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2008.06.28 11:26 |  趣味  |  生き方  |  masa  | 推薦数 : 0

伊達公子・・・

 6月27日(土)の22:00から、NHK総合テレビで、「笑顔で戻ったテニスコート・クルム伊達公子37歳強さの秘密・勇気をくれた夫」と題して、50分間の放映があった。
 一度は、完全にしないと諦めたテニスであったのに、又、ラケットを握り、しかも、元のプロのテニスプレーヤーになって、今年の日本でのテニスの大会でダブルスもシングルも優勝し、当の本人が驚いている。
 26歳の時に、あれ程きっぱりと、もう元のプロに戻らないと決めたのに、再び、自分自身で同じプロの道を歩むことを何故決めたのか、それを私は知りたかった。
 まず、結婚したこと。この場合は、夫の存在は大きいと思う。しかも、カーレーサーで、テニスのことは素人。これが又いいと思う。
 次に、子どもと接してきたこと。引退後に、子どもにテニスを教え、テニスの面白さを教えることに専念してきている。それで、又、自分の小さかった時に、テニスが大好きだったことを鮮明に思い出して、再び、モチベーションを高く持てる様になっている。
 それに、テニス界から完全に身を引いて、それ以外の自分のしたかった世界(海外に行って、日本の文化の良さに気付いて)にどっぽりと入っていたこと。「茶道」「着付け」「陶芸」など。
 全てが今の伊達公子を作っていると思う。試合を見ても、楽しんでいる。そこには、負けて元々と思ってる感じで、かっての思苦しさはない。元々明るい性格の人だと思う。しかし、周りからあまりにも期待され、自由がなくなり、とうとう好きなテニスも嫌いになってしまったと思われる。こんなケース、他の人にも多いことだと思う。
 自分にしても、今の自分の姿が嘘みたいに感じている。
 前の救急病院を辞める時には、ホントにもう、医療が嫌になって、医師生活を2~3年しなくてもいいと思っていた(子どもで学資がまだいる時だったので、貯めたお金をスッカラカンに使い果たしてもいいとまでは思わなかった)。ドクターの就職を斡旋している会社の掲示板の自分の説明には、「団塊の世代の小児科医です。年間3~4分の1の仕事量を望みます。急いでいないので、2~3年以内に、ゆっくりと考えて決めたいと思います」との内容の主旨で書かれていた(今も、その気持ちは、基本的には同じだが・・・)。
 しかし、医療のイの字もしなくて、一人であちこち海外に行って、行き先でいつもしていたインターネットからのメイルで、小児科医就職の依頼がアチコチから常に来ていた(30カ所以上から)。
 半年程、小児科医がいなくなって、ホントに困っている田舎の総合病院の事務長さんからの熱意に感動して、まだ、エジプトとトルコの長期滞在をする計画を突如中止して、(ずっと自分の夢であった日本の文化を持っての海外滞在中心の生活をまる1年間で中止して)
今の職場に就職し、既に、まる3年になろうとしている。
 へき地に勤務したことがなかったので、あまり期待してなく、それまでしてきたことと違って、最低限の荷物を持って、いつでも引き上げられる感じにしていた(それまでは、大学から次々と医者が交代で来ていた)。確かに、初めの1年間は、小児科医一人で、それなりに大変だったが、兎に角、今までと違って外来の患者さんの数が少なくて、採算の方を心配していた。17年間救急中心にベッドを持って一人でしてきた自分の経験は強かったし、中医学をしてきたことも、強かった。それに、元々教えるのが好きで、看護学校もあって、ラッキーだった。それに、1年経って、幸いにも一人小児科医が就職してくれた。
 今は、(どちからが必ず拘束になっているが、二人で適当に休みを取り合っている。時に、長期休暇も)忙しい時もあるが、気持ちが前とは全く違っている。自分なりに楽しく救急が出来ているし、大好きな趣味も適当に出来ている。
 子どもや親御さんだけでなく、歳のせいか、相手の立場が前よりはよく理解できる様になっているかな。親御さんと話す時、楽しく話している自分に気が付く。エンドルフィンが少し出て、イチローや羽生名人みたいにはいかないが、少しアルファーがかった脳波が話している時に
出ているかも知れない。

