masa
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2007/10 >>
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

トップページ

Doctors Blog

ブログの購読

新着コメント

新着トラックバック

2007.10.05 11:59 |  放言  |  masa  | 推薦数 : 1

研修医残酷物語

 ス一パ一ロ一テ一ト制度が始まるまでの研修医の給料は、どうだったのだろうか。(今は、税込み月30万円となっているが・・・もちろん、ボ一ナスはないのだが)
 私立の研修医は、原則無給で、手当てとして月に5万円が出るだけ。これでは生活できないので、バイトで生計を立てていた。5万円というのはまだいい方で、私立の中には、その半分の2.5万円というところもあった。最近、研修医の過労死や働き過ぎによる自殺が増えている。
 筑波大学の前野哲博准教授が行った「卒後初期研修における研修医のストレス」と題した研究(文部科学省科研究助成研究)によると、研修医の約4割が抑鬱状態にあり、研修開始後に抑鬱状態に陥った者は、約25%に上がるという。その原因として、「仕事量が多く、仕事に時間が掛かる」「複雑で高い能力を求める難しい仕事が多い」「仕事時間や順序を自ら決める権限が少ない」「自己判断が許されない場面が多い」ことなどをあげている。
 医師の生涯貸金を考えて、研修医からむしろ「研修費」を徴収すべきとの考え方もあるが、この説が正しいとすると、司法修習生に支払われている手当が説明できなくなる。研修医を"労働者"と見るのか、"見習い"と見るのか、議論が分かれるところであるが、今では、教育する「指導医」の方が給与が低い場合もある。
 更に問題を複雑にしているのは、多くの事例より、「研修医の年収が高いからと言って必ずしもよい医師が集まる」というわけではないことである。
(「日本の医療が危ない」川淵孝一著 2005年9月1日発行、ちくま新書より引用)

*卒後は、欧米などでは、死に物狂いでインタ一ン生活をしている。今のス一パ一ロ一テ一ト制度では、時間内に来て時間外に帰り、当直はせず、休みもしっかり休んでいる(研修場所で、それと大きく違う場合があるかも知れないが)。又、お客さん扱いにされているケ一スもある。一番吸収できる時に、それがあまり効率よく出来ていない感じがしている。医学部を8年と見なせばいいのかも知れないが、・・・。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

○昭和60年1月14日(月)晴。
(今から、約22年半前に書いた私の日記の内容の一部です)
 雪が降っていた。200人以上来た。腹の調子が少し悪い、体がきつい。家族3人が風邪を引いているのに、自分は引いていないが。
○昭和60年1月16日(水)晴。
 140人近く来た。大分医大が来てくれる様になって楽している。午後、家の外で子ども達がワイワイ騒いでいる(自宅に長女の友達がよく遊びに来ていた)。ピアノの練習をした。
○昭和50年1月20日(日)晴。
 夕食を摂る寸前に、日曜と言うのにけいれんが止まらない患者さんが来たとのことで、病院から電話があったので、直ぐに行った。Reyeではないと思うが、Reye(当時の大分医大の小児科の教授は、日本で初めてライ症候群を報告した)だと、直ぐに大分医大行きだ。夕方11人来た。嘔吐が多い。日曜の夕方は、本当の急患が多い。(この日、けいれんの子の為に、泊まり込んだ)
○昭和60年1月23日(水)晴。
 インフルエンザB型にかかってみたいで、卓球大会には参加しなかった。18:45から、予定通りに小児科スタッフが家に来て、食事会をした。ミ一コと僕がピアノを弾いた。少し失敗した。夜、多くの人が、0:00過ぎに帰って行った(防音にしている自宅の半地下で、皆が楽しくカラオケをガンガン0:00まで歌っていた)。後片付けが大変で、朝の2時まで掛かった。いつも水曜日に休めるとなると、体の調子、だいぶ違うなあ。
○昭和60年1月25日(金)晴。
 インフルエンザB型が治った感じだ。嬉しい。しかし、まだ本調子ではない。下痢をして時々お腹が痛い。○○○十字からもらって免疫のビデオを見た。この10年間で、免疫学かなり進歩してた感じだ。今からは、免疫の知識なくしてはやっていけないだろう。医学の進歩はすごいなあ。
○昭和60年1月27日(日)晴。
 よく働いたって感じだ。今から患者さんが多くなるのかなあ。2月はいつも多いなあ。も1人いるといいなあ。やる気のない人が来ても困る。大学の命令で仕方なく来たって感じだと最悪だ。小児科1年未満だと、一番頑張るが、しばしばこっちがすることを見てないといけない。3年以上経っていると、もう出来上がっているので、今更、こうしたらいいと言っても素直に聞いてくれなくなっている。まる1年~2年経ったぐらいで、覚えたくて覚えたくて仕方ない感じの(かって自分がそうであった様に)素直な礼儀正しい人が来てくれるといいが、子持ちだと難しいだろうなあ。(この日、下痢があって、けいれんが止まらなくなった子が来て、救急車に乗って、大分医大に搬送した)(病院で朝の4:00過ぎに寝た)
○昭和60年1月31日(木)晴。
 (西田病院)月報が出来た。恵ちゃんに見せたら感心してくれた。自分でも本当によく書いていると思う。書いた人が一番の愛読者なのだ。読む人も楽しんでくれていると思う。これから先の内容がどうなるかだ。これが本になるかと思うと嬉しい。(西田病院の月報に自分が書いたものをまとめて300ペ一ジ余の本を2冊も出版することが出来た)

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)