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  私なりの子どもの見方

 ゆったりとした、図太い鈍感力を身に付けた母親の子どもさんだと、あまり病気にならないし、病気になっても重症にはなりにくい気がしている。そんなお母さんだと、子どもに熱があっても慌てなくて、深夜に来ることはまずない(これが正解の事が多いと思うのだが)。
 子どもの鼻水をすすっている母親にしばしばお目に掛かる。それも、汚い鼻水なのだが。親の愛情を直に感じ取れていいかなと思う。治りもいい感じだ。
 とても神経質で、熱が出たと言っては、ちょっと下痢をしたからと言っては、直ぐに医者に掛かっている親御さんだと、子どももかなり神経質になっていると思う。うんちをした後も何度も拭いて清潔にしている感じの母親。結果的には、マイナスになっているかも知れない。
 夜泣きの時に、抑肝散(や甘麦大棗湯)なる漢方薬を上げることがある。証が合ってホントにそれ以来ピタッと治ることがあるが、母親にも一緒に処方するとより効果がある様だ。
 母親がイライラしていると、子どもの心の寄り所がなくなって、病気がちになっているみたいだ。夫婦の不仲は、最悪。親が学校の先生の悪口を子どもの前で言い出すと、 子どもは当然のことだが、当惑してしまう。同じ様に、親御さんが医療機関を不信に思っていると、子どもも不安になる様だ。やはり、掛かるからには、その医者を信じてもらいたい。
 突飛な意見があって、子どもが熱があって医者に行くと抗生物質と解熱剤をもらう。で、免疫力が落ちて、治りが悪くなるが、親御さんが医者を信じることで、親が安心することで子どもも安心して、それが子どもの免疫力に影響して、少し医者に掛かった方がいい感じになって、病気が少し早く治った感じになるとか?!
 子どものカゼで抗生物質をあげなくなって余り病気をしなくなったとはっきり言ってもらえた母親がいた。解熱剤を使わなくても濡れタオルで拭けばいいと思うのだが、どうも、日本では解熱剤の内服や座薬を上げ、直ぐに医療機関に掛かるのが定番になっている様だ。そして、掛かっても又熱が上がったと言って、時間外に慌てて来ているケースもある。

 

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 平成12年、大川市の教育委員会から特別非常勤講師に任命されて、1年間大川市立○海島小学校の小学4年生~6年生に「篠笛と和太鼓(盆踊りを含む)」を教えた。
 そこで、私は多くのことを学んだ。又、そこの学校の先生方も多くのことを学び、そのことで研究発表までしている。つまり、太鼓で学校全体の雰囲気が明るくなり、はっきりと変わったのである。
 具体的には、一人一人が積極的になり、授業中によく発表する様になった。よく挨拶する様になり、礼儀正しくなり、又、チームワークを大切にしてお互いに思いやる気持ちが生まれた。
 そして、何よりも各児童が自信を持ち、アチコチで演奏したくて仕方ない状態にまでなった。

 平成12年4月から始めた。6月頃に生徒にアンケートを取ってみた。それによれば、「楽しくて続けたい」と「きついから、出来たら止めたい」の意見がほぼ半々であった。学校での総合学習では、生徒は好き嫌いに関係なく、全て受けざるを得ない。しかし、時間外の道海太鼓チームとしての練習は、自由参加であった。兎に角、夏の大川市民総盆踊り大会に間に合わせる為に頻回に練習を重ねた。
 そして、その市民総盆踊り大会の時、夏に一生懸命に練習してきた子ども達が、自分と一緒にカッコ良く打てたのである。大人から絶賛された。練習を余りして来なかった子どもの前で。
 それからである、太鼓がいやで余り乗り気に打って来なくて市民総盆踊り太鼓に参加できなかった子ども達が、目の色を変えて練習に励む様になったのは(校長先生の談話)。二学期からは太鼓演奏で誰一人、嫌がる子はいなくなった。