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2008.05.29 11:25 |  研究  |  その他(一般)  |  生き方  |  masa  | 推薦数 : 1

般若心経

 般若心経は、色即是空、つまりこの世の全てのものは、結局、空であり、それがこの世の真実である、ということを示したお経であると言われています。
 ところで、この世の真実であると言われる空とは、空(から)っぽとか空(むな)しいとかいうものとは違うもののように思われます。般若心経の空は、私たちの頭上に無限に広がる大空にたとえられます。大空は、確かに空っぽです。だからといって何もないかというと、そうではありません。雲が流れる。風がわたる。飛行機が飛ぶ。鳥が遊ぶ。虹がかかる。太陽が昇る。空っぽだからこそ、何でも受け入れることができるのです。このことは、先人は、次のように詠っています。
 「無一物中 無尽蔵 花あり月あり 山河あり」
 又、大空には執着がありません。私はうろこ雲が好きだが、入道雲は勘弁して欲しいとか、虹が好きだからしばらく映しておこうというえり好みはありません。あるがままをそのままに受け入れ、あとかたをとどめません。本来、私たちの心もこの大空のようなものであるといえます。
 私たちは、本来空であり、何もない所からこの世にやって来て、喜び、悲しみ、様々な経験をします。そして、やがて力尽きると、また空に、大いなる命に還っていきます。それが、この世の真実です。
 最も大切なことは、本来空なる所からこの世に生を受け、山を見出し、花を見出し、人々と喜び、悲しみを分かち合えるということです。これはまさに奇跡であります。その事実に気が付いた時、私たちは生かされていることに感謝せずにはいられません。それが般若心経の真髄でありましょう。
 (寺報「聖福寺だより」より抜粋)

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2008.05.18 09:49 |  生活 / くらし  |  生き方  |  masa  | 推薦数 : 1

志村けん

 志村けん、本名志村康徳、昭和25年2月20日生まれ(私と同じ58歳)、東京都東村山市出身。
 多くの人はどんなイメージで、彼を思っているだろうか?「馬鹿殿様」のイメージが一番強いかと思う。
 しかし、ホントは、とっても真面目で、兎に角、笑いで観客を誘うことに命を駆けていると言った方がいいかも知れない。
 ネタが思い付かなくて、眠れない時がよくあるとか。林家三平も、同じ事を言っていたなあ。
 34年間、お笑いの世界に入って、いろんな所で活躍している。が、10年前からの夢があり、それは、地方公演。そこでは、コントが17~18もある。故藤山寛美の人生訓的な作品の再現にも力を入れている。
 かって、「8時だよ、全員集合」のテレビでのお茶の間の人気番組で、私も真剣に見ていた記憶がある。彼は、ドリフターズのメンバーで、あちこちの公演で直に観客に接していた。直にお客さんに接することで、お客さんの反応を見て、いろんなことを学べたと言う。
 自然体で行きたいと言う。観客からギャグが受けてもらった時には、何とも言えない喜びがそこにあると言う。歳を取っても、体が動くまで多くの人から笑ってもらいたいと言う。
 素晴らしい生き方だと思う。その姿には、多くの人が学ぶべき「志村けん哲学」があると思う。
 彼は、「最初はグー、ジャンケンポン」など、いろんな言葉も生み出している。 以下志村けん日記より、(彼のブログを1日に1万人近くの人が見ている様だが、スゴイ人気だなあ)


・・・ 人生長さでなく中身かな、他人の為になることいくら出来るかな  自分の無力を感じます。 自分の好きな事を一生懸命やるしかないかな。   前を見て、空を見て今日を生きよう。 自分の出来る事を精一杯 偉そうに言ってすいません 私は小さなコメディアンです。   あせるな よくばるな あきらめるな みんな一歩ずつ 歩いてるんだから・・・

