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2011.12.29 19:20 |  その他(医療関連)  |  為になるかも知れない話  |  masa  | 推薦数 : 0

病院船・・・

 「病院船」、自分にとっては聞き慣れない言葉だったが、・・・実際に造船するとなると、500億円も掛かるそうですが、・・・今回の震災を考えると、存在意義が問われそうな気もしますが・・・?!
 アメリカ、ロシア、フランス、スペイン、イタリア、中国など、「病院船」を持っていて、実際に活躍しているとのことですが・・・。
 アメリカの病院船の場合、ベッド数が1.000床もあるとのこと。大学病院以上のベッド数だ・・・!
 海上から何処へでも行け、ヘリであちこちからの搬送を受け入れることが出来る。海に囲まれた日本にとっては、有効に利用できそうであるが、・・・煮詰めて行くと、実現までには、かなりの時間が掛りそうですが・・・?!
 

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2011.12.04 11:42 |  研究  |  為になるかも知れない話  |  masa  | 推薦数 : 0

免疫力の話・・・

 今朝の民放のテレビで、免疫力のことが取り上げられていました。
 (免疫学に詳しい廣川先生によると・・・)
 免疫力は、18歳がピークで、その後は、加齢と共に低下の傾向にある。免疫力は、NK細胞やT細胞の関わりが大きい。その免疫細胞の70%は、腸内にいる。
 ・・・→ってことは、腸の調子を整えておくことが大切と言うことになりますネ(!)。(・・・→乳酸菌が悪玉菌を追い出すので、発酵食品の「ヨーグルト」「チーズ」「キムチ」「漬物」「味噌」などを摂るといいのでは・・・)
 又、別の話で・・・
 ・・・→β-グルカン摂取で、免疫細胞が活性化するので、キノコ類を摂るといい・・・→キノコも、いろんな種類をバランスよく摂るといいのでは・・・?!(β-グルカンは、熱に強くて脂質に溶けるので、その煮汁を摂るといい)
 更には、別の話で・・・→「ヒートショックプロテイン入浴法」のことが上げられていました。
 40度で20分間、41度で15分間、42度で10分間、週に2回でいいそうですが・・・?!

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2011.11.30 14:33 |  研究  |  為になるかも知れない話  |  masa  | 推薦数 : 0

長 寿・・・

0DREAM
 

 20年前の1991年(平成3年)、茶の間の話題になっていた双子姉妹の「きんさん(享年107歳)」「ぎんさん(享年108歳)」・・・その「ぎんさん」の娘さん4人が、昨夜、テレビで紹介されていました(実際は、5人の娘さんだったが、次女が3歳で死亡)。
 長女・年子さん(98歳)、三女・千多代さん(93歳)、四女・百合子さん(91歳)、五女・美根代さん(89歳)。4人の平均年齢は93歳に限りなく近い。
 普段、4人がしばしば集まって、とても仲良しで、話が絶えなく、それに終始実によく笑っている・・・。
 「ぎんさん」がその娘さん達に「5つの健康の教え」を教授していて、それをしっかり今も守っているとか・・・。
 ○第一条・・・自分のことは自分ですること。(・・・←当たり前ですね・・・自分独りになっても元気で生きられる様に、普段から習慣付けておく必要がありますね・・・特に退職後の男性は・・・)
 ○第二条・・・家に閉じこもることなく、外に出ること。(・・・←外に出て、人や自然と触れ合うこと、いろんな刺激を受けること、大切ですね・・・旅はいいですね・・・)
 ○第三条・・・笑う角に福来る。(ささいな喧嘩は、サッと笑いに変えることが大切と思いますが・・・笑うと免疫力も高まるし・・・)
 ○第四条・・・感謝の心を忘れぬこと。(全ては、感謝から始まりますね・・・!)
 ○第五条・・・魚を食べなさい。(・・・→姉妹は、たんぱく質20%、脂質20%、炭水化物60%の割合で食事を摂っていて、カリウムを含む野菜も沢山摂っていて、実際に血管の検査をしても、4人とも、年齢よりも若いデータが出ています。日本食は、いいですね・・・)
 長寿には、遺伝25%、生活習慣75%の割合で関与するとか・・・。
 毎日イライラして、笑うことなく、ニコチンとアルコールづけで、それに運動不足と睡眠不足が重なれば、長寿との距離は、どんどん離れていきますね・・・。
 当たり前ですが、「いい生活習慣の積み重ね」が長寿を招きます。

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2011.10.29 10:53 |  研究  |  為になるかも知れない話  |  masa  | 推薦数 : 0

