大分県の教員採用試験後に、突如、今年だけ首になった若い先生達、周りの人の責任もあり、誠に気の毒だなあと思う。
合格基準もはっきりと示されていない。今も。狭い教育界の中で全てが処理されようとしている。古い体質をまだ持っているのは、教育界以外にも、いろいろある感じだが・・・。
今回の責任を辿って行くと、市長や知事に辿り着く。更には、官僚、そして、文部科学省の大臣に。となると、やはり、諦めるしかないのかなあ?コロコロ交代になる大臣と、現場の知らない霞ヶ関の官僚では、いつかいつかで、年金問題と同じ感じになり、期待するのが初めから無理かな。早く、小さな政府、大きな地方になってもらいたいなあ。
一度の試験で、定年まで、終身雇用・年功序列って感じで、どんなに努力してもしなくてもあまり変わらない感じで終わる今の制度、もう一度、真剣に見直すべきだと思う。上級官吏試験、これって、最も古い体質じゃやないのかなあ。
その職業に就いて、一生懸命にして行く中で、本物に近付いていけるケースが大部分だと思う。その為の研修制度。医師にしても、裁判官や弁護士にしても、そうだ。教員だって、それがあっていいと思う。全て、臨時教員的な身分にして、それから、一般人を入れた客観的な判断で、正式な教員に選ばれる制度を取ったらどうだろうか。ストレートに教育学部を来ている人以外に、一般人もしばしば教壇に立つべきだと思う。学校での親御さんの参観は、常に出来る様にするべきだと思う。
教員にも生き甲斐があり、そして、生徒にとってもとても楽しい学校であれば、少なくとも、今よりは問題は少なくなるはず。
今の様に、受験一辺倒の学校であったり、親と教師の間に溝があって、帰っても塾に行っている何て、教育ではなく、子どもと共に育つ共育でもなく、子どもの心に響く響育でもなく、狂った狂育って感じだ。
自分の大学の時の同級生(女性)で、在学中に、辞めたい辞めたいとしきりに言っていた人がいた。ここまで(専門3年)来たんだから、頑張ったらと、周りが説得していた。で、留年し、やっと国家試験に合格した。初めはそんなボロボロの彼女だったが、最近遭った時には、別人の様に生き生きして、今が一番幸せって感じで言われていた。今は、関東で子ども大好きな小児科医としてバンバン働いているのだ。在学中に同級生の女性が7名いたが、その中で、自分が見た感じでは、今では一番輝いて見えるかな。
10年経つと、したことの意味が半分になると言う考え方がある。入学した時の価値が、10年後には、半分に、20年後には、更に半分に、60歳過ぎの定年の時には、16分の1でしかないのだ。
人間は、変わりうるモノ。たった一度の試験だけで、全てが決められるなんて、馬鹿げている。敗者復活戦、再チャレンジ、これも、生きる上での醍醐味でしょうか。
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小中学生の不登校が多くなっている。特に中学生が多くなっていて、2007年度には、34人に1人の割合となっている。但し、これは、文部科学省の調査で、それでのあくまでも不登校を病気や経済的な理由以外で年間30日以上欠席した場合の統計である。その予備軍を入れれば、その10倍以上になるかも知れないかな?!不登校のきっかけに付いては、「本人に関わる問題」、「友人関係」、「親子関係」、「学業の不振」、「いじめ」の順になっているが、これはあくまでも、本人からの訴えではない。
「個性を無視したカリキュラムの問題」「時代に即した教育制度の改革の問題」「知識偏重教育の弊害」「教育委員会の常態化した不正システム化の問題(一般の人を入れるべきである)」「親の教師に対する不信(教師の数が少ないことに起因)」「校長の権威の失墜(権限が与えられていない)」などの項目は、何故ないのかなあ?!
