沖縄の海
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2006/10 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

トップページ

Doctors Blog

ブログの購読

新着コメント

新着トラックバック

< 前のページ
2006.10.31 20:45 |  研究  |  趣味  |  その他(一般)  |  沖縄の海  | 推薦数 : 0

日本文化の独立時期

 日本独自の文化はいつ頃成立したのだろうか。文化は周辺他地域から常に相互影響しているので、日本独自の文化が確立し成立した時期は各人の考え方であろう。

 昨日、NHK教育テレビ日曜美術館を観た。今現在、奈良公園内の奈良国立博物館で正倉院展が開催されている。展示品の紹介より、正倉院にまつわる話しが中心でかえって面白かった。

 正倉院は東大寺大仏殿の北西に位置する。高床式の大規模な校倉造の宝物倉庫である。第45代聖武天皇は奈良時代に疫病の蔓延や地方の反乱に悩まされ、遷都を繰り返した。そして仏教にも深く帰依した。国分寺の総本山として東大寺並びに大仏の建立を決意し実行し難業の末完成した。聖武天皇逝去の後、皇后の光明皇后が聖武天皇の美術工芸品を中心とした宝物を全て東大寺に寄贈した。その収納倉が正倉院である。

 1946年より毎年秋に正倉院展は開かれているそうだ。聖武天皇の肖像画も鮮明に映し出されていたが、これが中国唐時代の皇帝と服装など外見がそっくりであるのは驚いた。中国文化・文明の影響の大きさがすぐに判る。

 では日本はいつ頃から中国文化・文明を咀嚼した上で、まがりなりにも日本文化・文明を形成したのだろうか。

 京都に京都御所がある。その御所の正殿で天皇の即位式など最重要儀式が執り行われた建物が紫宸殿である。内部は板敷きで広い空間であり高見御座(たかみくら、天皇の座)と御帳台(みちょうだい、皇后の座)が置かれている。高御座、御帳台とも高さ約5メートル・平面八角形で柱と柱の間に帳をめぐらし、内部には椅子が置かれている。天皇の在所を示す高御座は京都御所にありそれゆえ現在も京都御所を皇居であり、東京の皇居は行幸の「東京行宮」とする説もあるそうだ。

 天皇の即位は京都御所で行われると戦前の皇室典範は定めていたので、大正・昭和天皇は京都御所で即位の儀式を行った。今上天皇の即位は東京で行われた。そんなに昔のことではないと思うが年月の過ぎるのは早い。

 その京都御所の紫宸殿正面の左右には「左近の桜」と「右近の橘」の木が植えてある。

 これからが本題なんですが、この「左近の桜」は最初から桜ではなかったということです。「左近の梅」だったんです。梅は中国の国花ですね。それが日本の国花の桜になった時、平安中期と言われています。この時をもって日本文化独立形成の時という説があります。なるほどなーと納得できる説です。

 以上の文章はウィキペディア(フリー百科事典)をかなり引用しています。

ウィキペディアは自由に利用でき、その趣旨に賛同するだれでもが記事を投稿したり編集したりすることができます。皆で作る百科事典と言えますが、唯一のネックになるとしたらキチンとした管理者がいないという事です。もしも悪意を持った人が意図的に記事を書き込むと、善意の利用者が多くなっているだけに危険な面がありますね。

引用;ウィキペディア

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

 昨日の続きです。

 裁判では、医師法第21条をどう解するのか、本件の場合で罪を問うていいのかどうかが問題となった。この事案の刑事的な争点としては、そもそも医師法第21条の死体の検案は、診ていた患者が亡くなったときに、それを死体検案というのかどうか、医師が死体に死後初めて接して検案して見分くることであって、生前に患者であったものを死後見分するのは検案に当たらないという主張、あるいは死亡診断書と死体検案書はどういう場合に書くのか、その区別からすると、これは死体検案に当たらないだろうという主張が一点、もう一点の主張は、仮にこれが医師法第21条に該当するケースだとしても、業務上過失致死罪をそれによって導いてくること、憲法代38条違反、自己負罪拒否特権を侵害して憲法違反だという主張である。被疑者には、当然黙秘権もあるから、そういった憲法違反の主張をされている。最高裁は、最終的には患者であろうとなかろうと、とにかく死体を見た方が書く場合に、それは死体検案だということで、この場合も届ける義務があるとした。