 市民総盆踊り大会だけでなく、老人施設への慰問や秋の体育際や大川市最大の祭りである「大川木工祭」や卒業式など、子ども達は大いに活躍し、大拍手をどこでも受けた。お年寄りが涙を流して喜んでくれたことで、子ども達も大いに燃えた。秋の体育際や木工祭りでは、子ども達と一緒になって、私も楽しく演奏した。
 今でも、まだ、私の創った「個性と調和」の太鼓の曲を道海島小学校の子ども達はそのまま演奏し、又、市民総盆踊り大会の時にも毎年、盆踊り太鼓を打っている。

 学校までの送り迎えを、そこの学校の先生方からよくして頂いたが、その時、担当の男の先生が、深刻そうな顔をして、次の様に言ったことがあった。
「田原先生、一つだけ心配なことがあるんですが」と言う。「何ですか?」と聞くと、「生徒から馬鹿にされてないかとヒヤヒヤしています。生徒の方が覚えがいいので・・・」と言われた。私は、「子どもが覚えがいいのは当たり前です。子どもは天才ですから」と私は言った。
 又、別の担当の女の先生から次の様に言われた、「私達が注意してもなかなか聞かない。しかし、田原先生が話す時、皆真剣に聞いている。どうしてですかネ」。私は言った、「小学校4年生になると、自分よりも出来る人を尊敬する傾向にあるんですヨ。それまでは一緒に遊んでいれば、それだけで充分だったんですが。小学校4年生になると生徒以上にはっきり出来ることをしばしば見せる事が必要と思います」と言った。

 私は、生徒の前で決して叱らなかった。「素晴らしい、覚えがいい」、そして訂正すべき時は、「それでもいいけどこうした方がもっといいかな」。何度しても出来ない時は、「簡単に出来そうで出来ないのが太鼓。練習すれば必ず出来る様になる」。そして、時々言った、「練習は本番、本番は練習」。「上手になる人と下手な人の違いは一つしかない、それは、出来る人は皆の見てない所で一生懸命に練習している。ここでの練習時間は、限られているからたいしたことない」と。


 教師たる者は、その楽しさと、努力すればどんな人も必ず上手になることを出来るだけ早めに気付かせることが大切だと思う。

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 細気管支炎に対しての私の治療法です。

 細気管支炎、原因の多くはRSウイルス。しかし、RSウイルスでなくパラインフルエンザウイルス(3型)のこともあり。教科書的には、冬、乳児、鼻汁、咳嗽、喘鳴、呼気性呼吸困難(多呼吸、陥没呼吸)、気管支喘息と似ている、熱はないこともあるなどの内容で書かれている。時に、痰が切れなくて、窒息で亡くなることもある。自分の経験でも、深夜の2時~6時の間に、危なくなった例を数多く経験している。
 乳児以外は少ないだろうと思っていたが、検査が直ぐに出来る様になって、1歳~4歳の子にも時にあることを知った。しかし、幸いに、乳児ほど症状がひどくない。
 どうすればいいのか、かなり長いこと悩んできた。ネブライザーをずっとするのがいいのか、2~6時間おきに定期的にするすのがいいのか、いろいろしてみた結果、ずっと続けてしなくてもうまく行くことが多いことを知った。しかし、ひどい時には、メプチン+生食(2ml~30ml)を2時間おきにすることもある。何時間おきにするべきか何て、教科書には書けない。それなりに主治医がしばしば診察を細かくしながら決めていくしかない。乳児で呼吸困難が取れず、細気管支炎と思っていたのが気管支喘息で、冷や汗をかいたこともあった。
 ある(研修医に非常に人気のある)病院の「小児科レジデントマニュアル」には、・・・6カ月未満の乳児への抗ヒスタミン剤の含まれた薬剤の投与は、呼吸抑制、意識レベルの低下を来たし、むしろ有害である。そのために入院に至った乳児を当施設は何例も経験した。・・・とはっきりと書かれていた。これで、自分の治し方、少し気を強くした。
 治療はどうするべきか?私自身は、咳止めや鼻水止めは使用していない、ステロイドも細気管支炎であれば、すべきでないと思っているのだが。ある子どもの「お薬手帳」を拝見したら、(私と同じ年代の)ある小児科医の処方には、鎮咳剤や抗ヒスタミン剤が全くされてなかった。それで、又、気を更に強くした。(しかし、多くの例では、咳と鼻水の症状で、アスベリン+ペリアクチンの処方がなんと多いことか。)
 アメリカでは、小さな乳幼児には、簡単に売店で買えるカゼ薬の薬は危険で使用すべきでないと言う意見が最近強くなっている。
 喘息発作の治療に関しても、(よく使用する)去痰剤については、多くの教科書で詳細に書いていない。(しかし、多くの医師が去痰剤を使用しているが)
 細気管支炎が多くて、入院ベッドがなくて、にっちもさっちも行かなくなった。仕方なく、清肺湯なる漢方薬を使用してみた。著効した。私の経験からは、細気管支炎では、清肺湯なる漢方薬を早期から与えると、痰が切れて(熱も下げる働きもあるが)、入院を免れる例を多く経験した。
 細気管支炎では、去痰剤としての(ムコソルバンなどの)粘膜潤滑剤や(ムコダインなどの)粘液修復材や気管支拡張剤も同時に処方しているが、外来通院では抗生剤は使用していない。(遠方の人には、吸入器を買ってもらって、吸入を家で1日に2~4回、してもらうこともある)
 子どものアレルギー患者さんが多くなっている日本で、子どもに売店で気軽に買って来て、咳止めや鼻水止めを上げている例も少なからずあると思うが、少し危険な気がしてならない。

