子どもを持つ親にとっては、トイレの躾は、とても頭の痛い所。漏らして、スゴク叱っている親を見ることがあるが、待つゆとりが親に大切だと思っている。
アメリカ小児科学会では、次の7つのことを、「トイレトレーニングスタート」の目安としている。
・歩いたりお座りが出来ること。
・親のマネをすること。
・物を決まった場所に置けること。
・いやと言えること。
・パンツやズボンを降ろせること。
・トイレに関心があること。
・尿意を伝えることが出来ること。
又、アメリカ小児科学会では、大人が焦(あせ)らないこと、子どもにはそれぞれ個人差があること、準備がちゃんと出来ているかどうかを確かめることを強調している。
又、スイスでの研究では、7カ月からトイレトレーニングを始めると2年2カ月で終わり、2歳から始めると2歳2カ月で終わるとの結論をだしている。エッ!、その差は、わずか2カ月でしかないのだ!
ムーッ、と言うことは、何事もちょうどいい時期まで待てば、子どもは、スッと抵抗なく何でも自然に習得出来ると言うことかな。
更にそれを広げて解釈すると・・・
小さい時から親が焦って知識を植え込もうとすると、努力する割には余り成果が上がらないと言うことになるかな?!
ものにもよるだろうが、例えば、芸術や運動に関しては、モーツアルトやタイガーウッズやイチローが3歳から(尊敬する)父親から英才教育を受けていることなどを知ると、早い方がいいような感じもするが。絶対音感なんて、小さい時にサボっていると、もう身に付かないみたいだ。(しかし、それで身を立てるのでなければ、そんなにやっきになる必要もないのではないのかなあ。まず、好きになることが大切だと思う)
自分の場合、今でも自信をなくして後悔していることに、私の小学生の時のバイオリンのことがある。家にお金がないのに、それを教わる所まで行くのに、親の都合と合わせて日曜日に、バスで1時間近く掛かって、(小学校4年生の初め頃から?)佐伯まで隣の子どもと一緒に通っていた。バイオリンの音に魅了された訳ではなかった。周りから勧められたから。そして、初めは少し面白いかなあと思っていたが、次第に苦痛になり、とうとう隣の子ども共に行かなくなってしまった。一体、自分にとって、バイオリンは何の意味があったのだろうか?
その後、姉がピアノをしていることもあり、ピアノも勧められて、ピアノを始めた。1年ちょっとのスピードでバイエルが終わり、ソナチネもちょっとかじった所で、又、止めてしまった。後で思えば、ピアノも自信を失うものの手段でしかなかった感じだ?この不完全のモヤモヤの反動が、盆踊り太鼓や篠笛に転嫁したのかも知れないけど。
自分の3人の子どもの場合、家ではよく音楽を流していた。特に下の2人の時には、胎教にいいだろうと思って、お腹の中にいた時からクラシック音楽を頻回に聴かせていた。
一番上の子どもが小さい時には、家によく自分の英会話の先生に来てもらって、私は、英語でのフリートーキングをしていた。私は何故か娘に英語を教えた記憶がない。と言うのは、自分も、長兄(数年前に、進学高校の英語の教諭を退職したが)から、「英語は、どうせ学校で教わるから、前もってしなくていい」と言われ、(南アフリカの牧師さんから教わっていた)長兄から、英語のアルファベットの26文字の発音だけを中心に中学入学する前に入念に教わった(英語会話に関しては、当時はそれが正解だったのではと今でも思っている)。が、長女は、高校生の時に英会話だけ、オーストラリア人から教わっていた(現在、アトランタ在住)。
で、下の二人は、音楽に興味を抱き、今は、仕事よりもライブで忙しそうだ。
息子には茶道を小学校3年生から教え込み、中学生になって盆踊り太鼓を教えようとしたが、ちょっとだけ興味を抱いてくれただけで、(反抗期のせいもあったのか)ギターの方に走ってしまった。(私は一度も息子のライブハウスでの演奏姿を見たことがない。高校生の時から、自分で曲を作り、作詞もし、それをライブハウスで歌っていた様だが)
次女は、ピアノを一生懸命にしていたのだが、突如、バイオリンをしたいと言い出して、そちらの方に走ってしまった。
親がいやいや押し付けたのは、かえって、マイナスになっていることが多いと思う。正に好きこそものの上手なれだと思う。親の務めとして、何事も、子どもは元々やる気がある訳で、やる気を起こそうと親が先走って強いるようなことはせずに、子どものやる気をなくさない様にすることの方が極めて大切だと思っている。
