masa
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2008/08 >>
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

トップページ

Doctors Blog

ブログの購読

新着コメント

新着トラックバック

< 前のページ

 7月21(月)の朝、家内が「ギックリ腰」になった感じで、腰をかがめて歩く感じになった。やっと歩ける感じで、これは困ったことになったなあと思っていて、旅先のホテルから出て横断歩道を通った後に、どうかした途端に、少し歩ける感じになった。  

 で、無事にバスとタクシーで、宿舎に帰れた。これで良くなるかなあと思ったら、甘くなく、今日の朝も、なかなかどうして痛がって、初めに痛くなった時と同じ感じになっている。明日、同じ感じであれば、病院に行かないといけないかなあ。取り敢えず、湿布と漢方薬を飲んでいるが、少し心配。  

 いざと言う時には、宿舎の前に病院があるし、整形の先生もいるので、何かの時は安心。田舎で(ここも、ど田舎だが)病院がない所、医者のいない所だと、さぞかし不安だろうなあ。同じ医療保険料を毎月払わされていても、必要な時に時に、周りに医療機関がなくてそれなりの医療が受けられないなんて、矛盾している。  思うに、いざと言う時に掛かれるけど、何とか間に合っているので掛からないのと、いざと言う時に全く医療機関に掛かれないのでは、不安の度合いは、雲泥の差だ。ドクターが一人診療所のへき地に行った時、ドクター自身の体の調子がおかしい時には、とても不安になるとのこと(充分に納得)。  

「魔法の杖」の話を思い出した。以下は、その内容。  

 魔法が使えるとしたら、人はどんな欲望を満たそうとするでしょうか?ある人はお金を、ある人や地位や名誉を、ある人は健康を、又、ある人は自分の子どもの為に、又、ある人は貧しい人や病んだ人を救う為に・・・。  

 ある静かな山村に、正造という木こりの一家が住んでいました。正造の家は貧しいながらも、みんなが健康で明るい家庭でした。  

 今日も一日山仕事を終えて、楠の切り株に腰掛けて、一服していました。山の端にかかる太陽も沈みかけ、辺りはほの暗くなりかけていました。  

 そろそろ家に帰ろうかなと、起き上がりかけた時、誰かが正造の名を呼ぶ声がしました。そら耳かなといぶかりながら、後ろを振り向くと、そこに白髪長髯の老人が立っているではありませんか。正造は瞬間、背筋がぞおっとして身震いと腰の抜けるような恐怖に襲われました。しばらくして正造はようやく落ち着きを取り戻しました。それは、その老人の何と優しい眼差しと、苦悩も歓喜も全てを超越した顔のしわ。これはまさしく噂に聞く仙人なのかも知れないと正造が思ったからです。

「おじいさん、オラに何か用ですかい?」 立ち上がりながら、おそるおそる正造は尋ねました。すると老人は懐から何やら小さな棒きれのようなものを取り出して、

 「これ正造、これをお前に進ぜよう。この杖は、お前の願いごとを、生涯にたった一度だけ叶えてくれる魔法の杖じゃ。願いごとをする時、この杖を天にかざし、大きく三回回しながらその間にお前の願いごとを言うがよい」  

 しかし、欲のない正造は、

「おらあ、今のまままで充分だから、これ以上の願いごとはない」 と断りましたが、老人は、

 「いやいや、人間は何時どのような病気になるかも知れぬ、またどのような災難に襲われぬとも限らぬ。この杖はそんな時、きっとお前の力になってくれるはずだ」

 と言うと、老人はその小さな杖を正造の前に置いたまま、煙のようにすうっと消えるようにその場から立ち去ってしまいました。  

 さて、正造はこの魔法の杖で何時、使ったのでしょうか?子どもが重荷を患った時に使ったのでしょうか。いや、その時は使わずに治すことができました。妻が倒れて病床にある時も、この魔法の杖を手にしかけましたが、待て待て、自分の真心で治してみせると頑張って、その杖に頼ることをしませんでした。  そして、それから幾十年が過ぎ去りました。

 正造は95歳という高齢の誕生日を迎えました。お祝いに駆け付けた子どもや孫や曾孫達と炉を囲んで楽しい一時を過ごしていました。  

 正造は、ふと忘れかけていた魔法の杖のことを思い出して、みんなにこの話をしてやりました。

「これがその杖だよ」 と、大切にしまっていた杖を取り出して見せると、一人の子どもが言いました。

「おじいさん、その杖に、おじいさんが100歳以上も生きられるようにお願いしたらいいのに」

 正造は、優しい子どもの言葉にうれし涙を見せながら、

「ありがとうよ、お前のその気持ちだけで充分だ。私は、これ以上の欲は言うまい。これまでで充分幸せであったからね」 正造は、人間の天命までもかえてしまうようなことは良くないことだと、子ども達に話すのでした。  

 そして、この魔法の杖は、生涯使うことなく、正造の家の宝として大切にしまわれていました。  

 でも、正造は、この魔法の杖があることによって、使おう使おうと思いながら、生涯一度しか叶えてくれない大切な魔法の杖だからと、いろいろな苦境や困難を自分の真心と精神力で乗り越えてきました。  

 実は、それが何回となく魔法の杖をつかったことになるかも知れませんね。

続きを読む

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.07.09 07:55 |  その他(医療関連)  |  エッセイ  |  masa  | 推薦数 : 0

地域力を結集せよ!

