3月11日金曜日午後、いつものように大腸内視鏡検査をしていると、看護師さんが「東北で地震が起きて大変らしい」という。いつものことかと思ったが、「マグニチュード8.8とか言っている」と。夕方になるとテレビで、今まで見たこともない津波が不気味に陸地を飲み込んでいく映像が流れていた。
それから2週間あまり。未曾有の災害に落ち着かない日々が過ぎている。
平成7年1月の阪神淡路大震災の時は、私は神戸に住んでいた。その時も都市直下型地震の猛威を間近に経験したが、今回の津波被害は大きさも範囲も桁が違う。原発事故もいつ収拾がつくのか。
神戸の時、私が住んでいたところは電気はすぐに通じたが、水やガスはなかなか復旧しなかった。不自由な生活だったが、「生きる」ことに対する緊張感があって、いわゆる空元気で過ごしていたように思う。
今回は、その不自由さも失ったものの大きさも想像を絶するものがある。加えて放射能漏れの恐怖はどうだろう。原発で作業に当たっている人々の苦難や恐怖を思うと、涙が出そうになる。無意識に神戸の震災の頃と重ね合わせてしまうのか、なんだか落ち着かなくて、震災発生後、1週間くらいは、何ができるわけではないのに、テレビを見つめては夜更かしをし、寝不足になる日が続いた。
私の勤めている病院は赤十字病院でもあり、震災発生当初から、日本赤十字社の活動の一環として、3日おきに救護班が出動している。一班あたり現地での活動は3日間、往復に1日ずつの計5-6日のスケジュール。消化器内科の医師もすでに2人が出動した。彼らは自ら志願して救護班に加わった。若さと何かしなければという気持ちの強さが、まぶしいくらいだ。
おそらく今回は、相当長期の診療支援が必要となるだろう。特に内科、小児科等の慢性疾患への対応の必要性が高まってくるだろう。現地に出かける救護班の支援と残って病院での通常業務を維持する仕事がうまく積み重なって、被災者の助けになりますように。
日本の国難とも言える事態。思いを寄せて、手を携えて乗り越えていきたい。
前回投稿から5ヶ月以上も過ぎてしまいました。その間に、発症後2年が、慌ただしく過ぎていました。7月のCT、8月の上部消化管内視鏡と、特に問題無く、体調も良好。体重も術後50kgをようやく越えていたものが、先日久方ぶりに測ってみると、60kgにもう少しというところに回復です。
今は、体調よりも、将来の不安よりも、むしろ日常の生活のことでバタバタして日々が過ぎている感じ。特に仕事は外来・検査業務のみとは言え、やはり今の世の中、ボチボチというわけにも行きません。そんな中でも、夏には、旅行だ、キャンプだ、花火だと飛び回ってはいましたが…。
病気のことがほぼ常に頭の中にあった頃が遠い昔の様で、今は病気のことを、かなり意識しなくなっている(正確には、意識する余裕が無くなっている)。仕事のあれこれをこれからどうしよう、子供たちの教育をどうしよう、小遣いを捻出してあんなものも買いたいけど…といった大小様々なことに頭を悩ませながら過ごす毎日。これは、2年前の夏には、想像できなかった未来ではあります。でも、そういう感慨をゆっくり噛み締める余裕が無いというのも、現代社会の現実でしょうか(あるいは、単に私の活力不足と要領の悪さでしょうか)?
