中国人は嫌い、韓国人は嫌い、イスラム教徒は嫌いって感じで言われる日本人、少なからずいるかな。
私は、国としての中国や韓国は、確かにちと問題があると思います(日本も、いろいろ問題がありますネ)。日本に来ていた韓国の人(大学生)が、「日本に来るまで、日本を誤解していた。日本で学んでいる韓国人(大学生)、皆、同じ様に思っている。日本人にすまなかったと。又、韓国での日本に関する説明書に、日本人は建前と本音が違うと書かれていたので、よけいに、変な風に初めに思ってしまう・・・」と言われていた。
しかし、個人的に付き合うと、そんな偏見は、吹っ飛びます。トロントに行った時に、語学学校で一番親しくしていたのは、コンピューターを専門にしている韓国の青年だった。お茶の関係で韓国の東側にある浦項(ポハン)市と言う所に行って、ホームステイした時に、とてもよく歓迎され、今でもありありと思い出すことが出来る。韓国の真ん中にある清州(チョンジュ)市に行って演奏した時にも、とてもよくしてもらった。いろんな人と一緒に食事をして、韓国の人がもてなすことに一生懸命であることを知った。釜山に、3週間程行って、ハングルを勉強に行った時も、韓国人と親しくなり、いい思い出が出来ている。
中国の人とは、(福岡県にいた時も今の熊本でも)中医学を教わり、ホントに大変有り難く思っている。個人的には、皆、基本は同じだと思っているし、私には中国人や韓国人に対しての偏見は持っていない。が、実際に中国に行った人の話だと、特に、トイレ事情などを耳にして、都会はいいが、地方には、あまり行きたい気になれないが。
イスラム教徒とは、親しくしていた人が多いし、いまも親しく付き合っている。日本のマスコミの敵視する報道にいつも怒りを覚えている。キリスト教徒にしても、キリスト原理主義的な行動をとる国もあるではないか。チベットの仏教徒にしても、テロめいたことを起こしている。それを、イスラム教徒だけ敵視するのはおかしいと思っている。イスラム原理主義の行き過ぎた行動には、大半のイスラム教徒自体が、困っているのだ。
ダッカの人(9割がイスラム教徒)や多くのイスラム教徒のインドネシア人と接してきて、イスラム教徒に対しての偏見はない。
やはり、国単位の交渉でなく、民間での草の根外交が、もっともっと積極的に行われるべきだと思っている。
実際に、その人に接して、経験するしかない。その国の商売人や夜の仕事をする人ばかりを見て、判断するべきではないと思う。
田舎に行けば、どの国の人も、優しいし、相手を思いやる気持ちは同じ様な気がするけど・・・?!
川辺ダムのことで、熊本県が騒いでいるけど、現地の人の多くは、反対している。上に行けば行くほど、現地の実態を知らないだけに、ダム建設の方向に動いている現象と何か似ている感じがしているけど。
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アメリカでは、オバマ氏が民主党の大統領候補として選ばれるのに、延々と時間が掛けられている。他の候補と討論を交わしながら、ゆっくりと選ばれている感じだ。その期間が長いだけに、他の候補者との違いや自分のしたいことが多くの人に納得してもらえるかな。副大統領の選出でも、今回、マケイン側で問題が起きて、共和党が少し慌てているかな。
で、大統領がそんな感じで選ばれて、4年×2回=8年で終わりとなる。アメリカだけでなく、先進国は、皆、そんな感じだ。アメリカの初代のワシントンから今のブッシュまでの名前を空で言えるアメリカの子ども達は多いだろう。
しかし、日本ではどうだろうか?政治家のトップの内閣総理大臣が、1カ月以内で簡単に決められ、1年前後でコロコロと交代していれば、覚えられませーん!日本の場合、首相だけでなく、大臣にしてもコロコロどころではない。政治家は官僚の悪口を言うが、自分の胸に手を当ててよーく考えて欲しい。総理大臣だけでなく、大臣でも、5年以上もした人、戦後に何人いましたか?石の上にも3年で、それがホントに花が咲くにはその倍の年限が必要なはず。
