沖縄や大阪で「カジノ」を是非って感じで言っている政治家がいる。カジノって、「バクチ」だが、現実に、パチンコや競馬や競輪などと本質的に同じ感じのもの。世の中には、そのたぐいのもの、わんさとあるけど。
子どもの教育上、それは良くないと言って頭越しに反対する人もいるけど、財政上、必要悪って感じで、それと類似のことをしていること、他にも沢山あるけど。(例えば、喫煙など)
人間の本能って、男性と女性では、又、年齢でも確かに違っていると思うけど、・・・時代と共に、形は変わっても、その本能的なものは、殆ど変わらないはず。
脳は、常に快楽を求め、変化のないモノには、いつかは飽いてしまう。脳を活性化する為には、絶えず変化を感じ取らせ、適度のストレスを与えながら、快楽ホルモンの分泌が途切れない様にしないといけないかな?!
「ノム」「ウツ」「カウ」は、男性の解消として、昔から言われてきているけど、時代と共にその内容が変化しているだけで、本質的には、何も変わっていない様な気がする。(巷には、ソープランドがあるし)
「パチンコ」や「競馬」にしても、それがこの先なくなることは、まずないだろう。もちろん、世の中には、賭け事いっさいしない、アルコールも一滴も飲まない、タバコも吸ったことない、風俗には、一切関わらない、仕事は極めて真面目で、常に、品行方正で、仕事が終われば直ぐに帰宅って感じの男性もいるけど、それで楽しくてしょうがなければいいけど、ずっと我慢し続けて先々認知症になったらどうなのかな(事実、国家公務員が一番認知症が多いが)。
キリストは、まず、人は罪人であることを認めなさいって感じで言われているが、生真面目な人が先々認知症になっても、誰も責任を取ってくれないなあ。
渡辺淳一氏の書かれている本を読むと、不良老人の勧めって感じにも思えるし、又、認知症患者さんに沢山接してきたある医師の本を読んでも、歳を取ったら、ストレスを貯めることなく、不真面目に生きることを勧めている。
もちろん、人を傷付けたり、騙したり、家族をないがしろにすることは避けるべきだけど。
「あくび」は脳を活性化する為の自己防衛本能って感じで書かれていた本があったけど、・・・いつもと違った世界に身を置いて、バクチに凝ったり、酒に酔ったり、歌ったり、踊ったり、異性に対して(密かに)想いを寄せている何て、脳の為には、とてもいいことじゃないのかなあ?
脳を活性化する方法、いろんな人がいろいろ言っているけど、やはり、一番大切なのは、「常に、今までと違った事をする事」だと思います。もちろん、個人差があって、毎日同じことで満足いている人もいますが、・・・。
具体的には、いろんな人と話す(一度今まで話したことのない人の方がいいかな)、アチコチまだ行っていない所に行く、体を動かしていろいろと今までしてなかったことに挑戦してみるってこと、いいかと思います。
宝くじを買って、時に、「当たるかも知れない」と思って興奮したり、スポーツを見たり、音楽を聞いて感動するのも、脳の活性化の為には、やはりいいことだと思います。

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日本の医療では、保険上は、平等な医療を前提となっている。
アメリカでは、2割が医療保険に加入していない。そんな人も加えて、国民皆保険にしようとオバマ大統領は試みているが、それに反対する割合は、国民の6割にも達しているとか。
(1億2000万人いる)日本では、20兆円ものお金を医療費に費やしている。一方、(3億2000万人いる)アメリカでは、240兆円ものお金が医療費に費やされている。そんなアメリカよりも、日本の方が、周産期死亡率も新生児死亡率も乳児死亡率も明らかに優れているし、平均寿命も、長い。
日本では、医療を受ける場合、お金持ちでも、そうでなくても、皆、平等だ。医師が、お金持ちに高額な医療をして、そうでない人にお金のかからない医療をする何て、ない!ホント、皆、平等なのだ。