 もう一つ、憲法第38条違反についても、医師は特別な責任を負わされているので、仮に自己の犯罪が発覚する端緒を与えることになり得るという不利益があったとしても、それは医師免許を与えられている以上、附随する合理的な根拠のある負担だから許容されるべきであると最高裁は判断した。この最高裁が、この医師法第21条について明確な解釈をここで出したということがその後の流れにも影響しているのではないかと思う。

 そこで問題になっている医師法第21条の法的な解釈であるが、この問題は死体の検案というのが何なのかということが一点、次に最高裁に上がった中には異状死という定義はほとんど議論にはならなかったが、異状かどうかという点、憲法第38条の自己の罪を拒否する権限を認めるかどうか、権利を侵害していることになるのかどうかという点の三つと思う。

 死体の検案に該当するのかどうかは、どうも考え方とすれば該当することにならざるを得ない。一部、消極説で言えば、死体の検案は、生前患者であったものを死後検分するのは検案に当たらないという考え方も根強くあるが、体勢は最高裁の判断が判断になっている。

 問題はここで異状という定義をどのように考えるかである。医師法第21条には、どのような死体に異状があるとするのかという定義や内容についての法律上の規定が全くない。このことをもって、刑罰法定主義、およそ罰に問うのであれば、何が罪に問われるのかを、明確にしなければいけないことに反しているという批判ももちろんあるが、刑事罰を科せる場合に、刑に当たるかどうか、構成要件にあたるかどうかがすべて細かく明記されているものばかりではないのが現実であり、ある程度そこに判断が入ることはやむを得ないとされているのが一般である。

 異状というのは、形態的、状態的に異状ということなのか、それとも正常でない自然死の死体を意味するのか、その辺りの異状の言葉の使い方についても議論がある。

 一般には、病理学的、あるいは病的な異状ではなくて、法医学的な異状な自然死すべてを含むものとするとよく言われている。

 そういった流れの中で、日本法医学会の異状死のガイドラインが平成6年に出された。診断されている病気で死亡することが普通の死で、それ以外は異状死とする広い定義になっている。異状死をどう見るかは、実は古い判例で一つある。昭和44年3月27日の東京地裁八王子支部の判例であるが、「医学的な異状と解すべきである。したがって、死体自体から認識できる何らかの異状な症状、痕跡が存する場合だけではなく、死体が発見されるに至ったいきさつ、死体発見場所、状況、身元、性別等、諸般の事情を考慮して死体に対し異状を認めた場合を含むと言わなければならない。」この判例でも、かなり広い定義がなされている。

 そうした中で、この条文がどうなのかということであろうと思う。この条文は、刑事罰が付いているし、当然それに伴って逮捕ということも全くないということではない。この条文が適正か、内容的に問題はないのかはやはり検討していかなければいけないと思う。

 一つは、異状の定義が非常に不明確ではないかと思うし、24時間以内に届出がなければならないというこの24時間をどう考えるかということもある。

 都立広尾病院では、遅れたが確かに届出はされている。ただし、起訴状では24時間以内に届出が出ていないということになっている。現実問題、祝日の死亡のケースで、24時間以内に警察にとどけることが本当に可能なのかどうか、これも充分検討しなければいけないところであるし、所轄の警察署になっており、この警察署でいいのかどうか、単純に捜査の端緒だけ捉えれば、それは警察でいいが、この条文の持つ意味を捜査の端緒だけではなく、さらに死因の解明等と広げていったときには、この条文のままでいいのかという議論は当然残ると思う。

