかなか転送先が決まらなくて。
転送先が決まるまでに、一時間ちょっとかかった。
その間に行った保存治療には、全く問題がなかった。
心筋梗塞と診断して、転送するまでに約一時間かかった。
心筋梗塞の診断後、転送まで一時間という時間は、
一般的な医療水準から考えると平均的な時間なので。
それに関しても、全く問題がない。
にも関わらず、いろんな病院に転送を依頼して、
結果的に転送が少し遅れて、その間に患者が亡くなった。
そしたら、全部病院の責任です。
という判決が出てしまったのですよ。
「医師が100人いれば99人は問題のない医療だ」、
と思われる医療行為をしたのに。
なかなか転送先が決まらなくて、
転送先が決まるまでに、一時間ちょっとかかった。
なのに、裁判では、ほぼ全て患者側の訴えが認められて、
病院側は完全敗訴して、賠償金を払った。
しかも、加古川市民病院(加古川市)は控訴をしなかったので、
この判決が確定してしまった。
というのが「加古川心筋梗塞事件」の概要です。
そんな判決が出てしまった後。
神戸新聞によると、やはり現場では救急医療に
支障が出ているようですね。
応援もよろしくね!
加古川市民病院、急患死亡で敗訴
現場に波紋今も
昨年四月に言い渡された一つの判決が
医療現場に波紋を広げている。
加古川市の加古川市民病院が、
心筋梗塞(しんきんこうそく)の急患に
適切な対応をせず死亡させたとして、
約三千九百万円の損害賠償を命じられた神戸地裁判決。
医師の手薄な休日の急患だったことから、
病院関係者は「医師不足の中で
患者を受け入れている現状を考慮していない」と反発。
救急患者の受け入れに慎重になる動きも出ている。
一方、医療訴訟に詳しい弁護士は
「過剰反応」と指摘する。
(東播支社・田中伸明)
「判決を理由に、救急患者の受け入れを
断る医療機関は多い」-。
姫路市消防局の担当者は打ち明ける。
以前は、専門的な治療ができなくても
重症患者を受け入れ、転送先が決まるまで
応急処置をしていた医療機関が、
受け入れに慎重になる例が目立つという。
姫路市では昨年十二月、十七病院から
受け入れを断られた救急患者が死亡した。
担当者は「判決が、救急事情悪化の
背景になったことは否めない」とする。
裁判は、心筋梗塞への専門的な治療体制を持たない
加古川市民病院の転送義務が争点になった。
二〇〇三年三月三十日、男性患者=当時(64)=が
息苦しさを訴え、以前かかっていた同病院を受診。
対応した医師は心筋梗塞を強く疑い、
血管を拡張するための点滴をしたが回復せず、
来院の約一時間半後に他病院へ転送依頼。
しかし、その後容体が悪化、死亡した。
遺族側は、重症の心筋梗塞には管状の
「カテーテル」を挿入する治療法が欠かせないと指摘。
この治療ができない同病院は、ほかの医療機関へ
男性を速やかに転送すべきだったのに、
その義務を怠った-と主張した。
一方、病院側は、当日は日曜で他病院の
受け入れ態勢も十分ではなく、病院間の
協力態勢も確立されていなかったなどとし、
早急な転送は困難だった-とした。
判決は、患者側の主張を全面的に認め、
訴額全額の支払いを命じた。
病院側は控訴しなかった。
◆
判決は、病院の勤務医らの反発を呼んだ。
交通事故の重症患者を受け入れている
姫路市内の病院の救急担当医は
「自分たちで対応できる状態かどうか、
受け入れてみないと分からない。
能力を超えた場合、近隣で転送先を探すのは難しい」
と強調する。
山間部の小規模病院の医師も
「専門的な治療体制がより求められるようになれば、
可能な限り患者を受け入れる
へき地の診療が成り立たなくなる」と話す。
近年の公立病院などでの医師不足は、
訴訟や刑事訴追の増加が一因とされる。
加古川市民病院の判決は、福島県立大野病院の
産婦人科医逮捕などと同様、医師向けのブログなどで
「不当」との批判が相次いでいる。
こうした動きに対し、患者の立場で
医療訴訟を多く手がけてきた泉公一弁護士は
「判決は、証拠に基づいた極めて妥当な内容。
医療側の過剰反応ではないか」と指摘する。
「医療現場の事情についても判決は
十分考慮した上で、病院側の過失を認定している。
内容を精査せず、患者との対立をあおるのは
医療不信を招く」と冷静な対応を求めている。
患者死亡までの経過
2003年3月30日正午ごろ
男性が息苦しさや嘔吐などを訴える
午後0時15分ごろ 加古川市民病院に自家用車で来院。
その後、心電図で心筋梗塞の疑い
同1時3分 血管拡張薬の点滴開始