官僚の頭の硬さは、既に、多くの人の知る所だ。多くのことが、ペーパー試験とコネや学閥などで選ばれてきている。その体質が、地方に行き(都道府県の知事の半分は、官僚出身)、同じ体質になっている。
大分県の教員採用問題にしても、合格基準がまだ公にされてない。半年で試験問題を灰にした責任を教育長が取ろうとしない。正直者が馬鹿を見る感じで(自己申告では、他に誰も不正をした者が出なかったとして)、そして、いきなり、今年採用の20名が首。
実際に、佐伯に帰って話を聞いてみると、(親心から不祥事を起こして、親に問題があって)採用された教師は、とてもとても子ども達にも親御さんにも人気があって、惜しまれているとか。
年に一度の受験勉強を強いられてのペーパー試験中心の選び方が、もう、時代遅れなのだ。それに何故気が付かないのか!選ぶ面接の試験官にも、(今から行われようとしている民間人の裁判員の様に)民間人が選ばれるべきだと思う。教育界を、教育者だけで固めることこと、正に、官僚的発想と思う。
政治家の世界も、正に、その場だけの官僚的体質になっている。選挙の前になると、野党から深刻な問題を突きつけられているが、それもおかしい話だ。普段にも、しかるべき問題を討論して行って欲しいものだ。年金の問題なんて、ずっとずっと前から、医師不足の問題にしても、ずっとずっと前から言われていることじゃなかったのか。
多くの政党が、大義名分式に国民の為にと常に言っているが、実際は、政党の為、選挙対策の為に、国民を無視した感じで政治が動いているかな。
しがらみのない人を選び、しがらみのない人に頑張って欲しい。
日本では、東国原さんみたいな人のグループ、どうして出来ないのかなあ?
今の厚生労働省の舛添要一氏、私は孤軍奮闘って感じでとてもよく頑張っている政治家だと思っていますが。
小池百合子氏が、防衛省の事務次官を首にした力、今改めて考えるに、スゴイことをやってくれたんだなあと思いますけど。
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アフガニスタン東部で武装グループに拉致されていたNPO(非政府組織)「ペシャワール会」のスタッフ、伊藤和也さん(31)が遺体で発見された。
マスコミ各社でいろんな意見がされ、政府も、それなりに述べている。
が、見方を少し変えて、向こうの立場で考えてみた。
そこでの向こうの闘士にとっては、毎日が、緊張の連続で、まともな仕事なんてない。いつ、アメリカの攻撃に会うかも知れない。そこでのある闘士が言っていた、「お金で仕事を請け負う。相手はどこかは関係ない。それで家族を食わせないといけないから・・・」と。闘いのない平和が続けば、職がなくなって、食っていけないのだ。
初めはそれなりのイデオロギーがあったのだろうが、生活が苦しくなると、そうも言ってはおれない。極端な言い方をすれば、銃を持って、ある組織に先導されての人殺しが仕事って感じになっているのだ。
この現実をしっかりと見つめる必要があると思う。
(今回、伊藤氏を襲ったのは、純粋なタリバンではない様だが・・・)
やはり、多くの人は、どこの国でも、優先順位は、最低限の経済的な生活の保証だと思う。アフガニスタンの様な荒れ地では、タイや海辺の南国の様な豊富な食べ物の確保は、困難だ。その必要性を伊藤和也氏は、若くしてちゃんと納得していて、自分が出来ることを考えて、それをちゃんと実践していたのだ。素晴らしい青年だと思う。
タリバン側から攻撃を受けても、中村哲氏は、反撃を周りに決して強制しない。初めは、周囲の反発をかっていたが、中村氏と行動を一緒にしていた現地のアフガニスタン人も、中村氏の考え方が正しいとその後、気が付いている。今回も、中村氏は、アフガニスタンの人達やタリバン側を批判的に言うことをしてない。彼は、本質を見抜いていると思う。
