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過去記事の続き、です。
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(1)http://blog.m3.com/tenchanoffice/20081201/1
(2)http://blog.m3.com/tenchanoffice/20081204/2
A先生が、天ちゃんに手土産として持たせてくださった...1冊は、劇画でした(↓)(^^)v。
http://item.rakuten.co.jp/book/1753599/
ひめゆり学徒として生き延びた、与那覇百子さんの体験談を、漫画家 ほしさぶろう さんが描いたものです。
ひめゆり平和祈念館から道を隔てて喫茶店の店内のA先生をみつけたら、ちょうど熱心に読んでおられました。
A先生のお勧めのとおり(^_^;)、那覇空港から帰りの機内で読みました。
ほとんど基礎知識ゼロの...(^_^;)
天ちゃんのレベルをちゃぁ~んとアセスメントして、何冊もある書籍のなかから選んでおいてくださったのでしょう...<m(__)m>。
そして、もう一冊(?)が...
「ある日、いつもの通り、琉球新報を開いたら...ビックリしてさぁ~」
「だって(天ちゃん)先生。いきなり”サイパン陥落”だぜぇ~~(@_@;)」
その喫茶店でおもむろに、箱から、その新聞を取り出して、テーブルに広げました。
それが、沖縄戦新聞、です(→)。
沖縄戦後60年の節目に、琉球新報社が企画したものでした。
2004年7月7日の第1号が、「サイパン陥落」でした。
それをA先生は、ビックリしながら読んだ、という次第だったということになります。
以下...
第2号 「対馬丸沈没」 2004年8月22日
第3号 「10・10空襲」 2004年10月10日
・・・・
第6号 「米軍、慶良間上陸」 2005年3月26日
・・・
第10号 「第32軍、首里放棄」 2005年5月27日
第11号 「沖縄戦 事実上の終結」 2005年6月23日
・・・
そして、最終号 第14号 「南西諸島の日本軍が降伏調印」 2005年9月7日
日本新聞協会による2005年度新聞協会賞(編集部門)、第5回「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」を受賞。
琉球大学社会学教授 保坂廣志氏の「沖縄新聞」を見る目から・・・
・・・ちなみに本紙は、沖縄戦新聞の第一号に、「戦時下の新聞は、戦争の正当性を流布し、戦意高揚に加担、国民を戦争へと駆り立てた負の歴史を背負っています。琉球信奉者も例外ではありません。」と述べている。その後、「発刊の狙い」の文言は、少しずつ変化するが、「言論統制で当時伝えられなかった沖縄戦の全体像を現代の視点で報道」する姿勢は一貫していたといえる。
それでは、言論統制下にあり、戦時の沖縄の新聞は何を書いたであろうか。沖縄地上戦が始まる直前の昭和20年2月16日、『沖縄新報』は社説で次のように説いている。「戦争は、軍も官も民もない。すべてが戦闘員だ。一丸となって戦うのだ。竹槍であろうが、それが武器になるものであれば、てんでに提げ、一人十殺の必殺訓をなして戦う、これが県民の絶対的使命となったのだ」。・・・
各号4ページで、1面が本記をはじめとする主要記事、2・3面見開きで住民の証言・解説記事・戦況など、4面は平和教育にとNIE(教育に新聞活用を)面としての性格がもたせてあります。
先週、クリニックに持参したら...頼りの事務長が熱心に読んでいました(^^)v。
「(天ちゃん)先生、これ、スゴイッスねぇ...(@_@;)」
ちなみに、琉球新報と沖縄タイムズだけが、内地のように、朝刊として朝、普通に配達され...他の全国紙等はすべて昼間に配達されてくるそうです。
そう言えば...那覇空港のANAショップでも、週刊誌は、内地より2~5日遅れです、と但し書きがされていました。
深夜に着いたホテルのフロントにあったのは、シッカリ、全国紙の朝刊で、一瞬怪訝に思った記憶がよみがえりました(^_^;)。
これも、沖縄初めての天ちゃんにとっては、ちょっとしたカルチャーショック、でした。
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