同1時50分 高砂市民病院に転送受け入れ要請
同2時15分 同病院から受け入れ了承の連絡
同2時25分 救急車が到着
同2時30分 男性の容体が悪化し、心停止状態に
同3時36分 死亡確認
「神戸新聞 2008/09/20」
非常に残念な事なんですけど。
やむを得ないでしょうね、これは。
だって、
「医師が100人いれば99人は問題のない医療だ」、
と思われる医療行為をして。
一生懸命に患者を受け入れてくれる病院を探したのに、
見つかるまでに時間がかかったら、
裁判では、完全敗訴しちゃうんですよ。
それだったら、裁判で訴えられて負けないためには、
「救急医療を行わない」
「救急患者を受け入れない」
という事しか、出来ないでしょ。
>医療訴訟を多く手がけてきた泉公一弁護士は
「判決は、証拠に基づいた極めて妥当な内容。
医療側の過剰反応ではないか」と指摘する。
「医療現場の事情についても判決は
十分考慮した上で、病院側の過失を認定している。
内容を精査せず、患者との対立をあおるのは
医療不信を招く」と冷静な対応を求めている。
「じゃあ、どこまでの医療だったら大丈夫なんですか?」
って、この弁護士の先生に聞いてみたいですね、是非。
加古川心筋梗塞事件で、患者を受け入れた医師は、
外の病院から当直に来た、5年目の消化器内科医です。
この医師が行った治療は、
循環器内科医の立場で、後からみたら、
100点満点の治療ではないですよ、もちろん。
5年目の消化器内科医で、循環器専門の医師が
後からみても100点満点の治療が出来るなら、
そもそも、専門医の意味なんてないですからね。
循環器内科医が後からみても、合格点の治療。
という意味です。
そういう治療をして、医師が100人いたら、
99人は問題ないであろう、という治療をした。
そして患者を受け入れてくれる病院を見つけるまでに、
時間がかかった。
それで、裁判で訴えられて負けた訳ですから。
泉公一弁護士は、どういう治療なら
裁判で負けない、って言ってくれるのでしょうねー。
非常に興味があります。
病院を探すのに時間がかかったら、
それは病院とか医者の責任。
とでも言うんでしょうかねー。
>内容を精査せず、患者との対立をあおるのは
医療不信を招く
少なくとも、私は循環器内科が専門で、
判決文も何度も読み込んで。
専門家の目で精査したつもりですが。
読めば読むほど、納得がいかない判決ですよ、これ。
しかも、患者との対立をあおっている訳ではないですよ。
私を含め、多くの医師、医師ブロガーは。
むしろ、こんな判決の後に、
>医療側の過剰反応
という発言をしたら、医療側が医療裁判に
不信感を持つような気がしますけどねー。
あ、ちなみにこのブログは、医師(循環器内科医)
が書いている、いわゆる医師ブログですけど。
医師向けのブログではなく、一般人向けです。
大勢の医師にも読んでいただいていますけどね。
加古川心筋梗塞事件は、神戸新聞にも書いてある通り、
「不当判決」、「トンデモ判決」だと思いますが。
この裁判には医療側にも問題があります。
具体的には、こんなとんでもない判決が出ているのに、
控訴しなかった、加古川市民病院(加古川市)。
そのおかげで、こんなトンデモ判決が「確定」
しちゃいましたからね。
控訴して、高裁で覆ったのであれば、
こんな萎縮医療が起きなかった可能性もありますから。
加古川市民病院(加古川市)は、
神戸近辺の医療崩壊を招いた一因と言えるでしょう。
それと、福島大野病院事件でもそうだったんだけど。
加古川心筋梗塞事件でも、医師に過失はない。
って保険会社は言っているんですよ。
だって、医師100人いたら99人は過失無し。
っていう医療なんですからね。
だから、裁判になって賠償金を払え、
っていう判決が出ないと、保険金が出ない。
という事になっちゃっているんですね。
そういう、医療側の問題、というのも
この裁判でも問題になっているという面もあります。
こんな判決が出るようであれば、
今後も、医療裁判が原因の、
萎縮医療、防衛医療は進みますし。
それによって、日本の医療崩壊は進みます。
これは、対立をあおっている訳でも何でもなく、
「事実」です。
この裁判官がいかに医療の事をわかっていなくて、
むちゃくちゃな論理展開をしているのか。
っていうのは、
循環器専門医が内容を精査して書いた記事。
「加古川心筋梗塞事件、判決文3」
「加古川心筋梗塞事件、判決文4」
これを読めばわかりますから。
是非読んでみて下さいね!