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 1998年5月31日に、「日本の心・さいき」を、佐伯の三余館で開催した。この時、お茶会も施行。
 
第2回・「日本の心・さいき」(The Spirit of Japan in Saiki)

  世界の子ども達の健全な発育を願い、
  世界平和を強く切望し、
  人間同志だけでなく、
  自然とも、うまく共存して生きて行くことが、
  今の時代には、極めて大切だと考える人達、
  ここに、集まって下さい。

平成10年5月31日(日)
場所 三余館大ホ-ル(お茶会は、1階の実習室)
後援 佐伯市、佐伯市教育委員会

   第2回「日本の心・さいき」での実際の内容
場所:佐伯市三余館
日時:平成10年5月31日
10:00~18:00

1、「国際茶会」(10:00~14:00) 鎌田社中・たはら教室
      亭主:ジャミ-ル、トモ、小学生2人(4年生と5年生)
      後見人:鎌田宗百教授、田原宗正
      立礼(三余館1階実習室)          
      *お菓子は、(田原清子の)手作り
      一服 300円(チャリティ-)
2、挨 拶(13:00~13:30)
      会長
      佐伯市長・佐藤佑一氏
      インドネシア共和国大使館・
      教育文化部長ウィネトウ・ノワウィ
      大分韓国教育院長・孫在奉先生
3、講 演 「日本と韓国」(13:30~14:30)
      大分韓国教育院長・孫在奉先生 
4、書道披露 (14:30~14:50)
      国際書芸展副会長・東九美術書道会長三田井筑翠先生
      (インドネシア共和国大使館・Bapak WISBER・LUEIS大使、
       ウィネトウ・ノワ ウィ氏、孫在奉氏に、
      三田井筑翠先生より、作品贈呈)
      *国際書芸展で文部大臣賞を取得された三田井先生の
      奥さんの解説入りで、三田井筑翠先生の筆により、7枚、
      デモンストレ-ション
      (初めの2枚に、インドネシア語で、
      スラマッ・ダタン・ディ・サイキと、
      韓国語で、オソオセヨと書かれる)
5、仕 舞 (14:50~15:00)
      鎌田宗百教授
6、琴演奏(15:00~15:10) 「さくら・さくら」
      菊島社中(第1琴、第2琴、独奏)
7、インドネシアの舞踊(15:10~15:20)
      佐伯在住のインドネシア共和国の研修生
8、和太鼓演奏(15:20~15:35)
      「番匠奔流太鼓、屋台囃し、女組の3曲」
      若鮎子ども太鼓(会長:大太鼓)
9、インドネシアの舞踊(15:35~15:45)
      佐伯在住のインドネシア共和国の研修生
10、国際語会話(15:45~15:55)
     インドネシア語・韓国語・中国語
11、日本舞踊      「黒田節」
     島田喜和子先生
12、ギタ-演奏・歌
     貴田、ワンダ、ジャミ-ル
13、極真空手披露      板割り等、あり
     佐脇武先生、インドネシア共和国の研修生、他
14、簡化太極拳       「荒城の月」の曲で
     藤田春代先生、会長、他
15、佐伯音頭と炭坑節とばんば踊り
     *全員が、輪になって、踊る。
16、日本舞踊     「いたこあやめ」
     鄭恩淑さん
17、蛍の光
     顧問、インドネシアの研修生、会長
     *日本語、英語、インドネシア語、韓国語で
18、挨 拶
     孫在奉先生
     ウィネトウ・ノワクィ氏
     会長
19、万歳三唱
     鎌田宗百教授(平成10年5月10日に、
     自分の喜寿のお祝いのお茶会と宴会を、
     県外からも、235名も集めて、開催した、
     茶道歴60年、学校茶道33年の経歴の先生)
     
