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毎日新聞ーYAHOO ニュース 10月16日(月)20:49 より転載
<埼玉園児事故>容疑者に危険運転適用せず さいたま地検
埼玉県川口市で保育園児4人が乗用車にはねられ死亡した事故で、さいたま地検は16日、同県栗橋町南栗橋、運送業手伝い、井沢英行容疑者(38)を業務上過失致死傷罪で起訴した。遺族はより刑の重い危険運転致死傷罪の適用を求めていたが、粂原研二・次席検事は取材に対し「証拠上困難と言わざるを得ない」と語った。
起訴状などによると、井沢被告は9月25日午前9時55分ごろ、同市戸塚東2の市道で、助手席のカセットプレーヤーを操作しながら乗用車を運転。道路左側を歩いていた私立小鳩保育園の園児36人と保育士5人の列に突っ込み、▽盛山陽南子(ひなこ)ちゃん(3)▽小山内夢乃ちゃん(4)▽平井萌奈(もえな)ちゃん(5)▽福地悠月(ゆづき)ちゃん(5)を死亡させ、17人に重軽傷を負わせた。
現場は法定速度60キロ以下の直線道路。埼玉県警の調べでは、井沢被告は時速50~55キロで走行し、約15.7メートル手前で園児に気付いてブレーキを踏んだとみられる。同地検から起訴内容の説明を受けた陽南子ちゃんの父哲志さん(26)は「危険運転致死傷罪は条件が狭すぎる。基準を下げないと悲惨な事故はなくならない」と話した。【弘田恭子、町田結子】 (毎日新聞) - 10月16日20時49分更新
被害者の気持ちはわかる。私だって身内を交通事故で失ったら同じように思うかも知れない。でもここでちょっと冷静になって欲しい。いかこのドライバーをを厳罰に処しても、もう子ども達は帰って来ない。そして加害者とは言え、子ども達が「憎くて」「故意に」殺害した訳ではない。
このドライバーは多額の賠償責任を負う。民事的賠償については任意保険から補填されるかも知れないが、おそらく一生保険の力ではどうにもならない自責の念を持ちつつ生きて行くことになる。そのドライバーにさらに厳罰を科すことが必要だろうか。
なぜこのニュースを取り上げたか既にご賢察のことと思います。いつから日本はこんな風潮になってしまったのだろうか。そしてメディアはこれをさらに煽り立てる。記事を書いた記者の人、明日はあなたが誰かを交通事故で死傷させるかも知れないことを考えて欲しい。
コメント
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過失だったら、わざとではなかったら事故を起こした人は軽罰で許されるのですか。
日本人の平均寿命を80年としたって、彼女達には70数年という、輝かしい未来があるはずでした。
両親もそれを信じて疑っていませんでした。
それを突然奪われた悲しみも怒りも、何も想像をされていないコメントだと感じました。
被害者の気持ちはわかるとのことですが、ちっとも分かっていません。分かっていたらこんなこと、書けるわけがありません。
自分が事故を起こすかもしれないから罪を軽いままにしておきたいと、そう言っているようにしか聞こえません。
たった20数年しか生きていない、まだ若者とも言える両親たちが、愛娘の葬儀を行ったときの心境を考えたことがありますか。
もう治らない、傷だらけの小さな遺体を前にして無力感を感じることしかできない人たちの気持ちを少しでも想像しましたか。
ブログという個人の意見を述べるツールであろうとも、こうして被害者に近しい人間が見る可能性があるのだということを念頭において記事を書いて欲しく思います。
こうして、罪が重くなることばかりを考えている人たちがまた同じような事故を起こすのでしょうね。
この記事は医療事故において、不幸な結果になった患者さんの遺族の怒りが医療側に向くことについて、交通事故と重ね合わせて考えてみようと思って書きました。
本事件を離れて、たとえ不治の病気や不可抗力で身内の人間を亡くしたとしても、残された人間の悲しみ・どうしようもない喪失感は計り知れません。私自身は他の人間の故意や過失によって身内を失ったことはありませんが、病気などで見送ったことは一度ならずあります。悲しい思いに沈んでいたこともあります。やり場のない空虚な感情の経験は深く自らに刻み込まれています。
私が書きたかったのはこの先で、こういう事態の時に、もし加害者がいたら当然その怒りの矛先はその加害者に向かいます。もし身内が故意で殺害されたりしたら、私は半狂乱になって日本が法治国家であることも忘れ、復讐に向かうかも知れません。
もしそれが過失であった場合はどうでしょうか。私が患者の身内として、医療事故の中でも不可抗力でなく、患者取り違えなどの明らかなミス=医療「過誤」だったとしても、まずは怒りの矛先はその医療者に向かうでしょう。同様に交通事故であれば加害者に向かうでしょう。それをわからないなどとは言っていません。RANさんの書かれるような、その身内が命を奪われさえしなければ‥という悲しみ、人間なら誰しも感じるのは当然のことです。
私の記事の言葉が足りなかったかも知れませんが、それでも故意と過失は分けて考えてみたいと思っている訳です。医療過誤や交通事故加害者を、故意による殺人犯と一緒にしてしまって良いのかということです。故意の殺人犯であれば、極刑を望みます。法治国家ですから刑事裁判に委ねることになりますが。(次に続きます)
法の上で、殺人と業務上過失致死が別になっているのは意味があることだと思います。
過失は罪を問うべきでない、と言っている訳ではありません。その償いは民事として行われることがメインであって、被害者や遺族の人の感情をそのままぶつけて、加害者の全てを奪い去ることが本当に正しいか、ということに疑問を持った訳です。
交通事故の場合は、飲酒について法改正がなされました。飲酒運転自体が未必の故意による殺人に近いものであるという考え方だと思います。
医療事故‥過誤のない医療事故にあっても、先の福島県の婦人科医師の逮捕という事件が発生しました。これは法整備の不十分な医療分野においての、検察・警察の暴走と思います。医療行為過程に反省すべきミスがあれば民事的に償うべきですが、検察の得点稼ぎとしか思えぬこの事件には私のみならず、医学界全体から抗議がなされています。
本事故の問題に戻りますが、残された遺族の悲しみがわからないほど私は想像力に欠けているつもりはありません。その悲しみを誰がどうとらえ。受け止めていくか、これを帰納的にとらえて行こうとするのが法であると思います。怒りを加害者に向けて、少しでも重い量刑を、というだけでは感情論のみに終始してしまうことになります。
こうした問題提起を、自動車事故と医療過誤と重ね合わせてしてみたかったということです。厳罰化が交通事故そのものを、医療過誤そのものを防ぐとは思えません。同じような悲しい事故をもう起こさないためには、道路・車も、医療現場もすべきことがもっと他にあるのだろうと思います。
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