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2006.11.04 16:06 |  研究  |  映画 / 音楽 / 読書  |  その他(一般)  |  沖縄の海  | 推薦数 : 2

目に飛び込んだウロコ

 「トンデモ本」シリーズが結構好きで、読んできた。

1年間でどれくらいの新刊本が出版されているのだろう。その中には「アポロは月に行かなかった」とか「血液型で性格が分る」など明らかに間違っているにもかかわらず、マスコミに取り上げられたり、ベストセラーになったものまである。毎年、おかしな本、珍説を唱える本が登場してくる。

 こうした本に対して、いくら証拠を挙げ、理屈を説いたところで、その本の著者は屁とも思わない。叩き潰そうと思っても無理で、笑って楽しんだ方がよい。というのが「トンデモ本」シリーズの趣旨です。

 「と学会」という学会がある。トンデモ本=「作者の意図とは別の意味で楽しめる本」をこよなく愛し、日々トンデモ本の収集・観察・批評にいそしむ同好の士の集まりである。年に4回行われる「と学会・例会」において各人の研究成果を発表したり、年に1回のイベント「日本トンデモ本大賞」を主催したりしている。

 その「と学会会長」山本 弘 氏が含蓄のある文章を書いておられるので、紹介する。

 「SFマガジン」の「新春SF放談会 SF人がこう評価する」という座談会でのこと。出席者は星新一氏・小松左京氏・筒井康隆氏・手塚治虫氏・半村良氏・眉村卓氏・・・・といったそうそうたる面々。

 その座談会の中で、奇現象研究家として名高い斉藤守弘氏が「最近のSFには発見性がない」と批判した。「ふつうの小説にはどんなつまらないものを読んでも、確かに発見性がある」「いまの世の中は発見だらけなんだ。みんなには、目のウロコみたいなのがあって、それを見出せないんだよ」と。

 ところが、その「発見性」なるものが何を指すのか、他の出席者には理解できない。「文学精神のこといってるわけ?」(筒井康隆)「インスピレーションでもない?」(手塚治虫)「クリエイティブだということじゃないの」(石橋僑司)などと寄ってたかって問い質すのだが、斎藤氏はどれも否定する。ところが、説明を要求しても、斎藤氏自身にも「発見性」とは何なのか具体的に説明できない。「禅問答だなまるで」という人まで出てきた。

 作品名をひとつ挙げてくれと言われた斎藤氏、「誤解を招くかもしれないけど、石原慎太郎なんかそうです」「あれは当時の文学のパターンを破ったー人間の見方をね」と言う。たちまち、「慎太郎なんて文学としてはべつにあたらしかったんじゃない」(眉村卓)などと、集中砲火を食らう。

 そこで星氏のこんな発言。

 「目のウロコが落ちたのと、飛び込んできたのとはどこで見分けるんだ?本人は落ちて新しいものが見え出したと思ってるけど、じつは飛び込んだから見え出したんだ(笑)」

 斎藤氏はなおも反論するのだが、これはどう見ても斎藤氏に分が悪い。彼は昔からあるものを新しい概念だと勘違いして「発見性」と名付け、他の者にそれが見えないのは目にウロコがあるからだと思っているのだ。

 そもそも「目からウロコが落ちる」というのは聖書の言葉である。「使徒言行録」9章、キリスト教徒を迫害していたサウロが、天からの光とともに「なぜ私を迫害するのか」というイエスの声を聞き、とたんに目が見えなくなる。彼の家に、やはりイエスの声に導かれたアナニアがやってきて、サウロの上に手を置く。すると、目からウロコのようなものが落ちてサウロはまた目が見えるようになる。彼は改心して洗礼を受ける。

 だから、何かの宗教に入信した人が「目からウロコが落ちた」と言うのは、用法としては正しいのである。しかし、僕みたいな無神論者は、ついつい星氏と同じことを言いたくなってしまう。「それって本当はウロコが飛び込んだんじゃないの?」と。

 ウロコとは、心の目にかかった偏見のフィルターである。フィルターがなくなれば、世界がよりクリアーに見えると思われるかもしれない。それは逆だ。このフィルターは自分に都合の悪い情報をシャットアウトする働きがある。だから目にウロコが飛び込んだ者は、不都合なことが目に入らなくなり、世界が単純明快に見える。「目からウロコが落ちた」と勘違いしてしまうのだ。

 「化学物質は危険」「天然のものは安全」という信仰も、やはりウロコである。自然界にも毒物は多数存在するし、人口物質にも無害なものはたくさんある。そもそも「化学物質」という言葉を天然物質の反対語として使うのが間違いである。自然界に存在する物質も(単体の元素から構成されたもの以外は)全て化学物質であり、化学物質を使用しない生活など絶対不可能なのだ。

 こうした「OOが諸悪の根源である」という考えは、たいていウロコであり、間違っている。世の中の複雑な構造を、そんな短い文章で要約できるわけがない。単純に図式化すれば分りやすくはなるだろうが、正しくはない。それが正しいように見えるのは、図式に合わない事実をフィルターが切り捨てているからだ。

 世界は複雑でありややこしく広大である。正解が存在しない問題だってたくさんある。それに単純な正解を出そうとするのは間違っている。

 「ウロコが落ちた」と思った時が危ない。

 裁判官気取りのマスコミの人達、もって銘ずべし。

引用:トンデモ本の世界 太田出版

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