簡単な話、思うに、学校が楽しくてしょうがなければ、不登校などはないと思うのだが。成績一辺倒で、受験を考え、競争させられると、面白くなくなるのは当たり前かな。楽しくない学校に無理矢理行かせようとする何て、子どもにとってスゴイ苦痛になるはずだ。子どもの責任にするよりも、子どもの目線に立って、根本的なことから変える必要があると思うのだが。
又、それと対照的に、2007年11月の文部科学省の(公立校の)調べでは、この15年間で学習塾に通う小中学生の割合はさほど変化がないが、通信添削を受ける割合が全学年で上昇している。
通塾率は、小学生は、24%から26%に、中学生は60%から54%になっている。つまり、小学生の段階で、以前よりも、学校外の学習がなされていることになる。
国語と算数・数学に塾が集中するのに、通信添削は、理科や社会も受けるケースが多く、小1~中1の8割以上が「学校の宿題や予習。復習の指導」に活用している。しかし、中3は約半数が「進学準備が中心」と答えている。
15年間もの長い間、文部科学省や官僚は、この異常な高い数値をちゃん把握してきているのに、何故異常な結果として、下げることに専念して来なかったのかなあ?!
こんな状態の結果、今の日本、小学生の3割が、中学生の5割が、(高校生の7割が)学校の授業に付いていけない状態になっている。
多くの子ども達、労多くして、報われない感じだ。
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(一部再掲) 教育には、家庭教育、学校教育、社会教育とあり、それ等が複雑に絡み合っている。その中で、学校教育を中心に述べたい。
よく言われるのは、小学校では、学校の授業に付いていけない子が3割、中学では5割、高校では7割もいるということである。大学では、どうだろうか?大学に入っても、高校の科目を履修しているケースもあるが、全くおかしな話だ。
日本では、ちゃんとした落第制度が機能してない。小学校や中学校の義務教育では、出席日数が足りていれば、まず上がれる。これがそもそもおかしい。出来なくても何故上の学年に上がれるのか?教師としての誇りや信念がそこにはないのか?!
(進学)塾に行く子が多い。何故、塾に行くのか?ちゃんと学校に通っているのに。これは、悪く言えば、教師と生徒の間の関係を壊し、学校への裏切り行為だ。恐らく、これは、親御さんが、「学校だけでは不安症候群」に陥っている結果だと思われる(子どもも、それに陥っている)。
多くの学校も、受験勉強で悩まされている。進学の成績が良くないと、親御さんからクレームが付けられるからだ。有名な学校の進学率がいいことを鼻にかけている学校が日本には多過ぎる。
土台、入る数は決まっているのに。二十歳前の人間の価値が、ちょっとしたペーパー試験で決められるはずがないのに。マスコミも、有名大学や医学部の数を大きく取り上げる。で、そんな状況下で頭でっかちの現場を知らない官僚中心の官僚主導の国家が生まれ、時代の変化に対応できずに、国は多額の借金を抱えてしまっている。今やにっちもさっちも行かない状態になっているのに、又、それが極めて深刻な状態なのに、その場だけ何とかしのげばって感じにまだなっているのが今の日本の姿かな?
未来を担う多くの日本の今の子ども達には、心安まる時間も空間もない。親は仕事で追われ、会社の倒産、リストラの不安、親の離婚率の増加、自殺の増加、不登校の増加、老後の心配と、問題は山積。
更にそれに拍車を掛ける様に、本来、いい教育をすべき公立の附属の学校が受験勉強をあおり立てている。
大学に入っても、更に試験があって、上級管理試験や司法試験や薬剤師や医師の試験などは、大学でしている内容だけでは不充分で、それなりに又別に受験勉強をしないといけない。
こんな中で、ホントのエリートや人間的な教育って、可能だろうか?(可能であるはずがない!)
