1)『デキる女とダメな男の脳習慣』(大島清)
2)『下流社会 第2章 なぜ男は女に“負けた”のか』(三浦展)
久しぶりに本屋へ行ったら、上記の2冊が気になって手に取った。全部読んだわけではないので、内容は正確さを欠いている部分があるかもしれないが、これらの本のタイトルにあるような「女性礼賛もの」は、文庫本・雑誌問わず、最近多いような気がする。
私が教育を受けた頃は、もう男女平等という概念が当たり前のようになっていたので、親などから「あなたは男なのだから」と言われたりすると、「えっ?それが何か・・・」と子供心に違和感を持ったが、現在の状況と言うのは丁度立場を入れ替えて、同じような違和感を覚えている。
上記の2冊もそうだが、女性、特に若い女性、というものを、マスコミをはじめとして、とにかく持ち上げすぎのような気がする。(若い)女性の側もそうした風潮を敏感に察知してか、自分たちが何か特別な生き物のように振舞っているようなフシがあるように感じるのは私だけだろうか?
学校の勉強、と言うことに限って言えば、女性は概して男性より真面目だから、平均的にはできる人が多かったように思う。私も医師と言う職業につく前は、当然医学部に在籍していたわけで、優秀な女性たちを目の当たりにしてきたつもりだ。ただ、社会人になれば、当然学校の勉強以上に、社会の基本的なルールを守らないと話にならない。仕事を急に休んだり、急に結婚退職したりしていたのでは、いくら学生時代に勉強ができても、社会人として失格である。
マスコミは普段、「学校の勉強がいくらできても云々・・・」という論調が多いくせに、こと若い女性の事となると、「女性万歳」のような論調が目立つ。特に、1)の著者の大島氏は京大教授という立派な肩書きの持ち主である。以前ならこうした人たちは、若い女性に説教をする側だったが、今や尻尾を振るところまで墜ちてしまったとは、何とも情けない気がする。本が売れれば(つまり金にさえなれば)なんでもありというわけか。大学も民営化されて、時流に乗っていると言われればそれまでだが・・・。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
安倍首相が退陣を表明した。参院選敗北から2ヶ月、内閣改造から僅か1ヶ月での辞任。しかも、国会での所信表明演説の翌日の退陣表明に、殆どの人は呆れたと思う。
マスコミは、彼の掲げた「戦後レジームからの脱却」や「憲法改正」が国民に支持されなかったことを、政権の行き詰まりの第一要因に挙げている。しかし、私は少し違うと思う。
政府の役割の基本は、国民の生命と財産を守る、と言うことに尽きると思う。自分が医療関係の人間だからそう思うだけなのかもしれないが、国民の生命、とは結局のところ医療であり、国民の財産、とは今回の場合年金問題ではなかったか。医療崩壊・年金崩壊で国民の生命も財産も守れない。しかも、各方面から最初に追求された時の初期対応にも問題があって、結局政府の基本的な役割を、首相自身が認識できていなかったことが国民にバレてしまった。それで、もはや何を言おうが(「美しい国」などその最たる文言だと思う)、国民に信用されなくなり、衆議院で2/3の議席を持ちながら、憲法改正を口にすることさえおこがましい状況に追い込まれてしまったのではないかと思う。
私自身は、現行の憲法は改正すべきだと思っているが、年金や医療などの問題をそっちのけにして、「改憲」そのものにこだわるのは、やはり順序が逆だと思う。主張は逆だが、丁度護憲派が、現在の国際情勢を無視して「護憲」そのものにこだわっているのと、ダブって見えてしまう。
現代社会では、政府の果たす役割は大きいし、多くのことが求められている。だからこそ、物事の優先順位をきちんとつけることが必要だし、何が最も重要かの判断を誤っては政治の指導者は務まらない。そして、最終的にはその下にいる一般国民に災禍がふりかかることになってしまう。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
