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2007.12.28 07:16 |   |  masa  | 推薦数 : 0

為になるかも知れない本(続々・その41)

○昭和60年7月28日(日)
 小児科学会があった。新生児の演題の座長を40分間して、最後に演題(奇形症候群10例)を話した、つまり、1時間程、壇上にいた。8つも質問があった。中津の○井先生、県病の○保先生、それに、西田の田原が一番頑張っているかなあって感じに思えたが・・・。
○昭和60年7月29日(月)晴。
 130人程来た。昨日の学会でも、患者さんが少ないことを嘆いた先生が多かった。今、どこも本当に少ないんだなあ。それでも、これだけあると言うことは、いい方なのだなあ。
○昭和60年8月3日(土)晴。
 夜10人近く来た。土曜の夜はどこも診ていない感じだ。昼間は、90人程来たのかなあ。朝、血便が出た。夕方には、なかった。疲れた時は、お腹の調子が悪い。人間って、ちょっとしたことで元気になったりそうでなかったりするなあ。体力第一だなあ。
○昭和60年8月6日(火)晴。
 午後の(院内の乳児)健診(毎週、火曜の午後にしている)に40人以上来た。付き添いを入れると、スゴイ混雑だ。それを15時半過ぎには、何とか終えた(内科の待合室のイスまでずっと占領していることがあり、ある時、眼底検査をしてもらう為に来てもらっている開業医の眼科の先生が、何事ですかなんて言っていたが・・・)。その内、50人を突破しそうな雰囲気だなあ。
○昭和60年8月7日(水)晴。
 ミーコ(長女)と一緒に、自転車で津井まで行った。着いてから、そこで30分程、泳いだ。途中で、自分の住んでいたヒルホシ(西上浦小学校に行くのに、一番遠い地域で、歩いて1時間近くも掛かっていて、隣の○田君といつも一緒に行っていた)に寄り道して、○田憲二君の所に行った。おばんさんが独りで住んでいた。(NHKの歌のコンクールで、自分は不合格だったが、○田君は合格して、ラジオで声が流れた)憲二君は、来年の夏には帰ると言っていた。帰りに雨が降り出したので、ミーコだけタクシーで帰した。ぶっとばかして、何と、ノンストップって感じで、津井から49分間で、家に着いた。自分もいざと言う時には、かなりスタミナがあるんだなあと思った。○寺先生が、運動不足解消の為に急にゴルフをして靱帯を損傷してしまって、診療が出来なくなっているとのこと。大変だあ。
○昭和60年8月13日(火)晴。
 (日航機墜落事故で)4人生存していた。その中でも、川上と言う12歳の女の娘、一番軽くて済んだ様だ。スゴイ強運の持ち主だなあ。正に、奇跡だなあ。里帰りの人が多い。佐伯の○○汽船が倒産した。(夏の高校野球で)津久見が5対1で勝った。ピッチャーがいい。このままだとベスト8に残れそうだなあ。野球はピッチャー、病院はドクターかなあ。
○昭和60年8月19日(月)晴。
 9月29日の宮崎地方会の演題を出した。又、9月1日の大分地方会にも行くことにした。宮医大の先生達から土曜日に来てもらう日を書いて改めて○井先生に送った。○井先生、病棟医長になってこちらにあまり来れなくなってしまった。鹿大は、今年○人も入局したとか。このままだと、どこも医局員で一杯になるはずなのだが。

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