 

 私達、臨床の立場からの意見は既に皆さん共通認識に近いものを持ってので省略します。

引用:広島県医師会速報第1955号より

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)

 「 医師法第21条をどう考えるか?」と題して2日連続して書いた。今回は法曹の立場からの意見を紹介する。

 前川法律事務所:広島県医師会顧問弁護士 前川 秀雄先生

 私は医療側の立場で医療過誤訴訟を専門にやっている。今日は、日常的に医療に関係している一法律家の立場でこの問題を少し検討したい。

 まず、今回問題となっている医師法第21条という条文であるが、これはつい最近まであまり注目されていなかった。ここ近年、急激に注目される条文となっている。

 医師法第21条は、医師が死体を検案して、異状があるとみとめたときには、24時間以内に所轄の警察署に届けなければならないという規定になっている。この条文の解釈を巡って争いが起きている。これについては、刑事罰が当然科されており、医師法第33条の2で、違反した者は50万円以下の罰金に処するとなっている。

 刑事訴訟法には、第199条で逮捕状による逮捕という規定がある。逮捕されることは、警察や検察庁が、独自の判断で勝手にできるものではなく、特に通常逮捕の場合には逮捕状が裁判所において発行されることになる。その逮捕状による逮捕の規定の中に、「逮捕状により逮捕することができる、ただし30万円以下の罰金、拘留、科料に当たる罪については、被疑者が定まった住所を有しない場合、または正当な理由がなく、出頭の求めに応じない場合に限る」という規定がある。

 30万円以下だった場合に逮捕状を出せるのは、住所不定だとか、出頭に応じないといった場合に逮捕状が出せる。そうでなければ逮捕状が出せないことになっているが、50万円はこれからすると、逮捕状が出せることになる。

 医師法という法律は、昭和23年に制定されているが、歴史もあるので、医師としての業務の中に応召義務、証明文書の交付義務、無診察治療等の禁止、異状死体等の届出義務、処方箋の交付義務、診療録の記載及び保存義務がそれぞれある。これらについて、罰則はどうなっているかというと、罰則規則では、このうちの無診察治療の禁止、異状死体等の届出義務、処方箋の交付義務、診療録の記載、保存義務に違反した場合、いずれも50万円以下の罰金にしょすることになっている。異状死体の届出義務違反だけではなく、他の義務違反もその気になれば刑事罰が科せられる規定になっていることを理解しておかなければいけない。

 医師法第21条、届出義務であるが、どういう立法趣旨で作られた条文なのかということを、法律的に考えておく必要がある。この条文は、やはり捜査の端緒ということが、もともとの出発点だったと思う。医師は、日常的に職業として死体に接する機会が多く、その死体の中から殺人、死体損壊という犯罪が見えてくる。その事件解決の糸口になるということで、医師に法的な義務を科したと思う。もともとは、医療過誤の捜査の端緒をつかむとか、あるいは死因の解明を目的として、この義務を科したとは、思えない。ただ、現実には、この条文が非常に大きな意味を持ってきている。私は、いくつかの医療過誤事案が取り上げられ、社会的な医療に対する批判が強まってきている中で起きているのではないかと思う。