医学用語の解説については、
「加古川、心筋梗塞事件」
「加古川、心筋梗塞事件2」
なんかも読んで、参考にしてね!
心筋梗塞になりたくない人は、
これを読んで予防してね!
→ 「日本一わかりやすい!「糖尿病」
→ 日本一わかりやすい!「高血圧」
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落雷事故で3億円賠償命令
って判決が9月17日にでましたけど。
落雷という自然災害で障害を負ったのに、
あたかも個人のせいで被害者になりました、って。
医療裁判とそっくりですね、この構図。
医療の問題と同じ様な事が、
学校でも起こっているんですねー。
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→ 人気ブログランキング
落雷事故で3億円賠償命令
=「回避可能」、高校などに
-差し戻し審で高松高裁
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080917-00000092-jij-soci
大阪府高槻市で1996年8月、
サッカー大会の試合中に落雷に遭い、
重度の障害を負った私立土佐高校(高知市)の
元生徒北村光寿さん(28)と家族が、
同校と大会を主催した高槻市体育協会に
約6億5000万円の損害賠償を求めた訴訟の
差し戻し控訴審判決が17日、高松高裁であった。
矢延正平裁判長は「引率教諭らは落雷事故を回避できた」
として、同校などに総額3億円余の支払いを命じた。
矢延裁判長は「落雷は予見可能で、注意義務を怠り、
回避のための措置を取らず事故に遭わせた過失がある」
とした。
落雷事故で学校側の責任を認めた判決は初めて。
落雷の安全対策として裁判長は、
4メートル以上の高い物体の頂上を
45度以上の角度で見上げる「保護範囲」の
中に入ることが一般に知られていたと指摘。
その上で、グラウンド周囲には10~11メートル間隔で
高さ8メートルのコンクリート柱があったとして、
「直撃に遭う危険性は軽減されることが明らか」
と述べた。
さらに、教諭らが生徒を避難させたり、
試合の開始延期を申し入れたりすれば、
事故は回避できたと認定。
同協会についても「主催者として責任を負う」とした。
『2008年9月17日:時事通信』
明らかにこれ。
落雷で重度の障害を負ったんでしょ。
『医療裁判で真実明らかに?2』
でも書いた事だけど。
台風でも地震でも。
加害者がいなくても、人が亡くなる場合もあるんですよ。
もちろん、落雷でも。
医療であれば、加害者がいなくても、
患者さんは病気で亡くなる事もあります。
たしかに、亡くなったり、重度の後遺症が残った方は、
とてもかわいそうだと思いますよ。
それに対しては、なんらかの補償があっても
良いとは思います。
ただ、それを無理矢理個人の責任にして、
「加害者」という烙印を押して、
その人とか団体に賠償金を払わす。
という事は、おかしいと思います。
自然災害の被害者が十分な補償が受けられなくて、
かわいそうだ。
というのは、国が自然災害の被害者に十分な補償をする
「システム(制度)」がないからなんじゃないですか?
国が自然災害に対して被害を受けた方に
十分な補償をするシステム(制度)を作らなかった、
国の不作為。
これが問題なんじゃないですか。
今回の件であれば、教員個人とか。
学校や主催者のせいじゃないでしょ。
明らかに。
>落雷の安全対策として裁判長は、
4メートル以上の高い物体の頂上を
45度以上の角度で見上げる「保護範囲」の中に
入ることが一般に知られていたと
ホントですか、これ。
この裁判長は、12年前に
この事知っていたんですか?
周りの人も、みんな知ってたんですか?
