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武士道・・・

masa / 2011.02.08 08:28 / 推薦数 : 0

 世界には、「キリスト教」や「イスラーム」や「仏教」などを国教としている国がある。しかし、共産圏や中国や韓国や日本では、国教って、ないなあ・・・!アメリカやカナダやヨーロッパでは、キリスト教が国教となっていなくても、日曜になると、教会に行っている人、多いなあ。
 中国や韓国では、(宗教ではないが、)儒教が前面に出ている感じだ。だから、家族を大切にし、親をとても敬うので、家族の結束力は、極めて堅い。
 海外に行ってみると・・・キリスト教を信じている所では、(大都市では)大聖堂を中心にして、放射線状に道路が出ている(それで、しばしば、道に迷ってしまったが・・・)。イスラームを信じている所では、モスクが中心になっていて、その周辺では、人がたくさん集まっていた。仏教を信じている所では、大きな寺院の場合、そこで買い物が出来るだけでなく、大学まであった。
 日本の場合は、どうなのかなあ・・・?!
 海外の人に言わせると、「日本の学校に宗教教育がない何て、どうやって道徳教育を教えるの?」って感じに思っているらしい。
 日本の道徳教育・・・→それは、「武士道!」って言う人がいるけど・・・?!「大和魂」って言葉もそれに似た感じで使われているかなあ。
 そうだなあ、ヨーロッパの人は、棘の生えたバラの花を好むけど、日本人は、風に吹かれてサッと無残に花弁(はなびら)が散ってしまう桜の花を好むなあ・・・。
 それに、日本人は、昔から「祭」がとても好きな国民だ。皆で一緒になって騒ぐのが好きな国民かな。(ちょっと間違うと、一億玉砕ってことにもなり兼ねないけどね・・・?!)
 日本の場合、和を以(もっ)て貴(とうと)しとなすって感じで、「和の精神」と言うことがしばしば言われる。相手の気持ちを考えて、行動するべきだと小さい時からよく言われる。兎に角、人に迷惑をかけない様にと言われる。で、人の嫌がることをしたり、口に出して言うのは、好ましくないとの常識がある。
 先祖は、争いを嫌がって逃げて来た人たちの集まりが日本人ってことかなあ・・・→日本人のDNAに平和を愛する気持ちが強いのでは。日本文化、それは、即ち恥の文化と言う人もいるけど。「騎士道」に対して、日本では、「武士道」って言葉、よく耳にする。
 で、その「武士道」を調べてみると・・・

 「武士道」には、「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」などがあって・・・→NHKの大河ドラマは、それがテーマって感じになっているかな?!

 「義」・・・→義とは、正義の義である。
 エピソードとして歴史上有名な話は、上杉謙信と武田信玄との「塩留め」の時の話・・・→信玄側が塩が無くて苦しんでいた時に、信玄側が塩を送った話である。・・・←例え敵でも、困っている相手には手を差し伸べるのが武士。
 才能や学問があったとしても、「義の精神」がなければ、武士ではない。当時、寺子屋で、武士が子どもたちにボランティアで読み書きを教えていた。つまり、武士にとっては、お金など二の次で、打算や損得から離れ、自分が正しいと信じる道を貫くことが武士の正しい姿とされていた。
 武士は、兎に角、銭勘定を嫌った。銭勘定は、損得を追及する行為だと武士は思っていたからだ。そんな武士、実際は、貧乏生活で実に質素な生活だった・・・←正に、武士は食わねど高楊枝!
http://www.geocities.jp/kurogo965/kotowaza10/page29.html

 「勇」・・・→(正)義を貫くための勇気、正義を敢然と貫く実行力のこと。勇を全うするには、肉体的な強さが不可欠。その為には、精神修業と同時に肉体を鍛えた、つまり、「文武両道」を怠らなかった。

 「仁」・・・→人間としての思いやりであり、他者への憐れみの心のことで、女性的なやさしさ。伊達正宗は、「義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる(義に偏り過ぎると厳しくなり、仁に偏り過ぎると、甘過ぎ理うこととなる。義と仁のバランスが大切!)」と言った。「武士の情け
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1415198504」なる言葉がある。
 
 「礼」・・・→他者に対するやさしさを型として表したもの。お辞儀の仕方、歩き方、座り方、食事の作法、など(茶の湯は最適)。

 「誠」・・・→文字通り、行ったことを成すこと。嘘をついたりごまかす行為は、臆病な行為とみなされていた。銭勘定を嫌って誠の精神に基づいて、武士は商人と違って証文さえも作らなかった・・・一度でも放った言葉が証拠、つまり、武士に二言(にごん)はなし!だった。

