< 水増し |
メイン
|
受け入れる病院がなくて流産 >
masa / 2007.08.31 06:58 / 推薦数 : 0
○昭和55年2月1日(金)晴。
ASDと外来診断が付いていた○○先生の患者さんが、心カテしたらECDであった。エコ一でECDみたいだと言っていた。心電図は、右軸偏位。心臓は、なかなか当たらない。そして、根治的に治すのは、小児科医でなくて心臓外科医だ。そこが少し寂しい。
○昭和55年2月3日(日)曇。
当直明けであった。深夜0時に入院した嘔吐下痢の子、ショック状態であったが、元気になっていた。命なんて、ちょっとしたことで、取り返しが付かなくなる。その時に、出来る医者がいても、肝心な時に見なければ、意味がない。患者さんが元気になってくれるとこちらも元気になれる。
○昭和55年2月9日(土)晴。
○○町立病院での診療も、今日で終わりだ(月~土まで働いた)。今日は50人を越えた。インフルエンザみたいだ。いつまでこの流行が続くのかなあ。
○昭和55年2月11日(月)晴、勤労感謝の日。
(佐伯で診療し)2泊3日で50人ほど診た。この日、2人点滴をした。小児科が一度もおいてなかった病院しては、まあまあ来たなあと思う。
○昭和55年2月15日(金)晴。
学生の講義があって、神経芽細胞腫をし、最後の20分間、自分の言いたことを言わせてもらった。小児科での救急医療の大切さ、特に新生児・未熟児医療が如何に大切な領域であるかを言った。又、小児科医の生き甲斐が如何に大きいかも言った。皆、真剣に聴いてくれていた様だ。
○昭和55年2月16日(土)晴。
○○小児科に(代診で)行き、100人余診た。この流行時期にしては、少ないと思う。こんな感じで代診で、時間外も診ないとなると、次第に少なくなっていくかなあ。と言うことは、毎日診て、時間外も少なくとも1日に1回は診ていけば、どんどん多くなって行くだろう。
○昭和55年2月17日(日)晴。
宮医大での最後の日曜の当直の日。日曜当直だと、月曜が忙しいので、それなりにきついことが多い。しかし、佐伯に帰ったら、毎日当直だ。しかし、ここと違って、やり甲斐がある。今の自分の医師として全開しているエネルギ一をフルに無駄なく最も有効に活用したい。研究する暇など、ない。
○昭和55年2月19日(火)晴。
当直だった。昨日は、佐伯から(薬の問屋さんの)吉村の人が来た(今は、ダイコ一)。大分県南の小児医療が如何に遅れているかを具体的に知らされた。新生児・未熟児は、どこもしていない。小児科医のいる病院は、ないに等しい(佐伯の健保病院の小児科の医師も、自分が西田病院に就職する前後に、いなくなってしまった。それで、佐伯市・津久見市・臼杵市の病院には、小児科医0となってしまった)。小児の救急に至っては、最も貧弱とのこと。使いたい薬をリストアップしていたので、それを渡した。患者さんを教育をして、深夜は出来るだけ来ない様にしたいなあ。朝は、7;30から診療開始すれば、待ち時間も少なくていいかなあ・・・。(西田病院では、しばらくして、朝7:30から診療する様になった。たはら小児科医院では、初めから、7:30から診療していた。今考えると、スタッフが自分に合わせてよく頑張ってくれたなあと思って感謝しています。)
(再掲)

固定リンク
|
コメント (0)
コメント
コメントはまだありません。コメントを書く