 7月6日(日)22:00より、教育テレビで、「地域医療再生」と題しての放映があり、興味深く見入った。その前に、21:00からは、やはり、民放で、「tomorrow」なる題で、やはり医療を如実に取り扱ったドラマが始まった。そのドラマは、正に、今の多くの自治体病院の姿を現していた。
 医療を取り扱った番組が以前と比べて多くなっている。多くの人が身近な問題として苦しんでいるからではないだろうか。
 現実に、既に、アチコチの日本全国の自治体病院で、スーパーローテートの導入、医療費の抑制、医師不足、勤務医師の退職などで、診療科目の縮小、救急患者の受け入れ制限などが起きている。いわゆる「医療崩壊」であり、今、予想を上まわる速度で「日本の地域医療」は壊れている。(このままだと、イギリスの様に、確実に行き着くのでは・・・?!)
 以下は、NHKの番組の紹介の内容:千葉県立東金病院の平井愛山院長は「地域医療の崩壊の本質は、最前線で地域医療を支えてきた病院勤務医の心の支えがぽっきり折れたこと」だという。であれば、再生への処方箋は、医師を支える地域の総合的な力=「地域力」をどう再構築するかにかかっているはずだ。医療崩壊の危機のなかで、こうした認識を共有する医師や住民が各地に現れ始め、住民が医療を「限りある資源」だと認識して大切に使い、自治体病院の医師も開業医や福祉と密接に連携することで、従来のハコモノ信仰から脱却した「身の丈にあった地域医療」を作り上げようとしている。・・・苦しみながら「医療崩壊」から立ち上がろうとする千葉県東金市、兵庫県丹波市…東西ふたつの県立病院の先進的な取り組みを通して、住民と医師が手を組んで地域医療の再生に乗り出した・・・

 集約化が叫ばれ、小児科医や産科医の集約化がアチコチで起きている。集約化された病院も、極限状態で仕事を余儀なくされている所が多い。
 医師の資源は有限である。生身の体である。医療は、医師と患者との信頼関係で成り立つ。こんな当たり前の原理がなおざりにされていて、行き着いて、やっと、気が付いている。いや、まだ、気が付いていないケースもある。気が付くだけでは先に進まない、それに対して、一人一人がどう行動するかだ。今からの政治は、小さな政府に大きな地方だ。そう、国に頼ることには限界があるので、今、地方が、地方のアイデアで出来ることは何かを考えることだ。
 現実に、地方では、社会的入院は多い。面倒を看る人も、生活が掛かっているから、しっかりと面倒が看れない。で、病院に入院となるケースも多い。しかし、病院は、助けるべき患者さんで溢れかえっている。病院に居付いてしまうと、限られた入院ベッド数で身動きが取れなくなってしまうのだ。長期入院で在院日数が延びて収入減少となる。人道的には、採算を度外視しても出来るが、実際は、それでは潰されてしまうのだ。
 問題は、根が深い。大きな市の救急病院では、時間外は、途切れることなく小児で溢れている。熊本県でも、小児の時間外は、熊本日赤では2時間待ち、医師会立の熊本地域医療センターでは、それ以上待つことが多い。そこで深夜に徹夜して頑張っている大学の小児科の先生、当然、睡眠不足のまま大学での勤務に入る。そんなこと、当たり前。そして、睡眠不足で何かあれば、新聞で犯罪者の様に叩かれ、刑事事件となる。
 親御さんの中には、昼間他の人に預けているので、心配だから時間外に掛かろうとする人もいる。深夜でも診てもらえるから、そして、深夜でもお金が要らないとなれば、正に、コンビニ感覚になっても不思議ではない。
 
 私も、悪戦苦闘してきた。
 大学病院勤務の時、主治医制が強かったこともあり、72時間全く寝なくて、診ていたこともある。それが、もう、48時間が限界だと思う様になり、今は、深夜起こされるだけでも、朝からの外来がホントに辛い(来年、還暦ですから)。
 佐伯の救急病院では、常勤医が自分だけで8年半も頑張った。お産が年間500件前後もあり、帝王切開もしばしばあり、自分の頭がスッキリとした日、殆どなかった。春が来た時、「ああ、やっと(インフルエンザが多い時期を過ぎて)体が今年も無事に持ったなあ」と思っていた。フラフラになり、インフルエンザで38度以上あっても、頑張っていたのだ。
 で、当然、笑わない、話さない、すぐ怒る医者になっていた。
 医療は、患者さんの協力がないと絶対に出来ない。特に、小児の救急医療は。いつも、100%の力を出していると続かない。余力を常に残して仕事をして行くべきである。
 今の自分は、まだ、頑張れるのだけれども、昔の様には、もう頑張らないことにしている。短期間、どうしても頑張らないといけない時は、もちろん、全力を尽くして頑張る。しかし、長く細く、今まで培ってきた経験をまだ生かして仕事をしたいので、長期間続けてしないことにした。休み休みしながら(時々長い休みをもらいながら、もちろんお金もそれなりに減らしてもらって)、も一人の小児科医を補佐しながら、自分が納得できる感じで、小児医療を続けていくことにしたのである。
 この3万4000人の人口に、わずか1つしかない病院で。

