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2011.06.09 06:39 |  趣味  |  自己紹介  |  masa  | 推薦数 : 0

和太鼓ソロ演奏・・・

 6月8日(水)、佐伯市特別養護老人ホーム「豊寿苑(ほうじゅえん)」に独りで行って演奏した(タクシーで往復)。
 15時00分~16時00分まで、演奏した(その後、話し込んでしまって、そこに16:45までいたけど・・・←迷惑掛けたかな?)。
 演奏中に私語が聞こえたりしていたが、ハーモニカの演奏になってから私語が全くなくなり、最後の方は、シーンとなって、時々拍手があったりして、真剣に聴いてくれた・・・(ありがとうございます)。
 車イスの人が多かった。演奏中や演奏後に、感謝の気持ちを伝え様としている感じの人が多々いた・・・(身体が思う様に動けない・・・)。
 演奏内容は、いつものパターンで・・・→(月の沙漠など数曲)篠笛→(ばんば踊り→河内おとこ節→佐伯小唄)盆踊り太鼓→(ふるさとなど数曲)ハーモニカ→(テープのピアノと一緒に、荒城の月→さくらさくら)篠笛→(悲しい酒などの古賀政男の4曲を)篠笛→拍子木で「一本締め」(後で考えると・・・→手が自由に動かなくて、したくても出来なかった人もいたはず・・・→気配りが足りなかったなあ・・・)→(10分以上)和太鼓演奏。
 演奏するステージがあって、そこが高く上がる設備になっていた(・・・←凄いなあ!)。体育館めいた広い部屋で、音が隅々までよく響いていた。
 係の職員から、自分の子どもが大変お世話なったと言われたが・・・(すみません、覚えてなくて・・・)。
 ・・・今回の演奏のパターンで、今月、独りで、「清流の郷」が21日(火)、「花みずき」が23日(木)、「楓林」が24日(木)、「悠久の丘」が27日(月)、「南海サンビュー」が29日(水)と、していく。
 今日の笛の音、もうちょっとだったかな。太鼓の音は、ステージが良かったこともあってか、まあまあ・・・。
 私の最後の和太鼓のソロ演奏(飛翔)(少し省略)↓

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2010.10.10 09:46 |  その他(医療関連)  |  講 演  |  自己紹介  |  masa  | 推薦数 : 0

講演内容

 平成22年7月1日の佐伯市での講演内容です。

 

 

 

 

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2007.07.21 11:17 |  自己紹介  |  masa  | 推薦数 : 0

続・為になるかも知れない本(中)

 「続・為になるかも知れない本(中)」の最後の336ペ一ジの内容です(下を一部省略)。



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2007.01.03 17:44 |  自己紹介  |  masa  | 推薦数 : 0

謹賀新年

   

私が今年出した年賀状です。今年も、宜しくお願い致します。

 

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2006.12.24 07:10 |  自己紹介  |  masa  | 推薦数 : 0

日本人への期待

 日本人は、人との和を非常に大切にしている国民である、これを自分の足で、短い期間だったが、1年間、世界のアチコチに行って、納得しました。


 バングラデシュでは、「何故、日本人は、核を二つも落とされているのに、アメリカ人を恨んでいないのか?」と何度も聞かれました。私の娘は、今、アメリカに住んでいるし、私も家内も、アメリカに行った経験があるし、かと言って、東南アジアやヨーロッパはと言われても、やはり、それなりに、好きである。


 隣の韓国は、大好きで、今までに4回行っているし、来年の11月頃に、ソウルに行くつもりでいる。中国も、中国の太極拳(剣)を8年間してきているし、今も、中国の先生から中医学を教わり、中国の素晴らしさを実感している。


 恐らく、日本人の遺伝子には、数万年前に、日本列島が大陸と陸続きの時、人と争うことがいやで逃れて来た日本人の祖先の遺伝子が延々と受け継がれているからだと思う?!


 ヨーロッパ人は、自分の非を認めることを嫌がる。特に、フランスでは?!アメリカ人にしても、自己主張が強い。それは、歴史を見れば、理解できるが、自己主張しないと、自分が潰されてしまうからである?!