もちろん、保険の効かない医療の場合や個室料などに関しては、それなりに必要だけど。皆保険制度をしている限り、どんなに経費がかかっても、例え1000万円以上かかっても、(受けた月単位で)ある金額まで払えば、後のお金は、後から確実に取り戻せることになっている(スゴイ制度がある!)。
アメリカでは、お金を出せばそれなりにいい医療が受けられる仕組みがあって、お金のない人は、いい医療が受けらないのは当然だといった考えが浸透している。病院に患者さんが運ばれた場合、病院側はまず、どんな医療保険に入っているかを確認した後、どれだけの金額の医療まで大丈夫かを本人に確認するとか、・・・?!病院側が、出来るだけ保険会社から医療費を取ろうとし、保険会社は、出来るだけ取られまいとする。
そんな中で、オバマ大統領が、国民皆保険を持ってこようとして、大反対にあっている。
つまり、オバマ大統領は、ペコペにお腹がすいた人が、レストランに入ったら食べられ様に。メニューを見せられて、自分の状態に応じて選んでいたのを、兎に角、どんな人でも、お腹が大変すいていれば、食べられて、飢え死にすることがない様にしようとしているのだ。クリントンもとうてい出来なかったことを。
タイで、タクシン首相が失脚したけど、その関連の人が不思議な感じで又選ばれるのは、何故か?→それは、タクシン元首相が、貧しい人の場合は、(私がタイに行った時には)1日に30バーツの医療費だけ払えばいいとしたからだと思う(他にも理由はあるだろうが、生きる上で、医療の問題は大きいので、これが大きかったと思われる)。つまり、選挙すれば、低所得者が多いタイでは、その見方の政治家が選ばれるのは、数の上では、当然なのだ。
沖縄県では、沖縄本島の中部・南部に、90万人がいて、それ以外全部合わせても、40万人。中部・南部は、どんどん開けていて、(救急医療などの)医療制度も最高だ。若い研修医の先生たちも、沖縄中部病院に全国アチコチから来ていて、高度医療と同時にスゴイ教育も行われている。
が、ちょっとそこを離れて、島に行くと、医師不足で悩んでいる。産婦人科医がいない所は、病院に「助産師外来」を設けている(沖縄に行った時に、そこの新聞にそのことが大きく取り上げられていた)。
離島の多い沖縄県では、医療は深刻な問題だ。沖縄県だけでない。鹿児島県や長崎県でも、離島が多いだけに、れなりに深刻だ。
北海度は、九州の面積の倍もある。が、医学部は、「北海道大学」「旭川医科大学」「札幌医科大学」の3つしかない。医師不足は、もっと深刻なはず。
同じ保険料を払っているのに、医師不足で医療が受けられない何て、不平等だ。
教育と医療の問題、何よりも優先してもらいたいと常々思っているのですが。
*写真は、首里城。
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3月11日(木)の朝、ホテルを出て、トランクを引きながら家内と歩いた。天草橋として有名な(五橋の内の)「2号橋」→「3号橋」→「4号橋」→「5号橋」の歩道を、車の通りが激しい中で、とてもいい天気の中で、絶景の景色を見ながら、iPodで、自然の海の音を聞きながら、テクテクと歩いた。
で、途中で、展望台に行って、上から松島の風景を見、それをバックに、そこにあるレストランで昼食を摂った。
それから、又、歩き、スーパーで(トランクを家内に預けて)家内と別れた(その後、家内はバスで帰った)。
そして、又、小さなバッグだけを持って、独りでテクテクと歩いて、14:00からの「松島保健センター」での3歳半健診にぎりぎり間に合う感じで着いた(毎月1回、病院の車で30分余掛けてここまで来て、健診をしている)。
健診が終わった頃に、病院の車が迎えに来てくれていて、それで帰った。
あまり疲れなかった。少なくとも、2時間程、自分の足で歩いているはずなのに、疲れない。まだ、自分には、体力あるんだなあ。
旅行するには、体力、金力、感性力、この3つが必須だなあ。
*写真は、2号橋、橋の左の橙色の建物が、宿泊したホテル。