奈良の妊婦の死産について、前回ブログに記事を書いた。その中で、改めてマスコミというものについて考えさせられた。
ヨーロッパの中世が典型例だと思うが、現代のような政教分離が当たり前の世の中になる前は、政治と宗教は必ずしも別ではなかった。神の御託宣を伝える神官たちは、為政者に対しても大きな権限を持っていたのである。
現代に当てはめてみると、神の御託宣は「国民の声」ということになろうか。神官はマスコミ。記者たちは良く、「これが国民の声だ」といって記者会見を開いている人に詰め寄ったりしているが、「これが神の御心です」と言っていたであろう神官たちと、どこかタブって見える。どちらも、「自分たちが絶対正しい」と思い込んでいる点も良く似ているし、「神の声」も「国民の声」も本当に聞いた者など誰一人なく、結局は神官やマスコミの腹一つ、と言う点も同じだ。今回の報道の仕方も、まるで魔女狩りのようである。
ルネサンスと宗教改革によって近代の幕が開けたように、今の医療の閉塞状況を打破するためには、マスコミから権力を取り上げることが必要なように思われる。宗教界の腐敗が宗教改革の引き金になったのと同様、マスコミ内部の腐敗情報が次々に出てくれば、次第に状況は変わってくるのではないか、と期待している。但し、そうなるまで医療の方が持ちこたえられるかどうか心配だが・・・。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
もう色々な先生がコメントされているが、またもや奈良県で妊婦が各病院から救急の受け入れを断られて死産したという「事件」があった。
昨年の10月に奈良県で妊婦が死亡する事件があり、その時にもこのブログに書いたのだが、他の先生も恐らく思いは同じだろうと思う。実際に被害者となってしまわれた方々には気の毒だが、とにかく医師の数が足らず、しかもその状況はどんどん悪くなっている。そんな中で、マスコミは「たらい回しにされた」と相変わらずの病院叩き。それでも最近では、「医師不足」という記事も書いておきながら、こういうことが起きると「待ってました」とばかりに、昔の記事をコピペしたような記事が紙面に踊るという有様・・・。
救急システムの手直しは確かに必要だと思うが、とにかく人も場所も時間も限られている状況では、優先順位をつけて事に当たるしかない。不幸な偶然が重なって起きた不可抗力的な事柄を、「事故」や「事件」に仕立て上げようとするメンタリティは、本当に呆れるばかりだ。医者になりたくてなれなかった連中がマスコミに流れて、今その意趣返しをしているのかな?と勘ぐりたくもなってしまう。
マスコミが医師に「医療に対する姿勢」を問いたいというのなら、こちらもマスコミに是非問いたい。あなた方の「報道に対する姿勢」はどうなのか、と。大新聞の見出しが、いつの間にやら三流週刊誌と同じレベル、いや、それ以下に成り下がってしまったと感じているのは私だけだろうか?
固定リンク | コメント (4) | トラックバック (3)
いよいよ世界陸上が開幕した。開催前の放送局の宣伝には、はっきり言ってうんざりしていて、「絶対に観ないぞ」と思っていたが、いざ開幕して少し観てしまうと、そこからチャンネルを変えられなくなってしまった。
やはり真剣勝負というのは、それだけ人を惹きつける何かがあるということなのだろうか。それでも、あのアナウンサー達のわけのわからない絶叫口調には、相変わらず閉口しているが・・・。
日本人選手は、今回もやはり「世界の壁」に苦しんでいるようだ。今までなら、オリンピックを含め、「日本は弱いな~」という感想しか持たなかったのだが、今回は少し違う印象を持ちながら観ている。それは、「世界最速」「世界最高記録保持者」といわれる外国のアスリート達をみていると、みな目がうつろなように見えた。
当然、試合前に緊張しているから、リラックスした普段の表情と違って当然だと思う。しかし、彼らの表情からは、「力強さ」よりも「はかなさ」を感じ取ってしまう。外国、特に米国や共産圏の国々は、勝つか負けるかでその後の人生がまるで違う。それは日本でも同じなのかもしれないが、日本の場合はお金よりも名誉のほうが大きいように思う。外国のトップ選手の場合は、名誉もさることながら、負ければお金も失ってしまうような悲壮感があるのではないかと思う。それが、海外の一流選手と日本選手の差につながっているのかも知れないが・・・。
