| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | |||
| 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
| 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
| 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
| 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
ブログを書き続けているが、今まで母親について一度も書いていない。父親についてはけっこう書いた。
母親は現在、自宅から車で5分ぐらいの距離に一人暮らしをしている。様子を見に行ってやりたいが、実際にはなかなか行けてない。同居ができるかというと、諸事情あって難しい。
父親は戦中、招集され中国に派兵され戦地で終戦を向かえた。広島市に帰ると原爆で市内焼け野原で、自宅もなにもない。家族が生きていて県北の親戚に身を寄せていると聞いて、父もそちらに行き居候生活を数年し、広島市に帰ってきた。やっと世の中が落ち着いてきた頃、父と母は見合い結婚した。新婚旅行などなし。父に母と結婚した理由を聞いたら「健康で丈夫そうだったからだ」と答えていた。母に聞くと「自分で決める時代ではなかった。親が決めてきた」という事だった。まだそういう時代だったんですね。
母は田舎育ちで学問はないが、母親としては純粋な母性本能をもっていた。自分には兄がいるが、父親が事あるごとに兄と自分を比較して「しゃんとせんかい」と怒った時、母がいつも「あんた、この間、絵で入賞したろ。りっぱやないの」とかいって、褒めてくれたりかばってくれたりしてくれた。
小学校3年ぐらいだったと思う。母が「今日はかあさんの誕生日なんよねー」とポツンとつぶやいた。その時まで自分は母の誕生日も知らなかったし、家族で祝うこともなかった。
無償に母が可哀そうになって、10円玉を握って近所の駄菓子屋にいっておもちゃの指輪をひとつ買って帰って、母に渡した。「あんた、やさしいねー」と母が言ってくれた。
母は父が寝たきりになって、亡くなるまで自宅で看病した。そうするのが当然という感じで。母は強しです。
井上揚水の歌に「人生が二度あれば」というのがある。もうナツメロでしょうが、聴いてみて下さい。