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11月14日(火)中国新聞33面に「病気腎移植は生命倫理に反するか」と題して、広島大学医学部名誉教授・難波紘二先生(血液病理学専門)が読者に問うておられる。熟読させ頂きました。マスコミ・日本移植学会・泌尿器科学会・厚労省等が報道・コメントし調査に乗り出したようですが、かなり微妙な問題を含んでおり、白か黒かという問題ではなさそうです。以下論点の中心部分を紹介します。
宇和島徳洲会病院の万波誠医師や呉共済病院の光畑直喜医師ら「瀬戸内グループ」と呼ばれる医師たちが、病気の腎臓を移植に用いていた事実が報道され、批判にさらされている。本当に、この「病腎移植」は生命倫理に違反しているのだろうか。
今回、問題となった疾患は、腎動脈瘤、腎結石、腎ガン、尿管ガンなどだ。特にガンのため摘出した腎臓を、ガン部分を摘出して移植に用いたことは、「恐ろしいことをする」というように、世間では受け止められているようだ。
「ガンのあった臓器を移植したら、ガンが移るのではないか」というのが、素朴な疑問だろう。しかし、ガンは伝染病ではない。遺伝子病だ。だから、仮にガンそのものを他人に移植しても移植は成功しない。
私の病理学的予測では、強力な免疫抑制剤サイクロスポリンを使用していても、レシピエントに移植腎に由来するガンの再発や転移はないはずである。
普通の病院では、患者から摘出された病気の腎臓は、切り取った胃や肺や子宮などと同様、「ゴミ箱」行きになる運命にある。本人が要らないと捨てたものを、それを必要とする別の患者がもらって使って、どこがわるいのだろうか。
病気の臓器を移植に用いた例は、肝臓にはいくつもある。特に遺伝子病で起こる「アミロイドーシス肝」などは、本人には有害無益の存在だが、この遺伝子をもたない人に移植すれば、自然に元の健康な肝臓に戻る。いわゆる「ドミノ移植」がこれだ。
腎臓の場合も、動脈瘤や結石症は患者の代謝異常や生活習慣に起因している。その素因や生活習慣のないレシピエントに移植してやれば、肝臓と同様に正常に機能するようになる。
新しい発想は、しばしばミスから、あるいは中央の画一的な思想の「しばり」の及ばない辺境の地方から生まれる。血液型が違っていても臓器移植が可能であると分ったのは、外国で血液型の判定ミスをしらないままに肺移植が行われ、うまくいったからだ。
偶然の機会から生まれる、思いがけない大発見を「セレンディビティ」という。臨床検査体制が完全に管理され、検査ミスが起こらないような高次機能病院では、こういう「大発見」は起こらない。
病腎移植は、ゴミ箱行きになるしかなかった腎臓を活かして使い、多くの患者を慢性透析の苦痛と煩わしさから開放する新しい道を開いた、と私は考える。これは健康腎の摘出による「生体腎移植」ではなく、「臓器移植法」などの現行法規に触れる点はまったくない。
医師と腎摘出される患者の間にインフォームド・コンセントがあり、医師とその腎臓を移植されるレシピエントの間に同様の同意がある限り、「病腎移植」の医療行為に生命倫理、医療倫理に反するものは何も無いというべきだろう。
という主張です。
病腎移植そのものは、手続きを踏んで、やれば問題とはならない。という御主張です。現在騒がれているのは手続きをきちんと踏んでいるかいないかの問題であると。
中国の死刑囚から腎移植を受ける場合、「どうせ死刑で死んでしまう、または、死んでしまった人の、捨てられる腎臓を移植に活かして何が悪い」という発想と似ているようにも思いますが、「倫理的、法的」には問題はないのか、あるのか現在の自分には判断できません。
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