元はと言えば、大国のエゴが、アフガニスタンの多くの人民を苦しめてきている(アフガニスタンだけでなく、アフリカや今回のグルジアの問題でも同じだ)。初めは、アメリカは、敵国ソ連を打つ為に、アフガニスタンに武器を送り、多くのタリバンにも、その様にした。つまり、タリバンは、アメリカ側に付いていたのだが。その後、ソ連が崩壊し、アフガニスタン内部で、抗争が生じた。そして、アメリカに対する反感が強くなった。それもアメリカは、力で抑えようとした。多くの命がそこで失われていった(今も、イラクでも、似た感じでで行われているが)。しかし、太陽と北風の関係と一緒で、力で一時的に抑えても、根本的な自体は何ら変わっていないのだ。
日本は、中東の国々の間では、とてもいい関係にあるケースが多い。アメリカに対しては反感を持っている国々の人も、日本に対しては、(韓国や中国など例外はあるものの)いいのだ。韓国と中国とは、政府間で問題があっても、私の様に個人的に仲良く付き合っているケースは、多い。
日本政府は、もっとアメリカに言うべきことを言って、平和外交をもっと積極的に勧めるべきだ。
今のアフガニスタンでは、再びタリバンの力が強くなっているようだが・・・。草の根外交が最も近道の気がしているが、そのバックには、やはり強い政府の後押しが必要だと思う。直ぐに力でねじ伏せるのではなく、やはり、それなりに時間が掛かるのだ。
政府が世界の情勢をちゃんと判断しなくて、今の官僚の様に場当たり的にことを澄ませてしまおうとすると、益々おかしくなってしまう・・・?!
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昨日、女子ソフトがオリンピックで金を取った。アメリカに負け、オーストラリアにきわどく勝ち、そして、再びアメリカと決勝戦で対決して、今度は勝った。その3つの試合を全て見ていた。相手のエラーにも助けられたが、しかし、まあ、最後までよく頑張ったなあと思うし、正に、気力とチームワークだなあと思った。
表彰式では、オーストラリアの選手がニコニコしていたのに、アメリカの選手は、浮かぬ顔だった。
上野投手等が、余り眠っていないはずなのに、朝早くから、3つの民放に出演していた(最後は、朝ズバだったが、まだ、あちこちで顔を出したと思われるが)。
連投している上野投手の右手中指の先が、皮がむけている。が、それを気にしていると投げられないので、それを無視して、アドレナリンで治療して(テープなど付けずに)、投げたと言われていた。
8月14日、盆踊りで太鼓打ちに行った時に、毎年アチコチで打っている尾崎さんと言う人の手を見せてもらった。昨年もびっくりしたのだが、今年も、皮がむけ、テーピングしている手が痛々しかった。それでも、人一倍力強く打っている。体は細く、どこからそのエネルギーが出るのかと思われる。
彼は、佐伯に、延岡の「ばんば踊り」を紹介した。彼がばんば踊りの太鼓を打ち、彼の兄弟が踊りを広めた。で、今では、佐伯の盆踊りでは、佐伯のアチコチで、この延岡の「ばんば踊り」が流れている。
上野選手の手を見て、彼の手を思い出さずにはおれなかった。
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学校での成績でいい点を目指すなら(あまり意味ないかな、点取りり虫って感じの人間になってもらっても困りますけど・・・)、以下が私なりのコメントです(何かの参考になれば幸いです)。
・国語・・・小学校で一番大切なのは、国語。国語の力は、小学校でほぼ決まっているかな。国語の本当の力は、読書力。小さい時から読書することが好きな子どもは、確かに、国語力(現代文)ありますね。古文・漢文は、それなり又勉強しないといけないが、その基礎は、現代文。