 この医師法第21条問題が裁判所で全面的に取り上げられたのが、都立広尾病院の事件と思う。これは平成11年ぐらいの事案であるが、関節リュウマチの治療で都立広尾病院に入院されて、入院3日後に手術は成功、経過もよかったが、手術の翌日に、看護師が生理食塩水と消毒液を間違えて点滴に入れてしまったということで、この患者が「胸が苦しい、息苦しい、両手がしびれる」と訴えて、その後亡くなられた。亡くなられたのが2月11日の午前10時44分、2月11日は祝日ということであったが、亡くなられて、どうするかということになり、病院では翌日に対策会議が開かれた。一応会議で、どうも薬を間違えたのではないかということがあり、警察に届け出ることになったが、東京都の病院事業部と相談したところ、届出を待つようにという指示があり、待つことに、また家族の了解を得て病理解剖をすることになった。亡くなられた次の日に、早速病理解剖ということで、ただ遺体の右腕の静脈に沿った色素沈着が見られ、これはどうもおかしいということから、病理学の大学助教授に来てもらい、病理学の大学助教授は、この死体を見て、すぐにこれは警察に連絡した方がいいということを提案したが、病院長は都の方針に従って、このまま病理解剖を進めてくれと、最終的に死因が何かといろいろ調べ、ヒビクルという消毒液の検出がでるかどうかという作業を待っていて時間がかかってしまった。2月11日に亡くなられて、2月22日に渋谷警察署に届け出た。その後、家族から死亡診断書を作成してほしいと、これは保険会社に提出するということだったので、判決を見る限りは、家族の方も病死、自然死にしたのだと、病名欄は急性肺欠損症ということにした。このことが後に問題になり、刑事事件に発展していくことになった。もちろん薬を間違えた看護師は、刑事責任を問われたが、それ以外にこの問題を速やかに警察に届けなかった病院長と主治医、病院事業局の事務方も今の医師法第21条違反で起訴されたという経過となった。一審、二審、最高裁までこの事案は上がり、最終的に有罪となった。

 後半は明日書きます。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.10.29 12:53 |  趣味  |  お金 / 株  |  その他(一般)  |  沖縄の海  | 推薦数 : 1

ミクシィのビジネスモデル危機

 9月に東証マザーズに上場したSNS国内最大手のミクシィがシステム危機を向かえている。

 初値は公募価格の1.9倍、時価総額2200億円、当時の予想PERは224倍という超人気ぶりを見せた。上場時点でミクシィの会員数は570万人と国内最大。そこまで巨大になった秘訣は、ミクシィでは会員が自分のページの履歴書に身元を明かし、また既存会員の知人や友人に招待されて初めて新規会員になれるというシステムにあった。つまり、匿名性の強いネット上で、安心して交流できる場であるということがセールスポイントだった。この安全性、安心感が同業他社との差別化につながり、急成長してきた。

 しかし、こうした安全性、安心感が幻想にすぎないことは以前から指摘されてきた。「友達の友達は赤の他人」「会員数が100万人単位のSNSで個人情報を晒すのは、銀座の交差点に裸で立っているのと同じ」などと。

 それが証明されたのが10月初めに起きたワイセツ画像流出事件だ。ファイル交換ソフトを通じてウィルスに感染した大手メーカーの男性社員のパソコンから社員名簿やメール、恋人のワイセツ画像までがネットに流出した。この流出したファイルのなかにミクシィ関連のものがあったことから、ミクシィ内で男性社員と恋人が実名登録されているホームページが割り出され、勤務先から出身校まで個人情報がすべて明らかにされてしまった。ミクシィが安全性をアピールし、会員登録時に実名登録を勧めていた結果である。

 これを知ったネットユーザーは二人の顔写真や日記を見ようとミクシィに殺到した。それは「友人の招待」ではない。2ちゃんねるの掲示板で「ミクシィに招待するよ」と赤の他人にお節介にも呼びかける人を通じて。あるいはヤフーなどのネットオークションで招待メールを50円ー100円で叩き売る人を通じてである。いわゆる裏ルートからである。

 かくして、画像流出事件から1週間でミクシィ会員は700万人を突破した。かたやミクシィは規律違反の新規会員を招待者を含め芋ずる式に会員抹消する措置に出た。抹消された会員は10万人近いともいわれている。今もミクシィでは、新規登録と抹消のイタチごっこが続いている。ミクシィは「実名登録は強制ではありません」との断りを出している。

