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昨日の続きです。
字面上は「過誤の疑いのない場合」と「死体に異状がある場合」とは同一ではない。しかし「過誤の疑いのない場合」でも「明白な病死とはいえない」に当てはまれば、届出義務がある。例えば、患者が窓から飛び降りて死亡した場合は、病死とは言えないが、だからといって、過誤があったとも言えない。このような場合はいくらでもありうるが、そのようなものも届け出るように法律は言っている。
つまりこの法律による届出の是非を決めるのは、患者が亡くなったことに対して責任があるかないかではない。責任がなくても届け出ることを求めているのである。私は、法律によって責任がなくても届け出ることになっているものを届け出ないということで、遺族が「何かあるのではないか」と憶測を生むことになったり、あるいは捜査機関が認知した時点で初めから嫌疑が濃かったりという展開を招くと思う。
では、医師が届出をしないのは過誤を隠したいからなのか、という話しになると、私は断固NO!だと思う。決して医師はそのようなことをしたいわけではない。業務上過失致死の疑いがあったときに、過誤でないことが理解されるか?に対する強い不安が背景にあるからだと、私はおもっている。
過誤と言ったが、これは法的責任のある医療事故が医療過誤という理解で、今まで過誤という言葉をこの意味で使ってきた。問題が起こる場合には、実際に患者が亡くなるという結果はあるが、それが過誤であるためには、何か医療に関する行為の結果として亡くなったという因果関係も存在しないといけない。なおかつ、これが正当な行為ではなくて、そこに過失があることも必要である。つまり、結果、因果関係、過失の全てが存在していなければ刑事責任は成り立たない。
私ども法医学をやっている者は、ある遺体に外因が作用しているときに、果たしてその外因が原因で死んだのか、ということばかりを考えている。一応、自分なりの判断を出すが、捜査機関は、容疑者がいれば因果関係があるという立件にかかる。この場合、「このような原因があったらそうなる場合がある」という曖昧な関係ではなく、疑いの程度を白黒で表現すれば、真っ黒にぬりつぶさせるような感じの関係があるときだけに因果関係があると見做しているように思える。これを、「完全因果関係」と私は勝手によんでいるが、法医解剖していると、医療事故に属するもので、完全因果関係を立証するのは非常に難しいと思う。医療行為と結果の因果関係は、私ども法医学者よりむしろ臨床科の先生に聞いたほうがいいことだと思うが、事故の場合に、これをはっきり証明する、いわば灰色かもしれない疑いを真っ黒に塗りつぶすのは非常に難しいと思う。つまり、俗に言う凡ミスと言われるものが出てはいけないが、そういうことがないようにきちんとやっていれば、私の感覚から言うと、刑事責任が発生することは考えられない。
医師は、死に対する責任があるかないかの問題とは別の次元で、異状死体の届出がぎむずけられているのだから、医療行為が関連した死亡でも正々堂々と届け出ればいいと思う。届け出れば、やるべきことをやっているということは明らかになり、遺族が不必要な憶測を抱いたり、捜査機関がはじめから在らぬ疑いをもってかかることもおこらないのではないか。普通の医師が普通に医療をやっていれば、医療過誤が成り立つとは思われない。だからこそ、届け出ることにより、必要な操作が行われ、それによって、自分たちの身の潔白をはっきりさせてもらえると考えたらいいのではないか、というのが私の意見である。
なるほどな、とうなずかざるを得ない面も多々ある感じました。反論したい部分も沢山ありますが、多面的な角度から検討する重要性を感じています。
法医学の立場から、もう一人山口大学医学部生体侵襲医学教授の藤宮 龍也先生が意見を述べておられる。こちらも臨床医にとって重要な意見を述べておられます。
明日は法曹の立場の意見を紹介する。
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