*司会者は、ケ-ブルテレビの女性の専属司会者により行なわれた。
*インドネシア共和国大使館の教育文化部長のウィネトウ・ノワウィ氏は、広報官のモハマッド・クスマン・ブルハン氏と、通訳のダフラン氏と共に来佐した。
*写真:池田有三先生、ビデオカメラ:田原恵子・田原久八郎、
 総務:矢野倫康、
 受付:日本文理大附属高校
*平成10年6月2日の西日本新聞に記載される。
 ケ-ブル・テレビで、放映される。

*現在、三田井先生、島田先生、故人となられています。
 ご冥福をお祈り申し上げます。


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私なりのインフルエンザの治療法です。

 葛根湯が主体。熱が上がり始めてから、葛根湯2日分8時間おきに、それも多め!に。
 私なりのインフルエンザの治療法です。
 熱が下がれば、下がらなくても48時間経てば、柴胡桂枝湯を3日分処方しています。興奮気味で、顔が真っ赤で、手足も熱い場合は、黄連解毒湯を処方することあります。小さいと子だと、注腸しています。
 インフルエンザだと、タミフル処方となるのですが、10歳以上だと、タミフルの代わりにリレンザの吸入を処方しています。
 経験的に、抗生物質は使わない方がいい。使った方が、かえって細菌感染を起こしている様に感じています。又、アスベリンなどの鎮咳剤やペリアクチンなどの鼻水止めの抗ヒスタミン剤は、極力使わない。痰がひっかかる様になって、中耳炎や肺炎になりやすいと(自分なりに)思っているからです。
 副鼻腔炎になりかけている子には、抗生物質をあげずに、辛夷清肺湯を処方することもあります。
 子どものインフルエンザでは、二峰性の熱がしばしばあるし、子どもの場合、48時間ではまだ充分に伝染力があるので、解熱しても、自分の為だけでなく他人の為にも、5日間!は自宅待機が必要と説明しています。

*漢方薬だけで行くことも度々あります。
*葛根湯は、体の弱い人や心臓の悪い人には、禁忌になることも多いと思います。


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(正客が私)

 お茶の道にとりつかれてしまった自分は、小習い16通り、茶箱、奥伝と、次から次へと茶道(正式には、ちゃどうと言い、英語では、The Way of Teaと言う)の世界にめり込んでしまった。
 又、「たはら小児科医院」開業式にはもちろん、閉院式の時にもお茶会を施行した。10人余の小学生だけでなく、インドネシアの人やアメリカの人にも教えていった。
 又、県下のインドネシアの人を沢山集めて、「日本の心・さいき」の会を佐伯で開催した。
 お茶の練習は、土曜の午後に、たはら小児科医院の院長室を使ってした。つまり、開業した4畳半の部屋「たはら小児科医院」の院長室は、正に茶室の造りでで、炉を切っており、訪れるお客さんにお茶を差し出していた。もちろん、昼休みには、たはら小児科医院の職員のお茶の練習場にもなっていた。