 もともとSNSはメールやブログなど既存のサービスを組み合わせたもので、ビジネスモデルも、会員に無料でSNSを提供する代わりにサイトに広告を掲載して利益を得るという旧来型のものにすぎない。ミクシィのセールスポイントであった安全・安心が剥げ落ちた。会員の匿名性は強まるだろう。ミクシィよどうされますかな。

引用:週間ダイヤモンド11月4日号より

固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)

 昨日の続きです。

 字面上は「過誤の疑いのない場合」と「死体に異状がある場合」とは同一ではない。しかし「過誤の疑いのない場合」でも「明白な病死とはいえない」に当てはまれば、届出義務がある。例えば、患者が窓から飛び降りて死亡した場合は、病死とは言えないが、だからといって、過誤があったとも言えない。このような場合はいくらでもありうるが、そのようなものも届け出るように法律は言っている。

 つまりこの法律による届出の是非を決めるのは、患者が亡くなったことに対して責任があるかないかではない。責任がなくても届け出ることを求めているのである。私は、法律によって責任がなくても届け出ることになっているものを届け出ないということで、遺族が「何かあるのではないか」と憶測を生むことになったり、あるいは捜査機関が認知した時点で初めから嫌疑が濃かったりという展開を招くと思う。

 では、医師が届出をしないのは過誤を隠したいからなのか、という話しになると、私は断固NO!だと思う。決して医師はそのようなことをしたいわけではない。業務上過失致死の疑いがあったときに、過誤でないことが理解されるか?に対する強い不安が背景にあるからだと、私はおもっている。

 過誤と言ったが、これは法的責任のある医療事故が医療過誤という理解で、今まで過誤という言葉をこの意味で使ってきた。問題が起こる場合には、実際に患者が亡くなるという結果はあるが、それが過誤であるためには、何か医療に関する行為の結果として亡くなったという因果関係も存在しないといけない。なおかつ、これが正当な行為ではなくて、そこに過失があることも必要である。つまり、結果、因果関係、過失の全てが存在していなければ刑事責任は成り立たない。

 私ども法医学をやっている者は、ある遺体に外因が作用しているときに、果たしてその外因が原因で死んだのか、ということばかりを考えている。一応、自分なりの判断を出すが、捜査機関は、容疑者がいれば因果関係があるという立件にかかる。この場合、「このような原因があったらそうなる場合がある」という曖昧な関係ではなく、疑いの程度を白黒で表現すれば、真っ黒にぬりつぶさせるような感じの関係があるときだけに因果関係があると見做しているように思える。これを、「完全因果関係」と私は勝手によんでいるが、法医解剖していると、医療事故に属するもので、完全因果関係を立証するのは非常に難しいと思う。医療行為と結果の因果関係は、私ども法医学者よりむしろ臨床科の先生に聞いたほうがいいことだと思うが、事故の場合に、これをはっきり証明する、いわば灰色かもしれない疑いを真っ黒に塗りつぶすのは非常に難しいと思う。つまり、俗に言う凡ミスと言われるものが出てはいけないが、そういうことがないようにきちんとやっていれば、私の感覚から言うと、刑事責任が発生することは考えられない。

 医師は、死に対する責任があるかないかの問題とは別の次元で、異状死体の届出がぎむずけられているのだから、医療行為が関連した死亡でも正々堂々と届け出ればいいと思う。届け出れば、やるべきことをやっているということは明らかになり、遺族が不必要な憶測を抱いたり、捜査機関がはじめから在らぬ疑いをもってかかることもおこらないのではないか。普通の医師が普通に医療をやっていれば、医療過誤が成り立つとは思われない。だからこそ、届け出ることにより、必要な操作が行われ、それによって、自分たちの身の潔白をはっきりさせてもらえると考えたらいいのではないか、というのが私の意見である。

 