・英語・・・英語は、結局は、国語と同じ。つまり、国語の読解力があるかないかが、英語の読解力があるかないかになる。入試では、長い文章が速読出来ることが勝負の分かれ目となる。英会話は、又、別の次元で(右脳を鍛えるべきかな)、日本人に囲まれながら、日本で英会話を勉強するのは、極めて非能率かな。
・数学・・・基礎からの積み重ね。教科書を徹底的にすることから始まる。しかし、残念なことに、今の入試問題は、如何に速く解くかの能力になっている。同じ様な問題を解いていないと、まず、解けない。受験の数学では、側頭葉がより鍛えられ、前頭葉はあまり鍛えられていない感じだ。本当の数学的な頭が入試で試されていない。困ったことだが。
・理科&社会・・・分からないことに興味を持って、それを自分なりに調べて、極めようとする姿勢が大切だが、受験校では、時間が足りないし、それをさせてもらえる学校は、極めて少ないかな。その気になって楽しく覚える気になれば、出来るはず。
その教科が出来ることと(いい点数が取れていることと)、それをよく理解していることとは違うと思う。又、それに非常に興味があるかどうかとなると、もっと別の次元の問題になりそうな気がしている。
受験では、必ず答えがあるが、実社会では答えが何なのか、誰も分からないことが多い。又、受験の為にいやいやながら覚えたことは、受験後、忘れていますね(無意識的に、忘れようとしている感じもしますが)。
受験となると、関係ないものは出来るだけしまいとし、ホントに、頭がおかしくなる感じがしていますが。そんなこと、長くすべきではないと思います。ホント。
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小中学生の不登校が多くなっている。特に中学生が多くなっていて、2007年度には、34人に1人の割合となっている。但し、これは、文部科学省の調査で、それでのあくまでも不登校を病気や経済的な理由以外で年間30日以上欠席した場合の統計である。その予備軍を入れれば、その10倍以上になるかも知れないかな?!不登校のきっかけに付いては、「本人に関わる問題」、「友人関係」、「親子関係」、「学業の不振」、「いじめ」の順になっているが、これはあくまでも、本人からの訴えではない。
「個性を無視したカリキュラムの問題」「時代に即した教育制度の改革の問題」「知識偏重教育の弊害」「教育委員会の常態化した不正システム化の問題(一般の人を入れるべきである)」「親の教師に対する不信(教師の数が少ないことに起因)」「校長の権威の失墜(権限が与えられていない)」などの項目は、何故ないのかなあ?!
簡単な話、思うに、学校が楽しくてしょうがなければ、不登校などはないと思うのだが。成績一辺倒で、受験を考え、競争させられると、面白くなくなるのは当たり前かな。楽しくない学校に無理矢理行かせようとする何て、子どもにとってスゴイ苦痛になるはずだ。子どもの責任にするよりも、子どもの目線に立って、根本的なことから変える必要があると思うのだが。
又、それと対照的に、2007年11月の文部科学省の(公立校の)調べでは、この15年間で学習塾に通う小中学生の割合はさほど変化がないが、通信添削を受ける割合が全学年で上昇している。
通塾率は、小学生は、24%から26%に、中学生は60%から54%になっている。つまり、小学生の段階で、以前よりも、学校外の学習がなされていることになる。
国語と算数・数学に塾が集中するのに、通信添削は、理科や社会も受けるケースが多く、小1~中1の8割以上が「学校の宿題や予習。復習の指導」に活用している。しかし、中3は約半数が「進学準備が中心」と答えている。
15年間もの長い間、文部科学省や官僚は、この異常な高い数値をちゃん把握してきているのに、何故異常な結果として、下げることに専念して来なかったのかなあ?!