 「名誉」・・→武士は、富よりも名誉の道にこだわった。名誉とは、自分に恥じない高潔な生き方を貫くこと。裏を返せば、「恥」を知ることだった。
 武士の妻も、立派だった。金よりも名誉を重んじる夫の為に、傘や提灯作りの内職で家計を支え、武士の主君に対する忠誠心と同じくらいの思いで、家を守り、身を清く保った。正にこれ、「内助の功」。
 武士の間では、羞恥心を教えることを幼少の教育においてまず初めに行われた。(・・・←金や肩書に目がくらんで、人に笑われる様にことをするなって感じ?!)

 「忠義」・・・→これは、武士唯一の特殊な徳目だった。忠義の意味そのものは、主君に対する絶対的な従順のことであったが・・・→主君の命令は絶対的だったが、武士は主君の奴隷ではなかった。
 主君の間違た考えに対して、本物の武士たちは、命を掛けて己の気持ちを訴えた。武士たちはあくまでも己の正義に値するものに対して、忠義を誓った! 

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論 語・・・

masa / 2011.02.07 09:00 / 推薦数 : 1

 チベットやウイグルでは、仏教やイスラームが堅く信じられているが、その他の中国の多くの地域では、宗教は、どうなのかなあ・・・?
 儒教は宗教に代わるものだと思われるが・・・?!論語には、死後の世界と言う概念がない。特定の神様を信仰する教義もない。弟子が死の事を尋ねると、孔子は、「生の事についてさえよくわからないのに、死後のことなどわかりませんよ・・・」何て答えているけど。
 高校の時に今でも覚えている論語の中に、「巧言令色 少(鮮)なし仁」と言うのがあったけど・・・。
 孔子とその弟子との問答での「論語」、時を経て、今、読んでみると、又、その奥の深さの意味が改めて納得出来る感じになるけど・・・?!

 「過ちて改めざる 是を過ちと謂う(過ちを犯してもそれを改善しようとしない、それを本当の過ちと言う)」・・・過ちを生かしてこそ、人間としての生き方ですね?・・・←今、問題になっている相撲協会の八百長事件、元かいけつ関、是非、しっかりと膿を出して、解決して欲しいものです!

 「学びて時に之を習う 亦た説ばしからずや 朋あり遠方より来たる 亦た楽しからず 人知らずして慍むず 亦た君子ならずや(学んで時には復習すること、まさに嬉しいことだ。友達が遠い所から尋ねて来る、正に楽しいことだ。人に知られずとも気にしない、まさに君子だ。)」・・・←学ぶことに、年齢制限なしですね!

 「性相近(せいあいちか)し 習相遠(ならいあいとお)し(人の生まれながらの性格や資質に大きな差はありません。しかし人はその後の習慣や教育で大きく変わる。)」・・・←今の生き方が一番大切ですね!

 「君子は義(ぎ)に喩(さと)り 小人は理(り)に喩る(君子は正義をよりどころとし、小人は利益をよりどころとする)」・・・←何をするにも、倫理観が大切ですね。

 「これをする者はこれを好む者に如かず これを好む者はこれを楽しむ者にしかず(知る者は好む者には及ばない、好む者も楽しむ者には及ばない)」・・・←大脳生理学的にも、当たりですね!
 「(孝について)今の孝は是(こ)れ能(よ)く養うを謂う 犬馬に至るまで皆能く養うこと有り 敬せずんば何を以て別たん(今の人々は親を不自由なく養うことが親孝行だと思っている。しかし、犬や馬でも皆よく養っている。親に対する尊敬がなければ、どちらも区別はない。・・・親への敬意がなければ、親孝行ではない。)」・・・←年に1回も、子どもがお世話になってきた親の顔を見ない何てことがあるとしたら、どんな時代にあっても、これって不自然ですね?!

 「(君子について)先ずその言(げん)を行い 而(しこう)して後にこれに従う(君子は発言する前にまず実行し、実行してから初めて発言するもの)」・・・←多くの人がそうあるといいですね?!・・・今回、選挙で再び名古屋市長に選ばれた河村さん、日本の政治の在り方を根本的に変える勢いになることを期待しています!