続きを読む

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

 

 04年度に新医師臨床研修制度が始まってから、厚生労働省では毎年度臨床研修医に対するアンケート調査を行っている。 
 07年3月に2年間の研修を終えた研修医に対する調査結果が07年9月にまとまっている。
 この中で、「大切に思うこと」についての調査項目の結果を見ると、・・・将来最も大切にしたいことは「家族・家庭」とあり、断トツ1位で、次が「社会の貢献」「技術の向上」とある。
診療科を選んだ理由については、・・・「学問的に興味がある」「やりがいがある」がほぼ同並びである。
 研修後に専門としたい診療科については小児科、産婦人科についてみると、前年調査と大きな変化は起きていない。
 今の若い者はと言う人もいるかも知れないが、私が思うに、考え方が極めてまともで、医師としての自負心も全く正常である。未来のある医師の多くが自由時間や収入や訴訟の理由で科を選んでいるとは思えない。
 もちろん個人差も多少あると思うし、研修病院での教育制度の問題などは、今も現存している所があるのを認めない訳にはいかないとは思うが。
 馬車馬の様に家族を顧みずに仕事をすることがいい様に思われた時代も確かにあったと思う。しかし、それは間違っていたと思う。
 前途有望な今のそんなやる気のあるドクターに対して、政府やマスコミが、今までの非人間的な扱いからまとともに人間らしく対応していけるかどうか、これが一番の問題の様な気がしてならない。

続きを読む

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.20 08:29 |  その他(医療関連)  |  エッセイ  |  masa  | 推薦数 : 0

救えない時の虚しさ

 日本から国際緊急援助隊が四川省に行って活動をしているが、残念なことに、まだ、1名も救っていない様だ。思うに、これは、時間との闘いと思う。700kmものガタガタ道での移動で、スタッフも、それだけでも大変だなあ。
 阪神淡路大震災の時、消防隊の人が行っても、何も出来なかった。その時の消防隊員の虚しさは、本人しか理解できないだろう。同じ様な感じで、この日本の救命救急隊も同じ思いをしているに違いない。医療関係者だって同じことで、もうちょっと前に来院していればこうならなかったのにと思うこともある(が、患者さんをきつく責める訳にもいかない)。
 救命率も、24時間70%、48時間30%、72時間15%と、急激に低下していく。
 ちゃんと血液が送れる力で、1分間に数回でも、心臓が打ってくれていれば、(経験的に)殆ど助かっているかな。
 ショック症状になっていても、直ぐに血圧が下がる訳でない。特に女性の場合は、なかなか血圧が下がりにくく、上が50前後でしばらく経過していることが多いかと思う。その時に、点滴をすれば、直ぐに上昇してちゃんと救える感じだが、下がり切ってしまうと、もう、可能性は極めて0に近くなる。学校でも教わっているはず、5分以上心臓が停止したら、元に戻らないと。
 子どもの場合、冷たい箇所などで代謝が落ちている関係で、心臓が止まって5分以上経っていても、助かった例などあるかと思う。確かに、子どもの場合、10(~30)分以上心停止が予想された感じで来院しても、それなりに処置をすると、心臓が殆ど又動き出す。が、数日後に、その多くは、亡くなっていた。
 日本の場合も、救急車にドクターが常に乗って、救急車の中で処置が出来る様になると、ホントにいいと思うのだが。

 もう、30年ほど前のことだが(多少、記憶に間違いがあるかも知れないが)、ある日の夕方、(火災になって)焼け出された感じで、3歳の男児が救急車で運ばれてきた。心臓マッサージを救急隊の人がしてきていたが、手足は冷たくなっていた。完全に呼吸が停止していたが、聴診すると、心音が10秒に1回あるかないかの頻度で聴こえた。何度聞いても、間違いなく聴こえる。
 で、直ぐに点滴、でたまたま一発でショック状態のその子に(今は、もう不可能と思われるが)点滴が入った(ショック状態だと、入ったかどうかの確認も難しく、刺しても血液が逆流して来ない)。幸いに、たまたま脳外科の先生が(近くの散髪屋で散髪中で、半分切った感じなのに来てくれて、これも)挿管が一発で入った。
 脳外科の先生との2人3脚で、必死で頑張った結果、しばらくすると心臓が軽やかに動き出し、30分ぐらいすると、手足が温かくなってきた。信じられなかった。助かった。で、てっきり何か後遺症が残るだろうと思われたが、これも、不思議なことに全く起きなかった。
 その後、腸重積で、1年後に、時間外に来て、又、救命し得た。
 その母親から深々と頭を下げられて言われた言葉、「先生には、子どもを2回も救ってもらいました。」と。

続きを読む

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.15 08:38 |  その他(医療関連)  |  エッセイ  |  masa  | 推薦数 : 0

ナイチンゲール生誕祭

 

 平成20年5月14日(水)17:30から、病院の6階の会議室で、恒例の「ナイチンゲール生誕祭」がありました。ちょうどその時に、嘔吐の子が来たのでと電話があり、落ち着かない状態で写真を撮りました。