こんな状態の結果、今の日本、小学生の3割が、中学生の5割が、(高校生の7割が)学校の授業に付いていけない状態になっている。
多くの子ども達、労多くして、報われない感じだ。
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土佐礼子、走る前からそれなりに無理ではと予想はされていたことだったらしい。野口の突然の棄権で、周囲の期待が大きかっただけに、突っ走るしかなかったのだろう。
頂点に上り詰めると、その後の皆の期待は、頂点の維持となる。王者は、周囲に弱音が吐けない。孤独だ。周りの応援がかえってプレッシャーとなって本人を追い詰めてしまうことだってある。しかもオリンピックは、4年間がたった1日に集約されての戦い、しかも、決められたわずか2時間足らずの時間帯での勝負だ。
1発勝負ってこと、人生では度々ある。受験だってそうだ。その時に最高潮に持って行けるかどうかだ。本当の実力と、その時の成績、100%一致している訳ではない。それも実力と言われればそれまでだが。 共産圏のある国では、国同士の戦いでは、その勝ち負けでその後の家族の生活費が決まってしまう例もある。そうなると、どうしても勝たないといけなくなるので、つい、ドーピングなど不正なことに手を出してしまうこともある。
オリンピックを人口の多い国で見てみると、インドやブラジルやパキスタンやバングラデシュやナイジェリアなどは、世界の国別の人口の数では、ベスト10に入っているのに、メダルの数、少ない。それ等の発展途上の国々では、政府がそれなりに力を入れていないからだろう。
一発勝負の世界は、入学試験なども含めて、精神的な面がかなり大きい。どうしても失敗が許されないとなると、過度に緊張してしまって、本来の力が出せなくなる。諦めて開き直った時、かえって、自分の本来の力が出せることが多い。
失敗しても、それで、人格まで全てが否定される訳ではない!皆が優秀でも、何らかの形で選別して勝負をつけないといけないことがある。何事も、どんな局面になっても、考え方にもゆとりが大切だと思う。
人生には、確かに、負けることの方が多い。若い時にいい負け方を沢山して、それ等を肥やしにして成長してきている人、強いなあ。
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ひとそれぞれの生き方があって当然だと思う。
赤塚不二夫の生き方も、個性的だったなあ。「手術するとしばらく仕事が出来ないんで、それ、僕には出来ないんですヨ」って感じで言われ、禁じられている酒を飲みながら記者会見していた。自分のしたいことを貫き通して生きてこられた人、考えるに、本人はそれで幸せだったのではないかと思う。人間いつかは死ぬ訳だし、それに、彼の場合は、後世へ偉大な作品を残せているし。
戦前の人に多いのだが(団塊の世代の人にもいるが)、いわゆる仕事人で、最後まで上のポストを他人に譲ることが出来なくて仕事をしている人がいる。それはそれでいいとは思うが、他の人が育たないこともあるし、突如、本人が不幸なことになった場合のことも考えておくべきじゃないのかなあ。
一番大切なことは、寛容になることで、自分がその生き方だから、他人もそうであるべきたと主張すると、それは周りとちと問題になるかな。
人それぞれの生き方がある。生きている内にいろんな世界を経験したいと思っている人もいれば、もう、いろんな煩わしいことにチャレンジしたくないって人も当然いる訳で、どちらがいいとか悪いとかの問題ではないと思う。仕事が好きでしょうがない人は、仕事に打ち込めばいい。趣味が主体で仕事が従と思って楽しく過ごせている人は、それはそれで、(他人に大きな迷惑を掛けてなければ)素晴らしい生き方だと思う。
今は、人生80年だ。体力とやる気を維持して行くことが大切で、時には、ゆったりと休んで充電することが必要だと思う。いやな思いをしながら最初に走り過ぎると、体もやる気もその内になくなるんじゃないのかなあ(楽しんでしていれば、そんなことはないだろうが)。昔は確かに、高学歴であれば高収入が約束され、年功序列で終身雇用って感じで、サラリーマンに憧れる人が多かったが、今は、会社に忠誠心を尽くしても突如リストラされる時代で、家族を大切にした方がいいみたいだなあ(当たり前か!)。
この暑い夏休みも、小学生から塾通いで一生懸命に勉強している人もいるが、それ、確かに間違っていますネ。試験なんて、車の免許みたいなもので、その時につじつまが合えばいい。それを、ずーっとその為にしているなんて、それも、何年間もしているなんて失うモノが多過ぎますヨ。世の中、いろんな人がいる訳だし、いろんな人とやっていかないと行けない訳だし、失敗も大きな目で見て上げることの方が大切だと思うけどなあ。
高学歴で官僚になっても、世間の目は厳しく、当の本人もこんなはずでなかったって感じで苦しんでいるのが現状ではないのかなあ?!