教育上、何と効率の悪いことをし続けているのか!そんな競争競争で選ばれた人間に、感性豊かな心優しい人を求めることの方が無理と言うモノだ。
小児科医をしていて、(この田舎でも)実際にいろんな事例を経験している。
中学3年のある女の子は、肺炎で入院して熱もあるのに、(11月の)入院中にもずっと猛勉強をしていた。親もその子も、医者の忠告を完全に無視して。
ある中学生の男の子は、学校のクラブ活動(運動)で忙しく、帰るのが夕方の7時過ぎになっていた。しかも、クラブ活動で休みの日にも学校に行っている。子どもは疲れ切って、正に、虚の状態で来院していた。その理由は、学校の先生がそれにスゴク熱心だからと親が説明していたが。
小学生の高学年の女の子で、塾に通い、水泳に通い、習字に通い、疲れ切った状態で外来に来ている。親御さんも、何となく理由が分かっているのだが、祖父祖母に気兼ねして、どうにも出来ない状態。で、当の子どもが苦しんでいる。
今の日本の教育制度自体も、戦後はそれなりに良かったと思われるが、今の時代には、もう時代遅れだ。
学校は、もっと住民に開かれるべきだ。いつも授業参観が出来るべきだ。裁判員が一般の人に求められる時代だ。校長だって、一般の人の意見が取り入られるべきだ。そして、それなりに、校長に権限がもっともっと与えられるべきだ。
人生80年の時代だ。勉強なんて、一生関わるもの。小さい時から受験受験でエネルギーを使い果たした人の失っているものも見て欲しい(認知症は、国家公務員が一番多い!)。
人生、万事塞翁が馬と思います。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080214/4
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(再掲)
ある人が、マカレンコ(教育者)に質問したことがある。
「子どもの教育は、いつ頃から始めたらいいのでしょうか?」と。
この質問を読まれた各位は、どんなお考えで、いつ頃から始められているのでしょうか?」。
A:小学校1年生から。
B:幼稚園から。
C:保育所から。
D:乳児から。
E:ゆりかごから。
F:胎児から(胎教)。
人によって、それぞれ異なったお考えで始められ、努められていると思います。
マカレンコの答えは、予想以上にさかのぼっていた。
「教育は、生まれる20年前から始めなければならない」と。
これは、親から育てられ、成人して、新家庭を営むようになるまでの20年間が、やがて生まれてくるであろう子どもの教育を決定する、という意味を含んでいると思われる。(おおよそ、人間は、親から育てられた様に、その子を育てるものである)
20年が、40年、60年、80年の教育ともなれば、子どもを教育するということは、孫を教育し、更に、ひ孫の教育へ作用して行くことにもなる。
温かいきれいな心を持った両親からは、温かいきれいな子どもが育ち、その血は、次に流れて、世代の続く限り、きれいに流れて行くのと同じ様に、濁った心の両親からは、濁った血が渦を巻いて流れて行く。
きれいな血と濁った血が交われば、濁った血の方が勢力を増すもので、これが現世の姿である。濁りが澄んできれいになるまでには、長い年月の苦労がいる。(白を黒に塗り変えるのは、易しいが、黒を白に塗り変えるのは、難しい)
戦争時代、子どもまで戦争にかり込み、終戦後は、衣食住と知識偏重に全精力を消耗し、右往左往し、子どもの教育に自信と努力を怠った天罰が、60年後の今日に至って猛威をふるい、毎日、日本中のどこかで、世人を痛めつけている。因果の理で、この事実を誰も否定することは出来ないであろう。
明治時代の先覚者福沢諭吉の精神は、明治の子である大正を経て、昭和の孫、平成のひ孫に引き継がれ、21世紀を迎えている現代っ児の乳となって、補給されている。
これ等21世紀の我らのひ孫、更には、ひ々孫の世代を開発する為に、自分たちにのみ都合のいい人作りでなく、世界に誇り得る真の人作りを、お互いの力によって推し薦めて行きたいものである。
ドイツの諺:「母親の全てのものが、その乳と共に、子どもの口に注ぎ込まれる」
*父(明治45年生)の遺稿より引用。
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九州のとある県の附属小学校に通わせてる父親の話から(7月9日に)聞いた内容です。今、1年生と2年生の子どもさんを附属小学校に通わせているとのことでしたが、・・・「附属小学校の定員は、1学年3クラスで120人、附属幼稚園60人と外部からの60人。付属小学校に入学する時の外部からの60人は、塾に通ってないとまず合格できない。で、その競争率が自分の子どもの時は3倍の難関。附属中学校の定員は、1学年180人。附属小学校からは90人しか上がれず、30人が無慈悲にも落ちる。で、附属出身の小学生であっても、3年生から塾に通って受験勉強をしていないと附属中学校に合格できない。もちろん、附属小学校出身だと附属中学校に入り易いが・・・。外部からの附属中学入学時の受験生の質はそれはもう、(国立医学部並みに)メチャクチャ高いです・・・。」と。
ムーッ、それで、将来どんな大人になるのかなあ?小さい時から熟熟、競争競争で、それを我が子も乗り遅れまいとして頑張らせている親達、いいのかなあ(いい訳ない!)。入れる枠が決まっているので、皆入ろうと努力しても、それは土台無理と言うモノ。将来、就職して晴れて社会人となった時、どんな価値観を持っているのだろうか(少なくとも、学歴や成績で人間性まで見ない人になってもらいたいですネ?!)。
親にお金がないと附属に入れない。首尾良く入学出来た附属の子どもの親の結束は非常に堅く、PTAの総会では、100%近い出席率とか。東大の入学式でも、入学者の数よりも付き添いの数の方が多くて、誰の入学式か分からない感じだとか。しかも、入学式での東大生の多くが、「これでやっとゆっくり出来る・・・」何て言っているとか(入学してからが真剣に勉強する所が大学じゃないんですか?!)
