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< 「富士モデル」事業 (^^)v | メイン | 「患者の語り」 milkyさん(2) >
「いのちの電話相談員」の養成講座を受講中の、うさぎ さんから、素朴でいて、大変重要な疑問をいただきました。
↓ ↓ ↓
http://blog.m3.com/tenchanoffice/20081112/_v1#comments
(以下に、一部引用し再掲します。)
> 実は教えていただきたいことがあります。
> あまりに突飛な質問なので誰にも聞けないまま、しかし悶々とし時を過ごしています。
> 「どうして、自殺は予防しなければならないのでしょうか?」
> いのちの電話活動の主旨は悩みを抱えているお相手の気持ちに添うことだ、と学びました。
> そのとおりです。
> しかし、どうして自殺を望んでいる人にだけはその人の希望に添わずに自殺を止めなければならないのでしょう??
> もちろん私だって、誰かから自殺をほのめかされたら必ず止めると思います、心情的には。
> しかし、あえて誤解を恐れずに言えば死にたがっている方には死んでもらってもいいんじゃないか・・・と。
> 死にたがっている方の多くはうつ病だったり経済破綻を抱えていたり・・
> 社会的にも健全には暮らせない方たちが多い。
> そういう方たちを、しかも本人が死を希望しているのに生きてもらうことには、どんな意義がありますか?
> ほとんどのテーマでは、相手の希望するように添うのが「親切」と定義されているのにどうして自殺に関してだけは
本人の希望と反することを進めなればならないのでしょうか?
これに対し...ちこ さんと じゅんじゅん さんが、すでに応答してくださっています。
↓ ↓ ↓
http://blog.m3.com/tenchanoffice/20081112/_v1#comments
(これも一部引用し要点を再掲します。)
> 私が思うには、死にたい人は、死にたいと思う何らかの理由が解決すれば、必ず生きていけるに違いないから・・・です。
> うつ病で死にたくなるのは「症状」です。うつが良くなれば死にたくなんかなくなります。
> 借金苦で死にたい人は、借金が整理されて何らかの手立てが取れれば、生きていけます。その方法があるんです。だから、自殺は予防すべきと思います。
> 生きてさえいれば、そして、必要な援助を受け、死にたいほどの苦痛がなくなれば、人は必ずまた生きていく方向へと進むのが本来です。
> 人の心臓は、どんなつらい時でも確かに鼓動を打ち、意識しなくても息を吸いまた吐きます。それが生き物の自然です。人も自然の一部なんですから。
> 死んでしまった彼も、最後まで死にたいと生きたいの間を揺れてました。何も食べられなくなっても、飲み物を求め、死の直前には私の作って帰ったおかゆを食べようとしていました。
> 人はそういう揺れる存在です。命ある限り、必ずまた笑える日が来ます。その日のために、今死ぬことはもったいないのです。
> 今死にたい命を支えること、そして未来に希望を見出していかれるよう寄り添うこと・・・相談員の役割は大きいです。
ホント! いつも、ちこ さんのコメントには感心しています。
ここでの応答の内容(↑)に、天ちゃんも賛同いたします(^^)v。
じゅんじゅん さんの、ご自身のうつ病体験に基づいた、囁きかけるような次のコメント(↓)にも感心しました。
(一部抜粋引用し再掲します。)
> 実際に自分がウツになってみて,少し分かってきた気がするのです。
> ウツ病は,「脳の病気」で,「脳の元気を出す物質」が少なくなっている状態。または,「脳の元気を出す物質が出にくくなっている状態」。
> こうとらえた時に,目から鱗・・・。何故自分がしんどくなるのか,何故憂うつな気持ちになるのか,納得できたのです。
> だから,今自分に起こっているマイナスの感情(不安,恐れ,悲しみ)は,うつ病にかかった脳が生み出しているものであり,自分本来の感情ではない・・・。 そう認識できたのです。
(中略)
> うつ病の方は,うつ病がきちんと治療されれば,「死にたい」とは思わなくなる方が多いのでは?
> 「治療さえすれば」マイナスの感情は,少しずつ消えて,本来のあり方に戻るのでは・・? そう考えています。
うさぎ さんの疑問への応答には、いくつもの可能性があり得ると思いますし、応答の入り口もな何箇所か考えられると思いました。
そもそも...どうして自殺を予防しなければならないのか? という論の立て方は妥当なのでしょうか? というコメントもあり得るでしょう。
うさぎ さんご自身も...