自分の場合は、幸いに親から「勉強しろ」と言われた記憶がない。塾にも(友達から誘われたが)行かなかった(子ども心に、お金のいることを考え、学校の先生に尋ねることに決めていた)。そして、それが自分の場合は、幸いだったと思っている。それにより、自分で問題を見付けて、それを自分なりに解く楽しさを少なからず身に付けることが出来たと思っている。
モノには、順序がある。子どものいろんな面も、それぞれを始めるのにちょうどそれに適した時期があると思う。もちろん、個人差もあるはずだ。元々子ども自身には、学ぼうとする力がある。その力は、大人以上だ。
感性豊かな10歳~12歳の時に、成績を上げることを一番の価値観において、夏休みにも毎日が受験勉強に追われる姿は、どう見ても不自然だと思っています。
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
昨日(7月26日)の夜、渡辺明棋士の両親がNHK教育テレビの「土よう親じかん」に出演していて、とても興味深く見入った。
渡辺明棋士は、現在、賞金額としては一番高い竜王戦での「竜王」の保持者。
小学校4年生で、小学生での名人となり、周囲を驚かせた。羽生義治4冠以来、15年振りに中学生でプロとなっていて(今までに、中学生でプロとなった人は、4人しかいない)、その躍進振りは、多くの人の注目の的ともなっている。
父親は、アマチュアの5段。子守りで、将棋を指す所に一緒によく連れて行ったそうで(明君は、柱に登ったり、走り回ったりしていた)、そんなことを繰り返している内に、将棋を覚え、メキメキと腕を上げてきた。しかし、負けず嫌いな明君は、姉に負けると、スゴクくやしそうにしていたとのこと。
親子将棋と言うのがあって、父親と明君が対決することになった。明君の短所は、粘りがないこと。それをどうかして解決させようと、父親優勢を劣勢にして、明君に優勝させて上げたとのこと(後で、わざと負けてくれたと、明君納得)。
小学生で名人になり、それで天狗になってはいけないと思って、いろんな取材を断ったとのこと。又、人間的にも成長しないといけないと思い、叱るべき時には、それなりにちゃんと叱って行ったとのこと。
父親は、明君のプライドを傷つけない様にしてきている。インターネットで試合の状況が分かるので、負けた時は(負けたことが直ぐに明君の態度に出ているのだが)、家に帰ってもそのことに触れない。勝った時には、いろいろ(インターネットで既に知っていても)尋ねて(待ってましたとばかり、明君は得意げに詳細に話していたが)、大げさに喜んで上げていたとのこと。
母親は、明君に女っ気がないのではと心配していたが、ちゃんと相手を見つけて、早々と結婚。
彼は、独学タイプ。その理由を次の様に(かって)述べている、・・・「自分の力でした方が、やり甲斐があるから」と。
私の場合は、今は亡き父親から、将棋も囲碁も教わった。初めに将棋を教わり、歩3丁で、負けた。で、私が次第に強くなるにつれて、いろいろ父親が駒を落としてくれたが、全て勝たせてもらうことはなかった。父は、囲碁を囲碁仲間とよく家で指していて、私も教わり、父から相手をしてもらえる様になった。9目以上置いても、負けていた。で、最後は、6目になっていたが、やはり、全敗だった。今思うと、父は、私に勝負の厳しさを教えたかったのではと思う。
渡辺明棋士のブログ
http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/
続きを読む
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
子どもに何を残すべきか、・・・先人は教訓めいたことを言っている。財産は3代目でなくなる。子孫に美田を残すな。
財産家が相続で苦しんでいる例を見てきている。外国と違って、日本では、相続税をガッポリと持っていかれる。
ある人は、父親が真面目に働いて倒産するのが一番の財産だと言われた。それで行くと、自分なんかは、それに当てはまるかもしれない。幸いに、借金は作らなかったが。
ユダヤ人の子どもに対しての金銭感覚には、非常に興味をそそられるものがある。ユダヤ人は、自分の子どもの教育には沢山のお金を掛けるが、作り上げた財産に対しては、社会に寄付し、子どもに残そうとしない。ユダヤ人は、子どもに財産を残しても、能力がなければ意味がないし、それを先々確認できないからと言うのが理由らしいが。