こんな状況、全国どこでも同じなのかなあ。東大に合格しても、エリートコースの1種の試験に合格できない人の方が多い。晴れて官僚になっても、安月給で自分のしたいことが出来ない(で、居酒屋タクシーみたいになるのかなあ?!)。東大を卒業しても、又、医学部に入り直している人もいる。難しい医師国家試験に合格して医師免許証を取得しても、その後の2年間のスーパーローテートでは、年収360万円しかなく、多くの私立ではそれ以下。で、それを過ぎてもまだ一人前でなく、大学にいても、大学からはそれ以下の給与しかもらえない。で、きついバイトに夜行って、体を売り物にしての仕事となる。
試験管を振ることよりも人間相手が好きでしょうがない人が、医師や教師に、倫理観のしっかりしたアイデアマンで行動力のある人が官僚の役人になって欲しいと私は思っています。しかし、実際は、どうかなあ・・・。
どこからどう治療して行けばいいのか、問題が複雑に絡み過ぎて、これは正に極めて重篤な多臓器不全症候群での末期の状態ではないでしょうか。
*公の機関が先頭に立って、公の附属の学校に入学する時点での受験の為の勉強を半強制的にさせていること自体、日本の教育の大問題だと思いますが。それに、その入試での公平性、特に附属出身者が優遇されている点などは、どんなものでしょうか。ある県の教育委員長が、かって、県下から有名大学への入学者を今以上に沢山出して、地元出身の官僚が多くなってもらいたい。そして、地元に還元してもらいたいなんて発言していましたが、何でこんな視野の狭い見方しかできないのでしょうか。残念でなりません。
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6月28日(土)放送の仲間由紀恵さん主演のテレビドラマ「ごくせん」(日本テレビ系)最終回の視聴率が、23.6%(関東地区)だったとのこと。4月19日放送の初回が26.4%を記録し、ずっと高視聴率を維持してきていた。
何でも、「ごくせん」は、同名タイトルの人気マンガが原作とのことで、任侠集団「大江戸一家」のお嬢様の「ヤンクミ」こと山口久美子(仲間さん)が、問題児ぞろいのクラスをまとめていくという物語。
彼女は、他の教師が嫌がるクラスを持つ。つまり、命懸けで札付きめいた問題児ばかり集めた高校生のクラスを。で、いろいろ問題を起こして、それを彼女一人が命懸けで助ける内容。物語なので、彼女は、決して負けない。そして、どんな所にも、一人で飛び込んで行く。
これが高視聴率を保った理由は、何と言っても、それに共感する人が多かったことであろう。
暴力では解決しない、過去の自分は消せないが人間はこの先変われる、この世には損得なしで命懸けで助ける人がいる、命の尊さ、そんなことに深く感銘を受けた人が多かったに違いない。
初め、正直言って、こんな暴力沙汰の番組何てと思っていたが、最終回は、「篤姫」に決して負けない程に(過激なシーンが多いのには、いささか閉口しましたが)感動しました。
教師が、強い信念を貫き、生徒に自信を持たせ、生徒の自尊心を大切にすること、それが教育では大切かと思いました。
*写真は、内容とは、関係ありません。
以下は、私のエッセイ(再掲)です。
生きる上で今までにいろんな人と出遭い、いろんな影響を受けてきた。その中でも、教師からの影響は、自分にとっては、非常に大きかったと思う。
既に、故人になられたが、渡辺清一郎先生、この先生ほど、自分に影響力を与えた教師がいただろうか?