こんな事を、12年前に知っていて。
かつ、実際の現場で個人の判断で
臨機応援に集団を全員、そういう所まで
非難させる事ができる人がいたんですか。
完全に、「後付け」でしょ、こんなもん。
医療裁判で言う「後出しジャンケン」ですよ。
被害者は確かにかわいそうです。
でも、裁判所っていうのは、
「かわいそうだから」って
感情で相手にお金を払え、
って命ずる所じゃないでしょ。
最高裁が落雷事故の予見可能性を認定して、
高裁に差し戻した裁判なんですけど、これ。
最高裁が、単なる感情で物を決める所で良いんですか?
これが認められるんであれば。
落雷警報が発令されたら、
学校は全部休校しなきゃいけないですねー。
だって、家から学校に行く時に、全ての道が、
4メートル以上の高い物体の頂上を
45度以上の角度で見上げる
「保護範囲」の中に入ってはいないでしょ。
落雷警報が出ていれば、「保護範囲」以外では、
落雷にあう可能性は予見出来ますから。
学校に行く途中に落雷で
被害にあった人がいたら、
落雷を回避する注意義務を果たさなかった、
学校の責任です。
会社でも、落雷警報があったのに、
出社禁止の命令を出さないで、
落雷で被害にあう社員がいたら。
その会社は、訴えられて
3億円払わないといけません。
もちろん、落雷警報だけでなく、
台風や津波でも同じですよ。
被害にあう可能性が予見できるんですから。
警報が出たら、日本という国では、
全員外に出てはいけません。
という国になっちゃいますかねー。
この国は。
いつも学校が休校になって、
うちの息子が受験に受からなかったのは、
こんな判決を出した裁判官の責任だ。
って自分が訴えられたら、
ちょっとは考え直すのかなー。
この裁判官。
「被害者がかわいそうだ」
というのであれば、国がその被害者に
十分に補償する「システム(制度)を作る」
って事が必要なんで。
無理矢理、加害者を作って、
個人や団体に責任取って貰って、金を払わせる。
というのは、おかしいと思います。
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『医療裁判で真実明らかに?1』
の続きです。
裁判っていうのは、医療裁判であれなんであれ、
「合法的なけんか」ですからね、言い方を変えれば。
自分にとって都合の悪い事は証言しなくても良い、
という憲法でも認められた権利、「黙秘権」もあるし。
医療事故に遭われた方や遺族の方達って、
「何が起きたのか真実が知りたい」と言いますが。
現実問題としては、裁判をしても、
むしろわからない事が多い、というのが現状です。
それは、裁判というのはそういう「システム」
なんだから、しょうがないんです。
そいで、桑江先生の話は、
医療とか、手術の歴史について。
それと、世界の分娩時の母体死亡率と、
日本の母体死亡率の比較。
分娩で命を落とす母親は、世界の平均では250人に1人。
アフガニスタンでは10万分娩につき1900人。
10万の分娩につき命を落とす母親は、
アフリカ全体では830人、アジアでは330人、
オセアニアでは240人、ヨーロッパでは24人
という数字であるが、日本では5~6人。
日本は、スウェーデンと並び世界で最も安全に
分娩ができる国の1つなのだが、0人の国はない。
というのが、前半の話。
後半は、医療とはどういうものかっていう話で。
医療は、人間を器械を修理するように
治療するわけにはいかない。
人間は不完全であり、間違えることもあるが、
仕事が医療であるということと、
不完全な人間が医療を行うという現実は
変えることができない。
医療を仕事とした途端に、
神として振る舞うことを要求される。
その結果、医療崩壊が進んだ。
という話でしたね。
そいじゃあ、今日は、その続きを書いていきましょうか。
いよいよ本題、「医療裁判」の話が出てきますよ。
本文の前に、応援もよろしくね!
