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日本独自の文化はいつ頃成立したのだろうか。文化は周辺他地域から常に相互影響しているので、日本独自の文化が確立し成立した時期は各人の考え方であろう。
昨日、NHK教育テレビ日曜美術館を観た。今現在、奈良公園内の奈良国立博物館で正倉院展が開催されている。展示品の紹介より、正倉院にまつわる話しが中心でかえって面白かった。
正倉院は東大寺大仏殿の北西に位置する。高床式の大規模な校倉造の宝物倉庫である。第45代聖武天皇は奈良時代に疫病の蔓延や地方の反乱に悩まされ、遷都を繰り返した。そして仏教にも深く帰依した。国分寺の総本山として東大寺並びに大仏の建立を決意し実行し難業の末完成した。聖武天皇逝去の後、皇后の光明皇后が聖武天皇の美術工芸品を中心とした宝物を全て東大寺に寄贈した。その収納倉が正倉院である。
1946年より毎年秋に正倉院展は開かれているそうだ。聖武天皇の肖像画も鮮明に映し出されていたが、これが中国唐時代の皇帝と服装など外見がそっくりであるのは驚いた。中国文化・文明の影響の大きさがすぐに判る。
では日本はいつ頃から中国文化・文明を咀嚼した上で、まがりなりにも日本文化・文明を形成したのだろうか。
京都に京都御所がある。その御所の正殿で天皇の即位式など最重要儀式が執り行われた建物が紫宸殿である。内部は板敷きで広い空間であり高見御座(たかみくら、天皇の座)と御帳台(みちょうだい、皇后の座)が置かれている。高御座、御帳台とも高さ約5メートル・平面八角形で柱と柱の間に帳をめぐらし、内部には椅子が置かれている。天皇の在所を示す高御座は京都御所にありそれゆえ現在も京都御所を皇居であり、東京の皇居は行幸の「東京行宮」とする説もあるそうだ。
天皇の即位は京都御所で行われると戦前の皇室典範は定めていたので、大正・昭和天皇は京都御所で即位の儀式を行った。今上天皇の即位は東京で行われた。そんなに昔のことではないと思うが年月の過ぎるのは早い。
その京都御所の紫宸殿正面の左右には「左近の桜」と「右近の橘」の木が植えてある。
これからが本題なんですが、この「左近の桜」は最初から桜ではなかったということです。「左近の梅」だったんです。梅は中国の国花ですね。それが日本の国花の桜になった時、平安中期と言われています。この時をもって日本文化独立形成の時という説があります。なるほどなーと納得できる説です。
以上の文章はウィキペディア(フリー百科事典)をかなり引用しています。
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引用;ウィキペディア
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