佐伯と津久見間の高速道路が6月28日(土)から開通する。長年、多くの人が希望してきたこと。その時には、東国原宮崎県知事も来るし、津久見だけでなく、延岡からも沢山の人が来て、延岡の「ばんば踊り」を一緒に踊るとか。正に、お祭り騒ぎとなるであろう。
しかし、問題はこれからと思うのだが。佐伯で高速道路が止まる訳でない。単なる通過点に過ぎないのだ。
西鹿児島駅は、スゴイ賑わいだ。周りにいろんな建物も出来て、正に市の中心って感じになっている。八代と鹿児島間に新幹線が通過した時、八代市は、観光客が降りると見込んだらしいが、結果は、そうでもなかった。熊本市も、新幹線が博多から鹿児島までずっと開通すれば、熊本から鹿児島までわずか45分、博多まで35分、大阪まで3時間足らずで行けると期待に胸を膨らませている様であるが、どうだろうか?単なる通過点に過ぎない存在にならなければいいが。
市民が一致団結して、大きな視野に立って、目先のことにとらわれずに、先へ先へと前持って手を打っておくことが大切だと思います。佐伯市には、魚だけでなく、素晴らしい文化と自然があります。いいチャンスが6月28日を契機として与えられたと思って、将来の国際都市を目指して頑張って欲しいと思います。その前に、佐伯市の良さをもっとアピールする必要があるかと思います。
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6月22日(日)の21:00~21:49まで、NHK総合テレビで、「沸騰都市ダッカ“奇跡”を呼ぶ融資 」が放映されていた。ダッカには、3年前に16日ほどホームステイをしていたので、身近に感じながら見ていた。以下は、NHKの説明。
世界最貧国のひとつに数えられてきたバングラデシュが、目覚しい経済成長を遂げている。年5パーセントを超える経済成長を持続し、BRICsに続く有力新興国「NEXT11」にも選ばれた。政府は十分に機能せず、輸出できるような天然資源もなく、外資にもほとんど頼れないこの国が、なぜここまで急速な発展を遂げたのか。
その原動力となっているのは、貧困層の劇的な所得の向上である。この10年で全人口に占める貧困層の割合は10パーセント以上減少した。貧困層が知恵を振りしぼり、ひとりひとりが言わば起業家となって、自力で豊かさを手にしようとする動きが始まっている。
その助けとなっているのが、無担保で少額を融資するマイクロクレジットである。グラミン銀行がノーベル平和賞を受賞、一躍脚光を浴びたが、それに先んじて始めたのが世界最大級のNGO・BRACである。
BRACは首都ダッカを拠点に、スラムに住む貧困層、繊維工場を操業する中間層に向けて積極的な無担保融資を展開してきた。その基本姿勢は、「貧困層に必要なものは援助ではない。投資である」。従来のNGOのあり方を大きく覆すものだった。
ダッカから日本に帰って、自分が不思議に思っていたことがあった。何故、世界で最も貧困と言われているバングラデシュで、ダッカの子ども達が生き生きと目を輝かしているのか?
それは、未来が明るく輝いていることを確信しているからではないだろうか。
今は貧乏でも、将来はそれから抜け出れる。直ぐには実現しなくても、自分の力でやっていける、そう信じている人が多いからではないだろうか。事実、そうであり、15%の金利で、連帯保証でお金を簡単にブラック銀行から(マイクロクレジット)借りられ、その返済率が何と99.5%に達しているのである。
バングラデシュのダッカでは、人件費が中国の3分の1で済む。現在、ダッカの人口は1.200万人だが、10年後にはその倍近くの2.200万人になると言われている。どこにもない安い有能な労働力がここにはある。
物価は、インドとパキスタンとバングラデシュでは、バングラデシュが一番安い。インドは、カースト制で、上と下の格差で、なかなか人間関係が難しい。パキスタンは、政権が安定していない。その点、バングラデシュは、日本の3分の1の面積しかないが、まとまっていて(言語の違いでパキスタンから独立したが)、人口は、日本よりも多く、世界で7番目に多い。
私がホームステイした家は、6人家族で、一番下の息子さんが別府のAPU:アジア太平洋大学に留学していて、その時大学4年生だった。私は、彼から、ベンガル語を1年半以上掛けて教わった。行く時は、彼の声を入れたテープを持って行った。
イスラム教の世界は、私にとっては全てが新鮮だった。世界で一番貧乏とのイメージがあったのに、実際は、目を輝かして生き生きと働いている人が多かった。学校に演奏に行った時に知ったことだが、小学校に入る前から母国語のベンガル語と英語を教わっていて(書く練習をしていた)、多くの子ども達が気軽に英語で話し掛けてきたのには、ビックリした。
ダッカの人が、「その内、日本を抜くよ!」と言っていたが、テレビでも、ある女性が同じ様に言っていたのを聞いて、多くの人がそう思っていると思った。
正に、ダッカは、自分の小さい時の戦後の姿だった。小学校上がる前、皆、ホントに貧乏だったが、どんどん生活が豊かになっていった。それと全く同じ状態。日本がアメリカに憧れていた様に、ダッカの人は、日本に憧れている(アメリカは、嫌われている感じであったが)。
日本のことをいろいろ話したせいか、彼の兄が、日本に来て日本語を今勉強しているし、兄の友達も一緒に来て頑張っている。
ダッカは、どんどん変わっていて、行った時に、彼の兄が、「○○○ブ(彼の愛称)が帰ったら、(わずか4年足らずなのに)その変わり様に驚くだろう」と言われていた。
ダッカの子ども達は、目を輝かしている。日本の子ども達は、疲れた目をしている。ダッカの人達は、日本に学べと言っているが、日本がダッカの人達の生き方を学んだ方がいいかも知れない。やる気や助け合いの精神や家族のつながりなどを。それに、政府が一生懸命になっている教育制度にも。
*ダッカで、私が撮ってきた写真です。ダッカ大学の附属病院

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