| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
| 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
| 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
| 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
| 28 | 29 | 30 | 31 |
森の中で木を倒そうと一生懸命ノコギリを挽く木こりに出会った。
私 「何をしているんですか」
木こり「見れば分かるだろう、木を切り倒そうとしているんだ」
私 「すごく疲れているようですね、いつからやっているのですか?」
木こり「かれこれもう5時間だ。くたくたさ。大変な作業だよ」
私 「それじゃあ少し休んで、その間にノコギリの刃を研いではどうですか?そうすれば仕事はもっと早く片づくと思いますが?」
木こり「刃を研いでいる暇なんてないさ。切るだけで精一杯だ」
◇ 自分を鍛錬することの意味私たちの多くはこの木こりを笑えない。ノコギリではなく、あなた自身という最も大切な資源を維持するためには4つの側面について刃を研いでいく必要がある。4つの側面とは肉体的側面、精神的側面、知的側面、社会・情緒的側面である。これらを定期的にバランス良く磨き上げていくには主体性を発揮しなければならない。刃を研ぐことは以前に述べた第2領域の活動であり自らが率先して行わない限りは実行できない領域である。
肉体的側面で刃を研ぐとは、自分の体を大切にすることである。バランスのとれた栄養のある食事をとっているだろうか。十分な休養と定期的な運動を行っているだろうか。医師なのにタバコを吸ったりしてはいないだろうか。患者には十分な休養や運動を進めている医師は多くとも、自分自身で実行している医師は少ない。あろうことか喫煙する医師まで存在する。運動には緊急性がないために実行できない人が多い。運動をしなければいずれは体を疎かにした結果として、健康問題や病気に直面し第1領域に入り込むことになる。多くの人が「運動する時間がない」、と考えがちだがずいぶん歪んだパラダイムである。私たちは「運動しなくていいほどの暇はない」と考えるべきである。
精神的側面で刃を研ぐとは自分を鼓舞し高める源を再発見することである。自分の決意や価値観を思い出すことである。方法は様々である。名作と言われる古典文学や素晴らしい音楽、絵画、映画によっても精神面が磨かれる。自然の中に入ることも有用である。研修時代に無駄なテレビ番組で時間を費やすのか、それとも精神的側面を磨くことに時間を費やすのかであなたの人生の結果は自ずと変わってくる。知的能力の開発は医師にとって重要である。現代は4年も経つと学んだことの半分が役立たなくなる。ちょうど川の上流に向かってカヌーを漕いでいるようなものである。漕ぎ続けなければ立ち止まることもできない。1日1時間、読書に時間を費やすことであなたの知識はふくらみ始める。ある領域について60冊も本を読めば、その領域については教授と対話することも可能である。知的水準を引き上げることで判断基準を高めることができる。判断基準があがればより良い結果をもたらすことにつながる。
肉体的、精神的、知的側面が個人的なスキルと関わっているのに対して社会・情緒的側面は他者とのコミュニケーション、協力の原則に関わってくる。社会的側面と情緒的側面は互いに結びついている。なぜなら、私たちの情緒的な側面は基本的に他の人との関係によって育成され、表現されるものだからである。他の3つの側面を磨くのに時間を投資する必要があるのに比べ、この側面に関してはとりたてて時間を割く必要はない。それは毎日の生活そのものが他者との関わりであり、そこで実践していくべきものだからである。他者とのコミュニケーションを成功させるのは知力ではなく、情緒的側面であり、自分自身の内的安定性と自尊心である。この内的安定性はどこからくるのだろうか。他人が自分のことをどう思うかとか、人から与えられた脚本からではない。ましてや自分の所属する大学や医局、地位からくるものではない.それは自分の中からしか生まれないのである。自分の価値観に対して忠実に生きることこそ、自尊心を呼び起こす源である。医師は素晴らしい職業である。他人に貢献し奉仕することを学びそして実践できる。その価値を高めるかどうかはあなたの決意にかかっている。何かをはじめるのに遅すぎるということはない。あなたと共に歩んで行ければ私の幸いである。
固定リンク | コメント (4) | トラックバック (34)