先日、私が3年7ヶ月前から診療に当たっていた膵がんの患者さんが亡くなられました。奥様は「主人も、先生が主治医で良かったと、常々言っていました」と言ってくださいましたが、私自身はどこまで力になれたか…。病状が進行する中、ハイパーサーミアを紹介して、受けに行っていただきましたが、効果は芳しくありませんでした。患者さんの不安は相当なものであったと思いますが、最後の方は、患者さんの訴えや思いを十分に受け止めた対応はできなかった様に思います。私自身の病気休職中は、仕事に復帰したら、この闘病の経験を生かして、何かこれまで以上にプラスαのことが出来るのではないか、と思っていましたが、力量の無さと多忙の中で、経験は生かせていないなあと思うことが多いです。
病前と同じように毎日を過ごすことができる幸せを感じつつも、日々生きていくことの大変さに少々弱気になっている、まだまだ頭でっかちな私なのでした。
またまた久しぶりの投稿である。病院での仕事の影響だろうか、家に帰っても時間はあるがブログを書く方に意識が向かない。すっかり仕事中心の生活に戻ってきたということか。いいことでもあり、悪いことでもあり…。
10月末には神戸で学会があった。その機会に前の勤務先の病院の消化器内科の先生達が同窓会のような宴会を企画してくれた。本当にみんなが、私が病気から復帰してその場に参加できたことを喜んでくれ、感激した。その翌日には大学の消化器内科の同期生も食事会を企画してくれて、あの頃はどうの、最近あいつはどうしたと、話に花が咲いた。本当にたくさんの仲間、知り合いから力をもらってここまで来たんだなと実感した。
11月には6歳2ヶ月の娘と1歳11ヶ月の息子がそろって七五三参りを迎えた。娘はいつの間にかすっかりお姉ちゃんになった。息子もたくましく簡単には制御できない存在になってきた。ありがたい事だと思う。今後ますます父親業は大変になるのだろうけれど、それが楽しみでもある。
仕事の方は、相変わらず入院受け持ち無し、緊急呼び出し無しで働かせてもらっているが、外来、検査は忙しくなり雑用も増えて、少し気持ちの中に余裕が無くなってきている感じがする。疲れもあるのだろうが、時間に追われて患者さんを前にしてイライラすることもある。もっとのんびりやればいいのに生真面目な性格が裏目に出ているような…。やらないといけないことが次々沸いてくるような感じがして、でも本当にやらないといけないことはそう多くはないのだろう。うまく見極めて余裕を取り戻したいと思う。
年も押し迫った今日、遅れていた年賀状もようやく出して、ほっと一息ついてブログを書いている。術後1年が無事過ぎた。あっという間に過ぎてしまった感じもするが、思い返せばうれしいこともたくさんあって充実した1年であったと思う。TS-1はおとといまでで一応飲み納めとした。来年はどんな年になるか、これまでの感謝を胸に、改めて1日1日を大切に生きていくことを心掛けたいと思う。
家族に感謝!仲間に感謝!その他昨年からいろいろ気にかけて下さった多くの人に感謝!そして少しずつでもこのブログを読んでくれている方にも感謝します!
皆さんにとって来年が良い年でありますように!!
前回初夏に投稿してから、早3ヶ月。まだまだ残暑は厳しいとはいえ、朝晩の涼しさや虫の音に秋がすぐそこまで来ていると感じる。
この3ヶ月、充実した夏であり、一方で少し疲れ気味の夏であった。
グアム旅行にも行って来た。娘や妻が帰りがけに熱を出したり、デジカメを海水に浸けてしまい折角の写真が…、というようなこともあり、ドキドキもしたが、楽しい思い出もでき、また自信にもなった。
声楽も習い始めた。オペラを基本に音楽の楽しさを世間に広めたいという熱意を持った若い声楽家夫婦が主催する教室に、不定期ながら通っている。その教室の生徒としては最高齢に近いかもしれない。少しずつ声が出るようになり、イタリア歌曲等を歌わせてもらったりしている。歌とは別に、初めてのイタリア語に興味もわいてきて、それなりに楽しんでいる。