彼の一番好きな言葉は、「心を込めて」だそうです。

・・・暖かい心解ってくれる人だけでいいよね
他人の悪口ではいやですから  自分を好きな分だけ誰かを好きになれるといいですね   今夜はもう寝ます

58歳の志村けん、現在、津軽三味線の上妻先生に付いて、忙しい中、三味線の練習もしている様です。それもいつか見せてくれるでしょう。 

(拍手、拍手、拍手)

http://www.ken-shimura.com/profile.html(志村けんのブログ)

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2008.05.17 10:07 |  趣味  |  生き方  |  masa  | 推薦数 : 0

盆踊り太鼓

 どうしても生きている内にしておきたいことがある。それをしてないと、先々、悔いが残りそうな気がしている。それは、自分が歳を取れば取るほど、難しくなること。それは、直ぐに出来なくて、それなりに時間が掛かること。しかし、それは、私の今の夢である。
 それは、「盆通り太鼓」を外国の子どもに伝授すること。(佐伯は、オーストラリアのグラッドストーン市と姉妹都市の関係にあり、アメリカのホノルル市とも、友情都市の関係にあるので、出来れば、そこで)
 太鼓を始めたきっかけは、亡くなった父が、(天理の協会で)太鼓をよく打っていたとのことで(私は、父が太鼓を打つのを聞いたことは一度もなかったが)、盆踊り太鼓でも打てば、父の供養も出来るだろうと思ったから。
 で、驚いた。音楽なしの、太鼓の中央を中心に打つ太鼓の打ち方と、盆踊りの太鼓の打ち方、全く違うのである。普通の太鼓を打つ人で、盆踊りの時に盆踊り太鼓を打っている人もいるが、少ない。多くは、盆踊りだけ打つ人で打っているケースが多い。
 盆踊り太鼓での打ち方は、ホントは、民謡の曲に合わせて座って打つのがオリジンだと思う。民謡をしている人から、「炭坑節」の打ち方を教わった。ちゃんと教科書的な3通りの打ち方があり、譜面もあって、曲に合わせて打ち方がちゃんと決まっている。しかし、それは、座って打つ時の仕方だ。盆踊り太鼓では、立って力一杯打つので、その打ち方だと、力が入らないので、少し迫力に欠けるかな。で、実際や、ちゃんと決まっていない感じで、盆踊り太鼓が打たれていることが多いと思う(地踊りの場合を除く)。
 盆踊り太鼓は、次の3つの大切な要素があると思う。まず、周りの人に聞こえなければ意味がない、つまり、「力強さ」が必要とされる。
 次に、音楽に合わせて、「リズミカル」に打つことが要求される。打ち手が焦ると、バックの音楽よりも早くなり、疲れると、バックの音楽よりも遅くなる。あくまでも、リズミカルに、音楽に合わせて打たないといけない。プロは、踊りに合わせて打つ。踊り手が踊り易い様に打つのが、プロだ。
 そして、盆通りは、「格好」が大切だ。踊る格好も大切だが、衣装もそれなりに大切な要素となると思う。
 で、実際に、佐伯でも、「佐伯音頭」や「佐伯小唄」や「炭坑節」の曲に合わせて演奏する場合、太鼓打ちは、人により、いろんな打ち方をしている。決まっていない。しかし、そこが、私は、盆踊り太鼓の一番の魅力的な所だと思っている。
 自分の疲れ具合に応じて、疲れた時は、それなりの打ち方をする、いつも同じ打ち方だと、見ている人は退屈だろうから(実際は、踊り手の方を見て、太鼓の方は、見てないことが多いのだが)、1番~4番まで、いろんな打ち方をする。そんな自分なりの楽しい世界がそこにある。
 盆踊りでは、太鼓の縁を沢山打つ。その軽やかなリズムの響きを生み出して打っている時、正に、私は別世界にいる感じになる。
 佐伯でも、大川でも、子ども達に教えてきたし、それなりに、子ども達は、打ってくれた。これを、是非、外国でしてみたい。