なるほどな、とうなずかざるを得ない面も多々ある感じました。反論したい部分も沢山ありますが、多面的な角度から検討する重要性を感じています。

 法医学の立場から、もう一人山口大学医学部生体侵襲医学教授の藤宮 龍也先生が意見を述べておられる。こちらも臨床医にとって重要な意見を述べておられます。

 明日は法曹の立場の意見を紹介する。

 

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

 平成18年7月16日広島市にて日本警察医会・学術講演会があった。最後にシンポジウムとして「医師法第21条をどう考えるか?」を法医学の立場、病理解剖の立場、臨床の立場、法曹の立場のシンポジストにより報告があった。

 立場が違うと見方もこんなに違うのかと感じたので報告します。

1、法医学の立場

 岡山大学大学院法医生命倫理学助教授 宮石 智先生

 医師法第21条について、私の考えが標準的かどうかはもちろん分らない。例えば、法律を、システムを変えたらという発想はもちろん重要なことだと思うが、現行法が悪いかというと、私は必ずしもそうではないという考えを持っている。

 先般の県立大野病院の事件は、医師法第21条問題のきっかけとはなっているが、この事件が医師法第21条問題を考える上で適切な例かというと、私はそうとは言えない気がする。そう考えさせられるのは、以下の2点である。

 第一は逮捕・拘留された点で、不幸にも患者がなくなってから、かなり時間が経ってからの出来事なので、これは手続き上は通常逮捕しかない。通常逮捕は裁判所から逮捕状がでているから、なぜ逮捕が必要かという理由について、裁判官も認める相当の理由があったと考えないといけない。また、一旦決定された保釈について、結果的には通らなかったとはいえ、敢えて決定取り消しの準抗告までしているのは、捜査側として拘留が必要と考える相当の理由があったからだと私は思っている。つまりこの事件にはかなり重大な問題が含まれていると思われる。

 この事件の罪状としては、業務上過失致死と医師法第21条違反になっている。しかし、医師法第21条違反が、逮捕・拘留しないといけない理由になるとは、ちょっと、ぴんと来ない。確かに、罰則規定もあるが、私の感覚からすると、医師法第21条違反自体は微罪ではないかと思う。今年5月千葉であった判例で、事件としては民事事件あるが、判決は要は殺人事件と言っているに近いものである。この事件では、発生の2年後に証拠の差し押さえをしている。初めから殺人被疑事件として立ち上がっていれば、差し押さえに2年もかかるのはちょっと考えられない話しであるから、私は県警が認知するまでに2年が経っていたと思う。それで、なぜ差し押さえる血液や臓器があったかというと、医師が何か変だと思い保存していたという話しである。これは、つまりその医師が2年前に異状死体の届出をしていなかったということだが、この医師が21条違反に問われているかというと、そういう話はどこにもでて来ないし、それを敢えて問いただしているという様子は報道からは全く感じられない。

 そうしてみると、県立大野病院の事件は、やはり医師法第21条そのものの問題ではないのではないか、もしそうだとしたら余程の理由があることになろう。この事件の本質は、医師法第21条違反の適用の問題というよりも、業務上過失致死があるのかないのか、という問題にあるのだと思う。つまり、2年も経って敢えて逮捕したことにはそれ相応の理由があって、それは業務上過失致死かどうかを問題にしているのであって、医師法第21条はこの事件の本質ではないと私は思っている。

 よって今日のシンポジウムでは、21条問題をより一般的に考えた方がいいのではないかと思う。もはや国語の問題みたいであるが、どういう場合に届出義務を規定しているかを考えると、「過誤の疑いがある場合に届け出なさい」とは書いていない。どう書いてあるかと言えば、文字どおり「死体に異状がある場合」に届け出るように書いてある。では、死体の異状とは何か、これまでの法解釈をいろいろ見ると、法医学的な異状となっているから、明白なる病死とは言えない場合を指している。

 まだ続くのですが、明日にします。今日はいろいろトラブッて疲れました。警察関係2件、保険会社1件、トラブル患者数名でギブアップです。では明日。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