*参考図書:まんがで読破 論語&続・論語 イースト・プレス 2010年発行 

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宗教心・・・

masa / 2011.02.03 09:05 / 推薦数 : 0

 

 日本人に、「貴方は何か宗教を信じていますか?」と尋ねると、「私、無神論者です。神の存在など、信じていません・・・」などと言えば、東南アジアの多くの個所で、商談がいっぺんにキャンセルされるだろう。
 日本人の多くは、普段、あまり宗教を意識しない。そのまま、宗教が生活の一部になっている感じだ。正月には、神社に参るし、葬儀は、和尚さんにお世話になることが多いし、クリスマスには、はしゃいでいる。まあ、多くの日本人にとっては、それが何でもないことの様に思っても、欧米の人にとっては、極めて異常に思えるだろう。
 アメリカで、ダーウィン進化論の映画が上映されそうとした時、世論が反対した。2004年のアメリカでの調査では、55%ものアメリ人が、神が人を創造したと考えている・・・?!
 アメリカの高校で、進化論がまともに授業で取り上げる様になったのは、1960年代に入ってからで、今でも、創造論を公立学校で教えるべきだと訴える人々もいる。
 イスラム原理主義の人の行動がマスコミでしばしば批判を浴びる感じになっているけど、・・・ブッシュ大統領の命令で、湾岸戦争が起きた時、彼をキリスト原理主義者って言う人もいたけど・・・。
 本来、人を救うはずの宗教には、大量の人殺しの戦争は、あってはならないことだと思うけどなあ・・・。啓典の内容も、いろんな解釈がなされることも多い訳だし・・・。
 当時の人々に、聖書と同じ位に大きな影響を与えたと思われるダンテの「神曲」の「天国編」には、「・・・人が人として正しく生きていくために地獄が存在し、煉獄が存在し、天国が存在するのです。私はこう思います、死後の世界があることを知れば、それだけで人々の意識は変わるのではないか・・・と。正しい生き方に・・・神の愛の光に・・・気づいてくれるはずだと・・・。愛がすべてを動かしている・・・。」とある。 
 神を強く意識して生きる方がいいのか、あまり意識しないで生きるの方がいいのか、賛否両論、いろんな意見があると思うけど・・・極めて宗教色が強いと思われるイスラームのムスリムにしても、実際は、極めて他宗教徒に寛容で、ダッカに滞在していた時も、ムスリムとキリスト教徒が、お互いにとても仲良くしていたけど・・・。(タイのチェンマイでも、キリスト教徒やムスリムの人がいたけど、皆、仏教徒と仲良くしていたけど・・・。)
 仏教には、「中庸」と言う言葉がありますが、・・・個人的には、今まで、いろんな試練の瀬戸際で、何となく背後にそれらしきもの、感じたこと、ありましたが、・・・まあ、神様の意向に背かない生き方をしないといけないと常々思ってはいますが・・・(日本人の場合、神の存在が、良心って感じになっていることもあるのかな・・・?!)。

*グラフの左は、進化論を信じる割合。真中は、はっきりしない割合。右は、信じない割合。
*小学2年か3年生の時、お坊さんの話が、地域の子どもたちを集めて行われ、その時、地獄のスライドを見て、「悪いことしたら、こんな所に行くんだ・・・!」何て思って、怖がっていたことを思い出します。子ども達(当時、今と違って、家の外には、どこも沢山の子どもばかりって感じでしたが・・・)、皆、真剣に聴いていましたが・・・。
*参考図書:まんがで読破 神曲ダンテ・作 イースト・プレス 2008年発行
*参考図書:まんがで読破 種の起源ダーウィン・作 イースト・プレス 2009年発行

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輪 廻・・・

masa / 2011.02.02 08:44 / 推薦数 : 0

 