仕事も続けている。覚悟していたことだが、外来も検査もだんだんと忙しくなってきた。委員会等もあって、なかなか5時にさよならというわけにはいかなくなってきている。夏バテもあってかこのところ週末は若干元気が出ない。妻も心配して「もっとゆったりできる仕事先を考えてみたら?」という…。でも今の仕事にやりがいは十分感じている。はてさて…。
治療も続けている。TS-1 100mg/日を2週内服1週休薬で続けている。術後から9ヶ月近く続けて来た。術前にTS-1+シスプラチンで治療していた時から数えると、TS-1は術前術後の1ヶ月を除きほぼ1年内服したことになる。やはり内服期間中はだるい。内服を始めた頃に比べると慣れてはきたが、動くことが億劫になるだるさがある。十全大補湯を併用してみたりしているが、あまり変わらない感じ。それでも仕事中はそのだるさも忘れている。だるさを感じるのは気分的な要因もあるのかもしれない。術後補助化学療法として少なくとも今年の年末まではTS-1内服を続ける予定にしている。ハイパーサーミアもグアム旅行の前に行ってから中断していたが、8月末より再開した。2週に1回程度しか行けていないが、細々とでも続けてみようと思う。
自宅での遠赤外線照射器による温熱療法もどきは基本的に1日2回30分ずつで続けている。一方、治療の影響、夏バテのためか、食欲モリモリという訳にはいかず、本格的な玄米菜食には戻れていないが、妻がCOOKPAD等のサイトの情報を参考に食べやすくて体に良さそうな料理を、と工夫してくれている。
さて、娘が先日6才になった。息子ももうすぐ2才。この1年で2人とも大きくなった。2人の振りまく愛嬌に、本当に救われている。妻は最近ガーデニングにはまり始めた。せっせとホームセンターに通い、鉢と植物を買って来ては植えて並べて「癒される〜」と悦に入っている。
そこそこの仕事とのんびりとした家族との時間をうまく両立させて行きたい、今の望みはその1点!

ゴールデンウィーク2日目、近くの国営公園に行く。ここはとにかくだだっ広い。たまたま無料開園日でもあり、ものすごい人出だ。それでも十分ゆったりできる花と緑の公園、雲一つない青空と初夏を思わせる陽気。こんなにゆったりと過ごせるゴールデンウィークは社会人になってから初めてだ。
手術後約5ヶ月、仕事復帰してほぼ3ヶ月…、暗黙の了解のように入院患者さんの主治医と緊急呼び出し(夜間・休日のオンコール)は免除してもらって過ごさせてもらっている。突然呼び出されることがまず無いという状況は何とラクチンなのかと思う。
この状況で思うには、やはり医者という仕事は命を削る職業である。患者さんの人生の大事な局面に立ち会う、短期間で回復する患者さんもいるが、長く患う患者さんもいる、時には死亡宣告をせねばならない…。多少慣れることはあっても、常にストレスを抱えつつ、患者さんを支え、ひいては社会を支えている職業だと思う。
しかし医者も生身の人間、不死身でもなく完璧でもなく、無尽蔵に湧いて出てくるものでもない。一方、最近の世の中、医療を見る目がとても厳しい。厚労省やマスメディアからは、まるで全国どこの医療機関も万全で最先端であって当然のようなプレッシャーを掛けられているように感じる。医師不足が深刻になってもなお医療サービスは通常通り供給できて当然、病院はコンビニのように便利で清潔で当たり前と思われているかのように感じてしまう(被害妄想?)。現実とのギャップは大きく、日々のストレスで医者は疲弊し、患者さんとの関係もギスギスしがち…。理想はもちろん必要、しかし現実の中で最善を尽くしても評価も感謝もされないとすれば、医者の誇りも意欲も枯れてしまわないかと心配になる。
医者や看護師は、個人の力だけでその資格を得たのではない。その育成のため少なからず国から大学等に税金が投入されているはず。その意味では医師・看護師を含む医療システムは社会の共有財産だと思う。普段何気なく使っている水道の水にも限りがあり、森の管理、ダムの管理、節水等が必要なように、医療システムにも現時点での限界はある。改善すべきところももちろんあるが、あれも出来るだろう、こんな事もできないのかと搾られる一方では干上がってしまいそうだ。医療システムという共有財産を維持し改善していくために、場当たり的ではなく、官民もっと知恵を出し合うことはできないものかと思う。