以下に、興味深い話がある。
ある船に、商人と学者が乗っていた。商人は船に荷物をたくさん載せていたが、学者は何一つない。不思議に思った商人は「あなたは一体何を売って暮らしているのか」と学者に尋ねると、学者は「世界一優れた物」と言った。「世界一優れた物とは何だね?」の問いに、学者は答えなかった。そこで商人は学者が寝ている間に彼の周りを調べてみたが何もない。商人は変なヤツだと学者をあざ笑ったが、暫くして大惨事が起る。乗っていた船が嵐で難破して、商人の荷物が全て海に投げ出されてしまったのだ。やっとの思いで乗船者達は、岸にたどり着いた。そして、学者も商人も町へ向かったが、町では商人はあまり興味を示されず、学者は彼らに大歓迎された。学者の持っていた知識が非常に素晴らしかったからだ。その後、学者は彼が持っていた知識だけで、大変な財産を築き上げてしまった。それを見ていた商人は「あなたの商品はやはり世界一素晴らしい。私の有形財産は一夜にして無くなったが、あなたの無形財産はどんな事があっても一生なくならない!」との言葉を残した。(『ユダヤ人ばかりになぜ、お金が集まってくるのか』伊達一啓著)
ユダヤ人で世界を動かしている有名人は多い。アインシュタイン、ロックフェラー、マイクロソフト、マクドナルド等。
私は、知識は財産だと思っている。知識は、パワーだと思っている。それを上手に使って生きることが身に付いた知恵だと思っている。
見知らぬ土地に行っても、多くの人間がちゃんと生きていける方法・・・それは、相手にとってこちらが危険でないことを悟らせる能力、こちらの思いを伝えることが出来る能力だと思う。その能力で、お腹が空いた、助けて下さいとコミュニケーションを取ることが出来れば、何とか、やっていけるもの、例え、無一文でも。助けてもらったら、感謝の気持ちがちゃんとその相手に伝えられて、その後、いつか、そんな人がいたら、今度は自分が喜んで助けて上げること、それがホントに身に付いた生きる力だと思います。
続きを読む
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
アフリカの砂漠のミーアキャットの親が、子どもにサソリの取り方を教える様子が、6月29日(日)の19:30からのNHK「ダーウィンが来た」で放映されていた。
乾期が来ると、食べ物が少なくなるので、親自身が食べることで一生懸命になる。で、その前に、子どもに餌の取り方をちゃんと教えておく必要がある。
サソリからミーアキャットが刺されても、ミーアキャットには、サソリの毒に対しての抗体があるので死ぬことはない。が、刺されると、とても痛い。
まず、死んだサソリを親が与えていて、サソリの美味しい味を覚えさせている。次に、先のトゲを取った生きたサソリを与える。次には、トゲのあるままで、少し弱ったサソリを与える。そして、最後は意気のいいサソリをそのまま与えるって具合にして、段階的に教育をしている。後は、全く与えない。つまり、自分で取るしかない。
ムーッ、人間も見習うべきスゴイ教育をしていると思う。これって、永いことケンブリッジ大学研究チームの観察の結果わかったこと。
ミーアキャットは、群れで行動する。群れによって、子どもの教育の熱の入れ方が多少違い、熱心なところ程、群れが大きくなり、乏しいところは、その内消滅しているとか。
人間も、同じかなあ。
その子の年齢と能力に合った問題を与えるべきで、いきなり難しいことを与えても、ついて行けないし、子どもが嫌いになってしまう。日本の親は、落第ってことをスゴク気にするが、しっかり覚えてなくて上の学年に上がっても、先生も本人も困るし、授業も面白くないはず。で、不登校になるかな?
小さい時は、知識よりも大切なモノがある。情や意で、元々子どもは好奇心に富んでいて、いろんなことを知りたいし、挑戦したい気持ちがある。失敗しながらも、それを自分の力で何とか成功した経験が、自信の土台となる。が、それを周囲が何でもかんでもしてしまうと、最後まで周囲が面倒をみないといけない感じになって、両方とも、最後まで事が上手く運ばない感じになってしまう。
今の人間の姿、競争競争で、無理難題を本人の意志と関係なく押し付け、際限なく欲望が大きく、足ることを知らず、自己本位で自然を破壊している。これでは、いつかは、滅んでしまいますよ!