◇ 医療現場のチームワークの実態「休みの日に病院にきてはダメだ」—ある病院に転勤して医長からそう言われたとき、私は始めて医療現場での信頼関係を感じることができた。私が経験したいくつかの病院の小児科で、無言の約束となっていたのが「土日の出勤」であった。「患者は主治医が個人的に診るもの」、というのがその前提となるパラダイムである。患者にとっては一見、福音に見えるシステムのように聞こえるかもしれないが、医師個人にとっては休日出勤で家族に迷惑をかけたり、遠出にでることができなくなったりする。その結果、寝不足が続いたり仕事への集中力がとぎれたりしがちで長期的に見ると、患者にとっても良いシステムとは言えない。一方、その病院では休日には当直医が、忙しくても担当以外の患者を診察した。この「互いに信頼するシステム」のおかげで僕は安心して家族と旅行にでかけることもできるようになり、ますます平日の仕事がはかどるようになった。多くの医師が、他人は信頼できないという教育や脚本づけのために相互依存の原則に対して心を開こうとしていない。これは人生最大の悲劇であり、かつ最大の損失である。その人の本当の可能性が発揮されることも、開発されることもなく、また活用されることもないままに人生を過ごしてしまうからだ。多くの人はスポーツなどで、本当のチームワークの精神を味わった記憶があるだろう。離島の県立病院の院長先生が冗談交じりに「運動部に入っていなかったヤツは雇わない」と話すのを耳にしたことがある。つまり、彼は相互依存の経験をしていない医師はチームワークが必要な医療に貢献できる可能性が低いと言っているのだ。
◇ 感情的反発を省く方策
コミュニケーションのレベルは互いの信頼と協力によって決定される(図)。多くの医療現場では妥協程度のコミュニケーションレベルにとどまっている。それは次のモデルによって説明される。社会学者カート・レビンの「場の分析」というモデルによれば、現在得られている結果は上向きの成長を促す駆動力とそれを防げる下向きの抑止力の均衡であるという。具体的には「駆動力」は正の、合理的、論理的、意識的、経済的なものとされ、「抑止力」は負の、感情的、非論理的、無意識的、社会的、あるいは心理的なものといえる。医療現場の雰囲気を変えたいと思っている人の多くは駆動力を増すことにエネルギーを注ぎ、失敗する。抑止力の反発に出会ってしまうからである。反発に出会ったとき、駆動力を増せば短期的には欲しい結果が得られるだろう。しかし、そこに抑止力が残る限り、改善は徐々に難しくなっていく。その結果「人は変わることができない」と信じるようになってしまう。しかし、相乗効果を発揮すればこれまでの連載中に述べてきたWin-Winを考える、理解してから理解されるスキル、相乗効果を求めるエネルギーを、抑止力を省く方向へ向けることができる。その抑止力となっている問題について安心して話せる雰囲気を創ることが出来る。周りの人も問題の解決に参加し、真剣に取り組み、自らの問題と捉え、その解決の大きく貢献できるようになる。その結果、新しい目標が生まれ、新しい方法によって医療が向上し、その活動によって生まれたエネルギーが新しい組織文化を創り出すことになる。私の夢はすべての医療現場に相乗効果が発揮される未来を創り出すことである。さて、あなたの医療現場は変化を待っているだろうか?

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (7)
◇ 相互利益のある人間関係
ある時、担当患者の治療方針についてベテラン看護師と私の間に意見の食い違いが起こった。私のオーベンからの指示には黙ってしたがう看護師が、オーベンから指示をもらって私から同じことを看護師に伝えると、反論してくることに腹がたった。私は自分が勝つことしか考えておらず、相手の立場を考えずに相手の非ばかりを責めていた。本来、人間関係において互いに協力していくためには個々人がリーダーシップを発揮し、他の人に影響を及ぼす立場であることを認識しなければならない。そこでWin-Winという哲学を紹介したい。Win-Winとは人間関係の一つである。他にWin-Lose、Lose-Win、Lose-Loseがある。Win-Winとは全ての関係において常に相互の利益を求める精神である。人生を競争ではなく協力する舞台とみるパラダイムである。当初それぞれの当事者がもっていた案ではなく全く新しい第三案の存在を信じる考えである。 Win-Loseとは私が陥った罠である。あなたは満足しないかもしれないが私の言うとおりにせよ、というものだ。Win-Loseを考える人は地位・腕力・資格を使ってエゴや自分の意見を押し通そうとする。残念ながら多くの人が生まれたときから家庭、学校、スポーツ、法律社会でこの脚本づけに浸っている。Lose-WinはWin-Loseの反対であり、より質が悪い。Lose-Winを考える人は人に受け入れられ、好かれることに価値を求めている。Lose-Loseは、Win-Loseを考えている者同士がぶつかった結果である。相手を負かすために自分をも傷つけてしまう。敵という相手に依存している状態である。