 
 15分もしなくて救急外来に行くと、「まだかなあ・・・」と子どもが母親に言っていました。嘔吐で来たのですが、顔色もさほど悪くなく、五苓散の注腸と内服で帰しました。
 ある救急病院では、待ち時間が1時間近くもあるとのことですが、ここでは(開業医がこの5000人余の町に一人もいない)、15分も待たせなくても、まだかなあって感じで言われることがあります。診察が終わって帰る時に、お礼の言葉、ないことが殆どです。
 仕事と思って割り切って診ていますが、少し、寂しい気もしますが。

続きを読む

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.14 09:21 |  その他(医療関連)  |  とりとめのない話  |  masa  | 推薦数 : 0

免疫学の裏話

 北里柴三郎は、コッホの元で破傷風の抗毒素を発見したことで超有名な人。血清療法を記した論文が、コッホの元で研究していたベーリングと北里の名前で提出された。北里は、破傷風の血清療法を中心に、ベーリングは、ジフテリアの血清療法を中心に研究していた。で、不思議なことに、1.901年から始まった(第1回目の)ノーベル医学生理学医賞には、ベーリングだけがもらって、北里はもらえなかった。同時にもらってしかるべきと思われたのだが(なしか?!)
 抗毒素は、毒素に対しての抗体で、正に、免疫学の具体的な走り。それまでの免疫学で偉業を為してきた人が、ジェンナー(種痘の発見者)→コッホ(結核菌、コレラ菌を発見)・パスツール(ワクチンの名前を提唱)・メチニコフ(マクロファージの名前を提唱)→北里・ベーリングと連なる感じであったのだが。
 ところで、北里は、熊本県阿蘇郡大字小国(おぐに)町北里出身で、Kitazatoと書くべき所を、ドイツ語読みで、北里と呼んでもらう為に、Kitazatoでなく、Kitasatoとしたとのこと。知らない日本人は、何故、Kitazatoとしないのかと不思議に思うだろう。濁らない場合は、Kitassatoと書くだろう(フランス語だと、キタザトをKitasatauと書くのかな?)。
 ノーベル賞をもらった利根川進氏、彼は、元々は免疫学をしていた訳でなく、カリフォルニアでウイルス学をしていた。その後、スイスのバーゼルにあるバーゼル免疫学研究所で「遺伝子の再構成によって抗体の耐用性が生まれる」ことを証明した。この時の所長が、ネットワーク説でノーベル賞を取ったヤーネであった。
 利根川氏が赴任した直後に、「北里を知っているか?」とヤーネ氏は尋ねた。利根川氏は、「名前は知っているが、何をした人かは知らない」と応えた。利根川氏がノーベル賞を取った時に、ヤーネ氏は、祝電を打った。それには、「You accomplished what Kitasato started.」とあった。北里が発見した抗体の秘密を利根川が解いたと言う意味と、北里が受賞できなかったノーベル賞を受賞したと言う2つの意味を込めて。

続きを読む

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

 労働時間は週58時間以内が基準(平成20年5月2日、Japan Medicine)

 日本小児科学会の代議員会・総会が4月26日行われ、2次医療圏の基幹施設となる病院小児科を、「地域小児科センター」として認定する制度を推進していくことを決めた。藤村正哲小児医療政策室長(大阪府立母子保健総合医療センター総長)は、「代議員からさまざまな意見が出されたが、最終的に小児科医の労働環境の改善と良質な小児医療の提供を目指して、認定制度を実現していこうという方向が了承された」と述べ、4年をかけた構想が一歩進むことに強い期待感を表明した。順調に進めば来年早々にも、暫定基準による地域小児科センターの認定施設が誕生する。

疲労度増すと離職への思い増す 労働時間短縮がカギ
 代議員会・総会に先駆けて行われた総合シンポでは、地域小児科センターは病院小児科の重点化・効率化の望ましいあり方を追求し、病院小児科医の勤務環境の抜本的改善のための方策として、この認定制度が位置付けられた。
 認定制度準備小委員会の舟本仁一氏(大阪市立住吉市民病院小児科)は、地域小児科センターの小児科医の労働条件に関する認定基準について「時間外を含め週労働時間を最大58時間以内」とした。
 これは最低限順守すべき基準で、可能な限り週40時間に近づけることが望ましいとしている。
 こうした労働時間の削減は、今の小児科医師のストレス・疲労を軽減させるのに必須としている。例えば、小児科医の疲労度調査によると、疲労度5以上は疲労度ゼロに比べて「真剣に離職を考えている」割合が6倍以上に増え、仕事の満足度が10以上になると、10未満に比べて「離職を真剣に考えている」割合は約4分の11減少するなど、労働時間の短縮化が喫緊の課題となっている。
 一方、フロアからは「2008年度診療報酬改定における小児科に付いては、小児科医20人の算定要件がつくなど、極めて残念な結果だった。地域小児科センター構想を推進していく上で、経済的担保がしっかりしていないと、施設内での合意形成が厳しい」とする意見も出るなど、次期診療報酬改定を見据えた対応が求められた。
 藤村氏は、今後の小児科医療の経営的安定化を考えた場合、社保委員会を中心に地域小児科センターの診療報酬の在り方などを軸に検討していくことになるとした。