続きを読む
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
若手書道家で、独特のパフォーマンスで演出している武田双雲の両親が、平成20年5月3日のNHKの「土曜親じかん」(昼放映)に出演していて、たまたま見ることが出来た。
小さい時には、かなり厳しく躾けられている。特に書道に関しては、母親が、細かく指導していて、それに素直に彼は従っている。普通の会社に入り、その後、退社して、自分の世界に入っている。
日本の教育は、小さい時には、自由にさせて、小学校高学年頃からうるさく言う感じの親が多いと言われている。逆に、欧米では、小さい時には厳しく躾けられ、10歳頃からは、1人の人間として扱い、いろいろ言わなくなる傾向にあると言われている。
武田双雲の場合は、欧米風の躾の仕方であった様だ。彼の言からでは、父親からは、「お前は天才だ」とよく言われていたそうで、母親からは、「大丈夫、大丈夫」とよく言われていたとのこと。
両親とも、自分の世界をそれなりに楽しんでいて、彼はそんな両親を見て、自分も人生を楽しめる様になろうと思って努力してきたに違いない。
彼は、自宅を建てた時に、押し入れのふすまに何も書いていなくて、何か物足りなく感じて、奥さんに内緒で、無心でその上半分に「感」と言う字を書いた。で、それだけでは、何か調和がとれない感じになって、その下に「性」と書き、更には、隣のふすまの上半分に「謝」、そしてその下に、「動」と、何となく書いてしまってた。
で、親から頂いたモノって、この「感性」「感謝」「感動」だと話された。
いい話だと思う。
続きを読む
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
1、「共感すること」
例えば、うさぎが死んでしまって、子どもが泣いているとする。「又、飼えばいい、そんなに泣かないで。」と言えば、子どもの悲しみを無理に追いやっていることになり、子どもの心は、行き場がなくなって、混乱してしまい、先々、喜怒哀楽を素直に表現できない大人になってしまう。そうではなくて、「残念だネエ、おまえは、本当にあのうさちゃんが好きだったんだネエ。」と言って、子どもの心の経験を認めて、それを大人が言葉で代わりに表現してあげることが大切である。
2、「共感的沈黙の方法」
例えば、子どもが友達と喧嘩して、その事を子どもが言っている時、子どもの目をちゃんと見て聞いてあげないと、子どもの気持ちが親と離れてしまって、先々、問題を抱えても、他人と話せない、内向的な大人になってしまう。そうではなくて、真剣に目を見つめて、一つ一つちゃんとうなずいて聞いてあげることである。そうすることにより、親が何も言っていなくても、親が本気で聞いていると思えば、子どもは、自分なりに解決策を見出すものなのである。
3、「問題点をはっきりと言う」
頭ごなしに命令されたり、説教されたりすれば、子どもは、例え親であっても、敵意を抱くものである。そうではなくて、問題点だけを手短に指摘すれば、子どもは、何がいけないのかを自分で考える様になる。
4、「情報を与える」
例えば、感情的にどなるだけでは、こどもにとっては、何故どなられているのかが分からない。そうではなくて、物事には、原因があって結果があることを教え、必要な情報を与えるべきである。そうすることによって、子どもには、今後になすべきことが理解できるのである。
5、「簡潔に言う」
子どもは、長い説教は、大嫌いである。長い説教は、将来、肝心な話を聞かない子どもに成長してしまい兼ねない。子どもにとっては、話が短い程、覚え易い。
6、「自発性を促す」
親の手助けなしで行動させるのも、子どもの人格形成の上では、効果的なこととなっている。取り敢えず、自発性をそがない為にも、朝、自分の力だけで起きられる様にしましょう。
7、「親の感情を、時には、素直に伝える」
親自身が、あの時は、感情に走ってしまって、言い過ぎたなと思ったら、後でもいいから、子どもにそのことで謝ることも大切なことである。親の喜怒哀楽を子どもが知ることも、感性を磨く上では、子どもにとっては、手本となる。
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
かわいいワンちゃんが飼い主の不適切な飼い方で、「権勢症候群」になり、その内にその家の御主人に噛み付き、中には、殺されるケースまで出現している。