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3月10日(水)、ホテルを11時に出て、「国際通り」の初めから終わりまでの距離を、トランクを引きながら歩いた。肌寒い。こんな時期に何で那覇でもこんなに寒いのかなあと思っていたら、この日は、全国大変な大荒れで、空港に着くと、「福岡空港には、場合によっては着陸出来ないかも知れません、・・・熊本空港に変更になるかも知れません、・・・」とアナウンスされている。熊本着でよかったなあと胸を撫で下ろした(出発が15分遅れたが)。
で、熊本に着くと、阿蘇山に雪が積もり、雪がパラパラと降っていた。エッ、って感じだった。
バスで上天草市大矢野町のの「江後」のバス停で降りると、ホテルの人が迎えに来てくれていた。
ホテルの「炭酸ナトリウム」の温泉にゆっくりと入って、疲れを取った。
いい思い出が出来た。いつか、1週間以上、「国祭通り」の近くに又宿泊して、毎夜、ライブ漬って感じの生活を生きてる内に又しようお思った。
降り続く雨の中、今回の自分にとっての沖縄での一番の思い出は、18歳の太鼓と20歳の三腺の音色だったなあ。
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3月9日(火)、沖縄最後の夜、雨が小降りになった。又、「国際通り」に出た。で、三線ライブのある店へ行った。そこで、ゴーヤチャンプルなどを食べた後、20:00過ぎからの演奏を聞いた。
母親とその息子さんと娘さんと、その子どもの友達(女性)の4人での演奏があった。
カスタネットの演奏に、家内が演奏後に挑戦させてもらっていた。これ、正式には、「三枚」と書いて、「サンバ」と言うそうな。上手になるには、それなりに、練習が必要そうだ。演奏終了後、家内も教わって挑戦していたが。
4人の歌も母親の太鼓もそれなりに良かったが、何といっても、最後の方の演奏が素晴らしかった。昨日と同じく、感動感動。母親の太鼓に合わせてのイケメンの男性の三線でのベンチャーズの曲での演奏(ソロ)が素晴らしかった(津軽三味線って感じで、超スピードで演奏)。
最後には、又、昨日と同じく、手を横に振って皆が踊った。回りを見ると、他の人の多くが、手だけで、腰が振れていない。自分の場合は、腰も手もよく振れているかな(?)かな(これも、太極拳をしていた賜物かな?!)。
演奏後に、その三線演奏の上手な男性に尋ねると、・・・三線の上手な弾き手は、神奈川県に世界一って感じの人がいるとのことで、その人が自分の先生とのこと。でも、この男性、沖縄県の那覇市では、この人がトップって感じだった。何せ、ベンチャーズのあの速い曲を三線で弾く訳だから。先々メロディーで長くベンチャーズの曲を演奏したいと言われた。(素晴らしい!その時、又、是非聴きたいです!)
18歳の男性の太鼓と言い、20歳の男性の三線と言い、今回の沖縄旅行、この2つが一番の思い出となりそうだなあ。家内も私も、お腹も頭も、満足しました。
ところで、三線(さんせん)の日って言うのが沖縄には合って、それが、3月4日とのこと。又、アチコチにあるシーサーの日は、4月3日とのこと。シーサー、口を閉じているのが雄とのことで、魔除けの意味があり、口を閉じているのは、そこから入って来ない様にとの意味らしい。
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3月9日(火)、雨が一日中、降っていた。
「ゆいレール」で、「おもろまち」駅まで行き、そこから「沖縄県立博物館・美術館」に行った。ここでは、よく見ていけば、まる1日かけても終わらない量だった。そんな中で、「サンゴ」に付いて、詳しく知ることが出来た。
2月5日~3月14日まで、そこで、たまたま「造礁サンゴ」の展示があっていた。
サンゴは、海の森って感じだ。沖縄に多くの種類のサンゴが生息することは、極めて例外なことだと言うことを初めて知った。
サンゴ礁があると、そこに、魚だけでなく、実にいろんな生き物が生息して来る。いろんな連鎖が出来、規模がどんどん大きなって行く。地上の森と同じで、生態系から見ると、極めて理想的な姿なのだ。生き物だと、大きくて強いゾウさんって感じかなあ。人間はその点、困った破壊者だなあ、・・・?!