中学校や高校での教師としての誇りの少ない教師の存在に、いささかうんざりとしていた。卒業する時に、受け持たれた高校の教師の勤務評定を自分でこっそりと付けていた。意欲とか、講義の分かりやすさとか、実力とか、生徒の受けとか、そんな項目に分かれて、それぞれが5点満点で、記載され、その最高得点が、この渡辺清一郎先生であった。
先生は、上野丘高校で活躍しておられたが、家庭の事情で、佐伯に帰って来られた。自分が高校3年生の時に、佐伯鶴城高校に来られ(昭和42年4月~昭和43年3月まで)、幸いに、先生の授業を1年間、みっちりと受けることが出来た。
先生は、一言で言えば、「個性の固まり」であった。髪は、ボサボサで、1年に2~3回しか、髪を切っていない様であった。
「時々、手が出るかも知れん。私も、もう、老人だから、追っかけて打つまでの元気は、もうないから、その時は、逃げてくれ」と、初めの授業の時に、言われた。
又、最後の授業では、「どんな時代になっても、個性を失くすな。個性のある人間になれ!」と言われた。
先生には、実に、いろんなエピソードがあり、ある時、駆け落ちした生徒がいて、空港まで見送ったそうで、その時、校長が、「何故止めなかったのか、おまえには、全く開いた口がふさがらん」とまで、言われていた。
先生の目的は、ただ一つ、「生徒の為に」ということだけであった。毎日、宿題のプリントを与え、模範解答を付けて、直ぐに解答して返していた。先生の私的なコメントも、しばしば加えられていた。先生は、朝、3時過ぎに起きて勉強されていた。その年の大学入試の数学の問題を、夏休みが始まる前までに、全て、解かれていた。又、そうしないと、高校の教師は、出来ないとまで言われていた。口先だけの人間を一番いやがる人であった。
又、先生は、次の様にも言われていた。
「自分は、いい影響を生徒に与えているかどうか、よく分からない。悪い影響を与えているかも知れん。しかし、何にも影響を与えないでいる教師よりも、何か生徒に影響を与える教師の方がいいと思うから、・・・」と。
私が何よりも、その先生の生き方に感化されたのは、その溢れんばかりの生徒に対する愛情と行動力である。そして、不動の信念であった。
先生の次の言葉もしっかりと私は覚えている、「採点間違いではと言ってくる生徒がいる、つまらん生徒になるな。それに輪を掛けて点数を上げるつまらん教師がいる。・・・生きる上で、3つの大きな関門がある。それは、受験と結婚と死ぬ時だ!」と。
先生の生き方に最も影響を受けた人間、それは、他ならぬ自分であったと思う。
「生徒の為に」、医師になっても、「患児の為に」、この至誠ほど生きる上で、価値ある強い生き方は、他にはないと言う事を、身を持って教えてくれた教師、それが、この渡辺清一郎先生であった。
医師になって、自分が心底から本当に尊敬できる先生、もう、こんな先生は、現れないのではと思える様な神様的な先生、それは、鹿児島大学の学長をされていた神経内科の「○形○○先生」と宮医大で病院長をされていた心臓外科医の「○賀○○先生」であった。○賀先生は、故人となられてしまったが。
二人の教授に共通することとは、朝、その科の多くの医局員よりも早く、病院に来られていた。研究と臨床と教育、全てが、超一流、それに、お金や権力に囚われず、頭が低く、実に、人間的であり、立派な信念の持ち主だったことである。
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昨日午後から教育委員会主催の会議に出席して、21年3月31日までの「児童生徒・家族支援員」(不登校児)の委嘱状をもらった。で、それなりの会議があった。最後の方で、意見をと言われたので次の内容を私なりに述べた(少し変えていますが)。
「・・・学校は、どうかして不登校が起きない様にと一生懸命に取り組んでいます。しかし、これは、医療で言えば、正に対症療法ではないでしょうか。原因療法ではないと思います。国は、教科の時間数を増やしたり、小学校に英語の早期導入をとそれなりに変更をしていますが、それ等はあくまでも対症療法で、根本的な原因療法にはなっていないと思います。
教育には、家庭教育、学校教育、社会教育とありますが、その中で、学校教育だけをちょっと述べさせて頂きます。
小学校では、学校の授業に付いていけない子が3割、中学では5割、高校では7割もいます。大学では、ホントについて行けるのは、1割ぐらいかも知れません(イタリアでは、大学卒業できるのは、16%ほででしかないと聞いたこともありますが?)。東大でも、教養部で、理系科目でいきなり難しい公式が出て来て、半分近くが付いていけてないとのことですが・・・?!