 島国の狭い日本では(7割が山)、物理的に相手の心がよく読み取れ、人々の関係が緊密でお互いに信じやすく、又、謙虚で自分よりも相手を引き立てようとすることが美徳とされて来ている。幕末から明治にかけての大混乱な時でも、桜田門外の変から西南戦争までの死者は、わずか45000人。これは、ソ連や中国での革命の時の1000分の1でしかない。


 日本人は、根本的に他者と争うことが嫌いで、又、他者と争うことは(政治の世界を見ても納得できるが)、下手な国民である。奪い合いよりも分かち合い、対立よりも和の方が得意な国民なのである。


 今、私の住んでいる所では、同じ職場の人の中には、家の鍵を1年中、掛けないと言う人が現にいる。初め信じられなかったが、次第にそれが理解出来る様になった。かっての日本では、特に田舎では、家に鍵を掛ける習慣がなく、それどころか、隣の家の台所のどこに塩があるか何があるかなどさえ、お互いに把握していた。


 そうやって、何かの時には、お互いの家を行き来して、助け合って暮らしていた。競争しても、手心を加えた勝ち方をしていて、それなりに弱者や敗者を大事にしていた。


 こうした分かち合い、助け合い、信じ合いの特性は、世界が最も望んでいる今からのリーダーシップ像である。


 今後、日本人が世界の調停役として、政治の面、教育の面、文化の面、いろんな分野を通じて、世界の平和に寄与することが既に運命付けられている様に強く感じられるこの頃である。


 

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2006.11.23 16:18 |  自己紹介  |  masa  | 推薦数 : 1

命懸けで取り組んだ新生児・未熟児医療

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2006.11.23 12:33 |  自己紹介  |  masa  | 推薦数 : 0

天心堂へつぎ病院での院内茶会

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2006.11.23 12:31 |  自己紹介  |  masa  | 推薦数 : 0

高木病院での院内茶会

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2006.11.04 16:43 |  自己紹介  |  masa  | 推薦数 : 2

思い出

 飲みに、S先生と行った。何故、今、大学を出ようと思う様になったのかを言った。・・・人を本当に説得する手段としては、行動しかない。永くいれば、腕が落ちそうにあるし(専門馬鹿になる)、大学人になり切れば、人間的に駄目になりそうな気がする。自分の信じる道に進みたい。


 以上は、自分が大学を去ることを決意し、その事で、S先生と飲みに出た時に書いた内容の一部(昭和54年6月27日)である。


 S先生は、その時、医局長だった。

 「一人で、そんな救急病院に行っても、苦労する。出なけりゃ良かったと後で後悔する。国内留学には、もうすぐ行けるし、出るにしても、論文を書いて、ティーテル(博士号)を取って、そして出れば、いい所があるし、・・・」


 「もう、決めましたので、佐伯に帰ることを」と、私は言った。  ・・・・・


「もう、決めてしまったのか、・・・、そしたら、仕方ないなあ・・・」
 ・・・・・

 この時、「トムの樹」というスナックで飲んで、二人とも、グデングデンに酔って、翌朝、すごく頭が痛かったことを覚えている。

 それから、がむしゃらに西田病院で働き、数年経って、S先生(小児循環器の専門医で、宮医大がオープンする前に、東京女子医大に1年半いて、心エコーを得意とし、宮医大では、先生と一緒に心カテをし、循環器に関しては、私は、非常によく教えて頂いた)は、大学を去り、ある公的な病院の医長となられた(現在は、開業しておられる)。


 宮崎での学会に行くと、いつも、何か自分に言いたそうな素振りを見せていた。大学を去ったS先生には、医局長時代の威圧さはなく、何となく、柔らかくなった感じに思えていた。機会があって、学会の懇親会の後に二次会に行くことになり、S先生の隣に座った(S先生が、意図的に自分の隣に来たが)。


 「田原先生、先生にいつか言おう言おうと思ってきた。あの時、二人で、グデングデンに飲んで酔った時のこと、あんな言い方をしなければ良かったとずっと思ってきた。・・・田原先生が、大人だったよ。あれから自分も大学を去り、やっとよく分かるようになった。医者なんて、臨床が一番大事。患者さんを大切にしてこそ、医者。臨床が出来なくて、何で、医者か。臨床がちゃんと出来て、そして、余力のある人が研究をすればいい。それも、臨床に直接役に立つ研究を。・・・あの時、もっといい言い方をすればよかった。そのことで、ずっと気にしてきた。すまんかった」と、頭を下げて言われた。


 その時、私は、S先生が、とても素晴らしい、人間味溢れる先生に思えてならなかった。


 「いいえ、僕は、何も気にしていませんでした。気になさらないで下さい」と、私は言った。


 学会で会うと、「田原君、まだ頑張ってるなあ。体こわさんように」と、いつも言ってくれる。


 

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