 手元に株式会社 総合医科学研究所(東証マザーズ上場:証券コード2385)の第12期中間事業報告書がある。

 この手の事業報告書を見られたことの無い人の為に紹介して見る。

 1、大学発、先端のバイオマーカー技術により新たなトクホ・医薬品等の市場を開拓

   当社は、取締役梶尾修身が、大阪大学医学部在籍時の研究成果を事業化するために設立した大阪大学発のバイオベンチャーです。当社の研究の対象は、体や病気の状態を客観的かつ定量的に評価するための指標であるバイオマーカーとそれを利用した生体評価システムです。

 現在、当社が特に強みを発揮しているのはトクホの申請を目的とした臨床評価試験です。今後、国民の健康意識の高まりや混合診療の解禁もあり、食品だけでなく幅広い分野で科学的エビデンスが求められるようになると考えられることから、当社の事業の需要がますます高まることが予想されます。当社は、大学発の研究成果によって、人々の健康で安全な暮らしを実現し、医療費の抑制や生活快適性の向上等に貢献することを目指します。

 当社の特長は、トクホ開発に精通した学術医師等のスタッフが、開発方向性の策定や素材の選択等の開発初期段階から、臨床試験プロトコルの作成、試験の実施、結果解析、論文の作成に至る各段階、さらには厚生労働省の審査ヒアリングへの同席までの一貫したサービスを提供することです。また、大阪大学を中心として、トクホの対象となる各種疾病領域において先端的研究を行っている40名超の大学研究医を学術委員に迎えており、トクホ候補の効能に応じて第一線の大学研究医から指導を受けながら業務を行っています。

 バイオマーカー開発事業は、当社独自のバイオマーカー・生体評価システムの使用権を食品企業や製薬企業に供与してその対価を得たり、開発したバイオマーカー・生体評価システムを用いて食品企業製薬会社等と共同で新たな食薬等を開発して、契約一時金やロイヤリティ収入を得る事業です。現在、同事業における中心的プロジェクトとして、「疲労プロジェクト」が進展しています。疲労プロジェクトにおいては、抗疲労製品の上市後、販売金額に応じて契約企業からロイヤリティを受領することとなっております。

 疲労プロジェクトは、主として文部科学省科学技術振興調整費研究「疲労および疲労感の分子・神経メカニズムとその防御に関する研究」にて得られた研究成果を、当該研究を行った大学研究者の参加を得てヒトを対象として実用化するものです。当社では、参加企業を通じて、2007年度中にも抗疲労トクホを上市することを目指しています。

 財務諸表:中間貸借対照表、中間損益計算表、中間キャッシュ・フロー計算書

 株式の状況

 大株主の状況:梶尾 修身 18,9%

           梶尾 智子 11,94%

           梶尾 佳孝  7、4%

           有限会社GMS 3,81%

           日本トラスティ・サービス

           信託銀行          3,3%

           日本証券金融   1,92%

  会社概要 本社 千里ライフサイエンスセンター13階

         資本金 831百万円

         従業員 31名

 事業報告書の中身はこんな感じですね。

特別に株価操作や風評を流すために掲載したのではありません。くれぐれも意図を勘違いしないで下さい。株取引は自己責任で行って下さい。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

 これは吉田拓郎の歌です。高校時代はフォーク全盛であった。広島にフォーク村と言うのがあって、フォーク希望の若者が集まっていた。「人間なんてラララ、ララ、ララー」とか「浴衣の君は・・・・」とか歌っていた。

 人は思春期に自己の確立と自立を始める。フォークは思春期の心性にピッタリとマッチしていた。文化祭でもフォークギターが弾けて歌える級友はアイドルであった。

 中年期に自己の再確立の時期がくる。今日はしたたかフォークを歌ってきた。もちろん飲んでますよ。他人の迷惑省みず、歌ってきた。

「原宿ペニーレインでバーボンをペニーレインでバーボンをしたたか飲んだくれている・・・・・」などと歌ってきました。帰宅したら11時30分過ぎでした。

 記事を書いてたら12時過ぎました。1日も欠かさなかったのに。残念。

 明日は2つ記事をかきましょうかね。酔ってて、だめだこりゃ。お休みなさい、失礼しました。明日起きたらきっと後悔するだろうなー。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

