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本日サントリーホールにて、東京都交響楽団プロムナードコンサートがあった。指揮はエリアフ・インバル、曲目はブロッホのヴィオラと管弦楽のための組曲とショスタコーヴィチ交響曲第11番「1905年」。
先に書いたけれど、ブロッホは日本初演、予習しようとCDを探し、AmazonとHMVで検索して、やっと2枚だけソフトを手に入れた。そのくらいレアな曲のようである。
最初聴くのにかなりエネルギーを要したが、耳になじんで来ると、そんなに聴きにくい曲ではない。特に第4曲はブロッホの作品中一番明るい曲だとのこと。私の個人的な印象では、ラベル「マ・メール・ロワ」の「パゴダの女王レドロネット」をちょっと連想させるような音楽である。
さて、インバルと都響の演奏。手兵ベルリン響と比べてどうかと思っていたが、都響はインバルの指揮によくついていったのではないかと思う。
ブロッホは予習していったソフトと比べると少し重い印象だったが、鈴木学のヴィオラソロとあいまって、良い演奏だったと思う。
ショスタコーヴィチはウィーン響とのCD通り、シャープな表現が生でも聴くことが出来た。
今回インバルを見ていて、気がついたこと。以前ブラームスを振った時には、指揮棒を持たずにいた。また楽譜を置かずに指揮していた。しかし今回は指揮棒を持ち、ブロッホはもとより、ショスタコーヴィチの時も譜をめくっていた。
ゲルギエフがショスタコーヴィチの交響曲第7番を振った時も譜を置いていたが、やはりさすがに指揮者の暗譜は厳しいのかも知れない。
ただ、なぜ指揮棒を使ったのか。インバルの右手も結構饒舌だと思っていたのけれど。また曲のクライマックスでは両手が頭より上がっていたのだが、今回はあまり手が高く上がっていたシーンは少なかったように思う。
ショスタコーヴィチの第2楽章で、軍隊が行進する民衆に向かって発砲した後、曲が盛り上がり、打楽器と管楽器にフォルテッシモを与える時のインバルの左手は、さあ咆えろと言わんばかりであった。右手が指揮棒を握ってしまっていたのはいかにももったいない。逆に各楽器群に抑制の指示を出す時の「シーッ」という示指はいつもの通りだったが。
6日後の都響とのR.シュトラウスとベートーヴェンのプログラムの方に注力していて、今日のプログラムはちょっと前座的な位置づけなのだろうか。
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