今、子どもたちは、学校の授業でタバコを吸うと、体を壊すことを学びます。
先生がタバコを吸っていると、「先生、タバコを吸っていてはいけない、体に悪いですよ」と心配して声をかけてきます。
このとき、喫煙する教師は大抵、「先生はもういいから」とか、「先生は大人だからよい」とか、「先生はがんにならない」とか、苦しい言い訳を言い、子どもの真摯な問いかけから逃避します(これもニコチン依存症のためなのでしょうが)。
「先生はもういいから」とは・・・「先生の命は大したことはないから、いつ死んでもいい」というメッセージです。自分の命なら、粗末にしてもよいことにつながるのではないでしょうか。
「先生は大人だからよい」とは・・・「タバコには害があるが、吸うのは大人の特権だ」というメッセージです。子どもに禁止しながら、大人だから自分はよいと言っても、子どもには理解されません。「毒饅頭を食べている大人の姿を見せ、この毒饅頭を食べてはいけない」と言っているわけですから。教師が「わかった、あなたたちの言っていることは正しい」と答えて、吸わないようにする姿を見せることが重要ではないでしょうか。
「先生はがんにならない」・・・全く根拠のない言い訳です。「自分が肺がんにならないことで、タバコに害がないことを証明してやる」と言われることもありますが、たった1人の幸運な事実では、何も言えません。「嵐の海でサーフィンをして無事だった」たった1つの幸運では、「嵐の中でのサーフィン」の安全性は証明できないのです。学校は、科学的な考えを学ぶ場でもあります。このような非科学的な考えを子どもに吹聴すべきではないと思います。
いずれにしても、学校で教師や大人がタバコを吸いながら、子どもにタバコを吸ってはいけない、と口先だけで言っても教育効果はあがりません。生徒にタバコを吸わせたくなければ、教師、指導者、PTAが、まず一切タバコを吸わないことです。学校が「完全禁煙」になり、教師が喫煙しないと、生徒の喫煙率は下がります。逆に、教師が喫煙すると生徒の喫煙率は上がります。
どうしてもやめたくないという方でも、子どもたちの先生である以上、「禁煙する姿勢」だけでも見せて、「子どもの前では喫煙する姿を見せない」ことが必要ではないか、それが教師としてのプロフェッショナリズムではないかと思うのです。
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禁煙した人が、再喫煙する理由として、最も多いのが「ストレス」、2位が「酒席」です。どれも「周りで吸われてほしくなって、つい・・」です。「つい出来心で」とか「この1本くらい」と甘くみる場合もしばしばです。ひどいときには、喫煙者が、禁煙した人に喫煙を勧めることもあります。私はこうなると一種の「自殺幇助」ではないかとも思ってしまいます。
一方、禁煙が続いている人に話しを聞くと、「もう職場にも、家でも吸う場所がありませんから。吸うところがあれば吸っているかもしれない」と言われます。
日本の社会においても「喫煙する場所」は少なくなっていますが、まだ十分ではありません。「社会の禁煙化」は、受動喫煙の害を減らすため、つまり非喫煙者を守るためだと考えられていますが、私はさらに大きな面があると思います。
禁煙した方は、タバコの害などを認識して、禁煙したいと思ってやめたわけです。しかし、「社会の禁煙化」が十分でなかったため、再発してしまいます。この方々はやめたかったのにやめられず、将来生命の危険にさらされることになります。毎年喫煙者の300人に1人(死亡者11万人/喫煙者約3000万人)がタバコによる疾患でなくなっています。「社会の禁煙化」は、禁煙した人が再発しないためにも重要であると思います。
未だに灰皿を出すのがもてなしと思っている企業や公共施設はたくさんあります。したがって、禁煙を呼びかけると、「タバコを吸う人もおられますので」とか、「タバコを吸う人と吸わない人の両者のために」とか言われます。
しかし、私はこう考えます:社会を禁煙化していくことは、タバコを吸わない人、禁煙した人を、タバコの害から守ることになる。さらに、タバコを吸っている人でやめようと思っている人の禁煙を促す。
大切な人がタバコを吸っていて、どんどん吸うように推奨する人はまずいないでしょう。それは何故か、その人が大切だからです。「愛情」です。「禁煙化」は、決して喫煙者への意地悪ではなく、他人や自分への「愛情」の結果です。だからこそ職場や家庭、宴会は禁煙にすべきではないか、他人の禁煙には進んで「いいことをしているから」と皆が協力すべきではないかと思います。
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