犬の世界は、縦の世界。犬自身は、自分が家の中で何番目に偉いのか、しっかりと順位を付けている。家族が何もかもワンちゃん中心で溺愛してしまうと、この家の中で一番偉いのは犬の自分だと錯覚してしまって、その家の統制をとる為に、自分に逆らうものに対して威嚇する様になる。困った挙句に専門の訓練士に訓練してもらっても、長年経ていると、元に戻らないケースもあり、仕方なく、手離さざるを得ないケースもある。
あるテレビの内容で、5カ月の大きな犬を、小学生(高学年の男児)が散歩させているのに、犬が他の犬を見るとよそ見をしてしまって、その子の言うことを聞かずに、子どもが引っ張られているシーンがあった。しかし、訓練士がわずが30分手ほどきをすると、改善していた。
訓練士が、まず、しっかりと縄を犬に付け、勝手に行こうとすると、犬の名前を言って強引に引っ張り、訓練士の方に来たら、撫でて褒めてやっている。ものを与える訳でなく、ひどく叱る訳でなく、相手の名前を言って、寄って来たら、すかさず褒める。この繰り返しで、それが可能になっている。子どもに代わると、要領がまだ上手く理解できなかったのか、初めうまく行かなかったが、次第に、訓練士と同じ感じで出来る様になり、訓練を始めてからわずか30分で、この子どもの力で立派な躾の出来た犬に変身している。
子どもの可愛さに、親が子どもを溺愛し、子どもの言うなりにしていると、子どもがわがままになり、親の言うこと聞かなくなり、その内、強引に親のいいなりにさせようとすると、家庭内暴力、最悪の時は、金属バットとなるかも知れない。
それを修正するのは、先のワンちゃんのケースと同じで、出来るだけ早い時期に、ものやお金を利用せず、忙しくても、子どもの話をよく聞いていやり、いいことをしたら必ず褒めて自信を持たせる。これを繰り返す。
周りが皆同じ感じで子どもに接して行けば、立ち直るのは、直ぐにでも出来そうな気がしますが、言うは易し、行いは難しで、人間の場合は、ワンちゃんよりもいろんな価値観の人が多いだけに、矯正は、難しい様です・・・
続きを読む
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
少年の非行は、「三離四走」と言われています。「三離」とは、親離れ、学校離れ、地域離れです。「親離れ」とは、親に対する反発です。「学校離れ」とは、尊敬できない先生に付いていけない、学校行かなくも、働けると言うものです。そして、地域では小さい時から自分を周囲の人が知っているので監視が鋭いなどの理由での気ままな生活をする為に地域から離れて行く「地域離れ」です。
そう言う状況が何かのきっかけで、まず、「車」、そして暴走族、「薬」、そしてシンナーや麻薬、そして、「セックス」、そして、お金や寂しさを埋め合わせる為の援助交際、そして最後に、「盗み」、万引きとなるのです。
「衣食足って礼節を知る」が、衣食足って非行に走っているのです。何が足りなかったかと言えば、それは、心を育てる教育が足りなかったのです。
教育と言うと、親や学校や先生をイメージしてしまいますが、先に生まれた全ての人である「先生」の先生、つまり、大人である我々は、皆子ども達にとって良き先生であるべきです。
大人各人が、「今の親は・・・」とか、「今の先生は・・・」とか言いますが、大人各人が、自分は教育者でないからと言わずに、自信を持てる生き方をしていることが大切なのです。
子どもと言うのは、「たいたい族」です。見たい、聞きたい、してみたいなどです。大人は、「とことこ族」です。やめとこ、せんとこ、行かんとこなどです。
その「たいたい族」と「とことこ族」のコミュニケーションがうまく行っていないのです。大人が子どもから学ぶことも、沢山あります。
子どもを非行から守るには、大人が子どものことを理解することから始まり、次に、大人が子どもに手本を示すことです。
何故なら、子どもは、大人の縮図だからです。
続きを読む
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
女性の力は大きい。政治にしても、数が男性よりも多い訳だから、一致団結すれば、男性の意見は通らないことになる。しかし、女性の敵は、女性だとも言われているが、・・・・、難しい話は別の機会に譲ることにして・・・。
実際、家族で外食をする時にしても、旅行をする時にしても、家族で何か見に行く時にしても、父親の出番は少なく、母親の意見で決まるケースが多い様な気がする。
ある年配の小児科医が言われていた、「小児科ですか、小児科は、母親科だよ。小児科は、母親と子どもを見ないといけないから、普通の医者の倍のエネルギーを使っている。医療費も、倍取ってもいいと思うが・・・(実際は、検査が少ないので、内科よりも少ない医旅費になっているが・・・)」と。実際、よく考えて見ると多くの小児科医は、母親に納得してもらう為に、エネルギーの大半を使っている様である(戦前までは、余り説明しなくても良かったらしいが・・・)。