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 私なりの(ウイルス性)急性胃腸炎の治療法です。

 初めの日が一番大切。嘔吐始めたら、まず、絶食です。吐き気があるのに欲しがるからとの理由で与えると、又、尚更吐くことが多くなる。
 吐いたら1時間半、絶食。それからは、欲しがっても、少しずつ、飲んだり食べたりすること。大飲み大食いは初めの3日間は、しない。甘い飲み物は、嘔気を誘うので勧められない。冷たいのも、控える。
 で、一番勧めているのは、「雑炊」です。梅干しにおかゆだけだと、数日後に元気なくなっていることもあるので、体力維持の為に、初めから雑炊を勧めている。
 治療は、原則的に西洋医学にはいいのがないので、漢方薬で、「五苓散」が中心。外来で五苓散を注腸して、30分後に状態を診て、脱水が直ぐに改善しない感じに思えれば、点滴1号を施行。熱があって、手足が冷たければ、五苓散+葛根湯、手足が温かくて顔も赤くなっていれば、五苓散+黄連解毒湯の注腸。
 外来処方は、五苓散のみ、五苓散+葛根湯、五苓散の錠剤+黄連解毒湯の錠剤、柴苓湯(五苓散+小紫胡湯)など、それに整腸剤など、状況に応じて変えて行く。
 長く続いている乳幼児の下痢の場合は、二次性の乳糖不耐症を考えて、乳糖なしの食事を勧めます。

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 自分の子ども二人を入れて、近所の子どもを集めて、小学生にお茶を教えた。教えることで、自分もしっかりと覚えていった。
 大分県保険医新聞平成7年2月号に記載された内容である。
 子どもは天才、私は今もそう思っている。特に、小学校4年生~6年生の子どもは、超天才と思っている。
 高校での学校茶道でもしてない茶箱や濃茶のお点前まで、スイスイと教えた小学生が皆、覚えて行ったのには、驚いた。もちろん、意欲のある子ども達ばかりであったが、友達同志で同時に学び合うことの大切さもこの時に実感した。
 佐伯に「子ども茶会」を初めて立ち上げ、多くの人のたゆまない努力で、今もそれが続いている。しかも、今では、佐伯市内の小学校での総合学習にも、あちこちでそれが取り入れられている。