 思うに私の年代は同和問題と共産主義の洗礼を程度の差はあれ受けている。

 中学1年時、全生徒で「橋のない川」を映画館まで観に行った。今から思えば同和教育の始まりだったと思う。昭和40年代だ。昭和50年代、60年代は最盛期だった。学区・地域の同和学習集会が盛んに開かれた。特に広島県は盛んであった。小さな子どもに「かわいいね、何才ですか」と訊ねて、その子が親指を折って後の4本の指を立てて「よっつ」とか言ったら、子どもの母親が「ダメ」と叱って周囲を見渡してましたね。

 平成11年に県立高校校長が首を吊って自殺した。この事件が契機となって流れが変わった。参院予算委員会に参考人招致された広島の校長協会会長が「部落開放同盟の教育介入が校長を死に追い詰めた」と述べ、地元出身の当時蔵相だった宮沢喜一氏も「多くの人がリンチにあい、職を失ってきた。今日までこの事態の解決に十分寄与できなかったことを恥ずかしく思う」と答弁した。それから厳しい同盟批判が相次いだ。

 影の総理と言われ権謀術数を駆使した辣腕政治家、野中広務氏は昭和57年3月、京都市の京都会館で全国水平社創立60周年記念集会で来賓として壇上に立った。当時野中氏は京都府副知事であった。

 「全水創立から60年ののち、部落開放のための集会を開かなければならない今日の悲しい現実を行政の一端をあずかる一人として心からおわびします。私事ですが、私も部落に生まれた一人です。私は部落民をダシにして利権あさりをしてみたり、あるいはそれによって政党の組織拡大の手段に使う人を憎みます。そういう運動を続けておるかぎり、部落開放は閉ざされ、差別の再生産が繰り返されていくのです。60年後に再びここで集会を開くことがないよう、京都府政は部落開放同盟と力を合わせて、部落開放の道を進むことを誓います」と挨拶している。

 「やぶ医者のつぶやき」のドクターI先生が記事の中で、奈良市職員が病気を理由に5年間で8日しか出勤せず、その間の給与を満額近く受け取っていた。おまけに親族の経営する建設会社に公共工事を5000万円以上受注させていた。と書いておられる。

 何故、奈良の件にしろ、大阪の芦原病院の件にしろ、今頃になって騒いでるが、もう少し早めに対処できなかったのかと、誰でも疑問に思う。しかし同和運動真っ只中では、怖くてだれも口に出して言えませんでしたね。こういう雰囲気が差別の再生産を生むのでしょうが・・・。

 

続きを読む

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.10.23 14:10 |  趣味  |  映画 / 音楽 / 読書  |  沖縄の海  | 推薦数 : 0

黒澤映画について

 世に黒澤明監督の映画ファンは多数おられる。自分も黒澤映画ファンである。

 私にとって黒澤映画の印象を書いてみる。

1、構成が分りやすい。曖昧さがない。(もやもやした何の役割を果す人物なのか分らない人物は登場しない。筋書きの起承転結がきっちりしている。など)

2、展開がだらけていない。(緊張場面と弛緩場面を上手く使い分けている)

3、映像が美しい。(ワンシーンごと、絵になる)

4、日本映画というより欧米的な感じである。(演劇、歌劇、ミュージカルに近い)

 練り上げて作った映画(作者の伝えたいことが明確であり、どうすれば観客に伝わるかを究極まで追求している)で、妥協がない。

世界中に「KUROSAWA]と言わしめる価値は十分にありますね。

固定リンク | コメント (64) | トラックバック (0)