仕事では楽をさせてもらっている身でありながら、弱音とも甘えとも取られかねない思いかもしれないが、傍目に見ても病院という職場が以前よりもツライ、キツい(肉体的にも精神的にも)所になっているように思う。いつか状況は良くなるのだろうか…。
雲一つない青空のもと、今までになくのんびりしながらも、ふと現場で奮闘している同僚のことを思い出し、なんとかならんかなと思うのでした。

今月に入り、外来診察(週1回)を再開しました。まだ再開して2週間ですが、なんとかやり過ごしています。馴染みの患者さんも、そう違和感無く受け入れてくれているように感じます。ただ電子カルテの導入間近であり、新しいコンピュータシステムに惑わされ、なかなか時間がかかります。これで、また患者さんが増えてくるとどうなるか…。何とかなると信じましょう。
先週末は、久しぶりに大腸内視鏡検査と緊急内視鏡止血術を担当しました。どちらも無難に終了し、少しホッとしました。
突然ですが、若い医療者へのエールのようなものを書いてみます。
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「新しき医療者へ」
よい医療に必要なもの、それは技術と心。
技術を磨こう、裏付けとなる知識とともに。
聴く技術、話す技術、診る技術、治す技術。
技術の高まりは、診療に余裕と幅を生む。
それは医療者、患者双方にうれしいこと。
技術を持ち寄り働ける仲間ができればさらにうれしい。
医療技術という人類の英知の継承者としての誇りを胸に進もう。
あまたの生命の危機を救って来た、あまたの技術。
ただ、技術は万能ではないことも事実。
わからないこと、できないことがあっても悲観は無用。
わからない、できないと認めることから進歩が生まれる。
偉いフリは疲れるからやめよう。
技術の及ばぬところは、心のふれあいが埋める。
人間は、寄り添い、語り合い、触れ合って、そして癒し合う。
心を込めてそっと手を添える。
技術が生まれる前からあった、癒しの、医療の原点。
時には科学的に正しい方針を保留にして患者の思いに寄り添う。
それで医療者、患者双方が救われることもある。
的確な技術とやわらかな心を持った、そんな医療者をともに目指そう。
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これまでの私自身の体験や反省、以下のような本で読んだこと、最近興味を持ち始めた narrative-based medicine のことを考えながら書いてみました。
参考文献 :
「がん患者学Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」 柳原和子(中公文庫)
「失われた物語を求めて-キッチンテーブルの知恵」 レイチェル・ナオミ・リーメン(中央公論新社)
【自宅では】
療養の中心はやはり食養生。現在の朝食の定番はニンジンジュース(ニンジン2本+りんご1/2個)とトースト(クリーム状のごまと蜂蜜を混ぜたものを塗ったもの)とヨーグルト。昼と夜は米飯とみそ汁と焼き魚・煮魚が中心。肉は鶏胸肉あるいはささみ。10時と15時に適宜間食(バナナ、玄米せんべい等)。玄米そのものは消化しにくいだろうとしばらく見合わせ中。ラーメン、カレーライス、揚げ物は6ヶ月は基本的に禁止の予定…。でもこの間「玄米ラーメン」という即席麺を食べた。味はそこそこ、ラーメンを食べている気分を味わった。
【治療は】
1月中旬より外来化学療法(補助化学療法)開始。TS-1内服とシスプラチン点滴による治療。TS-1の量も少なめ、シスプラチンは手術前の化学療法時の約半量を2回に分けて点滴するプロトコール(スケジュール)とした。1コース3週間で2コースを終了。量が少ないとはいえ、シスプラチン点滴後数日は体がだるく食欲も落ちた。今後はTS-1内服のみで経過を見ていく方針だが、強い副作用が出ないか不安もある。