 ヒトは、死んでしまうと、・・・どうなるのかなあ?
 自分の肉体を造っている原子は、又、何かに使われるはず・・・→と言うことは、考え方によれば、不滅ってことかな?!
 魂はどうなのかなあ?よく、肉体は滅んでも、魂は不滅って言うけど・・・。(魂の事、しっかりと見えないだけに、正直よく分かりませんが・・・)
 お坊さんや神父さんや神主さんに、(好奇心旺盛な自分は、恥ずかしげもなく)、直接に尋ねたことがある。
 あるお坊さんが言われました、・・・あの世に付いてですか・・・自分の周りに、実際に行って帰って来て、具体的に言える人、いませんから。どうなんでしょうかねえ・・・。
 又、ある(カトリックの)神父さんが言いました・・・私も、実際に行ってる訳じゃないんで、詳しいこと、言えませんが・・・。
 又、ある(神道の)神主さんが言いました・・・今、地獄は、悪い人が沢山来過ぎてしまって、超満員で入る隙間もない。地獄に来ても入れないから帰れと言われるみたいですが(笑って言ってたので、冗談だと思いますが・・・?!)。
 時々、白骨死体で発見何てあるけど、そんな場合でも、キリスト教やイスラム教で行われている土葬にしても、最後は、微生物がちゃんと処理してくれる。
 ハチから刺されると、時々、アナフィラキシーショックで大変なことになるけど、・・・ハチがいないと、どうなるか?・・・→ミツバチがいなくて、受粉が出来ないと嘆いていたけど・・・。
 キャベツに付く青虫にしても、ハチがそれに卵を産み付けるので、農家の人は、助かっている。ハチがいなかったら、キャベツの収穫、ちゃんと出来ないと思う。
 つまり、生き物って、全て、ぐるぐる回っている感じがするなあ・・・→仏教で言う輪廻?!
 北海道でも、動物の頂点に、オオカミがいた(滅んでしまったが・・・←ヒトのせいで!)。海の中でも、サメが頂点にいる感じだ。アフリカの動物では、ゾウが頂点にいる。
 永い年限で培ったそんな地球の生態系を、ヒトって動物は、アッと言う間に壊している。もっと、人間は、謙虚になるべきだと思います。 

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エジプト反政府デモ・・・

masa / 2011.01.29 09:34 / 推薦数 : 0

 チュニジアに端を発した暴動が・・・→エジプトに飛び火して、デモ隊による暴動が起きている。エジプトとは、アラブ世界では、最も中心的存在の国。そこに新燃岳の様に、火が付いているのだ。
 イスラームの国では、正直言って、国は必要悪って考え方になっているらしい。何せ、アッラーを信じ切っているムスリムの団結は、極めて強固で、それは国の境界を超えている。
 イスラームの運命共同体とも言うべき「ウンマ」なるものが上手く機能していれば、国家は、むしろ邪魔な存在に思えるだろう。
 早く、何らかの形でいい方向に落ち着いてくれるといいのだが・・・。(エジプトに行く予定にしているのだが・・・しばらく、無理だなあ・・・)

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イスラーム(5/5)

masa / 2011.01.27 10:26 / 推薦数 : 0

  

  

 イスラームを誤解している人、周りに多い。
 一番多いのは、4人の妻を持つと言うことかな?確かに、ある裕福な国(その国の女性からの情報なので、確かと思うが・・・)では、とても経済的に恵まれた男性の半分ほどが、2人以上(2人を含む)の妻と結婚しているとか。
 しかし、そんな国は、アラブ世界では、例外!今や、大半のアラブの人は、一夫一婦制なのだ(!)。そうでない所も、次第にそんな傾向になりつつある。
 当時のメッカ周辺では、男性は何人でも妻に出来た。それを4人までと限定したのは、画期的だったのだ。そして、その理由は、男の色欲を満たすためではなくて、未亡人や孤児を救うため、救済のためのものだった(今は、その必要があまりないかな・・・)。(・・・←しっかりと、訂正してくださいね!)
 もしも、複数持った場合、妻を全く平等(!!)に愛さないといけない(・・・←仕事に追われ、ストレスの多い日本では、1人の妻を満足させるのも、至難の業って感じなのに・・・?!)。
 複数の妻を持つ場合の多くは、子どもが出来ない時(イスラームでは、子どもをとても大切にしているので)、初めの妻に許可を得て、二人目を持つケースが多い様だ。
 ダッカのあるムスリムが言われていた、「2人何て、いないですよ。99%以上が1人ですよ。もしも2人持っている人がいたとしたら、周りから、人間として扱ってもらえないでしょう・・・」と。
 イスラームの世界では、子どもにしても、夫婦の間の子も、妾との子も、全く区別なく平等に扱わないといけないことになっている。
 イスラームの世界では、犯罪に対しては、非常に厳しい。窃盗罪であれば、初犯であれば右手首、再犯なら左足首、三犯であれば左手首、四犯なら右足首が切断される。現実に、サウジアラビアの国では、公前で、それが今でも行われていたのを日本人が現に見ている(?!)。
 姦通罪では、未婚者であれば、皆の前で100回の鞭打ちと追放刑が、既婚者であれば、石が投げつけられ、死刑が科せられる。
 犯罪に対する厳しさからか、イスラームでは、エイズも現に少ないし、凶悪犯罪も、少ないと言われている。
 ムスリム(イスラーム教徒)の人と話すと、悪いことをしようと思っても、アッラーが全てを見ているので、出来ないと言われる。