しかし、今回はなぜか、そうした海外の「うつろな目」をした一流選手よりも、日本選手のほうに好感を持ってしまう。少なくとも彼らの目つきのほうが、遥かにしっかりしていたし、スポーツは所詮スポーツ。勝つか負けるかで余りにも巨額のお金が動いたり、ドーピングまでして勝ちたいと思う選手が出てくる近年の状況は、やはり異常だと思う。
勝者と敗者に差があって当然だとは思うが、敗者の生活基盤そのものまで奪ってしまうほどの差がつくのは行き過ぎだと思うし、そうまでしてメダルを取れる選手を国を挙げて育てる必要が、本当にあるのかと感じずにはいられない。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
7月の参院選で自民党が歴史的大敗を喫し、安倍首相退陣かと思われたが、御本人が早々と続投を表明したため、来週月曜日の内閣改造に焦点が移ることとなった。
これまで散々言われてきたことだが、安倍内閣は発足当初から「お友達内閣」といわれ、露骨な論功行賞人事が目立った。「サプライズ人事」で世間を文字通りアッと言わせてきた前任の小泉氏とは正反対だった。しかし、そのツケは、余りにも大きく、しかもすぐに支払わされることとなった。相次ぐ閣僚の失言・辞任、あげくの果てには自殺者まで出した。
現在の日本では、総理大臣というのは、官・民あわせたあらゆる組織の中で究極のトップといえる。トップの条件としては、色々な要素があるのだろうが、やはり一番は人事のセンスではないかと思う。現代のような複雑な社会構造の中では、全ての知識や情報を一人で持ち、適切な判断を下すのは絶対に無理である。したがって、下の者に権限を持たせて、トップは大まかな方針なり方向性を打ち出せればよいわけである。そこで、その「下の者」を誰にするか、ということが重要になってくる。
「お友達」であろうと「論功行賞」であろうと、結果的に皆が納得し、適切だと思われるような人事なら、全く問題はないと思う。よく言われるように、政治は結果責任なのだから。しかし、任命した閣僚の「過去」がゾロゾロ出てきて、収拾がつかなくなってしまうようなら、やはり人事そのもののセンスを疑わざるを得ない。結局それはトップ、つまり総理としての器がないことを何よりも示しているのではないだろうか。
来週月曜の内閣・党三役の人事がどうなるか。安倍首相自身の資質が問われる正念場といえるだろう。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
久々のブログ更新となった。この間、世の中で様々な問題が起きていたが、私用でなかなか更新できなかった。この間、アクセスしていただいた方には、申し訳なかったと反省している。今回、産科救急患者の「たらい回し」で糾弾された大淀病院が、産科医療を中止するとの記事を読んだ。
話は急に飛ぶが、塩野七生先生が、15巻にわたって書かれた『ローマ人の物語』シリーズの最終巻が先日発売され、早速読んだ。最終巻なので、要はローマ帝国滅亡の巻になるわけだが、そこでは国家の功労者だった将軍たちが、無能な皇帝の決定によって、次々と殺されていくという、まさに滅亡にふさわしい内容になっている。ある国家の功労者だった将軍の処刑を決定した皇帝が、その正当性について、ローマの元老院議員たちを前に演説するのだが、その演説を聞き終わった元老院議員の一人が、皇帝に向かって言ったのが冒頭のタイトルだった。「陛下のされたことは、自分の右腕で自分の左腕を切り落とすようなものです」
今回の大淀病院をめぐる一連の動きも、これと同じようなものではないかと思う。同院の産科医療の閉鎖で、奈良県内の同地域の産科を扱う病院はなくなってしまうという。怒りに任せて訴訟を起こし続け、原告勝訴の判決を出し続ける裁判所・・・。ローマ帝国の最期と我が国の医療の最期が重なって見えてしまうのは私だけだろうか?