同じく1月中旬より、週1回のペースでハイパーサーミアにも通っている。手術前よりもさらに熱さを感じずに治療が受けられる。どうも手術後に皮下脂肪も内蔵脂肪も減ったので熱が伝わりやすく、皮膚が熱くなりにくいらしい。…と、調子良く治療を続けていたら背中に小さな火傷ができて2週ほど治療を見合わせている。
【職場で】
職場復帰して、あっという間に3週間。相変わらず内視鏡検査の手伝い程度の仕事をしながらリハビリ中。医局の自分の机の整理整頓も行う。自分では割合機能的に片付いたと思っている。
来月からは外来診察も一部再開の予定とした。現在代診してくれている後輩医師は「大丈夫ですか?結構体力消耗しますよ、外来。」と気に掛けてくれる。
そうなのだ、やはり医者は心身共に健康でないと職責を果たせないかなあと、ここのところ感じている。何人もの患者さんの抱える心身の問題を受け止め、分析し、方針を立て、実行するには相当のパワーが必要…。発病前、しんどい仕事だなと半分恨みながらも診療に全力投球できていたのは自分の体に自信があったからだと思う。健康で働けることはとても有り難いことだとしみじみ思う。だから、いまだ完治とは言えない病を抱えた私が働き続けるためには、何か知恵というか工夫が必要と思っている。周りの人に頼らせてもらいながら試行錯誤を繰り返しながら、ぼちぼちやっていけたらなーと思う。
インターネット環境がようやく整い帰ってきました。またよろしくお願いします。まずは職場復帰の報告から…。
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2月1日から仕事を再開した。といってもまずは午前中のみ、内視鏡検査の手伝い程度から。「待ってましたよ〜」と看護師さんたちが笑顔で迎えてくれる。消化器内科スタッフも「無理しないでくださいよ〜」と声を掛けてくれる。以前同様和気あいあいと賑やかに検査が進められていく。合間に私は2、3件の検査をこなす。6ヶ月ぶりに手にする内視鏡。あまり違和感は無い。16年余り繰り返して来た検査はすっかり体が覚えているようだ。でもいつもより時間を掛けて慎重に検査をする。検査を受けた人は少ししんどかったかもしれない。6ヶ月間、私が抜けていた穴はスタッフの尽力で埋められ、昨年1年の検査件数は一昨年よりむしろ増えている。今後は体調と相談しつつ、今までやって来た仕事内容のうち、何ができて何ができないか見極めつつ、職場での自分のポジションを改めて築いていこうと思う。体調も悪くなく、ついつい張り切ってしまう自分がいるが、当直、緊急検査を含めた元の仕事内容に戻るのを目指すべきか、体を労りながらできる範囲で仕事をしていくのがいいのか…。仕事量をセーブすることと今の職場(超多忙な総合病院の消化器内科)で必要とされる仕事内容に折り合いがつくかどうか。しばらくは「保身」に徹しつつ模様眺めといこう、と考えている。甘いかな…。
本日は晴天、でも外は寒かったようです。昨日から新学期が始まった幼稚園に娘を送ってきた妻が「耳の芯が(冷えて)痛い〜」と騒いでいました。
術後、早くも1ヶ月余りが過ぎました。少し疲れやすい気はしますが、食欲もあり、体調は良好。体重が術前と比べて5kgほど減ったままですが、それ以上は痩せてこないようなので順調と言えるでしょう。今回は手術を受けた頃とその後を振り返ってみます。
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平成18年12月6日、私は手術を受けた。幽門側胃切除(D2郭清)+胆嚢摘出術+術中ラジオ波焼灼療法(3カ所の肝転移巣[跡]に対して)。手術室に入ってから術後管理のため集中治療室に入るまで、約6時間であった。当然のことながら手術中のことは全く覚えていない。全身麻酔が如何に深い眠りを作り出すのか、思い知った気がする。集中治療室の前で目覚めた私がまず目にしたのは、ぼんやりとした妻と妹の顔だった。その時私は「(手術中のことは)全然わからんかった」とうわ言のように言っていたそうだ。さらに「僕、何かおかしいこと言うてない?」としきりに聞いていたらしい。後で考えると、4年ほど前に妻が腰椎椎間板ヘルニアで手術を受けた際、麻酔覚醒後に妙に浮かれたようなハイテンション状態になったのを見ており、私もあんな風になるのではと無意識に恐れていたのかも知れない。