寄り道人生・・・

 iPS細胞の大発見で、多くの人の注目を浴びている「山中伸弥」先生(大先生って感じですが・・・)、どんな経過を辿って、そんな素晴らしい成果を上げることになったのでしょうか・・・是非とも知りたいところですが・・・
 ・・・(NHKで紹介されていましたが)中山先生のそれまでの隠れた姿を知って、とても人間味を感じて、身近な存在の人に思える様になりました・・・(それまでは、凄い秀才で、雲の人って感じに思っていましたが・・・)。
1、子どもから微分・積分のことを尋ねられて、上手に受け答えが出来なかったみたいで・・・その事に関して、山中先生は、「もう、30年前のことなので、忘れてますが・・・その考え方が役に立っています・・・」と言われていました。
2、(ラグビーなど)スポーツ好きでしたが、とにかく怪我が多くて、それも骨折を10回以上もして・・・→整形外科の道を選択・・・?!
3、整形外科を選んだものの、山中先生にとっては臨床の道は厳しく、手術に難儀し、ある時、長い時間を要する手術となって、麻酔が切れかけたこともあったりして・・・周りから「じゃまなか」とまで言われたこともあったりして(?!)・・・しばしば先輩から怒鳴られたりして(それまで、頭越しに叱られることを経験してなかったので、それが凄いストレスになったみたいで・・・)・・・(手術は下手でも、ネズミや犬の手術は上手だったこともあり?)2年間して整形外科医の道を諦め、本格的に研究の道を選ぶことになりました。
4、研究の道をアメリカに求め、30歳でアチコチ自分を売り込んで、やっとアメリカのグラッドストーン研究所で研究出来ることになりました。そこでは、幸いなことに、ノーベル賞受賞者と対等に言える環境を得ることが出来ました。
5、アメリカでは、アメリカ人的考え方に共感しました・・・→「変わり身の早さ」&「寄り道は悪くない」的生き方に。
 日本人は、直線的に進もうとする。しかし、アメリカ人は、失敗したら止め、面白いと思ったら迷わずそっちの方向に向かう。直線に進まず、ジグザグに迂回しながら進む。・・・→山中先生は、そんなアメリカ人的発想の「寄り道人生」で生きることに自信を持ち、その結果、日本に帰って万能細胞を発見することとなったのです(大拍手!)。
 イヤー・・・人の才能の開花の経過って、いろいろあるんですね。そう言えば、シュバイツァーも、学校の成績が悪くて、父親が学校に呼びつけられていたし、エジソンにしても、アインシュタインにしても、学校では、落ちこぼれって感じだったし・・・。
 長い人生、直線でなくて寄り道しながらでも、その人なりの納得出来る道を進んで、自分なりに社会貢献が出来れば、それでいいと思っています。

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2011.10.28 18:42 |  研究  |  為になるかも知れない話  |  masa  | 推薦数 : 0

時計遺伝子・・・

 数日前のテレビの放映の中で、次の様な内容がありましたが・・・
1、衰えた記憶力や体力を回復できる簡単な方法とは・・・?
 それは、悪い「睡眠習慣」を改善すること。寝だめは良くない。休日にまとめて睡眠を取るのは良くない。それを改善するには、ある遺伝子を活性化すればいい。その遺伝子とは、「時計遺伝子」。・・・→毎日、同じ時間に起きることが大切。
 時計遺伝子は、睡眠・体温・血圧・ホルモン分泌などをコントロールしている。完全に元に戻すには、3週間程掛かる。
 ・・・→そう言われてみると、納得できるところがあります。睡眠不足の状態が続いて、土日に遅くまで寝ていることが永いことありました。すると、月曜、体が重くて、とても調子が悪い状態でした・・・。で、リズムを狂わせない為に、土日も、早めに起きる様にしました・・・→すると、調子よくなりました。
 日本人の平日の睡眠時間は、1965年の8時間5分から減り続けて、2010年には、7時間14分になっています。主な国の中では、日本人、韓国人の次に眠らない国民になっています。
 子ども達も、遅くまで起きて、昼間に眠くなる子が多くなっています。(夜更かしをせずに、休日も寝坊しない子ほど、学力が高いと言うデータがありますよ!)
2、カルシウムが吸収され易い時間帯は、午後8時~深夜0時まで。・・・→と言うことは、カルシウムを多く含むものは、夕食に摂るべき・・・?!
3、塩分が吸収されにくい時間帯は、朝食時でなく昼食時でなく、夕食時。・・・←副腎皮質から分泌されるアルドステロン(塩分取り込みホルモン)が、腎臓でのナトリウムの再吸収を促すが、その値が、夕食時に低下しているので!(どの程度まで有効か、はっきりしませんが・・・?!)
4、食べながら健康的に痩せる「時計遺伝子ダイエット」なるものを、「時間栄養学者」が唱えています(私は、測るだけダイエットを続けていますが・・・)。・・・→脂肪の取り込みは、14時が最低で、深夜の2時が最高となっていて、その差は、何と約50倍もあります!
 3食を正しい時間帯に規則正しく食べること、そして、夕食は早めに。(・・・←と言うことは、3時の甘い和菓子を摂っても、さほど影響ないってことになるのかな・・・?!)