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20070916/2

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20070811/2

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20070826/2

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080317/1

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20060917/1

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20070907/2

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20060727/6


*(以下、フリー百科事典ウィキペディアより)大分県の盆踊り
 現在、全国各地で盆踊りという文化が廃れてきている中、大分県には昔ながらの盆踊りが残っている。 踊りの種類と、唄の種類の多さには目を見張るものがあり、これには小藩分立の歴史や、上方からの座敷唄の流入などが深く関係している。新作踊りも数多く作られてきたが、別府市などを除いて、未だに昔ながらの踊りが幅をきかせている。所によっては厚化粧をして華やかな衣装・髪型で参加する。
 
佐伯市
・佐伯音頭、佐伯小唄、蒲江音頭、直川音頭、宇目小唄、弥生音頭、上浦音頭。
・佐伯市下堅田の「堅田踊り」…全部で50種類以上にのぼる多様で洗練された踊り。

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   日本のサッカーファンなら知らない人はいないと思われるオリンピックでの元サッカー選手の中田英寿氏、彼は何かを探しに外国への旅に出た。
 で、平成20年4月17日23:00過ぎの民放のテレビでは、彼はアフリカにいた。そこでは、アフリカの子ども達へメッセージをと頼まれて、次の様に述べていた(英語で、彼は、イタリア語も流暢であるが)・
 ・・・勝てば神様、負ければ犯罪者って感じで言われてきた。そんなこと、気にする必要はない。自分がしたいことは何か、今の自分が出来ることは何か、自分がしなければいけないことは何か、それを常に考えること。結果として、出来なくても、落ち込む必要はない。何で出来なかったのかを考えれば、それもそれから生きる上で、いい肥やしになるから。・・・
 ムッー、名言だと思った。長い海外での彼の自分なりの旅で得たモノは、大きかったなあと思った。
 女優の高木美保さんも、自分を救ってくれたのは、人ではなく自然だったと言われたことがあった。
 仕事から離れて、客観的に自分を見つめる時間が、今の多くの日本人には必要だと思う。時間に追われっぱなしでは、自分が本当にしたいこと、自分が出来ると思うこと、自分が今からしなければいけないことが見えてこない。
 他人から強制的にしなさいと言われても、それにどうしても付いて行けなくて、落ち込んでいる例が多いのだ。
 自分にしても、外国でゆっくりと考えて、今の方針が決まっている。自分の長女にしても、「パパ、やっと自分のしたいことが見つかった!」と(航空会社系統の会社の事務員をしばらくしてから)言って来た。で、現在、その道(カイロプラクターになる為の道)にまっしぐらに進んでいるが。
 18歳にして、はっきりと決まっている人もいるだろう。しかし、高々18歳前後では、人生の経験不足と言わざるを得ないケースが大部分だと思う。それも、日本で受験勉強に明け暮れての結果だったら、お粗末としか言いようがないだろう。
 人は皆一人一人顔立ちが違う様に、やりたい事、できる事、しなければいけない事が違うはずだ。自分を知るには、やはり、いろんな体験をした方がいい。それも、出来るだけ若い内に。
 90歳を越えたある僧侶が、次の様にも言っていますが、・・・「やっとこの歳になって分かることもあるんですヨ」と。

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2008.02.26 12:58 |  生き方  |  masa  | 推薦数 : 0