サンゴ礁は温かい所でしか生息出来ない。初めに陸地(島)がないと生息できない。大きな大陸では、東側しか出来ない。島の辺縁にまずサンゴ礁が出来、島が沈んでも、サンゴ礁は残る。
黒潮なる存在が実に大きい。沖縄では、高い北緯にあるのに、いろんな種類のサンゴが生息する要因で大きいのは、この黒潮の存在だ。
実際に生きたいろんなサンゴを見て、人の愚かな行為に付いて考えない訳にはいかなかった。
大型リゾートなどの建設ラッシュで自然破壊がどんどん進み、皮肉なことに、今では、自然が保たれているのは、米軍基地内だけって感じになっているとか。
沖縄県立博物館・美術館に長くいた後、再び「ゆいレール」に乗って帰った。で、県庁前の「パレットくもじ」にある「那覇市歴史博物館」に行った。そこでは、「1950年代の沖縄」と題して、たまたま、3月5日~5月12日まで、写真展が開催されていた。
その写真の中で、「笑顔いっぱいの子ども達」と題しての沖縄の子ども達の写真があった。自分の時も、皆、貧乏だったが、子ども達、夢一杯で、毎日、外で元気良く遊んでいたなあ。(自分が生まれたのは、1949年)
50年代と言えば、朝鮮戦争が1950年で、その後、その中頃に自民党が合併して出来、その後、日米安全保障条約締結の動きがあっていた時代だ。
そんな政治のことよりも、自分にとっては、父から、「今、ソ連の人工衛星が地球の周りを回っている」と言う話をしてもらっていて、それにとても興味を抱いていたのを思い出す。それに、1559年には、今の天皇皇后陛下の結婚式があったなあ。
雨の沖縄、展示物を見ながら、いろんなことが次から次へと思い出されてきた。
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平成22年3月8日(月)、余韻がずっと残る感じの感動の日だった。
リムジンバスで11時38分にホテルを出た。とても感じのいいホテルだったなあ。図書室も良かったなあ。上から扇風機がゆっくりと回り、緑の観葉植物がホテルのあちこちにあり、インドネシア風に造られていたかな。
(正午に始まる)結婚式の準備を、正面玄関でしていた。しばしば結婚式がここで行われるとのこと。ただ、思うに、外国の人の姿が少なかった。そこの職員に尋ねると、・・・以前は、台湾の人が結構多かったとのこと。
この日は、時々小雨って感じの曇り空だった。いつもはとても暑いらしいのだが、ここに来た日以外は、むしろ、少し肌寒い感じだった。
那覇のバスセンターで降り、「ゆいレール(2両のモノレール)」に乗ろうとしたが、登乗口が分からない。通りがかりの男の人に尋ねると、その階段口までわざわざ一緒に案内してくれた。沖縄尚学って、ユニホームに書かれていた。とても優しい高校生だった(感謝感激!)。
1日乗車券(600円)を買って、「旭橋」駅から「県庁前」駅まで行った。そこを降りると、、目の前に、今から2泊するホテルがあった。つい最近できたホテルで、道路を隔てて県庁の隣で、部屋は広く、部屋にはテレビが2つもあって、大当たりだった。
それから、「ゆいレール」で、「儀保」駅を下車して、世界遺産の「首里城跡」に行った。熊本城とは違った感じで、むしろ、ソウルの建物に似ている。
その中に、(お客を招く)茶室があって、そこでお菓子とお茶を飲んだ(300円)。特別な味がしたかな。
その後、首里城跡を出て、「県立博物館」の場所を探したが、探せない。で、通りがかりの若い女性に尋ねると、・・・「数年前、そこは閉鎖になって、他に移っている。今は、県立博物館・美術館になっている。」と言われた。 「ゆいレール」の「儀保」駅の方向に行く為に、途中まで一緒に歩いてくれた(それまで、全く別の方向に行っていた)。(とても親切な沖縄の眼のパッチリした若いきれいな女性だったなあ、・・・感謝感激!)(後で知ったことだが、月曜は、行っても休館日だった、・・・!)
有名な「国際通り」を通る目的で、「ゆいレール」で「牧志」駅を下車し、国際通りをずっと通って行った。で、ふと見ると、太鼓を打つ人の顔の貼った料理店が宣伝されていて、そこに入った。これが、大大正解だった。
18:00~19:00まで、そこで沖縄料理を摂り、19:00から30分余、素晴らしい演奏があった。演奏者は、4人の家族で、三線(父親)、ギターと歌(兄)、カスタネットと歌(姉)、和太鼓(18歳の男)のメンバーで、最後に、三線に合わせて、和太鼓のソロがあった。これが凄かった!!基礎が巷のプロとは全く違っているとまで思った。この人こそ、正に、(100年に一人出るかでないかの)野球のイチローみたいな人だと思った。
5つの太鼓を凄いスピードで、その5つを常に打つ感じで(時にシンバルも打ち)、演奏する。ざわめいていた客室が急に静かになり、素晴らしい演奏が続いた。皆の眼が点になっている感じ。題は、「あばれ太鼓」で、1歳前から太鼓のバチを持ち、今、若干18歳、ずっと太鼓を打ち続けている「天才少年」として、沖縄県では超有名な太鼓打ち。NHKでも取り上げられ、子ども大会でも優勝し、今、北島三郎氏の方から声が掛っているとか。
帰る時、CD(3000円)を買い(その中に、彼の小学校5年生の時の太鼓演奏が入っている)、その18歳の少年と握手をしっかりとし、写真まで一緒に撮らせてもらった。
とてもいい思い出が出来た。偶然の出会いが、最高の思い出になった感じで、ホテルにいてもしばらく興奮が納まらなかった。
沖縄、万歳!