 難問めいた質問をムスリムにしてみました。
 どうして、豚肉食べたらいけないの(世界では、鶏肉以上に牛肉、牛肉以上に豚肉が摂られているのに・・・)?・・・→クルアーンには、はっきりと豚とは書いていないが、それが豚であろうと思われる動物が書かれている。豚の姿が不潔に見えるからとか何とか、明快な解答が出来なくて、困った感じで言われていたけど・・・。(本当の理由、ムスリムも、よく、分からないんじゃないのかなあ?)
 医学的に、生の豚だと、有鉤条虫がいるので、そんな感じになったのかなあ・・・?!(ムスリムに聞くと、クルアーンの内容、先々の事まで書いているので、解明されていないことの方が多いとのこと。・・・←宇宙の果ての研究にしても、研究すればする程、奥が深くなって振り出しに戻る感じになって来ている感じだが、それと似ているのかな?)
 もしも、豚肉を食べて、後でそれに気が付いた場合、どうなるの?・・・→その時は、たまたま知らなかったということで、アッラーは許してくれます。
 もしも、食べるものがなくて、豚肉を食べれば生きられると言う時でも、豚肉は食べられないの?・・・→その時は、アッラーの許しで食べられます。
 もしも、奥さんが浮気をしたら、どうなるの?・・・→多分、相手の男性を殺して、妻も殺すかも知れません。(姦通罪に対するムスリムの意識は、極めて厳しい!仏教国であるタイの女性にしても、風俗でない普通の女性の貞操観念は、実にしっかりとしている!)
 イスラームでは、飲酒も喫煙も御法度である。食べ物の制限は、いろんな宗教で見られる。モルモン教徒の女性(佐伯でホームステイしてもらったことがありますが・・・)は、コーヒーは御法度とのことでした。(10億人近くの信者を持つ)ヒンデゥー教では、牛肉は、御法度であり、仏教にしても、肉は御法度となっています(・・・→性欲を抑える為でもあるらしい?!)

 ここまで、読んで頂きまして、誠にありがとうございます。私も、今、勉強中です。世の中は、グローバル時代です。そんな中で、15億人ものムスリム(イスラームの信者)を持つイスラームを知ることは、今の我々日本字に課せられた課題の様にも思っております。私なりに解釈している宗教です。「イスラーム(1)~(5)」を読まれて、アラブ世界により関心を抱く様になって頂けれが、私にとって、こんな嬉しいことはありません。

*写真でお点前している(インドネシアのムスリムの)人は、私が(マンツーマンで教えた)茶道の弟子です。 


(場所は、佐伯市立の茶室の汲心亭で、一番手前が、私の息子です。佐伯市の春祭りの時のものです。)

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イスラーム(4/5)

masa / 2011.01.27 08:22 / 推薦数 : 0

 