術後は少し血圧が低めであったこと、発熱が少し遷延したことを除いては、ほぼ予定表(クリニカルパス)通り順調に経過した。1番困ったのは1週間ほどは、笑ったり咳をした時に手術創が痛んだことだ。何度となく、笑いながらぐっと歯を食いしばって痛みをこらえることを繰り返した。これはたまらんと思ったが、その痛みも術後2週間目になるとぐんぐんとやわらいできた。そしてほぼ予定通りに術後15日目に退院となった。
退院後1週間ほどは体調は悪くなかったが、妻には「表情が険しい」とよく言われた。このブログには「ニコニコ元氣」と投稿したものの、やはり体力は落ちており、疲れやすいことでイライラしていたと思う。日常生活に戻って、『術後』という体に変化が加えられた状態でのこれからの生活への不安が一時的に強くなっていたとも思う。あるいは逆説的だが、これまで治療に伴いCTや内視鏡で腫瘍が小さくなっていくのを見ることが、日々の励みとなり心の支えとなっていたが、手術で病巣を取り去ったことで心の張りが緩み、外から見るとかえって元気がないように見えたかもしれない。そして妻も疲れがたまっていたと思う…。
それでも間もなく新たな日常生活にも慣れ、体力もかなり回復し、今は平穏な療養生活が続いている。妻も「また、にこやかになってきた」と言ってくれる。
手術標本の病理検査の結果、術前の化学療法がかなり効いていたことが確認されたし、胃のがん遺残部もきちんと摘出され、郭清されたリンパ節に転移も認められなかった(消失していた)。予想以上に良い結果ではあるが、再発の可能性が全く無くなったわけではない。これからは目には定かには見えない”敵”との戦いだ、というふうにも思う。正直、『再発』のことを考えると怖いが、「きっとうまく行く」と強く信じて、できるだけ明るく療養生活を送って行きたいと思う。
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今週末から外来での補助化学療法が始まる予定です。週1回程度のハイパーサーミアも併用してみようと思っています。そして2月からはまさに半年ぶりに少しずつ仕事を再開へ…。
なお、生活を投げ出しての”闘病”でなく、生活の一部として”療養”に取り組みたいとも思い、ブログのタイトルを変えてみました。
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退院後1週目の12月28日、病院に診察を受けに行ってきました。手術創もきれいで、採血上も軽度の貧血を認めるのみで経過良好でした。肝機能も良く、「少しならお屠蘇も飲んでいいよ。」と外科部長の御墨付きをいただきました。もともとアルコールをたくさん飲む方ではないので、待ちかねたお許しではありませんが、お正月らしいことができるのはうれしいことです。
そして大晦日の今日、我が家でも玄関のフックにしめ飾りを掛け、居間に小さな鏡餅をお供えし、花瓶に花を生け、ささやかに新年を迎える準備をしています。比較的体調の良好な状態でこの日を迎えられたことは幸せなことだと思います。これから体調をさらに整え、新しい生活を築き、維持していきたいと思います。
盛夏の8月からの療養生活は、振り返ってみればあっという間に過ぎ、すっかり冬本番の年の瀬を迎えました。このブログへの投稿は、生活そのものにメリハリをつけ、病気や治療に対する気持ちや考え方を整理し、前向きに持って行くのに多いに役立ったと思います。たくさんの読んでいただいた方、コメントをいただいた方に感謝!皆さんにとって来年が今年よりももっとよい年になりますように!!!
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