*実際の放映内容を少し変えています。御容赦ください。 

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2011.10.10 16:37 |  研究  |  為になるかも知れない話  |  masa  | 推薦数 : 0

白内障・・・

 年を取ると、「白内障」になる。眼科では、「白内障」で手術する患者さんが多い。皆、80歳を過ぎれば、何らかの白内障になっている・・・。
 しかし、その進行度合いは、人により実に様々・・・。
 ある眼科の先生の話だと・・・→喫煙者は、進行が早い。糖尿病の人は、進行が早い。紫外線を沢山浴びる仕事をしている人は、進行が早い(帽子をかぶるのは、白内障の進行を遅らせる意味では、有効とのこと)。皮膚や見た目が若い人は、やはり、白内障の進行も遅いとのこと。
 私の母は、90歳で認知症があるが、眼鏡をはずすと、針に糸が通せる。スゴイなと思う。皮膚は、90歳とは思えぬ程、若々しくて、顔はつやつやしていて、老人班など出来ていない。本人は、「頭ボケボケ、それ以外は、どうもない、元気ですよ!」何て(昨日も、スカイプでのやりとりで、ニコニコしながら私に言っていたけど・・・)。亡くなった父は、白内障があり、手術していたけど・・・(・・・←若い時に、喫煙していた・・・)。
 年を取ると、目と歯の衰えを如実に感じる。視力は、年齢と共に、どんどん低下して行く。歯も、次第にガタガタになり、歯肉炎などもしばしば見られる様になる。
 今日は、「体育の日」だ。自分場合、運動は、殆どしていない。バチを(殆ど毎日、空振りで)振ったり、病院の階段を、(エレベーターを使うことなく)速足で上がり下がりしているけど・・・(・・・←これが、結構運動になりますね。当院では、意識して、2段ずつ上がっているドクターもいますが・・・)。
 適度の運動、バランスの取れた食事、良眠、姿勢、気の持ち方、それをしていると、白内障の進行が遅いかな・・・?! 

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2011.10.09 11:58 |  研究  |  為になるかも知れない話  |  masa  | 推薦数 : 0

人類皆保因者・・・?!

 統計学の一番初めの講義で、「常染色体劣性遺伝病」に付いても触れた。
 「常染色体劣性遺伝病」の場合、我々一般の罹患率は、40.000人に1人とされていることが多い様だ(疾患によって、頻度が異なるのは当然であるが・・・)。この数字がどこから出されているのか?
 一般集団の保因者(Aa)頻度は、100人に1人である。
 一般人同士だと、本人が保因者(Aa)である確率は1/100、配偶者がが保因者である確率も1/100で、常染色体劣性遺伝病として生まれる確率は、(AaとAaでは、AA、Aa、Aa、aaとなり、aaで発病となるので、4人に1人の確率で発病することとなり)1/100×1/100×1/4 =1/40.000となる。つまり、4万人に1人の割合となる。
 常染色体劣性遺伝病は、先天性代謝異常症など、600~700種類が知られている。と言うことは、保因者頻度を100人に1人とすると、全ての人が、平均して、1人常染色体劣性遺伝病の病的遺伝子を6~7個、持っていることになる。
 つまり、「人類みな保因者」なのである。
 近親結婚に付いて触れると、例えば、いとこ結婚では、計算式が、1/100×1/100×1/8(!)となって、1/3.200となる。つまり、一般頻度の約12倍も高くなることが解る。
 常染色体劣性遺伝を持って発病する子どもを避けたいと思えは(100%は、不可能ですが・・・)、血の出来るだけ遠い者同士の方がいいのでしょうが・・・価値観や子どもが出来た後の環境やいろんなことを加味して、その当時者同士が決めることです・・・(←カウンセラーは、情報提供だけです!)。

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2011.10.02 15:52 |  生活 / くらし  |  為になるかも知れない話  |  masa  | 推薦数 : 0

恩があだに・・・?!