子どもに対しての親の特徴は、前から言われていることだが、「期待が大きい」「不安である」そして、「客観性に乏しい」と言うことである。少子化の時代、この先、日本経済もどうなるか分からない時代、親が将来性のあるものに投資するとしたら、当然、愛する我が子となる。それは致し方のないことと理解できるが、子どもがちゃんとそれに楽しく応じてくれている間はいいのだが、実際は、子どもは競争に追われて、子どもから笑顔が消えているケースが多い。
テレビで、ある耳鼻科の教授が、小さな子どもを持つお母さん方の質問に応えていた。「先生、どうして、うちの子は、何度も中耳炎にかかるのでしょうか?」「その多くは、カゼを引くからです。子どもの場合は、カゼを引いたことが誘因になって、中耳炎になることが大半です」「先生、カゼを引かない様にするには、どうしたらいいのでしょうか?」「それに大きな影響を及ぼしているのは、心の問題です。子どもさんの心が不安定だと、ストレスが異常に溜まった状態になり、それで、免疫力を落ちてカゼを引き易くなります」「先生、どうしたら、子どもの精神状態が安定するのでしょうか?」「それは、身近にいる人、特に、お母さんの精神状態が安定していることです。母親がいつもニコニコして多くのことに感謝し、幸せな気分であれば、子どもさんもそうなり、免疫力もそれなりに高まって、カゼも引きにくくなり、カゼを引いても軽くて済む感じになるケースが多いと、私自身は常々思ってきているのですが・・・」と。
子どもの教育には、父親よりも母親の方が熱心な場合が多い感じで、それが行き過ぎると、過保護になったり、過干渉になって、子どもが自信を持てなくなり、最悪な時には、やる気を失くして無気力になる場合もあると思う。
子どもが言おうとする前に、母親が言ってしまう。子どもがしようとする前に、母親がしてしまう。それでは、自立が出来なくなってしまう。子どもなりに、その年齢と状況に応じた問題を与え、子どもなりに解かせ、それが出来なくても、這い上がる練習をさせるゆとりを親が持てることが大切だと思う(問題とは、小さな子どもさん相手であれば、その多くは、頭ごしに与える知識の問題にすることなく、全身を使っての楽しい遊び感覚の問題であることが大切)。母親は、男の子の場合は、女の子以上にあせる傾向があり、それも、二人や三人の子どもの内の男の子が一人だとすると、尚更のこととなる。
賢い母親は、「遠くからよく見る」と言われている。それと全く逆に、近視眼的にピッタリと寄り添って、絶対に失敗して欲しくないって感じで、夫以上に息子に期待を掛けていることは、絶対に、まずいですね。
動物の世界では、まず、親が子離れし、そして、子が親離れしているケースが多い様に見受けられます。子離れできない親、親離れできない子、今の日本は、お互いに支え合うのでなく、もたれ合う親子関係が多い様な気がしていますが・・・・?!
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
平成7年6月11日(日)、南海病院近くの菖蒲園で「第二回(チャリティ一)子ども茶会」が施行されました。
今年は、恒例の菖蒲園祭りが、例年と違って盛大に行われませんでした。しかし、昨年「茶道裏千家淡交会さいき青年部」の有志により呈茶が施行されたと同じ場所で、鎌田社中の裏方の協力の元、朝の10時から午後3時過ぎまで、点てる子ども7人と、それに協力する子ども2人により、150人近くのお客さん相手(ほとんどが大人)に茶会を無事に終えることができました。
今の時代、子どもたちは、大人からしてもらうことの喜びをしばしば経験させられています。しかし、大人に喜んでもらうことを経験させられることは少なくなっている傾向にあると思います。ましてや、こんな感じで子どもが150人近くも集められることなんて本当にまれなことだと思われます。
協力の人々は全てボランティアでした。又、収益金は第一回と同様に全て寄付させて頂きました。
毎年これが確実に施行されて、最終的には裏方も全てが子ども達だけで行なわれる時が来ることを今から切に夢みて祈っています。
(以上は、私が大分県保険医新聞に投稿して、掲載された内容です。1995年9月20日発行、第138号の大分県保険医新聞より、原文のまま)
続きを読む
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)