 実際に、バングラデシュのダッカでホームステイしたり、トルコのイスタンブールに行って、イスラームの世界に自分を置いてみた。又、それ以前に、ムスリム(イスラーム教徒)の人で、インドネシア(佐伯に住んでいたインドネシアの沢山の研修生)やエジプト(私のアラビア語の先生)に住んでいた人と、イスラームに付いていろいろと教えてもらっていた。
 一番初めに、佐伯に来たインドネシアの人が、アラビア語で「アッサラーム・アライクム」とスラスラッと上手に書いた時、感動してしまった(13年前?)。又、私のアラビア語の先生(半年ほど教わった。CDで予習していたので、発音に付いて注意されることは、少なかった。)とエジプトに1カ月行くはずが、私の都合で、行けなくなってしまった。
 ダッカの人からは、2年近くベンガル語を教わっていたが、彼の誘いで、「断食」が終わった後の(APUのムスリムの学生さんの作る)食事に誘われたり、バングラデシュのダッカでは、彼の家にホームステイまでさせてもらった。
 イスラームの世界では、客人をとても丁重にもてなす。ダッカでのホームステイでは、いろんな所に連れて行ってもらって、とても楽しく過ごさせてもらった。自分が、魚が好きだと言えば、朝早くから、魚市場で魚を買って来た(肉よりも魚の方が高い)。自分が、マンゴが好きだと言えば、マンゴジューズが冷蔵庫に入っていた。フォークも用意されていたが、初めの日以外は、皆に合わせて右手で食べた。(・・・←誰でも出来ます!)
 イスラームでは、信仰を心の内だけに留めずに、具体的な行為で示す様に義務付けている。その中に、「六信五行」がある。前者には、「唯一神アッラー」「天使」「啓典」「預言者」「来生」「運命」があり、後者には、「信仰告白」「礼拝」「義務の喜捨」「断食」「巡礼」がある。
 「信仰告白」は、「アッラー以外に神はなしと私は証言する、ムハンマドはアッラーの使徒であると私は証言する・・・」と祈る前に唱えている。「礼拝」の中には、毎週金曜日の正午に、男性のみの集団礼拝(偶然、イスタンブールでこれに出会ったが・・・)がある。「喜捨」には、自発的な喜捨(サダカ)と義務としての喜捨(ザカート)がある。
 弱者を助ける相互扶助として存在する「ザカート(義務としての喜捨)」は、イスラーム社会を支える社会原理の一つになっている。
 ザカートの課せられる対象は、1年以上所有している通貨、家畜、果実、穀物、商品など。税率は、ものによって異なり、通貨の場合は、2.5%となっている。集められたザカートは、極貧者、貧しい巡礼者、旅行者(!)、借金を返済できない者などの援助に用いられる。
 クルアーンでは、次のような内容になっている・・・→「・・・どんなことに金を使ったらよかろうかとみんながお前に訊いてくることであろう。答えてやるがよい。善行に使う金なら、両親と親類縁者、孤児と貧民と路の子(旅行者!)のため。お前たちがする善行については、アッラーは何から何までご存知だぞ。・・・汝ら、己れの施しごとを、目立つようにしてももちろん結構、だが、そっと隠して貧乏人にくれてやるならもっと自分の身のためになり、その功徳で前に犯した悪事まですっかり帳消しになる。・・・」
 これまで、ザカートの徴収は、政府によって行われていたが、今は、ムスリム個人が自発的にモスクなどに支払っているケースが多くなっている。

*写真は、イスタンブールにある「アヤソフィア」。 
 

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イスラーム(3/5)

masa / 2011.01.26 09:30 / 推薦数 : 0

 

 イスラームに付いて、多くの日本人、あまり(と言うより、殆ど)長い間、知らされてこなかった。
 今の中国に唐があった時代、日本では、最澄と空海が唐から帰って、その後、天台宗と真言宗を開いている。日本人が唐の長安を世界最大の都会と思っていた時、その西方では、長安をしのぐ世界最大の都市である(今のイラクの首都)バクダードが栄華を誇っていたのだったが・・・!
 イスラームでは、第1の聖地は、「メッカ(マッカ)」、第2の聖地は、「メディナ(マディーナ)」、第3の聖地は、イェ(エ)ルサレムとなっている。
 実際にモスクに行くと、まず、高くそびえる「ミナレット(尖塔)」がある。これは、礼拝への参加を呼び掛ける「アザーン」を朗誦する塔である。お浄めの「水場」がある。ムスリム(イスラーム教徒)は、礼拝前に、必ずそこで、決められた手順で体を清めている。
 どのモスクも、内部構造は極めて単純で、4方向にほぼ対照的な造りとなっているが、内部の装飾が実に素晴らしい。装飾には、神や人や動物などはいっさいなくて、植物紋や幾何学紋、アラビア文字を使った装飾が数多く見られる。(イスラーム世界では、書道も盛ん!)
 内部構造には、メッカの方向を示す目印の「ミフラーブ」があり、大きなモスクには、その右側には、階段状の「説教檀(ミンバル)」がある。
 預言者の預言とは・・・→神の言葉=啓示を「預かる」ので預言と言い、未来の事を予想する予言とは違う。預言を預かった者が預言者であり、それを人々に伝える義務を負うと、「神の使徒」となる。啓示をまとめたのが「啓典」であり、アッラーからそれを与えられた最後の人が、「ムハンマド」となっている。
 「アッラー」には、家族はいなくて、飲み食いはせず、睡眠も休息も取ることなく、姿形もない。その耳や目は、人間一人一人の心の奥底こまでおよび、善悪の判断を誤ることもない。アッラーは、目に見える世界のことも見えない世界のことも何でも知っている。実に、無限の智慧と知識を備えている。
 天地創造以来存在し、未来永劫生き続け、万物の創造者であり支配者、唯一絶対であり、全知全能の神、それが「アッラー」なのである。
 イスラームには、仏教での僧侶やキリスト教の牧師など、神と信徒の間に入る人が全くいない。つまり、アッラーの前では、ムスリム(イスラーム教徒)は、全て平等であり、一人一人のムスリムが直接アッラーと結び付いている。
 人間のものさしではとうてい計ることの出来ない森羅万象を超越した存在、それがイスラームでの「アッラー」なのです。