◇ 自分自身の脚本をもう一度練り直す
こうした人間関係は場面によって適切なタイミングがある。どれか一つだけで正しいというものではない。しかし、多くの場合、Win-Winを考える以外に現実的な方法はない。Win-Winを実行していくのは決して優しい仕事ではない。大いなる勇気と思いやりが自分に対して要求される。Win-Winを行うには基礎的なパラダイム転換も要求される。なぜなら多くの人は手段を管理する習慣を身につけており結果を焦点とする習慣に不慣れだからである。多くの医学生が経験していることだが、医学部の授業や病院実習は手段を重視している側面が大きい。そのため多くの時間と費用の無駄が発生している。卒業してから結果を重視せざるを得ない臨床現場に放り込まれると大抵の場合、研修医は1年間で数年分の勉強を自ら進んで行う。なぜ学生時代から結果を重視しないのだろうか。人と問題を切り離して考え、立場よりも望む結果に集中して相互利益になる第三案を出すこと—これがWin-Winである。自分のこれまでの脚本づけを振り返って欲しい。それはWin-Loseだろうか、Lose-Winだろうか。その脚本からつくられたパラダイムは、君が今現実に直面している問題に十分対応できるものなのかどうか、もう一度振り返ってみるのは如何だろうか。
参考図書: 7つの習慣 スティーブン・R・コヴィー キングベアー出版 1996
固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
◇ 信頼残高を増やすことがチームワークの鍵
現在の医療はチームワークを抜きにしては考えられない。1人のブラックジャックよりも普通の医師が5人いてくれた方がよっぽど患者にとってメリットがある。しかし、スポーツチームやオーケストラがそうであるように、このチームワークが織りなすレベルは様々である。5人の平均的な医師がいたとしても 1 + 1 + 1 + 1 + 1が 2以下になることもあるし、100になることもある。これは自立した人間から生まれる相互依存が、成功するか、しないかという問題である。優れた医療チームは活発なコミュニケーションから相乗効果を生み出していく。そのためには互いの信頼関係を創り、維持し、大事にしなければならない。これは銀行口座とよく似ている。信頼という名の口座を私たちは誰でも持っている。礼儀、親切、正直、約束を守るといった行動から信頼残高をつくっていけば貯蓄が生まれる。しかし、無礼、自己中心的な振る舞い、虚偽からは信頼残高は引きだされる一方であり、いずれはコミュニケーションに支障を来してくる。このような医療チームのなんと多いことか!人間関係の修復に応急処置は存在しない。深い人間関係を築いたり、治したりするには時間がかかる。忍耐も必要である。これは長期的な投資なのである。
人間の信頼残高を増やす6つの方法を伝えておこう。
1.相手を理解する:本当に相手を理解しようとすることは最も重要な預け入れの一つであり、全ての預け入れの鍵でもある。ある人にとって大事なことは、他人にとっては些細なことかもしれない。預け入れをするには、相手にとって大切なことを貴方も大切に思う必要がある。
2.小さなことを大切にする:小さな心遣いと礼儀は重要である。この反対の小さな無礼、不親切は逆に大きな引き出しになってしまう。
3.約束を守る:約束を守ることは大きな預け入れであり、破ることは大きな引き出しである。医師が患者に信用される理由の一つとして、患者の将来の状態がどうなるかを約束することが挙げられる。
4.期待を明確にする:仕事の内容をどこまで自分の裁量権で行って良いのかといった基本的問題について、あなたとオーベンが違う考えをもっていたらどうなるだろうか。あなたが質問をすると「そのくらいは自分で考えろ」とオーベンは言うかもしれない。それではと自分で何でもやろうとすると「一人で勝手なことをするな」と注意されるかもしれない。目標とする期待像が明確でなければコミュニケーションや信頼に問題が生じる。
5.誠実さを示す:誠実とは正直を超える概念である。正直とは真実を語る、すなわち言葉を現実に合わせる行為である。誠実とは現実を言葉に合わせる行為、つまり約束を守り期待に応える行為である。