大学の教授にしても、昔は、皆の羨望の的って感じだったが、今は、退職後の就職先で悩んでいる教授も時にいるとかいないとか。
医師の免許を持っているのに、一生懸命に研究に打ち込んでいる人もいるけど、医師不足の折、その体力を生かして救急医療などに専念した方がいいと思うのだが、いらんお世話かなあ。それだと、医学部でなく、研究一途の理学部などに行くべきじゃなかったのかなあ。もちろん、山中先生の様に、臨床でアイデアを見つけて、研究して多くの人を救える様な素晴らしい業績を上げている人が時にいて、驚かされることもあるけど。
女性が医師や教師などの専門職の仕事人になると、それなりにいろんなハンディーがあるが、それは、前から予想されていることだ。それを覚悟で、女性は職業を選ぶべきで、もちろん、出産後の環境も周囲が整えて上げることも大切なことだが。しかし、多くの職場で非人間的に酷使されている男性の勤務状況も、早急に改善されるべきじゃないのかなあ。
自分の机の隣りと斜め前には、自治医大出身の女性の医師がいる。その内科の先生(独身)も、その産婦人科の先生(独身)も、実に一生懸命にモクモクと仕事一途って感じで、働かれている。しかし、この熊本県、全国一、自治医大卒の勤務年限後の県内勤務率が、全国最低なのだ。
経験して分かることも多い。経験しないと分からないことも多い。医師の世界では、考え方を余儀なく変更せざるを得ないことも多い。
しかし、変更して生きること、それも人生で、それなりに意義深いと思えば、逞しく生きて行けるかな。
自分の場合は、今からも、いろんな未知の世界へ飛び込んで、いろんなことを経験して、残り(今までの3分の1しかない?)余生を送りたいと思っている。
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子どもを持つ親にとっては、トイレの躾は、とても頭の痛い所。漏らして、スゴク叱っている親を見ることがあるが、待つゆとりが親に大切だと思っている。
アメリカ小児科学会では、次の7つのことを、「トイレトレーニングスタート」の目安としている。
・歩いたりお座りが出来ること。
・親のマネをすること。
・物を決まった場所に置けること。
・いやと言えること。
・パンツやズボンを降ろせること。
・トイレに関心があること。
・尿意を伝えることが出来ること。
又、アメリカ小児科学会では、大人が焦(あせ)らないこと、子どもにはそれぞれ個人差があること、準備がちゃんと出来ているかどうかを確かめることを強調している。
又、スイスでの研究では、7カ月からトイレトレーニングを始めると2年2カ月で終わり、2歳から始めると2歳2カ月で終わるとの結論をだしている。エッ!、その差は、わずか2カ月でしかないのだ!
ムーッ、と言うことは、何事もちょうどいい時期まで待てば、子どもは、スッと抵抗なく何でも自然に習得出来ると言うことかな。
更にそれを広げて解釈すると・・・
小さい時から親が焦って知識を植え込もうとすると、努力する割には余り成果が上がらないと言うことになるかな?!