> もちろん私だって、誰かから自殺をほのめかされたら必ず止めると思います、心情的には。
...とお書きになっているように、自殺を予防しなければならない問題ととらえるのではなく...「自殺したい、死にたい」と思っている(語っている、行動しているetc.)に接したときに、単純に(?) or 素直に(??)それを予防したいと思うから止めるのだ。
そして、それ以上、何を考える必要があるのだ!? それ以外に、何もなく...予防したいという私の「心情」の発露なのだ。
要は、自殺を予防したいから予防する。
そういう応答も、あり得るでしょう。
以下は、もう8年くらい前に、古語体の難しい、ある昔の有名な哲学者(名前を失念しました(^_^;))の自殺を許容するとする論文から、記憶をたどって論旨を、ご紹介します。
(訳文をPC内に見つけられないので、天ちゃんの理解にブレがあるやも知れませんがm(__)m。)
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キリスト教では、神の子である、われわれ(キリスト教徒)は、自殺してはならない。それは、神聖なる神の領分を侵すことになるからだ。
そのため、自殺者とその遺家族は、ひどい仕打ちを受けていた。
しかし、考えてみれば、われわれ(キリスト教徒)に、神から与えられた使命は、この世で働くということであった。
だから、この世でその神から与えられた使命である、働くことを全うできなくなったものは、自殺する十分な道理(理由?)が与えられている。
そうすること自体、神聖なる神からの使命であり、自殺することは神聖なる神の領分を侵すことにはならない。
自殺者が生まれること自体、神の摂理の範囲内のことである。
よって、遺家族が、これまでのようなひどい扱いをうけなければならない、いわれはない。
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たしか、こんな要旨(↑)の論文だったと記憶しています。
天ちゃんは、当時、その難しい英語と、しかし、ロジックとしては実に明快で、かつ遺された人々の救いにも通じる主張で、たいへん興味深く読んだのを覚えています。
そして、今も、キリスト教圏では、自殺に対して許容的でない文化(?)があり、それが自殺率の比較的低い理由である、としている識者もおられたと思います。
うさぎ さんが同じコメント欄でお書きになってらっしゃったように、我が国は、自殺に対して相対的に許容的である、とも言われています。
こうした文化的背景も、確かに、自殺を予防しなければならないか否か、という疑問への応答に影響を与える視点だと思います。
相対的に、神の価値が低下した、現代においては、神の領分として思考停止するわけにいかないことも、しかしその一方、また確かなことでしょう。
このテーマについては、今後とも、おいおい継続的に記事をアップしていく所存です。
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コメント
コメント一覧
以前、こちらでも、相談させて頂いた、離婚を前提に自殺未遂を図った友人。
今では、以前、自殺を図った人とは思えないほどに回復しました。
子供を失い、離婚し、残るのは家や車の借金。
もう、望みすらないように思えたけど、今は、生活することを目的に、仕事をして、必死に生きています。
もし、あの時の自殺未遂が成功してしまっていたら。。。
こんなにも友人の人生が変わるとは思ってもみませんでした。
以前、天ちゃん先生に、専門医の受診が必要でしょうか?という質問に答えて頂きましたが、あれから、うつ病にもならず、医療機関の受診も今では全く必要なしの状態です。
生きてくれていて良かった、これこそが自殺予防なのかなと思いました。
これは、うつ病になる寸前だったから、予防できたのかな。うつという迷路に、はまっていなかったから、自分で修正ができたのかな。
今回のうさぎさんの”うつとは、関係なしに自殺を決意、実行したケース”が、私の友人の体験談かなと思って、天ちゃん先生への経過報告を兼ねて、コメントさせて頂きました。
自分自身が、辛くなったら、この友人の事を思い出し、そして、主治医の、”その場をやり過ごす、その日その日単位で考える”という言葉を私のお守りの言葉としています。
うさぎさん>
知人の方の事が心配ですよね。患者本人も当事者は当事者で悩むけど、周囲も、また悩みを抱えているというのはまさにこういう事なんだなあと思いました。