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3月7日(日)、午前中、雨が降っていた。「美(ちゅ)ら海水族館」まで、タクシーで行った(帰りも、同じタクシーの運転手さんから来てもらった)。
日曜の関係でか、とても人が多くて、なかなか列が動かなくて、よく見れなかった。アトランタの水族館やシドニーの水族館も見ている関係で、ついつい、そこと比較している自分に気が付いた。
「美ら海水族館」の外でのイルカショー、とても良かった。神戸や天草で見たこともない様な芸をしていた。感激した。(個人タクシーの)運転手さんの話だと、美ら海水族館には、いるべき魚の中で、マンボーだけいないそうな。マンボーは、育てるのがとても難しいとのこと(佐伯市のマリンカルチャーセンターには、網にかかったマンボーが時にいますけど!)。
敷地内にある「熱帯ドリームセンター」が、自分と家内にとっては、水族館以上にゆっくりとマイペースで回れてとても良かった。「ラン」に付いて、そこにある解説で詳しく知ることが出来たし、「マンゴー」の木や「ドリアン」の木、初めて知った。訪問者の中には、ここを素通りして帰ってしまう人も多いとか。(もったいない!)
(私より1つ歳上で、往復お世話になった)タクシーの運転手さんの話、とても興味深かった。
昨晩のディナー、中華料理がとても美味しかったので、今日も、そこで食べた。何故か、昨日ほどの感激がなかった。感激に慣れたのかなあ。同じ敷地内に、イタリア料理や日本料理もあるのに、初め、ここだと思ってしまうと、もう、ここがここでは最高と思い込んでしまうのだなあ。で、そう思っても、又、食べると、又、考え方が変わるんだなあ。人間って、いいかげんなものだなあ。
昨日の朝食にしても、和食と洋食、どちらか選べるのに、食べる前は、1日目は洋食、2日目は日本食にしようと決めていたのに、あまりにも美味しいと感じてしまったものだから、昨日は、食べた後で、2日目も洋食にすることにしてしまったのに、中華料理の2回目の経験で、やはり、又、変えて、日本料理を摂ったが。
人は、先入観を持ってしまうと、なかなかそれから逃れることができないが、それを又変えられるのも、人間たる由縁だなあ。

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3月6日(土)12:00に熊本発(実際は、15分遅れで)で、沖縄に来た。東京に行く便は、(霧がかかっているせいでか)1~2時間の遅れで、そんな人が一杯待っていて、待っている時に、座る席もない状態で、搭乗口も4番から3番に変更になった。
熊本は、雨がずっと降っていて、飛行機に乗る時も土砂降りで、出発の時の温度が17度だった。しかし、2時間後の那覇空港は、晴れて、何と温度が10度も高くなって27度だった。
リムジンバスで2時間近く揺れて、2泊するホテルに着いた。沖縄には、立派な大きなリゾートホテルが点在している。
泊まったホテル、素晴らしかった。オフシーズンで安かったので、ここにしたのだ。それでも高いが、まあ、新婚旅行とでも思えばいいかなあと思っているのだが。夕方摂った中華料理が、思ったよりも安くて、メチャ美味しかった。家内も、恵比寿顔だった。
家内との新婚旅行は、(お金がなかった関係で)延岡に1泊、高千穂峡に1泊、臼杵に1泊だったかな?(あまりよく覚えていない)。それで、終わりだったかな。ちょうどバスがストライキをしていた時だった。(結婚後は、手取り月7万円のみの薄給で、年間100万にも達せず、苦しかった。しかし、当たり前だが、親から、全くもらわなかった。)
家内への負い目、やっと晴れたかなあ?老後の為(老後の旅行の為にも、仕事仕事で我慢して)、貯めてきたお金だ。この先、不透明な時代、それなり惜しみなく使おう。
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