ものにもよるだろうが、例えば、芸術や運動に関しては、モーツアルトやタイガーウッズやイチローが3歳から(尊敬する)父親から英才教育を受けていることなどを知ると、早い方がいいような感じもするが。絶対音感なんて、小さい時にサボっていると、もう身に付かないみたいだ。(しかし、それで身を立てるのでなければ、そんなにやっきになる必要もないのではないのかなあ。まず、好きになることが大切だと思う)
自分の場合、今でも自信をなくして後悔していることに、私の小学生の時のバイオリンのことがある。家にお金がないのに、それを教わる所まで行くのに、親の都合と合わせて日曜日に、バスで1時間近く掛かって、(小学校4年生の初め頃から?)佐伯まで隣の子どもと一緒に通っていた。バイオリンの音に魅了された訳ではなかった。周りから勧められたから。そして、初めは少し面白いかなあと思っていたが、次第に苦痛になり、とうとう隣の子ども共に行かなくなってしまった。一体、自分にとって、バイオリンは何の意味があったのだろうか?
その後、姉がピアノをしていることもあり、ピアノも勧められて、ピアノを始めた。1年ちょっとのスピードでバイエルが終わり、ソナチネもちょっとかじった所で、又、止めてしまった。後で思えば、ピアノも自信を失うものの手段でしかなかった感じだ?この不完全のモヤモヤの反動が、盆踊り太鼓や篠笛に転嫁したのかも知れないけど。
自分の3人の子どもの場合、家ではよく音楽を流していた。特に下の2人の時には、胎教にいいだろうと思って、お腹の中にいた時からクラシック音楽を頻回に聴かせていた。
一番上の子どもが小さい時には、家によく自分の英会話の先生に来てもらって、私は、英語でのフリートーキングをしていた。私は何故か娘に英語を教えた記憶がない。と言うのは、自分も、長兄(数年前に、進学高校の英語の教諭を退職したが)から、「英語は、どうせ学校で教わるから、前もってしなくていい」と言われ、(南アフリカの牧師さんから教わっていた)長兄から、英語のアルファベットの26文字の発音だけを中心に中学入学する前に入念に教わった(英語会話に関しては、当時はそれが正解だったのではと今でも思っている)。が、長女は、高校生の時に英会話だけ、オーストラリア人から教わっていた(現在、アトランタ在住)。
で、下の二人は、音楽に興味を抱き、今は、仕事よりもライブで忙しそうだ。
息子には茶道を小学校3年生から教え込み、中学生になって盆踊り太鼓を教えようとしたが、ちょっとだけ興味を抱いてくれただけで、(反抗期のせいもあったのか)ギターの方に走ってしまった。(私は一度も息子のライブハウスでの演奏姿を見たことがない。高校生の時から、自分で曲を作り、作詞もし、それをライブハウスで歌っていた様だが)
次女は、ピアノを一生懸命にしていたのだが、突如、バイオリンをしたいと言い出して、そちらの方に走ってしまった。
親がいやいや押し付けたのは、かえって、マイナスになっていることが多いと思う。正に好きこそものの上手なれだと思う。親の務めとして、何事も、子どもは元々やる気がある訳で、やる気を起こそうと親が先走って強いるようなことはせずに、子どものやる気をなくさない様にすることの方が極めて大切だと思っている。
自分の場合は、幸いに親から「勉強しろ」と言われた記憶がない。塾にも(友達から誘われたが)行かなかった(子ども心に、お金のいることを考え、学校の先生に尋ねることに決めていた)。そして、それが自分の場合は、幸いだったと思っている。それにより、自分で問題を見付けて、それを自分なりに解く楽しさを少なからず身に付けることが出来たと思っている。
モノには、順序がある。子どものいろんな面も、それぞれを始めるのにちょうどそれに適した時期があると思う。もちろん、個人差もあるはずだ。元々子ども自身には、学ぼうとする力がある。その力は、大人以上だ。
感性豊かな10歳~12歳の時に、成績を上げることを一番の価値観において、夏休みにも毎日が受験勉強に追われる姿は、どう見ても不自然だと思っています。