認定基準 人員体制、労働環境などの基準を明記
 学術集会では、地域小児科センター認定制度の認定基準が報告された。
 認定する病院小児科の前提条件については、疲弊する小児医療の現状を改善するためには小児医療の重点化は不可欠であり、その実現のための地域の合意は最も重要な条件としている。
 特に、地域小児科センターは、圏域における小児医療の研修を実施していることや、病院の基本的機能として日本医療機能評価機構認定病院であることが必須としている。
 圏域の中心病院である地域小児科センターが提供する医療サービスは、救急型、NICU型、救急+NICU型の3つの型のいずれかの医療サービスを提供している。一般小児型の救急体制と、周産期型の救急体制は必要とされる人的・設備的体制は異なるため、どちらかの体制が整備されていることを、地域小児科センター申請の必要条件としている。ただ、救命救急医療の提供は、必要条件ではないとしている。
 提供する医療サービスは、<1>小児科各分野の臓器専門医療を提供。必要な検査・診断・治療などを実施<2>小児医療、保健、医療従事者の教育・研修を総合的に進めるために、それぞれのネットワークが構築されている<3>特定機能病院以外においては小児入院医療管理料2の施設基準を満たす<4>保育士配置、プレールームが加算できる施設基準を満たす-などが挙げられている。

深夜勤務明けは帰宅が原則に
 小児科医の人員体制・労働環境については、地域小児科センターが小児のための適切な医療体制と適切な医療従事者の労働環境を実現するため十分な人員配置がされている必要がある。
 さらに、この体制は入院機能、外来機能ともに整備されている必要があるとしている。
 小児患者に対する診療を行うための十分な看護師配置も求められている。
 労働時間については、<1>平均して週58時間以内とする場合には、労働基準法第32条の2または4に基づく変形労働時間制の協定を締結する<2>深夜勤務明けは帰宅を原則とする<3>週に1日以上の休日を確保する-などが認定基準として盛り込まれている。

時間外賃金の割増基準も明記
 小児科医師の給与については、時間外割増賃金の支払いが基準にそって進められるとしている。
  時間外の割増賃金の支払いは、<1>平日の時間外で2割5分増以上<2>平日の午後10時から午前5時までは5割増以上<3>休日は3割5分増以上<4>休日の午後10時から午前5時までは6割増以上-となっているほか、女性医師・妊産婦医師・パートタイム医師の処遇などの基準も明記された。
 小児科の経営収支については、小児科の経営収支が黒字の場合に病院が小児科に供与するメリットシステムが明示されていることや、小児医療を対象に受け取る補助金の小児科配分システムの明示が基準となっている。

*ムーッ、理想的ではあるが、実践となると・・・。20人の小児科医何て、そんなに沢山の数、どこから集められるのかなあ?患者教育が大切と思いますが(夕方から熱が出ただけでは、急患でない。朝まで待てない場合は、どんな時か、地道に教育して行く必要があると思う。どうしてもの時は、時間を区切ってその時だけ診る様にしたらいいと思う。小児科医の資源は限られているのだから、患者さん側の協力が必要だと啓蒙していくべきではないだろうか。遠回りだけれども、結局は、皆がこれで楽をする方法ではないだろうか・・・?!)、そんな内容は、議題にも上らないみたいだなあ。

続きを読む

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

 東京の上野動物園に初めてパンダが来日した時に見に行って、あまりにも大きなパンダを見て、驚いた思い出があります。
 パンダにとっては、自然が一番いいはずで、大きな体の割にはとても仕草が可愛くて、見るの方にとってはスゴクなごむのですが、本人は、可哀相ですね。あるブログに、以下の内容がありました。