遊びって・・・

 人は遊ばないと病気になります。そんなきつい顔ばかりしないでいやなことを忘れて思いっ切り遊んでみて下さい。気分も晴れやかになり、落ち込むことも少なくなります。それに、人をねたんだりすることもなくなり、今生きていることに感謝したくもなります。
 ムー、今はまだ無理ですか・・・
 しかし、昔から「よく学びよく遊べ」って言いますよネ。遊びは、脳を活性化し、特に子どもには、脳の発達を促すなくてはならない栄養剤だと思います。
 ずっと勉強ばかりしていても能率上がりませんよ。昼の休み時間に思いっ切り遊んでいる子は、授業中もよく聴いていると言うデータもありますよ。 
 人間以外の動物を見ているとこれが実によく小さい時から遊んでいますネ。
 カラスって、かなり賢い鳥ですね。くちばしでいろんなものをつついてよく遊んでいますが、そんなカラスが、クルミを落として割ることを思い付き、その後、それを道路に落として車から割ってもらうと確実に割れることを思い付き、車が往来する道路が危ないと悟ると、横断歩道に落として、車が来ない時を見計らって下りて食べているシーンがテレビで放映されていましたが。
 ネコを飼っていましたが、ネコも一匹だけでよく遊んでいました。ネコが勝手にモノを転がしてそれを追って遊んでいるんですよ(小さい時からネズミを捕る練習ですね、私の所のネコ、よくネズミを捕っていましたヨ)。
 イヌを上手く躾けるには、イヌと上手く遊べることが大切です。遊びを通して躾けると、簡単に調教が出来ます。
 動物は、子ども同士でよく遊んでいますが、初めは親ともよく遊んでいいますね。ライオンにしてもイヌにしても、親の上を踏んだり噛んだり蹴ったりしていますね。その後、子ども同志で一日中遊んでいますね。
 人が男の子同志で遊び、女の子が女の子同志で遊ぶのが、3歳頃になれば見られます。ママごとごっことかを姉から小さい時にさせられた記憶がありますが、確かに面白くなかったですね(しかし、何故か今楽しく食事を作っていますが?!)。男同士でチャンバラごっこの方が楽しかったです。
 遊びの多くは、大人になる準備なのです。その遊びをすることで、立派な大人になっていけるのです。
 チンパンジーのメスの子ども達は、生まれたばかりの子どものチンパンジーを抱きたがります。カンガルーの子どものオス同志が、お互いにボクシングをして遊んでいます。カンガルーの場合は、将来、これでメスに受け入れてもらえるかが決まりますから、相手のオスに勝つことイコール自分の遺伝子を残せることになりますので(オス同志が闘っている時、メスは高見の見物って感じで見ています)。
 1歳のチンパンジーと1歳のヒトを一緒にして実験をしてみると、面白い結果が出ました。その内に、チンパンジーのすることをヒトがマネしだしたのです。チンパンジーをヒトは先生と思う様になってしまったのです(それを見て、ヒトは、その実験をすることがいやになって止めたそうですが)。
 遊びを通して、友達から多くのことを学ぶことが出来ます。知性の高い動物は、友達を作ることが上手です。動物の世界では、小さい時から仲間達と遊ぶことをしてないと、将来孤立して生きなければならないことが観察されています。孤立して生きることは死を意味します。人間の場合は、どうでしょうか。最近の学説によれば、長寿が友達の豊かさの有無に大きく左右されるとのことですが?!
 日本の子どもが外国の子どもと仲良くなれる簡単な方法は、遊びを通してです。元々子どもには、偏見がない上に、子どもの遊びは、仲良くないと出来ませんから。
 遊びは、世界の動きまでも変えることの出来る先祖からの贈り物。子どもはもちろん、大人になっても大いに積極的に楽しく遊びましょう。

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2008.02.13 10:22 |  生き方  |  masa  | 推薦数 : 0

宮本武蔵

 平成20年2月11日(月)に、島田美術館に行った。宮本武蔵が書いた絵や書があった。絵は、色があせていたが、躍動感に富み、素晴らしかった。字も素晴らしい。彼は、文武共に達人であったことが理解できる。
 宮本武蔵は、1584年、兵庫県で生まれている。13歳で新当流の有馬喜兵衛に打ち勝って以来、29歳までの間に60余度の勝負をして一度も敗れてない。その後、兵法の深奥を極めて、二天一流を創始している。
 武蔵が熊本に来たのは57歳の頃で、300石の客分待遇で、千葉城跡に居宅を与えられ、細川忠利に仕え、以後、1645年の初夏に没するまでの晩年5年間を熊本で過ごしている。
 この間に、「兵法35ヶ条」「五輪書」などを著し、又、茶、禅、書画三味の日々を送っている。武蔵は優れた画人でもあった。自在な中に鋭い気迫を伝える彼の遺作は、日本水墨画史上に独自な位置を占めている。

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2008.01.04 14:56 |  生き方  |  masa  | 推薦数 : 0