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今日は、終戦記念日。
1983年8月11日に、インディラが亡くなった。戦後の日本人の落ち込んだ気持ちを察してか、インドのネール首相が、東京の上野動物園に象を贈ってくれた。その名前が、「インディラ」。多くの子どもが見学に来て、大人気。その飼育係が、落合正吾さん。どうしていいのか経験のない中で、彼は、一生懸命にインディラの面倒を見た。
落合さん、長いこと面倒をみていたのだが、残念なことに胃ガンを患い、飼育係をやむなく辞めてしまった。
その後しばらくして、ある時、インディラが他の象から虐められて、檻から逃げ出してしまった。この大きな象を元の場所に戻すのに、困ってしまった。大の大人30人ほどが綱で引っ張っても、しばらくすると、又、引き戻されてしまうのだ。にっちもさっちも行かない状態で、悪戦苦闘していたが、ある人が、「落合さんだ!」と叫んだ。何人もがそう言い出し、入院して点滴中で、立つこともやっとの落合さん(体重36Kgにもなっていた)が、寝間着姿のまま、その場に来てくれた。
「インディラ、戻れ!」と一言叫んだ。その瞬間、今までが嘘の様に、インディラは、おとなしく元の所に戻って行った。
それを見ていた周りの人は、その象と落合さんの強い絆に驚かされた。落合さんは、その1週間後に亡くなられた。
*出産は、ゾウにとって大変な行為である。哺乳動物の中で最も妊娠期間が長く、およそ22カ月である。メスは、普通2~4年ごとに子どもを1頭産む。子ゾウの誕生時の体重は約90キロで、身長は約90センチである。なお、メスのゾウはその子どもたちと一緒に家族の群れの中で暮らすが、オスは単独で行動する傾向がある。
*動物園の象が鎖につながれていて、おとなしくしている光景をよく見るが、象の力だと、その鎖を壊してはずそうと思えば簡単に出来る。それをしないのは、小さい時からつながれているので、はずせないと思い込んでいるから。アフリカでは、人間を除いて象が一番強いことは、多くの動物が認めているところ!
以下は、1949年9月1日に、「日本の子ども達へ贈る言葉」と題して、ネール首相から贈られた手紙の内容。
(日本の)皆さん
私は皆さんの御望に依つて、印度の象を一頭皆さんへ御贈りすることを、大変嬉しく思います。此象は見事な象で、大変に御行儀が良く、そして聞く所に依りますと、体に縁起の良いしるしをすっかり具えているとの事です。皆さん此の象は、私からのではなく、印度の子ども達から日本の子ども達への、贈物であると御承知下さい。
世界中の子ども達は、多くの点で似かよつています。ところが大人になると変わり出して、そして不幸な事には、時々喧嘩をしたりします。私達は此の様な大人達の喧嘩を止めさせなければなりません。そして私の願は印度の子ども達や日本の子ども達が成長した時には、夫々の自分達の立派な祖國の為ばかりにではなく、アジアと世界全体の平和と協力の為にも尽くして欲しいという事です。
ですから、このインディラという名を持つた象を、印度の子ども達からの愛情と好意の使者として考えて下さい。インディラは、東京でたった独りぽつちで、或いは少し淋しがって遊び友達を欲しがるかも知れません。若し皆さんの御望みならば、インディラがこれから自分の住家としてゆく新しい國で、幸福になる様に、御友達の象を一頭送る様にする事も出来ます。
象というものは立派な動物で、印度では大変に可愛がられ、而も印度の特に代表的なものです。象は賢くて辛棒強く、力が強く而も優しいものです。
私達も皆象の持つこれらの良い性質を、身につける様にしてゆきたいものです。
終わりに皆さんに私の愛情と好意とを送ります。
ジャワハルラル ネール
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