そんな中でも、日本では、何故か落第がありませんね。外国では、義務教育でも、出来なければ、容赦なく落第します。落第しないと、次に受け持つ先生が困る以上に、本人がその先困るからです。(アメリカでは)全ての教科で能力別にクラス分けなんて、当たり前です。日本では、義務教育で落第、高校で落第なんて言ったら、父兄がどっと学校に押し駆けて来るでしょう。
日本の大学では、出席をちゃんとしていれば、まず、卒業できます。進級試験の情報が入りますので。しかし、現実は、大学に行っても、高校での基礎が出来ていない為に、再び基礎をやり直している所が現にあるくらいです。ちょっと前には、履修してない高校もあって問題になっていたですね(熊本県が問題にならなかったのは、それ以前に既に問題になっていて、それを改革した後であったからに過ぎない)。
それに、国が課している薬剤師の国家試験や医師の国家試験、それなりに又別に受験勉強をしないといけないなんて、馬鹿げています。ある人が言っていました、「大学は、(医師国家の為の)予備校みたいだった」と。
義務教育では、付いていけない生徒は、よく理解できない内容で、おとなしく聞いていないといけない。学校で授業を受けている間ずっと。これって、大変なストレスだと思います。生徒が一番好きな時は、体育やクラブ活動と言うのが分かります。
我こそは名門校で人間的な教育をしている何て言っている中・高一貫教育の学校にしても、所詮、有名大学や医学部の数を競っているに過ぎない。入試自体が、どんなに頑張っても、入れる数は決まっているから、共生や協調の精神は育ちにくい。人は、他人との競争ではホントの幸せや成長はないと思います。人生では、負けることの方が多い訳で、勝つことばかりを求める教育は、間違っていると思います。
知足の精神、多くの人に感謝する気持ち、相手の気持ちになれる感性、それは数字では出ませんが、成績よりも数段に大切なことだと思います。
アメリカでは、教育学部や医学部が、4年制の大学を卒業してからです。つまり、大学院卒なのです。日本もそうなればいいと思います(気高い人が集まるでしょう)。それに、それなりの給与にすべきでしょう(現在、医学部を卒業しても、スーパーローテートの初めの2年間が税込み年間360万円で、その後、大学に医局員として残ればもっと下がるなんて、おかしい話です)。裁判員にも普通の人が選ばれる時代です。学校での教壇でも、いろんなことを経験した人が、どんどん参加していってはどうでしょうか・・・」
*http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080214/4
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特殊な人を除いて、多くの場合、ホントにモノにするには、それなりの努力と仕方があると思っている。
医師が国家試験に合格して、いざ臨床をする段階になると、それがなかなか上手くいかない。今までの知識は何処へって感じになる。で、実際にモノにして行く方法は、迷っていろいろ悩みながらも、本で調べたり、先輩に尋ねたりして、実際に主治医になっていろんなケースを沢山経験していくことにある。
不思議に、主治医になっていないと、しっかりと経験したことが頭に入っていない。初診で来院した場合、次から次へと状態が変化していく場合、次にどうするべきか何て、ホントのことを言うと誰にも分からないのだ。何故なら、患者さんは皆、それぞれの体質があり、体力と精神力と免疫力などが違っていて、同じ治療をしても経過が違うし、説明の理解力にもかなりの差があるからだ。
一例一例、自分のモノにしようと心掛け、「入院のまとめ」もずっと保管して行き、その時に解決しなかったこと、反省点なども書いて行き、絶えず自分の仕方を謙虚に反省してみることが大切だと思う。
で、数年経つと、どうしても(自分がそうであった様に)自信過剰気味になって、(それなりに忙しくなると)ちゃんと問診を取ることを省略したり、患者さんの訴えをあまり聴かない傾向になってしまう。その結果、トラブルが現実に起きて、落ち込むことになる(医師に成り立ての頃は、慎重し過ぎる程慎重になっていて、いつも本で調べたり、周りに尋ねることが多くて、却ってトラブルが少なかった感じもしているが?)。