固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
最近、小中学生のいじめによる自殺が相次ぎ、社会問題になっている。一連の動きに関して感じたことを綴ってみたい。
まずは、「いじめ」そのものは、悲しいかな、人間の性であって、いかなる対策を講じようともなくなることはない、ということだ。問題は、いじめが原因で自殺にまで追い込まれてしまう、という点だと思う。現在、各方面からの指摘を受けて、教育委員会をはじめとする学校関係者は対策を打ち出そうと必死のようだが、この点の認識というか、何に焦点を当てて対策を立てるかを誤ると、なくなるはずのない「いじめ」がいつまでたってもなくならないために、結局は報告上いじめがないことにしていた過去に戻ってしまうことになると思う。
大人の世界にも当然「いじめ」は存在するが、大人の場合はなんと言っても逃げ道があるし、「逃げ方」も知っており、「逃げ場」もあるが、子供の場合は「学校」が全てだから、そこで「いじめ」に遭ってしまうと逃げ場がなく、深刻化するケースが多いのではないかと思う。したがって、大人であっても狭い世界の中で生きている人の場合は、職場いじめで自殺に追い込まれるケースもあるのではないかと思う。
結局、「いじめ」から確実に逃れられる方法が、目下のところ「自殺」しかない、というところが問題なのだと思う。このことは、首相が掲げる「再チャレンジ」政策とも絡んでくると思うが、いじめが原因で学校を休学したり転校して卒業が遅れても、それが将来不利になることがないようにしていく、それが子供にも親にも目に見える形でわかるようにすることが、一見遠回りなようで、案外近道なのではないかと私自身は考えている。そうすれば、自殺以外の「逃げ道」が子供にも用意されることになるのではないだろうか。
やはり、合わない人間というのはいるもので、大人が間に入って表面を取り繕って仲直りさせたりしたつもりでも、根本的な解決にはならないと思う。むしろ、表面を取り繕えば取り繕うほど、いじめ自体が陰湿化・深刻化するような気がしてならない。現在のように、いじめる側といじめられる側が固定化していないような状況では、カウンセリングが効果を上げるとも思いにくい。いじめられる側をかばえば、明日はわが身であり、子供もそのことがわかっているからこそ、なかなかいじめを告発したり出来ないのだと思う。
ただ、最近一つ気になるのが「自殺予告」だ。これは、自殺問題とは似て非なるものだと思う。自殺報道が連鎖を起こして各地で自殺が相次いでいるのは事実だと思うが、私は「自殺予告」については冷めた目で見ている。何かこの騒ぎに便乗している感じが否めないからだ。マスコミも、この点はしっかり区別して、予告のほうはあまり大きく取り上げないのが賢明だと思う。
固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
何やら仰々しいタイトルをつけてしまったが、北朝鮮問題も、段々北朝鮮が追い込まれる格好になりつつあるような雲行きである。それは望ましいことではあるが、東アジアにはもう一つ大きな火種がある。それは台湾問題である。現在のところ、この二つの問題はリンクしていないが、各国、特に米中の思惑しだいでは、一種の「取引」のようなこともありうるのではないかと、ふと感じたので書きとめておくことにした。
つまり、中国が北朝鮮を見捨てて、韓国が北朝鮮を併合する形で統一されることを承認する代わりに、米国は中国が台湾を併合することを承認する、ということだ。中国が、以前より北朝鮮に厳しい態度をとり始めた矢先に、台湾の「独立派」である陳水扁総統のスキャンダルが、時を同じくして起きたのは、単なる偶然なのだろうか?
