| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | |||
| 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
| 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
| 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
| 26 | 27 | 28 | 29 |
いじめの根の深いニュースを耳にするにつけ、根本は同じではないかと思う。
学校の教諭が生徒を“いじり”、いじめに繋がり、自殺という最悪の結末を招いてしまう。批判が当該教諭や学校へ向けられる。聞くところによると会社等の職場、あろうことか学校の職員室での先生同士にまでいじめが存在するという。

これは人間の、あるいは動物の本能に与えられた宿命なのだろうか。
先の交通事故加害者の厳罰化、そして医療の結果が思わしくなかった時の医療側へ向けられる非難と根本を一にするものではないかと考えてしまった。
決して故意でも何でもなく交通事故を起こして誰かを死傷させた途端に、そのドライバーは誰にも庇われぬ一番弱い立場におかれる。その時その時で最善を尽くしても患者さんの経過が思わしくなく、不幸な転帰をとってしまったケース。あの時違う処置を行っていれば助かったのでは?と、結果論では何とでも非難の余地がある、医療行為。ひとたび報道されれば極悪非道の犯罪人扱いされる医療者。医療者は日頃自己防衛を考えて医療を行っていない。考えているのは目の前にいる患者さんのことだけ。後から非難されぬよう武装しながら医療行為をしていたら、それはいわゆる防衛医療となってしまい、患者さんの不利益を招く。

もしいじめが人間・動物の本能に根ざすものなら、法で予防するしかないのではないか。医療崩壊といじめの本質は実は同一のものではないかと最近考える。
固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
コメント
コメント一覧
こうした時代であればこそ、法曹界は法及び過去の判例などを根拠なく踏み外すことなく、被告人の量刑を注意深く決めて欲しいと思います。被害者の感情及び、メディアに煽られた世論(のようなもの)に追随していては、判事の名が泣くというものです。
コメントを書く