現実は、医療なんて、結果論で、その時に最良の方法なんて、多くの場合は、専門家でも意見が分かれるはず。しかも、今の医療は日進月歩と細分化の医療、いつまで経っても一人前になることは不可能で、出来るだけ早くから自分の限界を知り、周りのスタッフ(や勤務する病院)の能力も知り、患者さんが一番いい方法を如何にして選ぶことが出来るかと言うことをいつも念頭に置いて医療をすべきだと思う。
外国語を覚えるにしても、短期間外国に行って、高いお金を払っているケースをしばしば目にするが、殆どモノになっていない。短期間の留学で、やる気を起こす為や、どんなものかちょっと知るだけの為ならそれなりに意味があるだろうが、そんな短期間でモノになれるはずは、まずないと思った方がいい。実際にモノになっている人は、そこに1年以上住み、周りに日本人の助っ人がなく、覚えようとしても通じなくて困ることを沢山経験して這い上がってきた人達だ。
不思議に、NHKのテレビやラジオで勉強しても、さほどモノにはならない。大脳生理学的に、記憶は、脳の多くの部分を使って可能になることが証明されている。で、小学校入る前の小さな子に、どんなに優れたビデオを見せて学ばせても、外国語をモノにすることは出来ない。が、実際に現地に行って同じ年齢の人に囲まれて生活させると、不思議なことに、数ヶ月後にちゃんと会話が出来る様になるのである。
つまり、ホントにモノにするには、それなりに体ごと体験することがどうしても必要なのだ。本屋さんに並べられたいい本を沢山読んだ人が皆それなりにちゃんとした立派な人間になれるはずがないとの同じ原理だ。
ヒトは、いろんな体験を通して、学び、ホントにモノにすることが出来る。小さい時ほど、影響が強いと思う。3歳の1年間は、60歳の1年間の20倍の重さがあると思う。となると、賢い国は、初等教育にもっともっとお金を掛けるべきだと思うのだが・・・?!
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愛知県犬山市(8万余)の教育委員会が、全国一斉学力テストに反対して、今年も実施しないことにしている。3対2で、かろうじて反対が成立している。
ちゃんとそれなりに自信を持って教育していると思っている学校には、学力テストを上から強いるべきではないと思う。自分の学校のレベルがどの程度か分からなくてどうしても知りたくて困っている場合でも、それに代わる問題でチェックすればいいのであって、上からどうこう言われる問題にすべきでない。全国一斉に学力テストを施行して、それで出来不出来を把握して、更には、それで生徒の学力のあるなし以外に教師の資質まで見ようとしたり、学校のレベルを絶対視する方向に行けば、一体教育とは何かと言いたくもなる。
教育の成果は直ぐには出てこない。長い年月が掛かるのである。受験で苦しんだ人間が、還暦前になってもその時の受験の夢を見てうなされるなんて、やはり異常だと言わざるを得ない。又、小さな子どもが子ども同志で楽しくゲームなどをしながら精一杯遊ぶべき時に、正規の学校に行っているのに、それから又塾などへ行って勉強を強いられているのは、酷と言うべきだ。
今でも、夜の(兵庫県の)三ノ宮駅に行ってみるといい。熟通いの受験生で、駅周辺は一杯になっている。しかし、それを見た大人の間で、それでどうこうしようと言う動きは全く出てこない。これも不思議だ。
受験勉強をずっと強いられて入学した大学生、やはり、どこかで息抜きをしないといけない訳で、大学に行っても寝たっ切り傾向の学生になっている人が多い。周りが勉強をさせてきているので、自分で問題を作ってそれを解決しようとしない。問題も、その解き方も、ちゃんと大学が教えてくれるものと思っているのだ。
更にやっかいなのは、体力の低下とやる気の低下である。そして、肩書きだけで人を判断し、他人とのコミュニケーションのぎこちなさである。有名大学に入ったのはいいが、失ったモノの方が多くて、それがその後生きる上で致命的なることだってある。入ることに価値観を置いてきた教育機関は、そのことに関して何ら責任を取らない。
欧米では、教育ママゴンが行き着いた結論は、いい精子を得ることで、それなりに(父親不在で)精子バンクで遺伝子を得て、子どもを作っている例もある。その子ども自身が24歳になって言っていた、「母親が異常なほど、自分と親密になっている。自分のIQ180が高いのは、単に1つの素質に過ぎない。自分は他人と関わることが苦手で、内向的な性格になっている。」と。
日本の教育システムの根本は、戦後、何ら変わっていない。小さい時から競争競争。受験勉強を周りから強いられる。その結果、勉強嫌いの人間を沢山作っている。文部(科学)省は、コロコロと教育システムを変え、教師も自信を失い、疲弊している。