 希少動物であるパンダは大切にされるべき存在です。何せなかなか子供ができないので数が減る一方です。なのにパンダに朝から晩まで休む暇も無くショーをさせ、一生懸命芸をしても、結果的にお客さんが満足しなければひどい拷問を加えるとんでもない国がありました。当然のことながら、その国のパンダは次々と衰弱し、疲れ果てて死んでいき、各地の動物園で、パンダが居なくなってパンダショーができなくなりました。でも、不思議なことに、その国では、少なくなったパンダを大切にしようとか、これ以上死なないように保護しよう、という声は全く上がらず、生き残ったパンダをもっと働かせ ようとか、パンダショーが好きなだけ見れる事を要求して署名しよう、とか頓珍漢なことばかりしているのです。そんなおかしな国での出来事です。
 とある小さな動物園で、毎日毎日必死にショーをこなしていたパンダがいました。ある日、ショーの間にお客さんがその動物園に飛び込んで来ました。受付のおじさんがパンダに耳打ちします。「お客さんが来てます。どうやら、今すぐに火の輪くぐりが見たくてならないそうですよ。」ただでさえ、疲労困憊のパンダはちょっと悩みました。「でも、火の輪くぐりならやったことがあるし、折角来てくれたんだからやってみましょう。」そう答えて、パンダショーの順番を待っているお客さんに事情を説明し、急遽できるだけの準備をして火の輪くぐりにチャレンジしました。飛び込みのお客さんは母子二人連れです。何とか無事に芸を披露できた、と一安心した時、事件はおきました。子供のお客さんは手を叩いて喜んでくれたのですが、お母さんが怒り出しました。「私が見たかったのはこんな火の輪くぐりではない。もっと大きくてごうごうを燃え盛る火の輪でないと駄目だ。」一生懸命芸をしたパンダは悲しくなりました。でも仕方がありません。その場では火の輪はそれだけしかなかったのです。でも、とにかくお客さんが怒ってる。急いで納得してもらうように手配しよう。パンダはこれ以上の芸は不可能であることを説明し、急いで他の動物園のパンダに連絡をとります。「予定外の火の輪くぐりをリクエストされて、急いで準備して精一杯やってみたけどお客さんが納得してくれません。迫力満点の火の輪くぐりをやってくれませんか?」あちこちに連絡しても「こっちだって予定のショーだけで必死だよ。急に言われたってそんなの無理」とにべもなく断られてしまいます。お客さんはますます怒り出します。待たされているお客さんからも怒声が飛んできます。あせってあせって電話する手が震えてきました。でも、なかなか受けてもらえません。ようやく、ちょっと離れた動物園が「やってみましょう。」と言ってくれました。お怒りのお客さんを丁寧に誘導し、どうにかひと段落したと思いましたが、結局はよその動物園 に行ってもお客さんは満足してくれませんでした。
 この不思議な国では突然高度な芸を要求されて、必死に応じたとしても、お客さんが不満足ならば結果責任を取らされるのです。パンダの首に縄が掛けられ、動物園から引きずりだされました。「どうしてお前は満足してもらえないような芸をしたのだ!!」容赦なくパンダにムチが振るわれます。パンダは泣きながら反論しました。「火の輪くぐりなら何とかなると思って必死にやったのです。十分な準備期間もなく、突然だったらあれ以上の対応は無理です。」「初めから豪華な火の輪くぐりを見せてくれるところにお客さんを誘導すれば、あんなに機嫌を損ねることもなかったろう。生意気なパンダめ、こうしてくれるわ。」今度は棒でフルボッコです。気を失いそうになるパンダに「いいか、お客さんが満足しなけりゃお前らは叩きのめされるんだよ。思い知れ。」と裁判官から罵声が浴びせられました。「それは結果論だよ、満足してくれるかどうかなんてやってみなきゃわからないよ。だから、特に緊急のパンダショーができなくなって問題化してるんじゃないの?無理を承知で とりあえずショーをやってみろ、と皆言うけど、一生懸命やっても拷問じゃあ、誰もやらなくなるのは当たり前じゃないの?」本当はパンダはこう言いたかったのです。でも、あまりにも打ちのめされて、声を出すことができませんでした。その日はクリスマス、パンダは叩きのめされた後に、冷たい水をぶっ掛けられて外に転がされました。待ち行く人々は楽しそうに食事をしたり、恋人同士で愛を語り合ったりしています。ああ、今日はクリスマスか・・・薄れ行く記憶の中でパンダは昔を思い出していました。そういえば無理やりショーをさせられることがなかった頃は幸せだったなあ。優しいお母さんにプレゼント買ってもらったっけ。でも、お母さんもムチで打たれた傷が悪化して去年死んじゃったよ。僕どうしてパンダに産まれたんだろ。昔はもっと仲間も多かったし、お客さんだって罵声を浴びせたり物を投げたりしなかった。ムチで打たれることも多くなかったのに・・・どんどん仲間は死んじゃうし、それでもお客さんは大勢やってくるし、芸は高度になるし、僕これ以上頑張れないや。ああ、もう立ち上がれない、僕、もう死ぬのかな。生まれ変わるなら、パンダじゃなくて、仲間が多くて高度な芸もしなくていい動物がいいなあ。この国じゃ、パンダが足りない足りないって騒ぐくせに、全然大切にしてもらえな いんだから・・・ああ、もう考えることもできない。もう駄目だ。みんなさようなら・・・・パンダの体温はどんどん下がり、ついに死んでしまいました。
 パンダが足りないと騒ぐくせに、虐げられて衰弱死したパンダに対しては同情すらありません。それどころか、「これぐらいで死んでしまうパンダはいらない。もっと打たれ強く て丈夫なのをもらってこい。」と住民は動物園の園長さんに要求するだけです。いつになったらこの国の人たちは分かるのでしょうか?少なくなったパンダをいじめてはならない、ということに・・・

*何か、今、救急医療で頑張っておられる医療従事者がパンダに思えてなりません。
*ある市では、財政難を理由に、ある動物園が市の命令で、人員も動物もリストラになりました。そこで再生する方法が新たに取られました。今までの生き物の数を半分にしたのです。生き物にとっては、敷地が倍になりました。それを利用して、動物を伸び伸びと動かせることが出来ました。
 見に来る人と生き物が身近に触れ合うことが出来る場所も新たに作りました。キリンさんは高いので、高い所からキリンに餌を上げてもらいました。広い敷地になった為に、多くの動物が嬉しそうに動き回っています。
 見に来る人の立場に立ち、又、動物の気持ちになって飼育するのは、難しいことなんですね。