もし、こうして朝鮮半島問題と台湾問題が一挙に解決してしまうと、東アジアには、中国、統一朝鮮、日本の三国に、米国とロシアが絡んでくることになる。現在は、スタンスの違いこそあれ、北朝鮮という共通の敵がいることで、矛先は日本には向いていない。しかし、こうした問題が解決した後、日本は米国・中国のどちらを選ぶか、という究極の選択を迫られることになるかもしれない。あの『文明の衝突』で、ハンチントン教授が予言したように・・・。
独自外交、とよく言われるが、そうした状況で独自に動けば、米中双方を敵に回すことになってしまいかねない。それは、第二次大戦を振り返るまでもなく自殺行為だろう。ではどちらを選ぶかということになるが、よく言われるように、中国は中華思想の国で、対等の外交が出来る国ではないので、同盟は難しい。一方、米国も、冷戦時代と比べると最近は「ぶれ」が目立つ。例えば中国に対して、敵視政策をとったかと思うと、「戦略的パートナー」として扱ってみたりと、以前ほど信用に足りる国とは言えなくなってきている。
また、韓国(もしくは統一朝鮮でも良いが)は、最も近い隣国だが、最早中国べったりの印象が強く、依然反日が強い。国力も弱く、組んだところで「弱者連合」になりかねない。ロシアとは北方領土問題があって、これまた難しい。また、ロシアの主要部分はやはり遠いヨーロッパなので、あまりアテにできない(これは、西欧諸国についてもいえる)。
結局、日本には同盟国がない、ということになってしまうが、私が個人的に期待するのはオーストラリアとインドである。自衛隊のイラク派遣の際も、自衛隊を守っていた英軍の後を引き継いだのは豪軍だったし、今回の日本による北朝鮮に対する独自制裁に同調してくれたのもオーストラリアだった。インドは、識者も注目している人が多いが、日本と近すぎず遠すぎずで、オーストラリアと違い人口が多い。この2国と今後如何に連携していけるかが、特に北朝鮮・台湾問題解決後の、日本の命運を決するような気がする。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
先日、研究会で東京へ行った。MR主催の研究会なので出張費も全部MR持ちでしかも新幹線はグリーン車、病院からの出張と違い、後でレポート提出もなし、とまあ至れり尽くせりであった。
昔は、病院からの出張もグリーン車に乗ることを前提に旅費が算出されていたように記憶しているが、病院を転勤しているうちに世の中はバブル崩壊、気がつくと一般指定席の料金を10円単位まできっちり計算して渡して来るようになった。しかも、以前はなかった「出張報告書」まで提出させられるようになり、医師にとっては随分世知辛い世の中になってしまったものである。
新幹線は、現在「のぞみ」主体のダイヤであり、料金も以前のように「ひかり」に乗るか「のぞみ」に乗るかでかなり違うと言うこともなくなった。「のぞみ」の停車する駅が最寄り駅の人間にとっては便利になったのだが、名古屋までは各駅15~30分程度の間隔だが、名古屋を出た後、東京・品川までは1時間半以上ある。新横浜に停車する場合でも1時間ちょっとあり、結局、静岡県に停車する「のぞみ」は1本もないことが(今更ながら)わかった。静岡県には新幹線の駅が6つもあるのに、「のぞみ」停車駅が1つもないと言うのは、少し奇異な感じがする(後で調べてみると、「のぞみ」が停車しないのは東海道・山陽新幹線では静岡県のみのようである)。静岡県の人はよく文句を言わずにいるものだと思う。
一方、南びわ湖駅建設に反対している滋賀県知事だが、とうとう工事費を払わない決定をした、との記事を読んだ。如何に建設反対を掲げて当選したとはいえ、既に発注した分の工事費を払わないとは、一体どういうつもりだろう?県(=お上)が工事の代金を踏み倒すとは、これはもうほとんど時代劇の世界である。この知事にとっては、社会のルールよりも自分の信念が優先なのだろう。こういう行動パターンは、左翼系の人物に多いように思う。「憲法九条を守れ!」とか、過度の動物愛護(鯨の捕獲反対など)を唱える人たちにも、似たようなところがあるように感じる。正義を基準に行動するのも時と場合によるような気がする。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | |||
| 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
| 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
| 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
| 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |