
昔の教育制度がいいとは言えないが、タイムスリットして調べてみると・・・。
高校入試(大学教養部にあたる)、その競争率はかなり厳しい。例えば、第一高等学校(東京大学教養部)の合格率は、中学4年卒(優秀な人は、中学5年を4年で終えていた)が1/8、中学5年卒直後が3/8、中学浪人4/8であった。
高校生が少なかっただけに、大学は、簡単に入れた様であったが、旧帝大の医学部や法学部はそれなりに難しく、例えば、昭和10年度の東京大学の競争率は以下の如くであった。
学部名 合格者数/受験者数(競争率)
法学部 655/1635(2.50)
経済学部 352/491(1.39)
文学部 400/446(1.12)
工学部 324/927(2.86)
理学部 104/183(1.76)
農学部 221/336(1.52)
医学部 165/510(3.09)
又、医学部だけを合格数/受験数で見ると、以下の如くであった。
一高30/85、八高14/32、浦和12/38、東京12/27、二高9/34、静岡9/26、水戸9/28、山形8/15、三高5/15、五高5/12、府立5/25、大阪4/9、広島4/10、四高3/13、六高3/11、七高3/6、松本3/15、弘前3/8、姫路3/7、成蹊3/9など。
全国各地から、学力優秀で体力のある貧乏学生が東大に集まっていた様である・・・?!

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かって、民放で、興味深い内容が放映されていた。「状況の力」と題しての、アメリカの実験で、監獄での囚人と監視人とをデモでして、その心境の変化をつぶさに報告していた。
14日の計画が、耐えられなくて、6日で中断している。している方も、されている方も、実際の姿になってしまっているのだ。
そのなかで、3つのことが言われている、つまり、1、「権威への服従」、2、「非個人化」、3、「非人間化」である。それが、現実に、イラクで、アメリカ兵が囚人にしている様に、起きているのだ。
似たことは、アチコチ、沢山あると思う。医師や教師が、病院や学校と言う強い後ろ盾がある為に、権威を振りかざし、又、組織の中で、自分を失い、非人間的な行為をしても、気が付かない。
そう言えば、大学に入学した時も、おかしなことに気が付いていた。一生懸命に勉強していると、上の先輩が、「どうして大学には行ってそんなに勉強するのか」と聞いてくること。「国家試験なんて、99%合格だし、今まで受験で苦しんできているのだから、遊んだら・・・」とよく言われた。しかし、その状況で、私は、自分なりに勉強していたが、・・・。その時、皆が遊んでいるのに、一生懸命に勉強するのが恥ずかしかったことを記憶している。
東大生が傲慢になったり、警察官や公務員の不祥事も、この状況の力によるものではないだろうか。
親方の指示で、若い相撲取りの命が絶たれた。その時、リンチに加わった兄弟子達、親方の指示通りにせざるを得なくて、してしまった可能性が充分にある。オウム真理教にしても、教祖に逆らうことは出来なかった。で、仕方なくリンチに加わった教徒も多かったと思われる。
そんな出来事、今の時代には、沢山あると思う。
一昨日、熊本大学の中にある「五高記念館」に行った。その建物の中に展示されている中に、特攻隊に参加して戦死した人を讃える感謝状があった。今、イラクで自爆が非難されているが、そんなこと、日本でもその当時は、当たり前って感じになっていたのだ。
どんな時にも、冷静に判断出来る人間になること、極めて難しいことだと思う。
医師も、医療経済学が必要とされている時代になっているのか?!病院で行われる(経営に関する)会議で、事務の方から、売り上げが下がっていると、「・・・1件当たりの点数がもう少し高いと、いいのですが・・・」と言った感じで言われることがある。
検査を増やし、高い薬を使い、満室を目指しながらも、空いていれば入院を延ばし、かつ、短期で回転する様にベッドを調節して行けば、それもある程度までは可能であろう。もちろん、新しい患者さんを増やすことが出来れば、それに越したことはないが、周りの医療機関もあることだし、限界がある。
職人気質の人の場合は、医師に限らず、自分の技量に自信を持っているので、余り経営のことを言われると、居づらくなると考えるのは、私だけであろうか?!
しかし、今の医療経済不調の時代に、医師がどんどん勤務医離れをする傾向は、この押し付けも少なからず荷担していると思われる。
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平成20年2月11日(月)に、島田美術館に行った。宮本武蔵が書いた絵や書があった。絵は、色があせていたが、躍動感に富み、素晴らしかった。字も素晴らしい。彼は、文武共に達人であったことが理解できる。
宮本武蔵は、1584年、兵庫県で生まれている。13歳で新当流の有馬喜兵衛に打ち勝って以来、29歳までの間に60余度の勝負をして一度も敗れてない。その後、兵法の深奥を極めて、二天一流を創始している。
武蔵が熊本に来たのは57歳の頃で、300石の客分待遇で、千葉城跡に居宅を与えられ、細川忠利に仕え、以後、1645年の初夏に没するまでの晩年5年間を熊本で過ごしている。
この間に、「兵法35ヶ条」「五輪書」などを著し、又、茶、禅、書画三味の日々を送っている。武蔵は優れた画人でもあった。自在な中に鋭い気迫を伝える彼の遺作は、日本水墨画史上に独自な位置を占めている。
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・・・私のようなものまでと思いつつ読み始めましたが、医者の世界もよく分かりましたし、また、面白いというか、為になるというか、感心したり感嘆したり、時には考え込んだり、笑い出したりの連続でした。しかし、よくまあ、些細なことまでメモし記録し保存し、切符や借用書の類までもと、半ばおきれならも深く感動しました。今後身辺に的を絞って思想的に深まると、必ず北壮夫の「癒家の人びと」や野上弥生子の「森」に匹敵する、あるいはそれを凌ぐ「自伝史」が生まれるのではないかと思っています。今後とも精進の糧、切に祈ります・・・
(佐伯城鶴高校国語教諭 前田精一郎)
・・・最初の頁(P11)から最後の(P319)まで一気に(三日ほどかかりましたが)読ませていただきました。正に私の「為になる本」でした。先生がこの様に物をせっせとお書きになるのは、天性の資質に恵まれていらっしゃるからだと思います。・・・先生の「大学入試の改善について」は、私が常々考えていました見解と同一で愉快に感じました・・・
(川崎医科大長 柴田 進)
・・・大変興味深く、一気に読了しました。教えられるところが沢山ありました。それにしても、よく記録として残されたものと感銘しました。私も若き日に自分の歩いてきた道を日記形式で書き残そうと考え、何回か挑戦を試みたことがありましたが、何日も続かず断念したことがあり、今その頃のことを思い出しております。「為になるかも知れない本」というよりは、正に「ためになる本」と言ってよいでしょう。
私の生理の恩師は杉本良一教授(かって鹿大の教授をしておられた時もあります)でしたが、西田茂先生と親しく、西田先生は上京の度に教授室にお立ち寄りなられました。私もよくお会いしました。その頃、西田猛史院長とも知り合いになった次第です。院長にくれぐれも宜しくお伝え下さい・・・
(東京慈恵医科大学長 阿部 正和 昭和62年4月18日)
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