続きを読む

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

(朝日新聞4月7日)
 日曜も絶えない電話
 東京都大田区の東邦大学医療センター大森病院。同様に朝から勤務する藤本愛医師(31)と研修医(25)も当直についた。午後7時半すぎ、夕食の出前を注文したとたん、重篤患者の受け入れを要請する電話(ホットライン)が消防から入った。脳動脈瘤(りゅう)のある80代の女性が意識障害という。動脈瘤破裂かもしれない。医師9人が1階の初療室に走った。10分後、顔が紅潮し目を見開いた女性が救急車で到着。「血圧は?」との声に、「190/110」。「わかりますか」と藤本医師が声をかける。「ニカルピン、ニカルピン」 。浜田医師が降圧剤投与を指示した。すぐCT室へ。コンピューター断層画像が映し出された。最悪の動脈瘤破裂ではない。視床出血だった。ほっとした空気が流れた。
 看護師の携帯が鳴る。「先生、ホットラインです」。午後8時45分、20代の男性が運び込まれた。オートバイで乗用車と衝突した。顔は腫れ上がり、腕も折れている。男性が痛みで叫び声を上げる。再び看護師の携帯が鳴った。またホットラインだ。「(受け入れは)無理!」。浜田医師の声が響いた。午後11時前にやっと夕食にありつけた。その後も午前0時すぎに吐血した70代の女性が、早朝には交通外傷の患者が来た。眠る時間はほとんどなかった。
 救命救急センターの医師は全部で14人。研修医を入れて3人が当直につく。2交代制の看護師は約100人。午後4時半から午前9時までは30床を15人前後でみる。当直明けも医師の勤務は通常通り。医師たちはそのまま仕事を続け、夜まで働いた。午後8時15分、藤本医師が控室で栄養飲料リアルゴールドを飲み干した。この日5本目だ。「バタンキューで寝て、また明日ですね」。病院を出たのは午後11時前。勤務は前日から39時間に及んだ。
 若手医師(27)は「処置しても延命行為でしかないこともある」と漏らす。かつてなら「大往生」だった末期がんや施設入所の高齢者が心肺停止で次々と運び込まれる。「蘇生が患者や家族にとって幸せかどうかわからない」自傷も少なくない。ある日の明け方、100錠以上の鎮痛剤を酒と飲んだという30代の女性が搬送されてきた。意識はあり、命に別条はない。医師(35)は「この人は(救命 救急センターの前の)2次救急で十分。こういう人を処置していて、本当に重篤な人を受け入れられないことがある」。
 9年目の医師に給料明細を見せてもらった。本給は15万円、当直は5回で5万6500円。総支給額は26万7020円だった。アルバイトで週に1日半、外の病院で診療し、泊まりもする。1日約9万円、泊まりは1回約4万5千円。
 救命救急センターの吉原克則准教授(54)は「勤務医が足りない。その影響が一番出るのが救急だ」と話した。

 「とりあえず診て」軽症の人搬送次々
 東邦大学医療センター大森病院が受け入れる救急車は年間7千台を超える。ある夜、39度の熱が出たと2歳の娘を救急車で連れてきた母親がいた。連絡を受けた看護師は「熱だけで救急車?」と声を上げた。診察した小児科医は「熱はあるが、しっかりしている。解熱剤を持っているということなので、何もせずにこのまま帰します」。「高熱にびっくりしたんでしょう?」と質問する と、母親は「そんなに心配していたわけではないけど、とりあえず診てもらおうと思って」と話した。また、ある日の午後、「気分が悪い」と自分で119番した一人暮らしの70代の男性が運ばれてきた。蒸れたような酸っぱいにおいが初療室に充満した。迎えた看護師が「まずはシャワーしましょうか」と服を脱がし始めた。男性は「寒いよ」と文句をいう。「大丈夫よ。ごめんね、寒い思いをさせて」と謝りながら裸にし、シャワーをかけた。姿を見せた医師は「乾いたら呼んで。このままじゃ診られないから」と立ち去った。「ズボン下」「ベルト」と男性はいちいち注文をつけた。看護師は「あれはうんちがついている。これ着ようね」と院内から探してきたシャツとズボンをはかせた。到着から約1時間後、医師が心電図をとった。男性は「点滴してよ」。「水飲めるの?」「飲める」。医師は「じゃあ、いらないな」。医師はたしなめた。「それとね、救急車をタクシー代わりに呼ばないでね」。男性は「金ないもん」。30分後、おしっこのついた靴下をはき、病院を後にした。

 「24時間医師」気概と誇りと
 別の日の午後、70代の女性が「体全体の脱力」を訴えていると救急隊から電話が入った。一人暮らしで自ら119番したという。血圧や脈拍、意識に問題はなさそうだ。電話を受けた当直師長は「ひとりですか? 親類の人に迎えに来てもらえるようにしてほしい。それを約束してくれるなら、受け入れます。親類の電話番号ありますね」。大したことがないのに入院されると、重症患者を受 け入れるベッドがなくなってしまうからだ。約30分後、女性が運び込まれた。目を半分開け、上を向いている。女性は来るなり「おしっこ」。看護師がトイレに連れて行った。ベッドに戻ると、今度は「お水」。「苦しい、苦しい」とつぶやく。医師がすぐに診察したが、意識障害になるような不整脈はない。胸の音もきれいだ。念のため、CT検査とX線撮影、血液も調べた。「手が震えてしかたない」と訴える女性に、「大丈夫のようですよ」と医師。「問題ないんですか」と女性は消え入るような声で言った。看護師が親族に迎えに来るよう電話した。親族は「死んでもらっていい」と言ったという。「一晩泊めて」。女性は看護師に懇願した。親族に引き取られて女性は病院を去った。
 救命救急センターの吉原克則准教授は朝のミーティングで研修医に向けて言った。「医師はどこにいても24時間医師。飯を食って酒を飲んでいる時も。患者への愛情、倫理観、強い職業意識があって初めて医師たり得る。熱意がないとできない」。皮膚科や眼科、耳鼻科志望が増え、大学に残る医師が少なくなる今、あえて厳しい救命救急の現場で働く医 師の気概と誇りを感じた。◇

