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既出の石浜出身のおばあちゃんのお話の続き。橋場は当時は大名たちのお屋敷街で、明治天皇の別荘もあったと言う話を何回か聞いた。
でも、皇居からそんなに遠くもなく、避暑にもならない浅草の北に、わざわざ別荘がある筈もないと疑問に思い、調べてみたら、ちょっと話が違っていました。
台東区に関するサイト http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/taitou-imamukasi/hasiba.html に答がありました。その部分だけ引用してみます。
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【対鴎荘】
明治維新の元勲で、明治政府の最高権力者太政大臣三条実美(1837~91)の別荘が白髭橋(当時は橋場の渡し)西岸にあった。政府部内では征韓論をめぐって激しく対立が続いていた。征韓論を主張する西郷隆盛と、これに反対する岩倉具視、大久保利通らの確執は日に日に激しくなっていた。三条実実は心労のあまり倒れ、この対鴎荘で静養をしていた。
「隅田川小雨は晴れて夕日かげ ぬれたる花にさしわたる見ゆ
世をいとふ人にはあらぬわれなれど いとまある日の かくれがぞこれ」
明治6年12月19日、両国橋から舟に乗り、吾妻橋をくぐって明治天皇は病床の実実を見舞いに訪ねている。新政府成立後の最大の危機に際して、明治天皇は三条実美を最も頼りにしていた
「見わたせば波の花よる隅田川 ふゆのけしきも、こころありけり」
対鴎荘は昭和3年、白髭橋架設工事のため多摩聖跡記念館(多摩市連光寺)に移築されている。京王線の多摩聖蹟桜ヶ丘の地名は、明治天皇が三条実美の対鴎荘を度々訪ねられたことから付けられている。
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高校まで歴史、ことに日本史は大嫌いだったけれど、こうした身近なちょっとした歴史は面白い。
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