「医療裁判で真実が明らかになるのか」
―対立を超えて・信頼に基づいた医療を再構築するためにー
2008.8.30 都立府中病院産婦人科部長
桑江千鶴子
(3) 産科医療について
今回の福島県立大野病院事件について、
結果無罪が確定したとはいえ、我々産科医としては
これで問題が解決したわけではない。
もし有罪であったら産科医療崩壊は
加速度がついた状態で手の打ちようがなくなったと思うが、
今しばし時間の猶予があるかもしれない、
という状態になっただけで本質は何も変わっていない、
と現場の産婦人科医は考えている。
なぜ産科医療が特に医療崩壊の
先頭をきっているかといえば、
分娩は急変するし予見が難しいからである。
しかも、新しい命を生み出すという、
人間にとってあるいは人生でも最も喜びに満ちた瞬間が
得られるという期待があり、その期待が
一瞬にして打ち砕かれるという残酷な結果があり、
しかも妊娠が許可されているような
若く健康である妊婦さんに起こる悲劇であるので、
遺族の方にとっては容認できるような
状態ではないからである。
病気という認識がないし、分娩が危険であるという
認識も昨今では失われているからである。
これは近代産科学が血のにじむような思いをして
作り上げた結果であるが、
「分娩の安全神話」がまかり通ってしまったためでもある。
本来の分娩は冒頭に述べたように、
実に危険を伴うものであるが、日本では
10万人に5~6人位しか命を落とさず、
身近に感じるような危険では
なくなってしまったからでもある。
そうは言っても日本ですら交通事故で死亡する確率と
同じくらいであるので、それほど少ないわけでもない。
いくら説明を尽くしても、家族が当初から
分娩が安全であると思っていれば、
結果が母体死亡である場合には、
医療ミスではなくても、
遺族に理解してもらうことは不可能に近い。
誰かの責任にしなければやりきれない、
娘や妻を失った無念の思いは晴れないのであろう。
現在では、母体死亡はまず医療裁判になるので、
面倒なことにはかかわりたくないとして、
産科医を志望する医学生は減り続け、
また基幹病院特に公的病院からのベテラン医師、
中堅医師の現場からの兆散が止まらない。
今回の無罪確定をうけても
現実の産科医療崩壊は止まらないと思う。
私が現場にとどまっている理由は、
自分では先輩達が血のにじむ思いをして取得してきた
産婦人科医療技術を次の世代に渡したいからである。
医療技術は失うのは簡単だが、
今後取得することはもうできないと思う。
日本の産婦人科は、外科もそうだと思うが、
技術的には世界的に見ても優れたものを持っていて、
私たちは先輩から誇りを持って教わってきた。
子宮癌における岡林術式―広汎子宮全摘術、
日本で完成された骨盤位分娩を安全に
経膣的に行う方法、やはり日本の辻先生が完成された
様々な経膣的手術、その他多くの医療技術は、
長い年月をかけて訓練され、
自分でも努力して習得してきた。
多くの産婦人科医が臨床を離れていく現場で、
このような技術は急速に失われていくと思われる。
もし将来的によい時代が来るとして、
細々とでも炎が残っていれば、オリンピックの聖火のように
また燃え上がる炎にすることができるかもしれないが、
一度消えてしまえば二度と火をおこすことはできないだろう、
という思いが私を現場に留まらせている。
多くの外科系医師が私と同じ思いであろうと想像する。
産科医療は、短時間に急変して
母子ともに危険な状態になることを
他科の医師にすら理解してもらうことが困難であるので、
医療事故になる割合が高く裁判になることが多くても
孤立しがちであったが、大野病院の事故については
多くの医師の同情と共感と危機意識の共有ができた
貴重な経験であったと思う。
今後も、踏みとどまっている現場の医師は、
より良い医療を提供するために積極的に議論し、
新しい医療体制を構築してゆきたいと考えているし、
このような医師がいる間に
議論が煮詰まってくれることを念じている。
しかし、それほど時間が残されているとは思えない。
(4)「何が起こったのか真実を知りたい」にこたえるために
医療事故が起きたと仮定すると、
家族がその場に居合わせるということが
日常的には行われておらず、
特に手術室の中であったりした場合には、
その状況を正確に家族に伝えることが
現実にはできていない、という問題がある。
医療裁判を起こす理由として、
「何が起きたのか真実を知りたい」
という家族の願いがある。
裁判所は真実を裁判で明らかにしてくれるだろう、
あるいは明らかにしてくれるに違いない、