6.引き出しをしてしまったときは誠意をもって謝る:素早く心から謝ることは、高潔な人格を必要とする行為である。内的な安定性のない人には誠心誠意謝ることなどできない。
信頼残高の考え方をもてば他の医師と効果的に働く準備ができたといえる。信頼残高を高めるには真に自立した人格が必要なのである。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (5)
◇ 時間管理
日曜日の夜、僕はデートの約束をした。昼過ぎに当直明けでふらふらしながら部屋にもどった僕は夜に備えて仮眠をとろうと思い、ベッドに崩れ落ちた。次の瞬間、ポケベルの音で目覚めた。辺りはすでに真っ暗だ。時計をみると約束の時間は過ぎている。ポケベルは無情にも病院からだ。どちらにせよ、僕はデートにでかけるチャンスをすでに失っていた。研修医にとって時間はお金以上に貴重だ。ぼやぼやしていると、あっという間に自分の時間を失ってしまう。僕の場合もそうだった。しっかりスケジュールについて考えようとするのだが、寝不足だったり気力が追いつかなかったりして横になるのが精一杯という時期が何か月も続いたことを思い出す。研修医にとって時間管理はとても重要な技術だ。
◇ ものごとの重要度を把握する
まず、君たちの時間の過ごし方は4つの領域に分けることができる(図1)。活動を定義する二つの軸は緊急度と重要度。緊急度というのは「すぐに対応しなければならないように見えるもの」、重要度とは結果に関連しており「君の価値観、優先順位の高い目標の達成に結びつくもの」になる。僕らは緊急なものに対してすぐに反応的になりがちだ。

第一領域は緊急でかつ重要な領域になる。即時の対応が要求され、なおかつ大切な結果と結びついている。研修医諸君はまさにこの第一領域に溺れている(図2)。常に新しい課題に直面し、締め切りに追われる日々を過ごしている。第一領域に集中している限り、その面積は増大し、やがては生活が圧倒されてしまうことになる。それは、まるで打ち寄せてくる波だ。問題がでてきては君を叩きのめす。そして立ち直ろうとしているところに次の波が寄せてきて、また倒されてしまう。毎日、様々な問題に振り回されて生活しやがて疲れ果ててしまうのだ。 第一領域に溺れる人間はえてして緊急でも重要でもない第4領域に逃げ込むことが多い。僕もそうだった。ひまつぶし目的のレンタルビデオ、意味のない飲み会、サボる口実としての喫煙などなど。 一方、第一領域と勘違いして緊急ではあるものの重要ではない第三領域に時間を浪費する人もいるだろう。彼らは反応的に生きているにすぎず、その生活は始終ほかの人の優先順位や期待に振り回されているにすぎない(図3)。

◇ 研修の成否は時間配分にあり もし、本当に君が効果的な人生を望むのなら、第三領域と第四領域を君の時間から排除することだ。なぜならこの二つは緊急であろうがなかろうが重要ではないからだ。そして第二領域に時間を投資することで第一領域の問題をなくしていくことが可能になる。 第二領域に集中することこそが効果的な自己管理となる(図4)。人間関係づくり、長期的な計画、運動、予防保全、学習などはこの領域に入ってくる。誰もがこうした活動の重要性を認めるにもかかわらず、緊急ではないために手をつけようとしない。もちろん、第二領域に集中さえしていれば第一領域の問題が発生しないというわけではない。患者はいつ具合が悪くなるか分からない。いつ、オーベンから呼び出しがくるかも分からない。しかし、その不確定要素は対応できる範囲に押さえることができるのだ。「もし、常日頃から行っていれば君の生活や仕事の業績を著しく向上させる活動があるとしたらそれは何だろうか」この質問に自分自身で答えてみよう。そしてその答えを実行してみよう。きっとよりよい時間配分のできる人生が君を笑顔で迎えてくれることだろう。

参考図書: 7つの習慣 スティーブン・R・コヴィー キングベアー出版 1996
固定リンク | コメント (37) | トラックバック (0)
ひとつ、5分間の実験をしてもらいたい。目を閉じて考えて欲しいことがある。それは、君が医学部に入学する当日の自分自身の気持ちだ。わくわくしながら大学の門をくぐったその日の気持ちを。これから医師を目指しての勉強を始めるのだ!なぜ君は医学部を受験したのだろう。そのとき、イメージしていた将来像と今の自分を比べると違いはあるだろうか?これから、どのような医師になろうと当時の君は考えていたのだろうか。今の君はその道を着実に歩んでいるだろうか?それとも思いもよらない分野に向かって進んでいるのだろうか?