>たまに携帯電話を鳴らしてみるけれど、出てはくれない。
この、覚えてくれている、心配してくれる人の存在が大きいんです。調子が悪いと、実際に電話に出たり、言葉にはできない事もあるかもしれないけど、心配してくれてる人がいる、この思いは、きっと届いていると思います。
私は、10年と、病歴が長い事もありますが、やはり、時代と共に去っていく人もいます。
病気が理由とは思いたくはないですが。。。
でも、それでも、病前と全く変わらなく接してくれる友達は、これからもずっと大切にしたいと思っています。
うつといっても鬱病から2次的な症状としてのうつまでいろいろあるんですよね。
ADHDの小生も2次的にうつになって自殺を考えたことがありますし、統合失調症や他の精神疾患の人や極度の疲労からうつになることもあるんですよね。
そして大事なことは、それぞれ対処治療法が異なるこいうこと、だからまずは専門家にきちんと診断してもらう、あるいは可能なら自分でブログや本から情報を仕入れて専門家に相談する、などの基本的な作業が大変重要なんですよね。
こと「うつに伴う自殺願望」については以上のようなことを最近考えています。
そういう意味でも、きちんとした診断対処治療がなされれば助かる、助けるべき人たちは必ずいるはずであると。
私の指導司祭は曰く「ユダはイエズスを裏切ったあと後悔したが遅く、自殺したと聖書にある。イエズスを引き渡して裏切ったことではなく、それでもなんとかしてユダを救おうとする(神は前任も悪人も救おうとするので)神を振り切っ(自殺し)たので罪深い。しかし彼はきっと地獄には居ないと思うよ。後で救われたと思う。」と言ってましたヨ。ベルギー人の司祭でしたが。キリスト教国の(カトリックの)自殺率が低いという考察では「ゆるしの秘跡(告解)」が、個人の罪の意識を和らげるので少ないのではないかというのを読んだことがあります。
自殺を「予防しなくてはいけない」理由は皆様書かれている通りでしょう。
自殺を「実行してはいけない」かどうかは、別だと思います。
病が治る見込みがなく死期が迫っているのに生きており、自分が大切にしたいと願っている人に残酷なほど負担がかかっているとしたら、実行したいと願う人は多いかもしれません。
>覚えてくれている、心配してくれる人の存在が大きいんです。調子が悪いと、実際に電話に出たり、言葉にはできない事もあるかもしれないけど、心配してくれてる人がいる、この思いは、きっと届いていると思います。
そうですかね?
その知人との共通の友人には、先日
「出ないってことは嫌がられてるんだよ。そっとしときな。もうやめな!」
と言われたんです。
で、私もちょっと落ち込んじゃって、
そうかもなー、うるさいだけかもなー、
静かに療養したいだけでうさぎの声なんか聞きたくないよなー、
と考えました。
でも一方で、ホントにイヤだったら番号を変えるとか
うさぎからの電話を着拒否するとかできるのだから、
いやでもないのかも・・
うさぎはわすれてないよ、ゆっくり待ってるよ、とだけでも
伝わるといいのに・・と考えました。
yoccyannさん>
ヒントをありがとうございます。
すこしわかってきました。
うつではない人でも自殺したいと切に願い、決意する状況、
やはりありますよね。
そう、そこんところが知りたかったんです、わたし。
私なりにうっすらわかってきたことは、
例えばいのちの電話のようなところに電話してきて
「死にたいなぁ」と言うこと自体が
半分は死にたくないから相談しているわけで、
気持ちを投げかけている時点でもう、
救いを求めているようなものだから、
だから相談者としては精一杯、
救いを求めようとしている影の部分の気持ちに添わなくちゃ
いかんのだ、ということ。
すこぅし、わかってきました。
でも人間って弱くていとおしてくて不思議ですね。
「転職」したい・・・なんてときは
自分の中では半ば決意がついていても相談してみて
「心配ないよ、信じるようにやっみて。頑張って」
と背中を押され安心したいのに、
「自殺」の場合は
決意がついていると誰にも相談せず
死なないでと止めてもらいたいときに相談するんですね。
そのはかなさ、弱さがまた人間の証拠でしょうか。
天ちゃん先生、そしてみなさん、
たくさん教えていただいてありがとうございました!
わたし一生懸命学んで、よい相談員になりますね。
遅ればせながら<m(__)m>、先日、記事(↓)をアップしました。
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