ハト公害1
 

 10月2日(日)、朝早くから、ハトがニワトリみたいな声で鳴いている。それで目を覚ますこともあるけど・・・。
 まだ、自分の住んでいるこの(市営)アパート、ハトとの闘いは終わっていない。自分が描いた想定通りの経過を着実にたどっているかな・・・?!
 あるアパートの住人(今は、不在となっている)が、ベランダで育てている姿を見つけて・・・片付けようとしたが、可哀相になって、育つまで待って、巣を片付けたみたいだが・・・(?!)。これが、大きな間違いだった。
 ハトには元々「帰巣本能」があって、巣立った所を自分の家と思ってしまって、例え人間の住むアパートのベランダでも、そこを住みかと思ってしまって、又、そこで育てたいと思うのだ。(・・・←切りがないのです!まあ、ハトには本能で動いているので、罪はないと思うのですが・・・)
 ハトの侵入を防ぐ網は、初め、自分の所だけだったが(私は、いつも、ベランダに来るハトを追い返していたが・・・)、今では、アパート全体の4分の3程が、網を張っている。実にハトは、しつこい・・・。
 このハトのしつこさを知ったのは、過去に、身近にそれを見てきているから。そのアパートも、大変なことになってしまった・・・。
 ちょっとした(ハトに対する)優しさが、大きな問題になってしまうのだ。こんなこと、他にも沢山あるかな・・・→個人的にも集団的にも・・・?!
 原発の問題にしても、いろんな利害関係がある中で、想定外と言ってしまって、安全性を軽んじた・・・→その結果、その周辺の地域以外の広い範囲で、実に深刻な問題を起こしてしまったのだ(時間を要するけど、多くの英知を駆使して、次第に、いい方向に向かうと思われますが・・・)。
 何事も、今までにないことをする時は、先々のことを冷静によく考えて、今までの経験やいろんな人の知恵を拝借して、行動することが大切だと思います・・・。

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 7日間程残務整理をした後に、故郷である島根県江津市の父母の元に復員した。
 気になるのは、被爆を一緒にして行動を共にしてきた町田伍長である。無事に復員しているだろうか?手紙を出した。父親より返事が来た。
 「あなたは、無事に帰られて良かったですね、私の息子は帰って来ません。遺骨も帰りません。」
 「ガーン、・・・。」と頭に大きな石が落ちて来たショックである。あの時、私も死んでいれば、この様なご返事を頂くことはないだろう。余りにも、残念である。涙が出た。あの憎い一発の(原子)爆弾の野郎め。
 就職せねばと整理していると、私の手を握って死んで行った前田美代子さんの遺髪と、名札の張ってある封筒が出て来た。しまった、海田市から美代子さんのご両親の住所である三篠本町は、わずか三里ほどの距離である。何故、故郷に復員する時、途中で届けなかったのであろうか?我ながらぼけていて残念である。おそらく、ご両親の元には、美代子さんは、遺体で帰っていない。永久に帰らないであろう。せめてこの遺髪と本人の名札を届け、死の前のあの言葉、埋葬してある場所を教えねばと、早々速達にて郵便を出す。そして、4日後に、再び、広島に赴く。
 近所の浜田市発の国鉄急行バスにて、中国山脈を横横断して横川駅に着く。
 目指す美代子さんのご両親の住所である三篠本町1丁目は、1キロもないはず。少しは民家が残っているだろうと想像していたが、やはり一面の焼け野原であった。こんな所までこの様な惨状であるのか。一発の得体の知れない(原子)爆弾の野郎め、この辺までもなめ尽くしたのか・・・・と、ふと焼け跡整理中の方に尋ねた。
 「この辺と思いますが、前田義夫さんのご家族の方はいらっしゃいませんか?」
 「今、そこで焼き跡を片付けをしんさっている人が、前田さん夫婦と家族の方ですよ。」
 やっと尋ねて来た前田さんの家族の方は、眼前30メートル先にいらっしゃる。ああ、美代子さんの遺髪を届けに来て良かった。
 「前田さんですか?」
 「ハイ、そうですが・・・・」
 「前田さんのお父さんですか?」と言うと、途端に眼をまん丸と開いて、私の足下から頭の上まで、驚いて家族の方総立ちで唖然として見つめるばかり。
 「速達を下さった近本様ですか?」
 「ハイ、近本であります。」 
 軍隊用語が突然私の口から出た。私が上官をしていたので、だいぶ年上と思われていたのであろうか。私は、21歳である。まだ、未成年であろうと、頭をかしげて疑っている様子である。
 「近本様であんさるでしたら、私が住んでいる家まで来んさい。」と言われた。広島弁である。
 可部線の踏切りを渡って15メートルもあろうか、大木で囲まれた大きな古い家に連れていかれる。その家の中には、焼け出された数世帯の家族で一杯であった。10畳ぐらいの広い座敷に迎えられた。
  お互いに正座をし、おもむろに「美代子さんは、私の部屋で亡くなられ、遺骨として帰って来られませんので、せめてもの形見として、遺髪と胸に付けられておられた名札を持参致しました。」と言って、封筒の中よりそれを取り出して、お父さんに渡した。
 「美代子、帰って来たか!」 ワッと涙々である。
 美代子さんの生前の様子、亡くなる前の最後の言葉、遺体は似の島に送ったこと、私も負傷していたので、充分な手当が出来なかったことなどをお詫びした。
 「この名札は、美代子が胸に付けていたのに間違いはありません。美代子、よく近本様の胸に抱かれて帰って来てくれた。」「近本様、よくぞ美代子を連れて来られました。」
 「いいえ、私の当然のことをしただけです。」
 前田さんのご家族にお別れする時が来た。横川駅より長崎行きの汽車に乗った。
 広島よ、色々な出来事があった。生死のことがあった。私の一生涯、決して忘れることは出来ない。
 被爆でお亡くなりになられた方々、静かにお眠り下さい。