イチロー・・・

 平成20年1月2日のNHKテレビのプロフェッショナ仕事の流儀で、イチロースペシャルがあって、初めから終わりまで食い入る様に全て見た。
 過去のイチローを捨てている。2007年から、重圧から逃げることをせずに、正面から向き合うイチローに変わっている。何だ、そんなことかと思うかも知れないが、イチローにとっては、それは、苦しんで苦しんで苦しんだ結果の結論なのだ。
 本名鈴木一朗、保育園に通う当時から、プロ野球選手に憧れている。3歳頃に、近くの人が野球をする姿を見て、格好いいと思う様になっている?!小学校3年生になってから、本格的に野球を始めている。野球が好きで好きでたまらない少年。夕食後も、父親と一緒にバッチングセンターに行って、遅くなるまで練習している。ドラフトで4位に指名され、オリックスに入団。それまでは、平穏な野球人生だったがとイチローは言う。
 しかし、並はずれた成績で、若くして直ぐにトップの成績。世間やマスコミは、期待を掛ける。しかし、期待される程の実力がない、又、それなりの結果を出さないといけないと思うと、益々、精神的に落ち込み、人目を避ける様になる。毎年トップの成績を上げながらも、イチロー自身は、ずっと苦しんできていたのだ。
 そんな折り、その解決策として、大リーグ行きを思い付く。ここなら、それまでの苦悩から脱却出来るかも知れないと思う。しかし、アメリカでは、結果が全ての世界。ところが、そんな中でも、彼は、本来の持ち前の天性の才能で、確実に成績を残し、誰もが認めるナンバーワンの打者になっている。
 しかし、そこまでの過程が、実にユニークである。アメリカに行っても、悩み続ける。170本の安打が出ると、急に打てなくなる。調子よく行っていた安打が急に止まる。ストレスで、低血糖かと思える様な発作に試合中に突然に襲われる。
 彼は、常に進化を目指している。試合に行っても、部屋から出ずに、決まったメニューで体を調節し、早く寝(時差ぼけには勝てず、睡眠薬も使っている)、球場には、誰よりも早く行って、決まったメニューでウォーミングアップしている(実際に、私もその姿をトロントで見ているが)。
 しかし、バッティング方法を常に変えている。ゲンもかつぐ。練習のメニューはいつも同じ。食事だって、弓子夫人のカレーを飽きもせずに7年間も食べ続けているのだ。マイホームにいる愛犬一弓(いっきゅう)と弓子夫人の存在は、イチローにとっては、オアシスだ。 
 体が反応してしまう。ストライクゾーンに入った玉を打てる能力は、自分がナンバーワンだろうとイチロー自身が言う。しかし、ボールの玉まで打てると思って体が反応して、自分の意志に反して振ってしまうのだ。
 そんな天才イチローの言葉が面白い、「球場を上の方から見ると、ヒットになる場所がアチコチ沢山ある様に見える。しかし、実際にバッターで立ってみると、どこに打っても取られてしまう感じになる。これを考えた人は、凄いなあと思う・・・」と。
 2007年から、イチローは開き直っている。もう、逃げることを止め、真正面から闘うことにしたのだ。そうすることで、イチロー自身が無意識的に求め続けて来たモノに少しでも到達できるのではと思っている。その達成は、楽をしては到達できないモノであり、もがき苦しんで見つけ様としないと、その光がどうしても見えて来ないものなのだ。
 恐らく、イチローは、将来は、5割の打率を目指していると思う。現状の姿には、完全に満足してない。自分と闘っている。そこに、正に、私は、古来からの日本の武士の姿を見ることが出来る。

 

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2007.09.08 08:47 |  生き方  |  masa  | 推薦数 : 0

還暦

 数えで行くと、来年、60歳で還暦になる。周りの人の話だと、還暦は、満でなく数えで行くとのこと。大学病院で勤務していた時に、教授が還暦なった時に、宮崎観光ホテルで医局員皆でお祝いした。教授が赤いちゃんちゃんこを着ていた。こんな感じで自分が還暦を迎えること何て、その時はずっとずっと先のことだと思っていた。しかし、もう目の前にあると思うと、それだけ月日が流れてしまったのかと思って何とも言えない気持ちになる。