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 つまり、3回目には、自分でもビックリするくらいに上手く出来たのである。しかし、それまでに相当な努力を強いられた。兎にも角にも、お茶の勉強も高校の英語の勉強法と同じだろうと思って、予習をした。何度も数冊ものお茶の本を読み、分からない所は練習の時にそこに来た時に先生に質問し、分かるまでしつこく聞き、遅くとも一つ一つ確実に覚えて自分のものにして行った。パソコンを使ってお茶の習得にフルに利用した。お点前の順番をパソコンに入れ、本に書いていないことでも先生に教わったことを帰って毎回それに打ち込み、自分なりにまとめて行った。教科書よりも先生を信じ切った。木曜の練習日に一度も休むことなく(遅刻もすることなく)、真剣に練習した。家にも風炉と釜を買って置き、病院の小児科部長室にも茶箱セットを置いて練習した。殆ど毎日。習い始めて3カ月も経たない頃は、家族旅行の時にも、学会に行く時でも、お茶の教科書を持って行って、汽車の中で頭の中で順番を思い浮かべなから練習をして、時間が過ぎるのを忘れる感じになっていた。
 他人が出来ることが自分に出来ない訳がないと言う強い信念を持ち、人以上に練習すれば絶対に上手になれると言う自己暗示を掛け、上手になった時に点てて喜ばれている自分を思い浮かべ、どうしてもそうなりたいと言う強い願望を抱いて、正にナポレオン・ヒルの成功哲学そのものの考え方を利用してお茶の世界にドッポリと入ってしまった。
 お茶会に一度も行ったことがない人間がいきなり皆の前でお点前をするのはいくらなんでも気が引けたので、その前の10月23日(日)に大分の「豊の国壮」であった観月茶会に出席していた。かなり緊張し、客になるのも疲れるなあとその時思った。しかし、養賢寺でのお茶会を無事終えて、その後、11月23日(日)の勤労感謝の日に別府の「豊泉壮」であったチャリティー茶会では、立礼席と薄茶席と濃茶席、いずれも次客の隣(三客)に座らせてもらったが、今度は少し自信が付いたのか上がらず楽しめた。
 お茶の上手な人には結構男性が多く、お茶は元々は男性のものであった。津久見の岩崎市長さんは茶人であるし、佐伯の佐々木市長さんも、自分が2回目にお点前をした時にお客になってくれたし、我が病院の西田院長にしても、客の作法を知っておられる。茶室では刀を置けば武士も平民も皆平等である。お茶の本質を知ってくると、人の上に立つ人はどうしてもお茶がしたくなる様であり、又そうあれべきだと思う(別に茶道でなくて、道の付くものや、禅などの精神修養になるべきものでありさえすればいいと思うが)。
 三船敏郎主演の千利休の映画を見たが、全て男性で、千利休が茶道の道を守る為に自害している。戦場で、利休の点てたお茶を飲んだ武将が、もう何があっても利休居士のお茶を頂いて悔いを残すことはないという場面があった。弟子が利休の極めた茶道の道を知ろうとした時、利休は、自分で切り開くしかないというようなことを言い、茶道が何たるかを教えなかった。天下の征夷大将軍豊臣秀吉も、茶道の道では刀を置き、にじって入り、頭を下げねばならなかった。
 中森芳次の「一日生涯、豊かに生きる」(講談社)には次の様に書かれている。・・・「このお茶を一杯飲むまでに27人の手を煩わせている。植える人、摘む人、鉄瓶を作る人、炭を作る人などと並べて祖父はとうとう27人を数え上げた。それからは、お茶を飲む時はいつも多くの人の手を経てきたことを感謝しながら飲むようになった。これはお茶に限ったことではない。普段私達は、そんなこと気にせず、何だかんだと文句を言いわがままを言っている。感謝することは何に対しても出来る。考えて行けばきりがないくらい感謝の種はどこにでもころがっている」・・・
 ある日の朝日新聞の天声人語に、ゴルバチョフ書記長とレーガン大統領が日本のお茶をすれば、お互いに相手の事がよく理解できて世界は平和になるに違いないというようなことが書かれていたが、正にこれはお茶の本質を言っている思う。
 お茶を差し出す亭主が失敗した時には、それは緊張させた客の責任であるし、客が堅苦しく窮屈に思って時には亭主の責任なのである。
 釜田先生が、ある時こう言われた、「・・・今でも、悔やまれる。○○茶会で、私が正客の時に、初心者の人だったんでしょうね、上がってしまって、抹茶が殆ど茶碗に入っていなかった。緊張してしまって、手が震えて抹茶がお茶碗から出てしまって、ホント、悪いことした・・・」と。で、先生と一緒にお茶会に行くと、(先生は多くの場合、正客になることが多く)冗談を言い、皆をドット笑わせ、周囲の緊張を解いておられる。
 今年の終わりまでに「西田病院お茶同好会」を結成し、来年の1月から院長宅で西田病院の職員により茶道の練習をすることになった。病める患者さんに対して茶道の精神で今以上に素晴らしい医療が出来ればと願っている。

*その後、「西田病院お茶同好会」は自分が会長になって結成されたが、お茶会が(不幸な出来事があった為に)一度も催されることなく、会長の私が退職して、残念なことにそれ以後閉会してしまった。


*下の写真は、「たはら小児科医院」開院の時の写真(小児科院長室で、客は職員の家族中心で、お茶会をした)。

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昭和55/4/1~平成2/3/31までの10カ年間での西田病院小児科における小児科入院8.956名に病名である。
 病名は、一人1疾患名にしている。新生児・未熟児は除いている。
 白色便性下痢症→ロタウイルス感染症
 インシュリン依存性糖尿病→Ⅰ型糖尿病
 など、今では言わない感じの病名あり。
 この当時は、今と違って、インフルエンザ、ロタ、RS、アデノ、溶連菌などの迅速検査は、出来なかった。
 時間外の救急現場では、検査としては、その大半は、CRPと血沈と白血球数(と時に検尿)であり、それで多くの疾患の鑑別を余儀なくされていた。

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