(ご愛読、ありがとうございました)

(この内容は、被爆者の方の御好意により頂きました。本人から浪人の時に大変お世話になり、又、何度も、当時のこと聞かされました。今は、残念なことに、故人となられていますが、故人の奥様とは、今も安否の連絡を取り合っています。被爆関係者の生の記録です。)

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 ふと部下から起こされた。もう夜は明けていた。朝の5時半である。直ぐに火葬場を見る。あの赤くて燃えていた火は消えて、白い煙が静かに立ち登っている。場所を替えて、次の火葬の準備を部下に命じる。
 まてよ、防空壕の中で一緒に寝ていた被爆者の方達の様子はどうなっているのだろうか?皆横になってまだ寝ている様である。中に様子がおかしい方がいる。さてはと、一人一人の肩を揺さ振ってみる。4人程、反応がない。瞼を開けて目の玉を見る。瞳孔は開き切り、4人共、死んでいる。これ以上死なせたくない。1人でも助けたい。
 直ちに救助隊に伝令を飛ばす。昨夜、お互いに話をしたばかりなのに、火葬をするのが4人、突然に増して来た。可哀相に、又、涙が出て来た。
 10時頃であったろう。本隊に至急に帰隊せよとの伝令が自分に来た。何の要件かわからない。とっさに、負傷している私を休ませようとして、中野隊長殿が気を使われたのであろうか?その事であれば、私はまだ頑張るつもりであるが、命令とあれば、致し方ない。
 浅川兵長に後のことを宜しく頼み、兎に角、伝令と一緒に本隊に帰隊して驚いた。「海田市にある特別隊に編入転属を命ず。」被爆する前から、船舶司令部の名簿の中に私の名前は載っていたのである。
 急いで海田市にある特別隊に赴任する。遂に来た、沖縄決戦の名誉ある特別攻撃隊員である。それも幹部員である。
 船舶司令部の特別な秘密兵器である艇体は、総ベニヤ製にて長さ約6メートル、エンジンは貨物自動車エンジン60馬力、速度15ノット、艇3分の1先は、爆薬がぎっしり詰まり、先端には大きな信管が付いていて、所謂人間爆弾艇で、敵艦船手前500メートルで舵を固定し、搭乗者は、艇外の海中に飛び出し、艇だけが敵艦隊に体当たりして爆発する仕組みになっているが、敵の発見が早ければ、艇もろともに撃沈する恐れが大いにある。
 翌日より、敵艦船に突っ込みする特訓が始まった。遂に念願の原爆被害者の仇を取ることが出来る。500メートル手前で艇外に脱出しても、帰還の望みは先ずない。敵艦船のど真ん中に艇諸共に突っ込めば、私一人で見事に撃沈させることが出来る。最早決死の覚悟は出来ていた。
 いつ出撃なのか待機中である。今、8月15日の午後である。隊本部が急にざわめき出した。待ちに待った出撃出発かと歯を噛みしめて両拳を握った。
 どうも様子が変である。隊員達も頭を傾ける中、隊長が悲愴な顔をして全隊員集合を命じた。
 「・・・・・・、全隊員の諸君、戦争は終わった。ご苦労さんでした。」
 日本が勝ったのか、休戦になったのか、・・・ああ、日本は負けたのである。
 全隊員泣いている。隊長も泣いている。
 国の為に一生懸命に勉強して、陸軍兵器学校に入学し、卒業し、船舶司令部に配属され、過去4年半軍務につき、今正に特攻隊員として出撃瞬前に、終戦となってしまった。
 残念無念である。

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