子どもを持つ親にとっては、トイレの躾は、とても頭の痛い所。漏らして、スゴク叱っている親を見ることがあるが、待つゆとりが親に大切だと思っている。
アメリカ小児科学会では、次の7つのことを、「トイレトレーニングスタート」の目安としている。
・歩いたりお座りが出来ること。
・親のマネをすること。
・物を決まった場所に置けること。
・いやと言えること。
・パンツやズボンを降ろせること。
・トイレに関心があること。
・尿意を伝えることが出来ること。
又、アメリカ小児科学会では、大人が焦(あせ)らないこと、子どもにはそれぞれ個人差があること、準備がちゃんと出来ているかどうかを確かめることを強調している。
又、スイスでの研究では、7カ月からトイレトレーニングを始めると2年2カ月で終わり、2歳から始めると2歳2カ月で終わるとの結論をだしている。エッ!、その差は、わずか2カ月でしかないのだ!
ムーッ、と言うことは、何事もちょうどいい時期まで待てば、子どもは、スッと抵抗なく何でも自然に習得出来ると言うことかな。
更にそれを広げて解釈すると・・・
小さい時から親が焦って知識を植え込もうとすると、努力する割には余り成果が上がらないと言うことになるかな?!
ものにもよるだろうが、例えば、芸術や運動に関しては、モーツアルトやタイガーウッズやイチローが3歳から(尊敬する)父親から英才教育を受けていることなどを知ると、早い方がいいような感じもするが。絶対音感なんて、小さい時にサボっていると、もう身に付かないみたいだ。(しかし、それで身を立てるのでなければ、そんなにやっきになる必要もないのではないのかなあ。まず、好きになることが大切だと思う)
自分の場合、今でも自信をなくして後悔していることに、私の小学生の時のバイオリンのことがある。家にお金がないのに、それを教わる所まで行くのに、親の都合と合わせて日曜日に、バスで1時間近く掛かって、(小学校4年生の初め頃から?)佐伯まで隣の子どもと一緒に通っていた。バイオリンの音に魅了された訳ではなかった。周りから勧められたから。そして、初めは少し面白いかなあと思っていたが、次第に苦痛になり、とうとう隣の子ども共に行かなくなってしまった。一体、自分にとって、バイオリンは何の意味があったのだろうか?
その後、姉がピアノをしていることもあり、ピアノも勧められて、ピアノを始めた。1年ちょっとのスピードでバイエルが終わり、ソナチネもちょっとかじった所で、又、止めてしまった。後で思えば、ピアノも自信を失うものの手段でしかなかった感じだ?この不完全のモヤモヤの反動が、盆踊り太鼓や篠笛に転嫁したのかも知れないけど。
自分の3人の子どもの場合、家ではよく音楽を流していた。特に下の2人の時には、胎教にいいだろうと思って、お腹の中にいた時からクラシック音楽を頻回に聴かせていた。
一番上の子どもが小さい時には、家によく自分の英会話の先生に来てもらって、私は、英語でのフリートーキングをしていた。私は何故か娘に英語を教えた記憶がない。と言うのは、自分も、長兄(数年前に、進学高校の英語の教諭を退職したが)から、「英語は、どうせ学校で教わるから、前もってしなくていい」と言われ、(南アフリカの牧師さんから教わっていた)長兄から、英語のアルファベットの26文字の発音だけを中心に中学入学する前に入念に教わった(英語会話に関しては、当時はそれが正解だったのではと今でも思っている)。が、長女は、高校生の時に英会話だけ、オーストラリア人から教わっていた(現在、アトランタ在住)。
で、下の二人は、音楽に興味を抱き、今は、仕事よりもライブで忙しそうだ。
息子には茶道を小学校3年生から教え込み、中学生になって盆踊り太鼓を教えようとしたが、ちょっとだけ興味を抱いてくれただけで、(反抗期のせいもあったのか)ギターの方に走ってしまった。(私は一度も息子のライブハウスでの演奏姿を見たことがない。高校生の時から、自分で曲を作り、作詞もし、それをライブハウスで歌っていた様だが)
次女は、ピアノを一生懸命にしていたのだが、突如、バイオリンをしたいと言い出して、そちらの方に走ってしまった。
親がいやいや押し付けたのは、かえって、マイナスになっていることが多いと思う。正に好きこそものの上手なれだと思う。親の務めとして、何事も、子どもは元々やる気がある訳で、やる気を起こそうと親が先走って強いるようなことはせずに、子どものやる気をなくさない様にすることの方が極めて大切だと思っている。
自分の場合は、幸いに親から「勉強しろ」と言われた記憶がない。塾にも(友達から誘われたが)行かなかった(子ども心に、お金のいることを考え、学校の先生に尋ねることに決めていた)。そして、それが自分の場合は、幸いだったと思っている。それにより、自分で問題を見付けて、それを自分なりに解く楽しさを少なからず身に付けることが出来たと思っている。
モノには、順序がある。子どものいろんな面も、それぞれを始めるのにちょうどそれに適した時期があると思う。もちろん、個人差もあるはずだ。元々子ども自身には、学ぼうとする力がある。その力は、大人以上だ。
感性豊かな10歳~12歳の時に、成績を上げることを一番の価値観において、夏休みにも毎日が受験勉強に追われる姿は、どう見ても不自然だと思っています。
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