根本は、やはり、楽しい学校にすべきである。知識を得ることは喜びであり楽しいことであり、それを肌で感じる様に小さい時から周囲が出来れば、それで事足れりである。後は、自分で学ばせればいいのだし、それを一緒に学ぶ仲間と場所と時間を与えればいいだけだ。しかし、戦後の子どもには、3つの間がどんどんなくなっている。つまり、(分け隔てなく遊べる)仲間と時間と空間が。
小学校低学年では、いい先生とは、生徒と一緒に遊んでくれる先生ということになっている。しかし、小学校高学年からは、尊敬できないと、生徒よりも目に見える形で出来るモノがないと、生徒から善い先生とは言われない。
イタリアの語学学校に行っていた時にも、カナダの語学学校に行っていた時にも、学校側がゲーム的感覚で語学を楽しく学ばせようとしていることに気が付いた。少人数で、アイコンタクトがちゃんと出来て、昨日どうだったって話から始まる。目的があるので、学生は、皆、一生懸命に学んでいた(自分は、半分遊びで、申し訳なかったが)。
自分の事を考えてみた。1949年生まれで、子どもが家の周りにうじゃうじゃいた。友達同士の喧嘩も絶えなかった。皆貧乏だった。小学校の低学年では、放課後に先生が出来ない生徒を残して教えていた。小学校の高学年では、グループを作って、教え合っていた。中学の時も高校の時も、(頻回ではないが)生徒同士で問題を教え合っていたことを思い出すし、中学の時も高校の時も、将棋や囲碁を勉強仲間同士でよくしていた。
小学校1年生の時の担任、加藤道子先生と田口昭子先生、小学校2年と3年の時の神田タツ先生、小学校4年生の時の後藤俊正先生と池辺妙子先生、小学校5年と6年の時の狩生毅先生、その後も、立派な先生方が沢山いた。
高校の時の現代国語の秦一郎先生、数学の渡辺清一郎先生、(修猷館卒の生徒が集まっていた)修猷学館の数学の堺弥一郎先生、英語の(クラスの担任でもあったが)引野英夫先生、もう今は亡き先生方のお陰で今の私があります。先生方の教育の結果が今の生き方に出ていると深く感謝しております(知識よりも教育に対するその先生の至誠に強い影響を受けている)。(保育園や幼稚園には、経済的な理由でか?行かなかった)
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私なりの教育改革論
元凶は、やはり大学(社会の受け入れ体制がもっと本当の実力を大切にする様になってくれることが望ましいが、今は、結構能力主義的な職場が多くなっている)だと思う。
1、旧帝大を失くし、それ等は、全て研究機関とする。
例えば、熊大と長大がどちらが上とか下とかは、あまり問題にならない。地方の大学に行くのに、小学校の時から塾通いなんて、滑稽に受け取られるので、その内、塾に行く必要も受験勉強も今ほどではなくなるだろう。(ドイツでは、大学のレベルは、どこもほぼ同じ)
2、医学部と教育学部は、大学卒業後に、受験する(大学院大学)。
ホントに医療や教育をしたい人が選ばれるべきである。又、社会もそれを望んでいると思う。(アメリカの様に)
3、入試を春と秋の2回とする。(別府にあるアジア太平洋大学の様に)(いい生徒に機会を沢山与えて、じっくりと時間を掛けて選ぶべきである)。
4、その大学の出身者がその大学の教授になれない様にし、教授に期限を設ける。
5、小・中・高の校長の採用は、オープンにし、その期限もしっかりと設けて選出する。その代わりに、校長に独自の強い権限を与える。
6、義務教育であっても、基本的なことが出来ていない場合は、落第の制度を設ける。(先進国で義務教育に落第の制度がないのは、日本ぐらいのもの)
追加:大学での講義内容や試験問題が良くない。毎年同じ講義内容や試験問題を出す教官もいるし、感情で落としたりする教官もいる。是非、教官の評価を学生自身にさせて、それで良くない人は、(アメリカでしている様に)次回から遠慮してもらいたい。看護師国家試験や医師国家試験の問題も、資格試験であるからして、落とす為の試験でない様にしてもらいたい。
情熱を持って教えることの好きな先生に教師になって欲しい。楽しい学校生活であって欲しい(不登校なんて、ホントに楽しければないはず)。大人の目線でなく、子どもの立場になって考えて欲しい(子どもの吸収力は、大人の比でない)。
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