という家族の期待がある。
そして、家族の医療側への不信感として、
医師は嘘をついている、カルテの改ざんが行われている、
医療者は口裏を合わせてかばい合っているに違いない、
といった感情があるし、現在は、
残念ながらそういった事実もあるであろう。
しかし、ここで冷静になって考えて欲しいのは、
「正直に何があったのか事実を話してほしい。
でも正直に話せば、罰を受けますよ。」
という状況で事実を話すということが、
人間の性(さが)として有り得るのか、ということだ。
有名なワシントンの桜の木の話は、
お父さんの大事にしていた桜の木を誤って切ってしまった、
という事実があって、正直に話したら怒られるだろうから
話したくなかったが、正直に話したら、
意外なことに褒められた、だから勇気を出して
本当のことを話せばいいことがありますよ、
ということだ。
後にアメリカの初代大統領になるくらいの人物であるから、
普通の子供ではなかったであろうが、
それでも結果がまずくいっているときに
正直に話すということはすごく勇気がいることだという
逸話があるくらい、何か結果が悪く出たのを
自分で知っていて、正直に話すということは
大変苦痛を伴うことである。
「褒められる」というご褒美があるかもしれないから、
正直に話しなさい、と逸話はいっているのである。
これがご褒美どころか、正直に話せば話すほど
自分が罰せられるという状況で、
医療という仕事をしているの
(はあなたが悪いの)であるから、
そのような罰則付きであろうが、
逮捕され勾留されるかもしれないが、
正直に事実を話さなければならない、
と言っているのが、現在の医療裁判の論理である。
これでは、我々医療者は苦しくて仕方がない。
こんなつらい仕事はやめてしまおう、
と言って現場を離れているのである。
人間の性(さが)を理解しないで制度を作れば、
破たんするあるいはうまく機能しないことは目に見えている。
いざ裁判になれば、自分に不利になる事実は
話さなくても良い、ということで人権が守られているので
「黙秘権」が適応されるし、
行使することも当たり前にできる。
医療者といえども日本国民であること、
人権が守られている存在であることは
何人も否定しようのない事実であろうから、
医療裁判でも黙秘権は行使できる。
しかしそうした場合には、
「何が起こったのか真実を知りたい」という願いは
永遠にかなわないことになる。
人間性についての理解が共通認識でなければ、
深い溝はいつまでも埋まらない。
まず何よりも、そこで働いている人・
かかわったすべての人に事実を
ありのままに話してもらうことが絶対に必要だ
というのであれば、「事実を正直に話してもらう」ためには、
そうしたところで個人は不利な扱いを受けない、
ということを共通理解としなければ無理だと思う。
目の前に鞭を持っていて「正直に話せば鞭で打ちますよ。」
と言っていたら、人間は弱い存在であるので、
誰も話しはしないだろう、という想像力を持ってほしいと思う。
おおむね日本以外の国ではそうした制度になっていることは、
理由があると考えて欲しい。
ここで問題にしなくてはならないのは、
「医療事故」は本当にその個人だけの責任なのか、
ということである。個人を罰すれば解決するのか、
それが最終目的なのか、それが再発防止になるのか、
という点についても考える必要がある。
裁判という手段は個人を対象にするのであるから、
どうしても個人を裁かざるを得ないが、
それが最良の手段であるのか、ということだ。
事実を知ることは基本である。
その上で、なぜ起こったのかを皆で考えて、
再発防止をするためにはどうしたらいいかを考える、
という道筋において、まず事実を知るためには、
そうすることで個人は不利な扱いを受けない、
という大原則を打ち立てて守らなければならない。
もし、そういうことが共通理解になったら、
誰もカルテを改ざんしたりはしないだろう。
嘘をつく必要も、お互いをかばいあう必要もなくなる。
客観的に事実を知ることだけが真に必要であれば、
事実を話さないということに対して
罰則を設ければよくなる。
事実を話さないほうが不利な扱いを受けるのであれば、
事実を話さざるをえなくなるだろう。
人間性としては、その方がはるかに自然だ。
医療者への不信感が払拭されれば、
もっとずっと医療事故についても受け止めやすくなるし、
その結果として事実確認も容易になり、
補償についてあるいは再発防止の話し合いに
すぐ移れると思う。
患者家族の悲嘆や悲しみを受け止める機関は
必要だと思うが、そこには失われたものへの
悲しみはあっても、医療者への不信感が生じなくなるだけ、
まだ前向きな気持ちになりやすいのではないだろうか。
かかわった医療者も結果が悪くでれば
平静ではいられない。
人間であるし、もともとそういう病気と向き合おうとして
医療従事者になっているのである。
動揺し、悲嘆にくれているのは家族ばかりではなく、
医療者もまた動揺し悲しみにくれているのである。
そういった経験がその後の仕事や
人生に及ぼす影響も無視できない。
医療者もまた深く傷ついているのだ。
医療事故や裁判をきっかけに、
それが有責になっても無責であっても、
臨床医を辞めてしまう医師は後をたたない。
こうして貴重な人材が裁判のたびに失われていく。
不利な条件でも積極的に患者の命を救おうとした
医療者ほど、リスクのある治療を引き受けるので、
結果として医療事故にあいやすい。
したがって辞めていく医師は深く傷ついて居り、
臨床現場に戻ることはない。
これは大変な損失と言える。
一人の熟練した医師を育てるのには、
大学医学部を卒業してからも、10年以上かかる。
そう簡単に補充できるような状態ではない。
後に続く医師は、そうした現状を目の当たりに見るので、
同じ道には進もうとしない。
そうではなく、もし、共通した悲しみに向き合うことが
個人攻撃なくでき、医療裁判という手段で
解決するという道がなくなるのであれば、
再発防止や保障の話し合いも積極的に進み、
医療レベルの向上にもすぐ取りかかれると思う。
貴重な人材を失うことも少なくなるだろう。
それなのに双方を対立させ、感情的に憎ませ、
怒りを持続させ、裁判を行っている間の
長い間に繰り返し現場を再現させることで、
その感情的対立は否が応でも激しくなる。
医療事故が起きれば、医療側も当然反省したり
後悔しているし、あの時にこうしていれば良かったかもしれない、
ということも当然考えている。
そうした思いから次により良い治療に
つなげることもできるかもしれないし、
どうしたら防げただろうか、という対策に
つながると思うが、裁判になれば、
勝つことを考えなければならず、
そういう前向きな対策よりも
目の前の裁判のことだけしか考えられなくなる。
裁判にかかわったことがある人であれば
理解してもらえると思うが、そのために費やすエネルギーは
膨大でしかも負のエネルギーである。
時間もかかる。できるだけ短時間で事実を明らかにして、
どうしてそういう事故が起きたのかを検証できれば、
次につながる状況が作れるのにと思うと、
現在の状況は実に残念と言わざるをえない。
医療裁判は、双方にとって良いことは何もない。
被害者感情としては、
「懲罰感情」「報復感情」があると思うが、
医療者への憎しみや怒りを、その個人に
刑罰を与えるという最終目的に置き換える、
個人を罰するということが達成されるということで、
家族は本当に満足するのだろうか。
あるいはそれが唯一無二の慰められる方法なのだろうか。
医療者への憎しみや怒り・懲罰感情・報復感情と
「真実を知りたい」・「再発を防止したい」ということと、
両方の願いを一度に満足させ成り立たせることはできない。
前者を徹底させれば、おそらく医療現場に残る人間は
だれ一人いなくなる。
なぜなら人間は、完全でもなく完璧でもなく
誤りを犯す存在だからである。
現在でも、外科系診療科現場から医師は撤退し、
残っている医師も手術を回避したり、
少しでも危ない治療や検査はやりたがらない
状態になっており、そういう意味では
医療内容的にも医療崩壊が進んでいる。
医師がいなくなるばかりではなく、
その内容的にも崩壊が進行している。
大局的にみてどういう方法が真に国民のためになり、
できるだけ安全な医療をどうしたら再構築できるのか、
感情的にならずに議論するべきと考える。
医療の進歩について考えると、医療裁判が
これだけ増加していて委縮医療が進んでいると、
あらかじめ評価の定まった治療法しか
提示できなくなるし、うまくいかなかった症例を
皆で共有して改善しようという動きも抑制される。
そういう事例を提示すること自体が危険であるので、
誰も提示しなくなる。
今もそのような動きが進行している。
つまり医療の進歩にも赤信号がともることになる。
その影響の大きさは、しばらく時がたたないと
目に見えるような形にはならないだろうが、
そうなったときには立て直すにも
大変な時間と労力が必要になる。
医療事故が起きた原因が医療提供体制に
問題があるのであれば、体制を改善しなければならない。
その責任は、その医療施設の設置者あるいは
医療制度を整えるべき立場にある国にある。
改善すべきところは改善し、正さなければならないところは
正さなければならない。
ただ、その個人に問題があることも当然ありうるが、
その時には評価して研修する制度をつくるなり、
その個人がその仕事にふさわしいか、
免許剥奪を最終手段として、そういうことなどを
判断することが必要となる。
医療に従事するにあたり必要な免許を付与しているのは
国であるから、当然国が中心になってそういった体制を
整えるべきだと思うが、その時に判断する中心となるのは、
専門家集団がそれにあたることが必要だろう。
医師であれば医師、看護師であれば看護師、薬剤師、
検査技師、放射線技師、等々。
どうしても専門的判断が必要になるし、
専門外の人間には理解しがたい事例は
必ず存在する。
専門家集団が責任をもって、その人物に対しての
評価や行った医療行為に対する判断をくだすにあたり、
ここでまたお互いをかばいあうのではないか
ということが不信感を持っていれば考えられる。
しかし、私は徹底的な情報の開示、透明性の確保がなされれば
そういうことはできないだろうと思う。
専門家の中でも良心的な人達というのは必ずいるので、
情報が開示されていれば、明らかにかばっていれば
他から見てもおかしいので、少なくてもその時の
医療レベルについて真摯な議論はできる。
議論の過程が公開されていれば、
透明性が確保されているので、プライバシーには
配慮するとしても、議論の質は落ちないだろうと思う。
医療界としても自浄能力が問われる事態となっており、
全力を尽くして自浄能力があることを証明しなくてはならない。
今後、お互いの不信感を払拭して、不必要で傷つけあい、
真実を明らかにするには実に不毛な裁判を
避けることができるのであれば、自浄能力を
いかんなく発揮して、このような制度を構築することは、
真にやりがいのある施策となるであろう。
立法・行政・司法とも協力して、このような
誰にとっても有益な制度を構築するために、
医療界あげて英知を尽くし、新しい制度を作るべきだと思う。
医療という自分の仕事を利用して、
故意に人を傷つけたり、死に至らしめたりすることは
明らかに犯罪であるので、今までの議論とは
一線を画さざるを得ない。
こういったことが疑われる場合には、
警察の捜査が必要であろうが、警察への通報を
誰が行うかという問題は残る。
家族がいきなり警察に通報するというのも不自然であり、
通常は医療施設に訴えて判断してもらったり、
調査してもらったりするのが普通であろう。
その上で「この事例は医療事故ではなく犯罪だろう」とか、
故意に傷つけたり死亡させたりした疑いがあるのであれば、
警察の捜査がはいることになるのが自然だろうし、
その際に警察に通報するのは、
医療施設が行うことになるのが、
家族が納得する経過だろうと思う。
ただし、この辺については、
まだ議論の余地があるであろう。
『桑江千鶴子先生より』
福島大野病院事件をきっかけに、
医師ブログやインターネット等を通して、
「お産は必ずしも安全なものではない」
という事が、かなり広まったし。
ここ1年くらいは、既存のマスコミなんかでも、
そういった報道が広く行われるようになったし。
一般の人達もそう思っているんじゃないかなー、
と思っていたのですが。
桑江先生のこの文章
>現在では、母体死亡はまず医療裁判になるので、
というのは、ちょっとショックでしたね。
「お産は安全なものではない」、
という事は、医療関係者だけではなく、
昭和初期とか大正生まれとかの人達にとっては、
むしろ当たり前の事だ、と思われてはいるようですが。
若い方にとっては、「お産は絶対に安全だ」
という意識の人達の方が多いのでしょうかねー。
「お産は絶対に安全なものではない」
という事は、今の時代であれば、
お産の前に必ず医師は妊婦さんや家族に
言っているのだとは思いますけど。
それでも、裁判になってしまうのですね。
非常に残念です。
「医療事故被害者」という言葉がありますけど。
じゃあ、医師は加害者なのか。
っていうと、そうではないんですよ。
あくまでも、病気で亡くなった患者さん。
という場合も、非常に多いんですよ、実際は。
台風でも地震でも。
加害者がいなくても、人が亡くなる場合もあるでしょ。
医療での被害者にも、加害者がいない。
という場合も、あるんですよ。
というか、加害者がいない場合も、
相当たくさんあると思います。
お産の場合は、亡くなる方が健康で
若い方が多いですから。
亡くなって残念だ、という考えも非常に良くわかるのですが。
医者や病院が悪くなくても、患者さんが
亡くなる場合も多いのですからね。
そういう時に、遺族の方から