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小児科医、中原医師の過労死を認め勝訴の記事で、
労災と東京地裁で認定された、故中原利郎医師の奥さん、
中原のり子氏の談話がありました。
裁判の判決が出る前と、後のものですが。
ちょっとそれを抜粋させてもらいますね。
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妻・中原のり子氏が語る遺族の想い
1999年8月16日、小児科医の中原利郎氏(44歳)が
勤務先の病院屋上から投身自殺した。
その死が小児医療という業務に起因する過労死であり、
小児医療の現状を改善していくことを目指して、
遺族は裁判を提起していた。
8月16日のあの朝、病院からの電話を受けたときは、
夫に何かあったと直感しました。
脳卒中か、心臓発作かと。
しかし病院に駆けつけて自死と聞き、
「あり得ないこと」だと思いました。
確かに、つらそうな様子ではありましたが、
まさか自死するような、おろかな人ではないと信じていました。
実は、夫婦の間では、病院勤務を辞めて開業すると決めていて、
その朝も「今日こそ、辞めることを事務の方に伝えてほしい」
と夫を送り出していたのです。
その年の1月末に小児科部長が定年退職し、
後任に夫が昇格しました。
そして3月末に2人の医師が退職し、
6人在籍していた小児科常勤医が3人になっていました。
そのため夫は、3月には8回の当直をこなし、
当直明けの休みも1回も取っていませんでした。
5月には常勤医が1人、補充されましたが、疲れきっていました。
当時は労働災害がどういうものなのか詳しくは知りませんでしたが、
夫の死は業務によるものであり「これは労災なんだ」と強く思いました。
そして1週間後には弁護士事務所に駆け込んだのです。
実際、労災保険法に基づく遺族補償給付を
新宿労働基準監督署に申請したのは、
夫の死から2年以上たった2001年9月。
なぜ2年以上たってしまったかというと、
まずは私と子供の生活基盤を整えなければならなかったからです。
ただ、その間も毎月、弁護士事務所には足を運んでいました。
その労災申請の前に、夫が勤務していた病院に、
書類への押印を依頼しに行きました。
しかし病院側に押印を拒否されたのです。
その理由を尋ねると「詐欺罪に関与したくないから」との答えでした。
労災認定が詐欺だと思っているのか、
私が詐欺をしているというのか。
もともと、病院は非協力的だろうと感じていましたが、
この答えを聞いて、闘うことを心に決めたのです。
このとき、病院側が労災認定に協力してくれたり、
遺族をフォローしてくれていれば、
もしかしたら民事裁判を起こさなかったのでは、と思います。
「当直は勤務時間とカウントしない」と言われて
2002年12月26日に、病院を相手取り、
損害賠償請求訴訟を提起しました。
そして2003年3月、新宿労基署から遺族補償の
不支給決定の通知を受けました。
長女と弁護士さんと、不支給の説明を受けるため、
新宿労基署に足を運びました。
そこで聞いたのが「当直は勤務時間とカウントしない。
中原さんの場合、長時間でも過重労働でもなかった」という言葉でした。
「では、月何回以上当直したら過重労働になるのか」と質問しましたが、
返事はありませんでした。
この決定に納得できず、東京労働局に
不支給取り消しを求めて審査請求しました。
しかし東京労働局も「新宿労基署の決定を覆す、決定的な理由はない」
として、審査請求を棄却したのです。
そのため2004年5月、労働行政の手続きの中では
最終的な段階となる労働保険審査会に再審査請求を行いました。
労働保険審査会に再審査請求して3カ月以上経過すると、
行政裁判を起こすことができるので、私はその年の12月、
国を相手取り、労災不認定取り消し訴訟を提起しました。
行政訴訟は、民事訴訟の調書が上がっているので、
証人尋問は原告である私と同僚だった医師の2人だけでした。
この行政裁判の判決が、今年3月14日に言い渡されます。
そして同じ3月の29日に、民事裁判の判決も出ることになりました。
厳しい判決も覚悟しています。
たとえ今回の行政裁判で勝訴したとしても、控訴されるでしょう。
