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パリの定宿はStarwoodのThe Luxury Collectionの一つであるPrince De Gallesである。
ルイヴィトン本店のそばで、どこに行くのも便利である。Platinum Starwood preferred guest でいやな思いをしたことがない。いつも最上級のお部屋を用意してくれる。もちろんマイルに簡単に交換できる。
ホテルの支払いはJAL cardでしてどんどんマイルを貯めるわけである。
パリ三越で働くことが決まったお嬢さんが、母親と大きなルイヴィトンの紙袋をもって餃子屋さんに並んでる。一時期俄か日本料理店がパリに激増して、組合が公認を出す出さないともめたことがあった。今は落ち着いたみたいだが、パリというところ何でも取り込む洗練された文化がある。そして一人で歩いても全くさびしさを感じないのがパリかなと思う。
昨年、夏にパリの友人の家を訪ねた。アレキシアはボラボラ島の時はまだ子供だったがもうお美しいフランス人女性になっていた。それより、友人の家Penthouseで迷子になった。とにかくびっくりした。奥様の貿易の仕事が大当たりだそうだ。東南アジアの雑貨を売っているらしい。
さてそろそろ帰ろう。
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ここ数年「日本料理のような」料理を出すお店が増えてますよね。
ジョルジュ・サンクから地下鉄でパリのどこでもいけて便利です。パリの地下鉄はこれまた大好きな移動手段です。構内や車内でのミュージシャンも、実はプロだったりするところがすごい。
この辺が、スリでいっぱいのローマの地下鉄とは違いますよね。
ドイツに行こうがイギリスに行こうが、必ずパリに寄って帰るマイレージおやじです。
モンマルトルの丘に立ち、サクレクール寺院の庭から眼下に広がるパリを見ていると、なぜか日本に帰りたくてしかたがなくなりました。望郷ってこういうこと?と。
お金がなかった。毎朝5時に起きてパン屋へ行きました。『Demi』と言うとバケットを半分に切ってくれることを学びました。乾物屋に行って、チーズを三分の一と、『Jambon!』と言って、おいしいフランスのハムを一枚切ってもらいます。それを三回食べるのが一日分の食事です。これで10フラン。(当時500円)
毎日毎日それではまいるので、アルジェリア人がやっている安い店でよく食事をしました。道を歩いていると、人懐っこそうな口ひげを蓄えたアルジェリア人のウエイターがにっこりほほえんでくれたので、吸い込まれるようにその店に入ったのがご縁のはじまりです。たぶんさびしかったのだ、と思う。
メトロに乗ってシャンゼリゼには毎日行きました。とおりのちょうど真ん中にある駅でおりてコンコルド広場へ向かい、ルーブルに毎日行きました。他に何もしていなかった。
コーヒーはシャンゼリゼで飲むと高いので、二つくらい裏通りに入ってから飲みました。カウンターで立って飲むのと、席に着くのとでは値段が違うことをしばらくしてから知りました。
パリへくる時に紹介された日本人ピアニストの人々とは、やはりというか当然というか興味も行き方もまるで違うので、結局2・3回あっただけで、その後没交渉になりました。
楽しくて、さびしくて、美しい町でした。
また、パリへ行きたいな。
カナダから帰国する時、しばらく住んだのがパリでした。いつも同じように向かえてくれる街だなぁ。30年前の私は(カナダで)失恋して自暴自棄になっていました。ずっと封印していたなぁ。あの頃の自分を。
その時に、世界中飛び回るマイレージおやじの基礎ができたみたいです。
いつも迎えていただけるようになりたいでつ。行きたいと思いながら、こんなに年月が経ってしまったのでつ。どんなに変わってしまったことでしょう。
私は言葉がつうじず、パリでは失恋すらできませんでした。海外で言葉が通じなくて日本人の女の子に手を出すことほどかっこ悪いことはありませんので、下宿のおばちゃんと、日本で紹介されたピアニストの方以外の女性とは、まったく会話しなかった3ヶ月でした。
良くも悪くも忘れられない街、パリでつね。ジーン・・・・
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