*写真は、イスタンブールにある「ブルーモスク」。

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イスラーム(2/5)

masa / 2011.01.25 09:03 / 推薦数 : 0

  

  

 「ムハンマド」って、どんな人だったのでしょうか?
 実は、ムハンマドは、孤児でした。(クルアーンが孤児への慈善を推奨するのは、彼の生い立ちと無縁ではないと思われますが・・・。)
 母親のお腹にいる時に、父親が亡くなっている。母も、彼が6歳の時に亡くなっている。孤児になったムハンマドは、80歳近い祖父に引き取られるが、ムハンマド8歳の時に、この祖父も亡くなって、亡き父の弟(伯父)の下で育てられることになる。
 伯父は、ムハンマドをとても可愛がったが、ムハンマドは、孤児と言うことで辛い目、悔しい目、悲しい目にあうことも多かった。それで、内向的な人間に育っていった。12歳までは、羊飼いを手伝ったりしていたが、伯父から商売の技術を教えられて、少しずつその才能を発揮させていった。
 青年期になると、ムハンマドは、商売で伯父の家計を助けるようになった。そのようの誠実な人柄は広く知られ、ムハンマドは、「アミーン(正直者)」と呼ばれていた。
 そんな中で、「ハディージャ」という富裕な未亡人が大きな仕事を依頼してきた。彼女は、二度の結婚歴を持ち、子どももいた。その彼女がムハンマドの技量と性格を見込んで、結婚を申し込んだのだ。ムハンマドは、それを受け入れて結婚した。ムハンマド25歳、ハディージャ40歳(?)であった。(ムハンマドが年上の女性と結婚した為、イスラームには、姉さん女房を嫌う習慣はない。むしろ、好ましいと論じる人もいる。再婚に付いても推奨される。)
 二人の間には、2男4女が生まれるが、男2人は若くして亡くなり、長女・次女・三女は、成人して結婚するが、3人とも、ムハンマドよりも先に亡くなっている。末娘だけ、ムハンマドよりも長生きしている。イスラームの世界では、ハディージャを最高の女性として、誉め称えている。何故なら、彼女は、最初のムスリム(イスラーム教徒)であり、ムハンマドの苦悩の人生を支えたので。彼女は、ムハンマドが50歳の時に亡くなっている。
 イスラームにおいては、ムハンマドの地位は、あくまでも預言者であり、単なる人間に過ぎない。
 ムハンマドは、最初の啓示を受けた時、妻のハディージャに相談している。ハディージャは、キリスト教徒のいとこ(ワラカ)の下へ連れて行く。詳細を聞いたワラカは、「それは神の啓示に他ならない。貴方は神に選ばれたのだ!」と説明をした。それを聞いてムハンマドは、次第に預言者としての自覚を抱くようになった。
 最初の啓示を受けてから数年後に、ムハンマドは街頭に出て大衆への伝道を開始するが、順風満帆とはいかず、信者は(推定人口1万人と推定されるマッカで)わずか200人にも満たなかった。
 その後、ひどい迫害を受け、622年9月24日、ヤスリブに移る。これが、ヒジュラ(聖遷)と言われ、ヤスリブは、預言者の町:マディーナ・アン・ナビ(略して、アル・マディーナ、日本では、冠詞を省いて、マデイーナ又は、メディナ)と呼ばれることになった。
 ムハンマドは、亡くなる時、9人の妻たちを集め(ハディージャが生きている時は、妻だけを寵愛した。)、(それまで、妻たちの家を1日ずつ順番に回るのを常としていたし、遠征に出かける時は、妻たちにクジを引かせ、当たった一人だけを連れて行くのを常としていた。)これからずっとアーイシャ(当時、18歳)の家に留まりたいと言い出し、彼の願いは受け入れられ、・・・→最後は、日中の最も暑い時間に、アーイシャの膝の上で息を引き取った。ムハンマド、享年63歳だった。
 イスラームでは、ムハンマドをただの人間として、崇拝の対象とすることを否定している。

*イスラームは、啓示宗教である。セム的一神教の系譜に属する。セム諸語(モーセのヘブライ語、イエスのアラム語など)の人々の間の宗教・・・→ユダヤ教、キリスト教、イスラームである。その世界では、唯一神が実在する、宗教が啓示で始まる、啓示は天使によってもたらされる。

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イスラーム(1/5)

masa / 2011.01.24 18:59 / 推薦数 : 0

  

