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masa / 2006.12.25 08:11 / 推薦数 : 0
競馬にしても、フィギャースケートにしても、柔道にしても、受験にしても、一発勝負だ。本当に実力があっても、その時に実力を出し切らなければ、負けてしまう。勝負の世界は、相手あってのこと、しかし、実力のある者同士が対戦した場合、本当の相手は、自分であり、その時に自分がベストを出し切れるかどうかにかかっている。
フィギャースケートの荒川静香さんが言っていた、「プレッシャーに自分がどう対応するか、それが上手に出来れば、結果として、いい成績が出せる。」と。全くその通りだと思う。
相撲だって、瞬間的だ。初めの立ち会いで、大半が決まってしまう。亀田興毅にしても、ディープにしても、最高の状態に持ってこれて、周りのプレッシャーに自分が勝てたのが勝因だ(馬の場合は、馬を扱う人になるのかな)。
受験だって同じだ。受験の時に数学の問題で、円を描く時、ちゃんと○が書けなく、何度描いても、上手に描けなく、それで焦ってしまったと言う人や、受験の時、白紙だったので、手を挙げて試験管に言っていたら、しばらくしたら、見えてきたと言う人がいた。
周りの期待が余りにも大きいと、又、絶対にうまく行かないといけないと本人が思っていると、それが凄い重圧になってしまう。逆に、どうでもいいかとなると、又、失敗しても、逃げる道がちゃんとあると理解できると、安心できて、上がることなく、実力が充分に発揮できることになる。
私の場合は、大学受験でそれを味わった。母の仕事のつらさを見ていただけに、どうしても合格しなければいけなかった。1期を受けた時、化学の記入の仕方を間違えて、それで、本当に、1点でなく、0.5点で、2浪もしてしまった。
1浪の時は、朝から晩まで、勉強していた。人間って、そんなにしても、能率が上がらないのだけれども、それが焦っていて、理解できなかった。そして、受験の時にも、落ちたことを考えたら眠れなくなって(3時間も眠れただろうか?)、得意の数学で失敗して、又、浪人することになった。
2浪の時は、さすがに、開き直って、よく遊び、よく勉強し、よく運動し、郷里にも帰り、焦ることなく受験勉強をして、受験した。しかし、又、1期に落ち、そして、もう、医学部を受けない気でいたが、ひょんなことから、ある人のアドバイスで、浪人しなくいいと理解して(実際は、誤解だったのだが)、それが精神安定剤になって、実力が充分に発揮出来て、二期の医学部に合格出来た。
それからの6年間は、自分の決めたペースで、大学生活を送った(教養部の時から、朝4時頃に起き、夜は、9時過ぎには、もう寝ていることが多かったし、長い休みは、自分なりに、研修先を決めて、フルに有意義に過ごした)。大学の時に、皆と違ってしていたことは、試験の終わったその日から、又、勉強をしていたことだ。つまり、試験前には、真剣に覚える気になっていて、頭がシャープになっているので、それを利用して、まだ、教わっていない教科の内容の予習をしていたのである。
熊本大学での医師国家試験の時は、もう、ほぼ完成された受験の達人になっていた感じで、1冊のノートにまとめ、それも殆ど見ることなく、前日は、皆が旅館で必死で受験勉強しているのに、水前寺公園辺りを散歩して、薬剤部長と相談した薬を飲んで(前もって試していた)、ぐっすり熟睡して、上がることなく、受験することが出来た。
甥と友達の結婚式の時、3回、ソロで乾杯の前に、篠笛と太鼓の演奏を5分間程したが、緊張した。しかし、今では、程良い緊張が、いい結果を生み出し、又、多くの声援が却って、自分に力を与えてくれることになっている。
その後、宮医大では、10年間の医師国家試験問題を分析して、小児科に関する「医師国家試験小児科の手引き」なる小雑誌を出版した。
国家試験前に、学生から頼まれて、スライド300枚を使って、特訓講義をし、それが不思議に当たり、問題を前もって知っていたのではとの噂まで流れた(この時、宮医大生、わずか一人が不合格になっただけ)。
その後、この小雑誌で小児科の受験勉強をした受験生も多かったと思われる(当時は、いい受験雑誌の本が今と違ってなかった)。
その中で、最後に載せている小児科問題100選が、テクノの全国模試の回答編の最後の方に、特別小児科問題として記載された。
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