〈救急医療〉1次から3次まで3種に大別される。平日夜間や休日に自分で病院に来る軽症患者用が1次、手術や入院などが必要とされ救急車を呼んで来るのが2次、2次以上で重篤な患者が3次。救命救急センターは3次で、東京都の場合は、消防庁から21の施設に直接受け入れ要請の電話が入る。2次救急病院は全国的に減っており、98年の3344が07年は3153に。東邦大学医療センター大森病院は1次から3次までを備える。それらを合わせた救急外来の患者は平日夜間が約100人、日曜日は約200人にのぼる。

続きを読む

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

 全国アチコチ、病院から産科と小児科が消えつつある。熊本県でも、天草の中央病院の小児科、八代の八代総合病院の小児科、それに、荒尾市民病院や山鹿市立病院も、常勤の小児科医がいなくなってしまった。
 理由は、小児科医の集約化が行われているからだ。小児科だけでなく、小児科と直接に結びついている産科の場合は、もっと深刻そうだ。
 新しく小児科医になる医師の半分は女性、新しく産婦人科医になる医師の7割は、女性だ。女性の場合は、出産と育児がある。どんなに女性医師の旦那さんが頑張っても、乳児期初期の育児の授乳などの代用は物理的に不可能。
 いろんな方法が試みられている。そんな女性医師の育児施設とか、パート勤務とか、当直免除とか、・・・しかし、子どもが病気をしたり、学校の行事のことなどでどうしても休まないとけいないケースも実際に多い。
 ところで、この場合、男性医師に対しての思いやりも配慮してもらいたいものだ。男性だって、父兄参観日には行きたいし、娘のピアノの発表会にも行きたいのだ。親だから、当たり前のことを言っているだけで、間違ったことを言っているとは思いたくない。
 しかし、日本の場合は、そんな家庭の事情を言うと、上司から、「お前は、少しはやる気があるのか・・・」何て言われて、白い目で見られてきた。有給休暇だって、20日間あっても、完全に消化し切れてない、法律上堂々と取れるはずなのに。患者さんのことで時間外にしばしば呼び出されていても、それは、管理職だからと言うことで時間外手当はもらえない。患者さんの状態が悪くて、1晩泊まり込んでも、もらえない。それを請求する方が不自然と医師自身が思ってきたし、お金の請求何て、考えてみたこともなかった。
 しかし、しかしである。管理職でも、1日に5時間以上も時間外に働いていれば、裁判所から、その分払うべきだとの判例が下される時代になっているのだ。時代も変わって来ているのだ。今までが異常な考え方だったのだ。
 忙しくて責任も重い女性の医師が、育児を考慮してちゃんと働ける職場にすることなんて、基本的な権利なのだ。それが不等にないがしろにされて来たのだ。
 大きな責任を背負わされている男性医師も、今からは、バッチリ有給休暇を正当に取って、管理職でも、時間外に法外に沢山働いていれば、それなりに請求しよう。そうでなければ、仕事を拒否するか、別の職場を探そう。医師も、そんなちゃんとした(医師らしい)意志を持っていることを示そう。
 「小児科は忙しいそうですね」とよく言われてきた。しかし、それは必ずしも当たっていない。自分の場合を考えても、1人常勤医で新生児・未熟児(年間500)を抱えていた時でも、初めの3年間は、全く1人で大変だったが、それからは、応援があって、家族旅行も何度も出来た。
 19床の入院ベッドを持っての開業の時でも、援助全くなくて、平日は朝7時半から、夜も日・祝日にも小児救急をしていたが、(昼寝をよくしていて)趣味の方でも忙しかった。
 冬季は確かに、月曜など、開業の時は1日200人以上とか来て殺人的だったが、8月~10月は、入院0が1週間も続く時もあり、暇をもてあましていた。(しかし、入院患者さんを持っていたので、家族旅行が全く出来ず、佐伯を出ることも出来なかったが・・・)
 どうしても他人に頼まないといけない時は、忙しい人に頼めとの言葉がある。人は、忙しくて苦しい時のことをよく話すが、暇な時も確かにあるのだ。
 まあ、それも程度ものもあるであろうが、土台、この時代に、一見暇そうで楽そうに見える仕事であっても、実際にしてみると、暇で楽な仕事何て、本当はないに等しいはず。
 人間は、生きていること自体が苦との考え方もあり、考古学者の吉村先生の様に、人生は大いなる暇つぶしだと言う人もいるぐらいだ。
 仕事が忙しい人は、それだけ社会に要求されている有能な人間になっていると思って自負心を持つことが出来るし、暇を持てあましている感じの人は、皆忙しく働いているのに、自分だけこんなに暇をもらって申し訳ない、今は充電期で、何かの時は、人の何倍も働こうと思えばいいかな。

続きを読む

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)