  

 日本人の生活と密着している仏教徒、世界で4億人もいない?!キリスト教徒は、約23億人(その内、カトリック系11億人、プロテスタント系4億人)、次に多いのが、イスラム教徒(ムスリム)で、15億人?
 昔、「回教」や「マホメット教」という言葉が社会の教科書に載っていた様に記憶している。
 今は、「マホメット」は「ムハンマド」と言い、マホメット教は、イスラム教と言っていたが、それも変更になり、「イスラーム」と言うべき(イスラーム・・・→アラビア語で、アッラーへの帰依を意味する)。又、「コーラン」も「クルアーン」(クルアーン・・・→読誦されるもの)と言い、「アッラーの神」って言い方でなくて、「アッラー」と言うべき?!
 メッカ(南アラビア語で、聖地の意味)は、正確には、「マッカ」と言うべきで、メディナも、正確には、「マディーナ」(・・・→マディーナ・アン・ナビーの略で、アルの冠詞がNの前でアンと発音されている。マディーナは、町の意味・・・→預言者の町の意味)」と言うべきである。
 コーランとキリスト教の聖書、よく似ている。コーランでは、アッラーから啓典を与えられた者は、「ムーサー(:モーセ)」、「ダーウド(:ダビデ)」、「イーサー(:イエス)」、そして、最後に、「ムハンマド」となっている。
 コーランに出てくる名前がユダヤ教、キリスト教の聖書に出てくる名前とよく似ているし、内容も、コーランと聖書、似ている個所が多い。
 コーランでは、「神」は「アッラー」と言い、「アダム」は、「アーダム」と言い、ノアは、「ヌーア」となっている。
 「アブラハム」は、「イブラヒーム」となり、「イサク」は、「イスハーク」、「ヤコブ」は、「ヤアクーブ」、「ヨセフ」は、「ユースハ」となっている。
 「モーセ」は、「ムーサー」、「ダビデ」は、「ダーウド」、「ソロモン」は、「スライマーン」、更に、「ヨハネ」は「ヤヒヤー」、「マリア」は「マルヤム」、「イエス」は、「イーサー」となっている。
 内容も、似ていて、初めの個所にしても、やはり、アッラーが天地を創造したと書かれている。アダムとエバ(イブ)の個所では、エバの名前は、コーランには出てこなくて、アーダムの妻となっている(コーランにはなくても、ムハンマドの言行録のハディースには、ハウワーとなっている)。ノアの箱舟の記載も、聖書とほぼ同じ内容となっている。
 聖書では、神がアブラハム(:イブラヒーム)に、アブラハムの息子イサク(:イスハーク)を神に差し出すことが本当に出来ることを確かめる個所があるが、コーランでは、アッラーがイブラヒーム(:アブラハム)に差し出させたのは、女奴隷との間に産まれたイスマーイール(:イシュマイル)となっている。
 「カアバ神殿」は、コーランでは、イブラーヒーム(:アブラハム)とその女奴隷との間に生まれたイスマーイール(:イシュマイル)が一緒になって築かれている。又、コーランでは、イスハーク(:イサク)とヤアクーブ(:ヤクブ)の存在感は薄いが、ユースフ(:ヨセフ)に関しては、詳細に記載されている。
 コーランでは、「イスマーイール(:イシュマイル)」がアラブ人の祖先で、「イスハーク(:イサク)」が、ユダヤ人の祖先となっている。
 又、聖書では、イエスが神の子であるとしているのに対して、クルアーンでは、イーサー(イエス)は、マルヤム(マリア)の子であって、アッラーには子が出来るはずはないと強調している。
 アラブの世界では、詩人は、高く評価される。クルアーンは、声に出し、節を付けて、詩を朗誦するように読むべきものとされている。日本の謡曲(!)の様に、決まった節回しをしなければいけない。どこで息をつぐか、どの様な声音を出すかといったことを示す記号が書き込まれている。
 厳密な意味において、クルアーンを翻訳することは許されていない。クルアーンは、アッラーの言葉そのものであり、その文体の美しさは、アラビア語以外では表現できないという認識によっている。

*佐伯市に研修生で来ていたインドネシア出身のムスリム(イスラーム教徒)の人が、私の名前をアラビア語で書いてくれました。
*参考図書:(これだけは知っておきたい)コーラン入門 大川玲子・島崎晋 洋泉社 2007年出版 1300円
*参考図書:イスラームとは何か 小杉泰 講談社現代新書 1994年出版 740円   
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%B3

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