 自分の人生は、ほぼ10年周期で回っている。
・20代(2年浪人して)、6年間の医学生、4年間の県病と大学病院。医者として腕を磨く為に、真剣に勉強した。 
・30代(30歳で佐伯の救急病院に就職)の10年は、救急病院で思いっ切り仕事が出来た。
・40代(41歳で開業)は、開業生活。
・50代は、3つの病院を転々としている。(途中で1年間、無職)
・そして、60代に入ろうとしている。

 60代には、何をするのか?(したい事が多くて、夢一杯あるのだが)
 まず、今後必要なものは、体力、次に意欲と能力、そして、金力、更にどうしても必要なのは、感性力だと思っている。
 歳を取れば取るほど落ちてくるのは、まず体力、そして、感性力、意欲と能力、金力の順だと思う。
 それなりに気を付けていても、いつ体の不調が深刻になってくるのか分からない。しまった、あの時にしていれば良かったのにと思いたくない。


 現在、58歳で、先のことを考えて取り敢えず努力していることは、語学力(主としてNHKのテレビ講座を中心に)、金力(子どもが成人したので、やっと少しずつ貯まっている)、体力維持(野菜中心の食事を殆ど毎日自分で工夫して作っている)、教材作成(パワ一ポイントで小児科の講義用のスライドを着実に作成している)、本出版準備(為になるかも知れない本を300まで行った所で出版できればいいなあと思っている)の5つ。


 今までむちゃくちゃに生きてきたが、もう、無茶をする気はない。高い地位も要らない。年金もちゃんと掛けてきているので、今後の手取りが普通の人並み以下でも充分に満足出来る。体を壊してまで仕事をする気はもうとうない(そうでなくても、現在、いろんな病気と共存している。本態性高血圧症、高脂血症、逆流性食道炎、流行性角結膜炎後遺症、五十肩、左脚前枝ブロック、胆石、アレルギ一性鼻炎、それに、消化器があまり丈夫でない)。
 60歳までは、今の調子でまだ頑張るつもりであるが、60歳からは、年齢に見合った分に今まで無理してきた分を差し引いて仕事をしようと思っている。
 そして、何よりも、人とのつながりをもっともっと大切にして生きて生きたいと思っている。
 家内から言われました、「いつも何かを始める時には、それを止める時までちゃんと考えている。見ていると、今までずっとそれで来ている」と。
 そう言われば、そうかも知れない。
 小さい時から、目標や計画表を大きく書いて、机の前に張っていつも見ていた。大学に行っても、そして、今もその習慣を少なからず維持しているかな。
 昔と比べると、自分の価値観がゆっくりではあるが、確実に変化し続けており、それに伴って、目標もそれなりに変更を余儀なくされている。

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2007.08.14 23:57 |  生き方  |  masa  | 推薦数 : 0

女三四郎

 茶道の師匠(裏千家名誉師範、86歳)の所に行って話を伺ってきた。面白かった。昭和28年、弘道館初段を大分県で初めて取り、大分合同新聞の第一面を女三四郎として大きく飾ったとのこと。その後、東京の弘道館に行って、2段も取っている。アチコチ外国に行っていて、75歳の時にスイスのモンブランの山頂まで登っている(一緒にその時登った人達の多くが、フ一フ一言っていたらしいが)。
 師匠の家に行った時、ピアノの練習をしていた。ちょっと前に、子ども達のピアノの発表会があって、それに加わって師匠も演奏していて、その写真を見せてくれた。師匠の行動に刺激されたのか、発表した子ども達の母親達も、ピアノの練習を始めたとのこと。
 今の時代を嘆く。感謝の念がない、師を敬う精神がない、心が伴っていない、自己中心的、礼儀作法がなっていないなどと。
 師匠が凄いのは、多くのことに対して好奇心が強く、(中国に4年間いたこともあったりして)日本の姿を外国と照らし合わせて、常に大きな視野に立って見れること。
 行くと師匠から、体を壊さない様に、セ一ブして働きなさいといつも言ってもらえる。

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