さあ、目を閉じて実際に始めて欲しい。(読み飛ばしてはいけない。実際に行動するのだ!)5分間たっただろうか?
真剣に想像し、自分と対話できたならば自分自身の奥底にある医師像、価値観に触れあえたはずだ。研修医時代には日々の忙しさに追われ、やっていることそのものに意味があるかどうかを考える時間も精神的ゆとりもないことが多い。自分自身を見失い、目の前にあるはしごを上りつめて頂上に達したとき、はじめてそのはしごがかけ違いだったと気がつく医師は多いのではないだろうか。
自分の目標とする医師像を明確にすること——これはもっと拡大解釈して人生の目的として考えても良い。目的地をはっきりさせてから人生の旅を続けることは重要である。なぜなら、現在地をよく理解できるようにし、正しい方向へむかって歩み続けることができるようになるからである。自分自身のハンドルは自分で握る人間になってほしい。
人生の目的がわかり、目的地に向かって歩み続ける途中でも、様々な障害が君を悩ますだろう。例えば、アルバイト病院に出発する時間がきたのに緊急入院が飛び込んでくる。人手は足りているのだが雰囲気的に抜け出せない。どうすれば良いのだろう。君は何を自分の中心的価値感としておいているだろうか?
大抵の場合、自分の中心的価値観を意識することはない。しかし、自分の中心的価値観を上級医にゆだねていたら仕事の都合や医局の欲求で物事が決定されていくだろう。そこに個人の主体性はない。自分の力は医局から与えられた地位、組織の大きさ、上級医の意見に制限される世界に閉じこめられることになる。もし、自分の中心的価値観をお金においてしまったら利益が意志決定の基準になる。もし、自分の中心的価値観が自分中心であったなら自分が得をするかどうかの判断基準しかもたず、他人からの協力を得ることはない。
ほとんどの人間は周囲の状況にあわせて中心的価値観を入れ替えながら生活をしてしまう。これでは一貫した方向性がなく、一定した自分がないのと同じである。正しい原則を自己の中心的価値観にすえることが唯一の解決策であると私は考えている。原則とは愛や正直などに代表される人類共通の普遍的な現象の総称である。原則とはこれに逆らうことができない絶対的真理の集まりである。例えば誠実さを大切にするのなら約束を守る必要がある。約束を守らずに誠実さを高めることは不可能である。例え一時的に上辺だけを繕って誠実そうに見せても、いずれは薄っぺらな仮面ははがされてしまう。このような大いなる真理に基づいて物事の判断を行うことで、直面している状況や一時の感情から一歩身をひいて選択枝を選ぶことができる.他人や状況に自分をコントロールされない人生を送ることは研修医諸君がもつ自分自身のリーダーシップ能力そのものである。
固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
バチン!小さな手のひらで赤ちゃんはニコニコしながら僕の頬を叩いた。研修医時代の話である。このとき気がついたことがある。もし、同じ加速度で同じ痛みを与えたのが誰か別の人間だったなら僕は怒りを覚えただろう。しかし、そうはならなかった。この違いはどこからくるのだろう?
数年後にその答えを得た。人間は刺激と反応の間に選択の自由を持っている。したがって頬をうたれて怒りの感情を起こすか起こさないかは自分に決定権があるということだ。分かるだろうか?