でも、私は最後まで闘うつもりです。
中原の裁判が悪循環を断つきっかけになれば
私は、夫だけ労災認定されることを望んでいるわけではありません。
オウム真理教の強制捜査の際に、
先頭に立った機動隊員がサリンガスを感知するために
カナリアの入った鳥かごを持っていました。
このカナリアが「一番弱い者が先に倒れる」という象徴であるとして、
「中原は医療界のカナリアとなってしまった」と言われたことがあります。
現在、医師不足が叫ばれ、現場の労働環境はさらに悪化していると聞きます。
第2、第3の中原が出る可能性があるのです。
人並みの休息なくして、患者によい医療を提供できるのでしょうか。
医療者は、もっと強く訴えてもよいのではないでしょうか。
医師不足でさらに労働環境が悪化、
それに耐えかねて医師が職場から去る、という悪循環を、
どこかで断ち切らないといけないと思います。
中原の裁判が、悪循環を断つきっかけになればと思っています。
ここまでが、裁判の前の話ですね。
そして、この後が裁判で、労災が認定された後の話。
本日の勝訴の判決を受けて、司法の良心に出会うことができて、
本当にうれしく思います。
『当直』という言葉は、労働実体のないことを前提にした
留守番としての宿泊業務を指しているのだそうです。
実際には救急患者さんを診療したり、病棟で患者さんの
急変に対応したりすることを前提にした一般病院での医師の
夜間勤務を『当直』と呼ぶのは適切ではありません。
もう、いい加減に医師を使い捨てにするような
労働環境を改善していただきたいのです。
医師の聖職者意識という自負につけ込んだ、
あいまいな医師の労働基準を見直していただきたいです。
医師といえど過重労働で病気にもなるのです。
月に何度32時間連続勤務を強いても、労働性も過重性もない、
などという法外な理論の撤廃を求めます。
そして、最後に一言。
「この判決が医療の改善の第一歩となると確信しています。」
コメントにもありますし、私もこのブログで何回も
記事にしていますが。
医者の当直っていうのは、病院の中で、ただ待機してる
だけだ、っていう前提になっているので。
実際に働こうが何しようが、労働時間としては
カウントされなかったんですよ、今までは。
某、厚生労働大臣の見解でもそうですけどね。
だから、今回の裁判では、医師の当直が労働時間に
カウントされたって点では、画期的な判決なんですよ。
働いている時間が、働いたってカウントされただけなので、
本当は当たり前の話なんですけどね。
中原のり子さんが、こう言っていますがね。
オウム真理教の強制捜査の際に、
先頭に立った機動隊員がサリンガスを感知するために
カナリアの入った鳥かごを持っていました。
このカナリアが「一番弱い者が先に倒れる」という象徴であるとして、
「中原は医療界のカナリアとなってしまった」と言われたことがあります。
これ、最初はなるほどなー、って思ったんですが。
実は、今の医者は、カナリア以下なんじゃないか、って思います。
オウム真理教の捜査でも、炭坑でも「カナリア」を先に行かせて。
それで、カナリアが死んだり、ぐったりしたら、
毒ガスや一酸化炭素がたくさんある、って事だから。
人間様は、それ以上奥には行かないで引き上げる。
って事なんですけどね。
今の医者っていうのは。
一番先頭に行ったカナリアは死んだ。
それは、カナリアの体質が弱かっただけだからだ。
だから、お前達は過労死するまで、働け。
労働者ですらないんだから。
って、政府や厚労省を筆頭に、マスコミやそれに踊らされた
国民も思ってるんですよね。
悲しい事ですねー。
最後に、また中原のり子さんの言葉で、締めくくります。
もう、いい加減に医師を使い捨てにするような
労働環境を改善していただきたいのです。
参照:日経メディカルオンライン 2007.3.13 , 3.14
全文を読むには、会員登録(無料)が必要です。
「日経メディカル2007.3.13」
「日経メディカル2007.3.14」
「日経メディカル2007.3.15」
故中原利郎先生の遺言状が読みたい方は、こちらです。
→ 「小児科医の遺言状」
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