もし、研修医諸君が価値ある人生を歩みたいのなら主体性をもって生きることだ。主体性をもつとは人間として自分の人生に対する責任をとるということであり、周りの環境でなく自分の選択で行動を決めていくということである。
先日、ある入院患者と病院側でトラブルが発生した。母親が対人恐怖症のために入院時の説明を全く覚えていなかったのをきっかけに情報伝達ミスが発生していたのだった。僕の上司が突然に「主治医である君には何ができたと思うか?」と質問してきた。僕は病状説明には人一倍気を使っているつもりだと説明した。「しかし、問題は発生した、問題を起こさせないために何ができたか?」、「それは不可能ですよ」思わず答えてから自分のいったセリフにハッとした。自分が問題を自分の外に考えていることに気がついたからである。問題は自分の中にあったのだ。そう考え直してから改めて我々は問題を再検討し直すことができた。
これは僕が反応的になっていた話である。人は自分の人生に対する責任を放棄すると反応的になる。反応的であれば周囲の環境に大きな影響を受けてしま う。天気が良ければ機嫌がよい。しかし天気が悪ければ気分も悪く仕事の遂行能力も低下する。主体的な人は自分の天気を持ち合わせている。その行動は自分の 価値観に基づいて行われる。他人の言動や社会の天気に左右され、振り回されることはない。自分の身に何がおこるかではなく、それにどう反応するかが重要な のである。
主体性を発揮するには主に二つのやり方がある。ひとつは言葉に注意することである。「私はそういう人なんだか ら」—自分という人間が起こす反応は生まれたときから死ぬまで変わることはない。「あいつとは仕事ができないよ」—自分の責任でなく彼が問題である。反応 的な言葉は脳へと伝わり、ますます自分からコントロール能力を手放すようになっていく。もう一つの方法は自分の時間やエネルギーを集中させることだ。我々 はだれでも関心をよせる物事がある。関心事のなかには自分が影響を与えることのできることとコントロールできないものがある。影響の輪に集中することで積 極的なエネルギーを生み出すことができ、影響の輪を拡大していくことができる。その結果、自らの自由を拡大していくことになるのである
参考図書: 7つの習慣 スティーブン・R・コヴィー キングベアー出版 1996
固定リンク | コメント (876) | トラックバック (1953)
「お前のカルテ書きは全くなってない、医者を辞めて死ね」これは、私が初めてオーベンを持ったときに言われた言葉である。厚顔無恥な私だったがさすがに考えた。「一体どうしたらいいのだろう」、と。かくして数年間の時が流れた。相変わらずフレッシュマンが入局して躓きながらも独り立ちしていく姿を眺めてきた。しかし、その独り立ちは医学的医療的技術の習得のみであり、人間的成長は個々人の努力に任せられたままなのである。ここで私の疑問は生じる。自分が患者であったとき二人の医師がいたとしよう。一人は技術はさっぱりだが人間的に信頼できる医師である。もう一人は技術はすこぶる振るうが人間的に信用がおけない医師だ。どちらを選んだ方が良いのだろうか。答えはどちらも選べない、だ。医師にとって医学的技術と人格はどちらも同じように大切なものだ。しかし、現在の医学教育では人格教育がすっかり忘れられている。ずっと私はこの問題について考えてきたがやっといくつかの答えにたどり着いたように思う。これから研修医諸君にその幾つかを紹介していきたいと考えている。
金のガチョウという寓話を知っているだろうか。農夫が金の卵を産むガチョウをみつけ、金持ちになるが我慢できずにガチョウの腹を開けてしまう。腹の中は空っぽで農夫は金の卵を手に入れる手段も失ったという話だ。
効果性あるいは成功について多くの人がこの農夫を笑えない立場にいる。黄金の卵だけを考えてガチョウを失ってしまうのである。 真の効果性とは「結果を手に入れることや目標を達成すること」と「その結果を手に入れるために使う資源もしくは目標達成能力」のバランスにある。これはP/PCバランスと呼ばれる。Performance(目標達成)とPerformance Capability(目標達成能力)から名付けられた原則だ。この原則には誰も逆らえない。例えば私は英文を読むのが苦手だった。締め切り前日まで宿題を放棄し、徹夜でどうにかこうにか中途半端な翻訳を作成していた。その結果、このやり方を続けている間、私の英語力は伸びなかったし翻訳作業が楽になることはなかった。また研修医時代、頑張ることが大切だと考えて朝も夜も働いた。しかし、睡眠不足で医療事故を起こしそうになったり、体力がおちて病気になってしまい、何日か休むはめになってしまった。これらは全てバランスの崩壊に基づく結果だ。原則を重視し、バランスを保てば翻訳作業に時間を割くことで私の英語力は増し、翻訳に費やす時間は徐々に減少していっただろう。毎日、必要な休憩をとれば不必要な医療事故未遂も起きなかったし、休んで周囲に迷惑をかけることもなかっただろう。研修医諸君にはP/PCバランスの原則に従うよう心から忠告しておく。
固定リンク | コメント (417) | トラックバック (1213)
固定リンク | コメント (113) | トラックバック (0)
固定リンク | コメント (1) | トラックバック (1)